アンダーサイカ -旧南岸線斎珂駅地下街-

唄うたい

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第3章 喧【やかましい】

3-1

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 段ボールの中から、紙と紐で封がされた小さな壷を取り出して、空いてる棚に移していた頃、ヨシヤがピタッと手を止めた。

「今夜は荒っぽいお着きですね。」

「?」

 またよく分からないこと言ってる…。
 私が首を傾げた直後だ。

 ゴオォーッと、天井のもっと上のほうからけたたましい音が鳴り響いた。

「っ!?」

 壁も床もガタガタと揺れる。
 この感覚を、私は知っていた。
 “電車”がホームに滑り込む音だ。

「うそ…。なんで…。」

 時計は夜中の1時過ぎを指してる。私だって、こんな夜中に電車が普通は走らないことを知ってる。

 それに………、電車の音がやがて止んでいく。
 停まったんだ。“この駅”に。

 わけが分からず天井を眺め続ける私を置いて、ヨシヤは入り口の引き戸を全開にしたり、邪魔な段ボールを見えないところに隠したりする。

 そのあと私の傍に寄って来て、

「さあ、お客様方が到着されました。豊花ちゃんの最初のお仕事ですよ。
 僕を見る時のようなむくれた顔はダメ。ニッコリ笑顔でお願いします。」

 通常の2倍くらいの増量スマイルを向けてきた。
 当然私は更に眉間のシワを深くする。

 でもこれも約束だ。約束だから守らなきゃ。我慢だ、私。

「うん、分かった。やってみる。」

 私のハッキリとした返事に気を良くしたらしい。ヨシヤの笑顔が更にとろけたものに変わった。

 入り口に飾ってある風鈴が、風もないのにチリンと鳴ったのはその直後だった。
 ビクッとそっちに目を向ける私と、緩やかな動きで体を翻し、深くお辞儀をするヨシヤ。

 そこには、

【…シュウゥ………。】

「!!!」

 ヨシヤの高身長よりも大きな頭を持つ、真っ暗な大蛇がいた。
 入り口ぎりぎりの大きさだからあと少し首を突っ込んだらつっかえてしまいそうだ。
 毒々しい紫色の目玉と、チロチロ動く舌先がすごく不気味。

 私は目眩を覚えたけど…ヨシヤは平気なのかしら。

「いらっしゃいませ、お客様。
 本日は何をお求めでしょう?」

 昨日のオバケの時と同じく、ヨシヤの態度は丁寧の一言。
 私も何とか浮かないようにと、ヨシヤの隣に並んでペコッと頭を下げた。

【…シュウゥ……。】

 大蛇のオバケが何か言ってる。
 でも当然ながら私には言ってる意味が分からない。
 チラッとヨシヤを見上げれば、

「おや、それはそれは。
 ありがとうございます。」

 なんだか嬉しそうにお礼言ってる…。
 オバケは何て言ったんだろ…。

「豊花ちゃん、お客様は噂を聴いて来店してくださったんですよ。きみを一目見たかったそうです。」

「え!?」

 ギョッとした。
 まさか昨日の小人オバケ、本当に触れ回ってたなんて!

 素早くヨシヤを見上げ、その直後に大蛇を見上げるけど、私には…見に来たっていうか、隙あらば私を食べようと思ってる目に見えるんだけど…。
 チロチロと舌が動き、それが少しずつ近づいてくる。

