アンダーサイカ -旧南岸線斎珂駅地下街-

唄うたい

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第1章 噂【うわさ】

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 姿がなくても、顔を知らなくても、
 最悪、生きていなくても、
 人はヒーローになりうる。

 私にとってのヒーローは、
 今はもういないお兄ちゃん。

 顔も知らない。
 人柄も知らない。

 でも彼はずうっと前から、私の大切な………――――。



 -第1章 噂【うわさ】-



 無人駅と化した南岸なんがん斎珂さいか駅の地下には、この世のありとあらゆる願いをすべて叶えてくれる世界が広がっている。
 学校に流れ始めた、そんな嘘みたいな噂に感化されて、

「……おい、止まるなよ、さっさと歩けよっ…!」

「お、押さないでよ…!」

 私たち3人は、まるで肝試しでもするかのような気軽さで、斎珂駅地下街…通称「アンダーサイカ」に足を踏み入れたのだった。

「…なあ、本当に願いを叶えてくれんのかな…?」

 今回の冒険の言い出しっぺである拓哉たくやくんが震える声でそう訊ねてきた。
 男のくせに臆病だ。

「れ、冷静に考えて、こんな所で人が商売してるわけないでしょ…!?
 この駅は5年も前に封鎖されたんだから…!」

 拓くんの問いにピシャリと答えたのは、私とは別のもう一人の女の子、潤子じゅんこちゃん。
 いつもは気が強いのに、この時ばかりは若干腰が引けて見える。
 たくくんとじゅんちゃんのやり取りを眺めてから、一番後ろを歩く私はキョロキョロと辺りに視線を向けた。

 狭い通路に人の気配はなく、シャッターはすべて閉め切られている。商売をしたところで客なんか入らないだろう。

「…ゆ、豊花ゆたか!黙らないでよ、怖いでしょ…!」

「え?あぁ、ごめん。」

 潤ちゃんが急に振り返ったから、私は自然と足を止めてしまった。
 懐中電灯で照らしてみると、なんだか涙目になっている潤ちゃんと目が合った。

 そんなに怖いだろうか。何か出て来たならともかく、歩いても歩いても何も出て来ないんだから怖がる意味が分からない。

「ねえ、何も無いみたいだしそろそろ帰らない?
 私お腹空いちゃった。」

 そう訴えながら、私は今にも鳴りそうなお腹を押さえる。
 反応したのは意外にも、明らかに一番怖がっている拓くんだ。

「…な、なんだよ豊花、6年生のくせに怖いのかっ?」

「そっちこそ怖がってるじゃない。6年生のくせに。」

 拓くんのいる方向を照らす。
 私よりいくらか背の高い拓くんは、

「…………。」

 膝をガクガクいわせ、震えていた。

 はあ、と溜め息を吐いて、私は潤ちゃんと拓くんを追い越して列の一番前に進み出た。

「じゃあ、あそこに見える薬局の看板まで行こ。何も無かったら帰るの。いい?」

「お、おう、分かった…。」
「勇気あるわね…、豊花…。」

 正直すごく面倒臭かったけど、いつも強気な二人から頼られるのはちょっと嬉しかった。
 懐中電灯でやや高めに照らし、私は斎珂薬局の看板を目指す。


 私たちがアンダーサイカ探索を始めたきっかけは、拓くんの一言からだった。

『なあ、夏休みのグループ研究さ、アンダーサイカ探検にしねえ!?』

 6年生のグループ研究とあって、他のグループは地域のボランティアだとかゴミ拾いだとか、有意義なことを企画してる。

 だから私たちはその逆で、アンダーサイカという都市伝説の解明をすることにしたのだ。
 初めは私も少し怖かったけど、誰も見たことのない未知との遭遇ができたら、楽しいかもしれない。
 珍しく拓くんの提案に賛成して、夏休み最初の土曜日の夜中、私たちはアンダーサイカにやって来た。

 それが、つい1時間ほど前。

「はい、着いた。」

 薬局の看板を真下から照らして、私は言う。
 結局ここまで歩いてきたけど、怪しいものや人の気配はまるで無かった。やっぱりここはもう無人なんだ。
 何も無いと分かると、さっきまであんなにビクビクしていた拓くんもガックリと肩を落として。

「なぁんだ…、やっぱガセかよ…。」

「やっぱ…って。拓くんが一番信じてたでしょ。」

「何も無いと分かると、ちょっと冷静になるんだよ…。」

 大体、こんな人気の無い寂れた地下街に、この世の欲望を叶えてくれる人がいるわけがない。言い出したやつは漫画の読みすぎじゃないかと疑いたくなる。

「なんか盛り下がっちまったなぁ…。夏休みの研究課題も最初から練り直しかぁ。」

 何も無いと思い知ると、急に恐怖は冷めるもの。
 拓くんの残念そうな声を聞いて、私たちはもと来た道を引き返そうとした。

 …けど、

「…あ、ごめん。
 あたしちょっとトイレ行きたいかも…。」

 潤ちゃんがおずおずと手を挙げた。今まで我慢してたらしい。

「はあ?上出るまで我慢できないのかよ?」

「ここ入って1時間よっ?
 もームリ!限界!」

 また口論が始まりそうなのを宥めて、私は辺りを照らしてみる。駅の地下ならトイレの案内板くらいあるはずだ。

 すると案の定、薬局看板より少し離れた別れ道の所に、片方の鎖が外れて宙吊り状態になったトイレのプラカードを見つけた。

「ほら、潤ちゃんあっち。」

 指を差す。行くなら早く行ったほうがいい。
 しかし潤ちゃんは動こうとしなかった。

「…あ、あたし一人で行くの?ま、真っ暗よ?」

「………。」

 確かに、懐中電灯を持ってても周囲が見えない暗さ。こんな中を一人でトイレに行くなんて、私もごめんだ。

 どうしたものかと困ってると、今までビビりだった拓くんが名乗り出た。勇敢にも。

「お、おれがトイレの前まで付いてってやるよ。
 豊花はここで待ってろ。道分からなくなったら困るからな。」

「うん、分かった。」

 拓くんにしては気が利いてると思った。

 拓くんと潤ちゃんは肩を寄せ合って、真っ暗な通路をトイレ目指して歩いて行った。
 私はと言うと、

「…斎珂薬局…。」

 目印である薬局の看板を見上げて、何気なく呟く。


 この斎珂駅がまだ利用されてた頃…。5年前だから、私が7歳の時か。

 ここは最寄り駅だし、お父さんもお母さんも毎日電車通勤。
 だからよく、地下街のケーキ屋さんや和菓子屋さんで、美味しいものを買って帰ってくれた。
 歯磨き粉やうがい薬が切れると、近所のスーパーで買ったほうが安いのに、ポイントが貯まるからってお母さんはこの薬局に買いに来てたっけ。

「……5年…かぁ…。」

 レジャーに行くよりも、私たち家族を繋いでいた地下街。
 ぎりぎり東京の片田舎ながら、割と栄えてたほうなのに、なぜ急に閉鎖されたんだろう。
 私には、都市伝説の真相よりそっちの理由のほうがずっと興味があった。

 それにおかしいことがまだある。
 私たちみたいな小学生が簡単に入り込めた場所に、もっと上の…不良やホームレスがいないなんて変だ。
 見張りの人だっていなかった。私たちは、入り口に立てられた金網に空いた穴から入ってきたんだ。大人ならこじ開けて入って来れるはず。
 私たちの他に都市伝説の調査をしてる人がいても不思議じゃないのに…。

「うーん……。」

 頭をひねっても答えなんか出て来ない。

 チラッと、トイレのほうを覗いてみる。拓くんと潤ちゃんはまだみたい。
 だんだん退屈になってきた頃、気を抜いた私のお腹が「きゅるる…」と音を立てた。

「あう………。」

 そうだ、お腹空いてたんだった。
 二人はまだ帰ってきそうにない。私は悲鳴を上げるお腹を押さえて、その場にうずくまった。

「どうしよう。お金持ってきてないし…。」

 ―――そういえばよくお母さん、薬局でフルーツクッキー買ってたなあ…。

 栄養たっぷりで美味しい健康食品のこと。
 なかなかお腹に溜まるから、昔は出掛ける時はよく持ってたけど。

「今あれば良かったのに…。」

 皮肉。まさか潰れた薬局の前で健康クッキーを欲しがるなんて。

「…買えないの分かると余計悲しくなっちゃうな…。くすん。」

 二人が帰って来るまで我慢、我慢。そう自分に言い聞かせ、私は立てた膝に顔をうずめた。


 ――カサッ


「?」

 今、耳元で物音…した?