「!?」

「握手をしたいそうですよ。
 アンダーサイカにようこそ、って。」

「こ、これ握るの…?」

 運動会の綱引きに使う綱くらい太く長い、二股に割れた真っ赤な舌。
 ざらざらしてそうで、できれば触りたくないのが本音。
 …でも、

 ―――せっかく来てくれたんだし……。

 私は意を決して、大蛇の舌先をそっと掴んだ。

 ―――あれ。

 思ったほど嫌な感触じゃない。

 大蛇の目を見る。
 バスケットボールくらいの大きな紫色の目玉だ。私を見る目も、今はどこか柔らかく見える。

 危険じゃないのかもしれない。
 そう思った私は、

「…えへ…、よろしく。」

 気が緩んで、ヘラッと笑顔を浮かべた。

 にぎにぎと舌の感触を半ば楽しんでると、

「失礼、お客様。
 この子にはまだお仕事が残っていますので、そろそろよろしいですね?」

 ヨシヤが笑顔で中断を促してきた。

「え?まだ………」

 “まだいいでしょ?”と訴えようと思ったのに、それより早くオバケは、するりと舌を口の中に戻してしまった。

「あー……。」

 ちょっと惜しかったな…。

 大蛇は口の形をにんまりと歪めると、その大きな体をゆっくりと引き戸の向こうへと下げていった。
 噂を聞いてちょっと覗きに来ただけだったんだ…。

 そんな冷やかし客に対してもヨシヤは頭を深く深く下げて言うのだった。

「ありがとうございました。
 またのお越しをお待ちしています。」

 ずりずりずり…。
 狭い通路ぴったりの太さの体が、店から遠ざかっていく。
 軒先からヒョコッと顔を覗かせて、去っていく大蛇を見送れば、

「…わ。」

 案の定、他の小さなオバケたちがうまくすれ違えずに窮屈そうにしている。

「もう、無理に通るから…。」

 近いし、助けに行こうとした。
 でも、

「ダメ。いけませんよ。」

 ヨシヤは私の手を掴んで引き留めた。店から出したくないようだ。

「なんでダメなの。あのオバケ困ってるよ。」

「すぐに別のお客様がいらっしゃいます。第一小さなきみが助けに向かったところで役には立てませんよ。
 ……それに、警備員に見つかっては色々と面倒です。」

 笑顔のヨシヤが、どこか警戒するように辺りを見回し始めた。

 ―――そっか、警備員さん…。

 地上人を見つけたら地上に連れ出すって言ってたっけ。
 私は手伝いの身だ。連れ出されるのはまずい。

 困ってるオバケを放っとくのは気が引けるけど。
 私は人差し指を立て唇に添えて、シーッと黙るジェスチャーをした。

 手を引かれて店に入った直後だ。

「わっ!!」

 入り口に、ワラワラッと小型の生き物が大量に押し寄せてきた。

 すかさず私を抱き上げてくれたヨシヤのおかげで、生き物の中に埋もれることはなかった。
 けれどそれでも、ダチョウの卵くらいの大きさの黒い塊が、群れを成してヨシヤの膝まで積もってる。

 私はキョトンとしてヨシヤの目を見た。
 逆にヨシヤは、ずっと笑顔だ。慣れきった様子の笑顔。

 ピョコンと塊のひとつが起き上がった。

【オマエカ!
 新シイ薬屋ノ商人あきんど見習イカ!】

 鉛筆みたいに細長い手足に、さっきの大蛇と同じ紫色をした、ビー玉みたいな目。それがつるんとした黒い卵の体にくっついてるんだ。
 さっきの大蛇オバケは恐かったけど、この卵オバケはずいぶんと可愛い。

 オバケにもバリエーションがあるんだなぁと、ちょっと楽しくなってきた。

「うちの看板娘ですよ。
 いたらないところもありますが平にご容赦を。」

 卵オバケたちにも頭を下げるヨシヤ。私も見習って、抱えられた状態でひとつペコリ。

 するとさっき喋った奴だけなく、周りの卵たちまでピョコンと起き上がって、一斉に口を利いてきた。

【新入リダ!新入リダ!】
【ヨウコソ!ヨウコソ!】

 皆どうやら私を歓迎してくれてるみたい。変な感じだけど、嫌じゃなかった。

 …初めてかも。
 こうして歓迎されるのって。

 ―――ちょっと…嬉しい…。

【オンナダ!オンナダ!】
【チビダ!チビダ!】

「チビじゃないっ!!」

「こらこら、お客様を怒鳴ってはダメですよ。」

 店中に溢れた卵たちは一通りの挨拶を済ませると、次に戸棚という戸棚を飛び回り、陳列された品物を興味深げに見始めた。

【ナンダコレ!ナンダコレ!】
【スゲー!スゲー!】

 愉快だな。

 ポカンと見つめる私。そんな私をよそに、ヨシヤはテキパキと接客を始めた。
 赤い壷を勧めたり、黄色い粉の説明をしたり。
 薬に詳しくない私は手持ち無沙汰に、卵たちが手に取って眺めた品物を片っ端から整頓する。

 その際、

【オイ、オイ!オマエ!
 名前!名前ハ何ダ!】

 卵の一匹が私の割烹着の裾を引っ張りながら、そんなことを訊いてきた。

「え?名前?」

 忙しいのに。本当騒がしいな。
 でもいいか、名前教えるくらい…。
 そう軽く判断して、私は名乗ろうとした。

「私、ゆ…………」


 “ゆたか”の三文字を言おうとしただけ。

 それなのになんで、向こうで接客してたはずのヨシヤに口を塞がれているのか。


 ヨシヤを見る。
 顔は笑ってる…けど、目は全然笑ってない。
 警戒心というか、もっといえば敵意すらこもっていそう。

 意外だった。「お客様第一」のように振る舞っていたのに、そんな彼がお客にそんな目をするなんて。

「失礼。困ります、お客様。
 大事な従業員を“支配”なさろうとされては…。」


 ―――あ……っ。

 ヨシヤの言葉で、私は忘れかけていた大事なことを思い出した。

 ―――そうだ、“名前の支配”…!