 なんだろう。紙とは違うみたい。
 お菓子のビニールの包みでも開けたみたいな…。

 ―――お菓子?

 空腹に負けた私は、音に釣られて、つい顔を上げてしまった。

「あ…。」

 健康フルーツクッキー。いちご味…。
 私の目線の高さに、大好きだったクッキーの小袋が差し出されていた。

 懐かしさで、目が離せなくなって、私は肝心なことに気づかなかった。

 “誰がこれを差し出しているのか。”


「お腹の虫が泣いてますよ。」


 人の、声がした。

「っ、」

 まさか。さっきまで誰もいなかったのに。

 私は反射的に、そのクッキーを差し出す手を目で追ってしまった。

「いちご味は嫌いですか?」

 それは、私よりずっと背の高い男の人だった。

 お年寄りみたいに真っ白な髪。太陽に焼けてない真っ白な肌。
 お医者さんみたいな白衣を羽織って。

 不自然に白ずくめのお兄さんが、微笑みながらクッキーの袋を差し出している…。

 私がなぜその姿を確認できたかというと、

「…あ、れ………?」

 私が背にして座っていた斎珂薬局に、いつの間にか明かりが灯っていたのだ。

 閉まってたはずのシャッターは無くなっていて、代わりに木製の引き戸が付けてある。
 中に見える棚には、薬や健康食品が狭いスペースに押し込むように陳列されてる。

 5年前の風景に似てる…けど、何かが違っていた。

 …奥に見えるレジに人の姿はない。昔は見慣れたおじさんが店番してたのに。

 いや、今気にしなきゃいけないのはそっちじゃない。
 私は視線を男の人に戻す。

「?」

 男の人は笑顔のままこっちを見てる。クッキーを差し出した態勢のまま動かない。

 私はチラッとトイレのほうを見る。
 拓くんと潤ちゃんはまだだ。

 ―――私だけ…逃げちゃだめだよね…。

 この男の人、…どこか“普通”じゃないもの。

「どうしました?
 ほら、どうぞ。美味しいですよ。」

「……………。」

 受け取っちゃだめだ。
 だって、学校の先生も言ってた。

「…し、知らない人から物貰っちゃいけない…から…っ。」

 6年生にもなってこんな状況になるとは思ってなかったけど。

 私が警戒を示すと、男の人はクッキーを白衣のポケットに戻した。

 ちょっと惜しかったかな…と思うけど、いけないいけない。私は意味もなく男の人を睨む。

 すると男の人は、今度は困った笑みを見せた。


「警戒させたならごめんなさい。軽率でしたね。

 僕はただ、こんな真夜中に店先に女の子が座っているのが心配だったんです。
 自分の店の目の前なら、知らん顔はできないでしょう?」

「自分の店…?」

 その言葉に引っ掛かりを覚えて、私は薬局の看板を見上げた。

「え…っ!?」

 さっきまで、看板には“斎珂薬局”と書かれていた。

 でも、なぜだろう。
 今そこには古めかしい字体で、

 “薬屋”とだけ書かれていたんだ。


「く…っ、薬屋…!?」

「ええ。ここは僕が営む薬屋ですよ。

 …あれ?きみは知らなかったのですか?
 てっきりどなたかのお使いだと思ったのですが。」

 こんな時間にお使いさせる親がいるか。
 …あいにく、そう言い返す勇気なんか私にはない。

 だって意味不明なことが起こってるんだもの。
 音も無く現れた男の人、突然再開された薬局。そして看板…。

「…っ、じゅ、」

 いよいよ私は帰りたくなって、潤ちゃんたちを呼ぼうとトイレのほうに顔を向けた。

 が、

 私はその光景を見て、懐中電灯を構えるのをやめた。

 なぜなら、懐中電灯が無くても充分なくらい、地下街の通路すべてに明かりが灯っていたからだ。

 それだけじゃない。

 薬屋の向かいには、昔行きつけだったドーナツ屋さんではなく、また古めかしい字で「床屋」と書かれた床屋が、赤色と青色を無くして黒白二色しかないサインポールをくるくると回している。