 私は自分から名乗ったからヨシヤに支配される形になった。
 ということはこのオバケに名乗れば、私はオバケにも支配されることになってしまう。
 危ない危ない。うっかりしてた。

 …でも卵オバケも、別に悪気があって訊いたわけじゃ………、

 しかしオバケはとんでもないことを言った。

【バレタ!バレタ!
 不覚!不覚!】

「っ!?」

 イタズラが見つかった子供のようだった。
 卵たちはケラケラ笑いながら、一斉に店の外へ退却していく。

 波が引くように黒い群れが散っていくさまは不気味だったけど、私がそれよりも恐ろしく感じたのは……、無邪気に見えた卵たちが、その無邪気さの反面でしたたかに、私から名前を聞き出そうとしていたことだ。

 お客様だって?とんでもない。
 このオバケたちには好意も礼儀もないじゃないか。

「お客様は神様」なんて言葉をよく聞くけど、私に言わせたらこのオバケたちは、…おおよそ“鬼”に近かった。

「騒々しい方々でしょう。
 ああいった厄介なお客様もいますから、…まったく油断も隙もありませんよ。
 どうでしたか?」

 卵軍団を見送ったヨシヤが訊ねてきた。
 …けど、私の答えは大体想像ついてるんだろうな。

「………私、やっぱりあいつら、好きになれそうにない。」

「でしょうね。
 方々は恐らく、豊花ちゃんが地上人だと気づいていますよ。」

「っ!?」

 足元に落としかけていた視線を、私は物凄い勢いでヨシヤの笑顔に向けた。

 だって当然だ。
 地上人って分かった…ってことは、

「わ、私、あいつらに食べられちゃうのッ!?」

 人の姿をしてるヨシヤが「食べたい」と言ってるくらいだもの。
 あんなオバケビジュアルたちならもっと優雅に私を、叩いて伸ばしてお煎餅にしたっておかしくない。

「あっ、あ、餡子あんこと一緒に薄皮でくるんで、大福にしたって全然不思議じゃない!!」

「おや美味しそう。」

 こんなにテンパる私とは違い、ヨシヤは至って冷静だ。
 なぜなら彼は私よりもこの世界に詳しいのだから。

「大丈夫ですよ。
 確かに僕は地上人である豊花ちゃんを食べたいと思っていますが、お客様方は違います。
 地上人だからといって僕ほど血眼にはなりません。せいぜいさっきみたいに物珍しがる程度ですよ。

 …なぜなら、地上人を食べたところで、方々には何のメリットも無いのですから。」

「…そ、そうなの…?」

 するとまた新たな不安が芽生えた。
 その口ぶりだと、“ヨシヤ”が私を食べることはそうとうのメリットがあるってことになる。

 以前は訊けなかったふたつの質問…。

「ヨシヤはあのオバケと何が違うの?
 …なんでそんなに私のこと…食べたいなんて言うの…っ?」

 込み上げてくる涙は抑えられそうもない。
 店内にオバケがいなくて本当に良かった…。

 ヨシヤは、昨日みたいな不気味な笑みは浮かべなかった。
 ただ楽しげに口元を綻ばせる。
 まるで怯える私を見て喜んでるみたいに。嫌なやつだ。

「そのふたつの質問には答えてあげたい。でもそうするとお仕事に支障が出るので、まだ教えてあげません。

 …大丈夫。
 いずれ嫌でも分かる日が来ますよ。」

「………それって………、」


 ―――私を食べる日のことでしょ。


 渾身の皮肉は、私の鼻水をすする動作に掻き消された。

 とりあえず分かったことがひとつだけある。
 それは、私の期待も虚しく、ヨシヤに私を食べるのを諦める気は全く無いってこと。相変わらず。

 この時私の脳裏には、自分が美味しく調理されてヨシヤのお夕飯のテーブルに並ぶ映像が、いやに鮮明に浮かんだのだった。
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