 あっちにはコンビニがあったはず。
 でも今は、古めかしい字の「写真屋」看板を掲げた写真屋さんが、不気味な目玉のオブジェで客引きしている。

 見たことのない光景がそこかしこに広がっていた。

 私の知らない別世界。

 “トイレット”のプラカードの代わりに、“厠あちら”と書かれ吊された板を凝視して、

「拓くんっ!潤ちゃんっ!!」

 私はたまらず、叫んだ。

 懐中電灯をその場に残して、私は二人が消えたほうに向かって走り出した。

 ここは変だ。異常だ。
 早く二人を見つけて帰らなきゃ。

 でも、後ろに振った腕を、

「あっ…!」

 いきなり誰かに掴まれた。

「待ってください。そっちは専用道ですよ。」

 さっきの男の人だ。

 困った笑顔を少しも崩さず、私の腕をがっちりと捕えてる。
 …その不動の笑みがなんだかすごく怖かった。

「は、離してっ!
 拓くんと潤ちゃんがあっちにいるの!!
 早くここから逃げなきゃ…!」

「ここから逃げる…?
 …もしかしてきみは…、」

 男の人は何かに気づいたように声を低くする。
 その間も、顔は笑ったまま…。

「…まあ、どんな理由があろうとそっちは駄目ですよ。
 そろそろ“お客様”が到着される時間ですから。」

「……えっ…?」

 男の人の不可解な言葉に、思わず足が止まる。

 その直後、

「っ!?」

 彼が“専用道”と言った道の向こうから、ぞぞぞ…と動くものがやって来るのが見えた。

 いや、“やって来る”は間違い。

「何か…、這って来る…!!」

 黒い塊がひとつ、ふたつ…。
 いや、どんどん増えていく。
 それが這うように専用道を、猛スピードで進んでくる。

「ひ…ッ!!!」

 得体の知れない怖さで、私はとうとう腰を抜かしてしまった。
 もう駄目、逃げられない…。

「ほら、通路の邪魔になりますよ。こっちへ。」

「あっ……!」

 それを救い上げてくれたのはさっきの男の人。
 専用道から薬屋の中に移動させると、手近な丸椅子に座らされる。
 そして、こんな言葉を付け加えた。

「僕がいいと言うまで口を利いてはいけませんよ。」

「え………?」

 黒い塊の群れが専用道を埋め尽くしたのは、その直後だった。


「これは皆様、今宵は早いお着きですね。」

 驚いたのは男の人が、一人で塊の群れに話しかけたことだ。

 意思を持って動いてるようだったから、生き物だってことは分かるけど…、言葉が通じるのかな…。
 私は、陳列棚の隙間からやり取りをそっと眺めることにした。

 最前列にいた塊が、ゆっくり頭をもたげた。

「っ!!」

 思わず声が出そうになる。
 だってそれは2メートル以上の高さがあって、…おまけにとてもグロテスクな潰れた顔をしていたから。

 この世のものとは思えないおぞましい姿…。でも、男の人は平然と接している。

「僕は薬屋くすりやです。
 行きの“電車”に酔った方がいらっしゃいましたら、酔い止めをお売りしますよ。」

「…?」

 ―――電車?何言ってるの…?斎珂駅にもう電車は止まらないのに…。

 さっきから、私にはこの人の言うことが半分も理解できない。
 でも塊たちには分かるみたい。潰れた顔の塊は、

【…ヒトツ………。】

 くぐもった声でそう呟き、口にくわえた何かを男の人に差し出した。

「………?」

 目を凝らす。それは小さくて硬そうな、青銅みたいな色をしたプレートだった。

「かしこまりました。」

 男の人は爽やかに答え、一度店の中に戻って来た。

「…っ!」

 口を利くなと言われて声が出せないから、私はかわりに少し身を乗り出した。
 男の人は唇に人差し指をあてて「静かに」のポーズをとる。棚から酔い止めらしい薬袋を取り、もとのように塊のほうに戻っていった。

 ―――あ…………。

 私は思わず落胆する。よっぽど心細かったのだと気づいて、自分自身に失望した。

 さっきのプレートはどうやらお金らしい。お金を受け取り商品を手渡す。そのやり取りは、商売人と客そのもの。
 そういえばさっき男の人は言ってた。…“お客様”って。

 ―――あの塊が…お客様…?

 どう見たって人間じゃないけど。

 訝しんでいる内に、彼らの交渉は終わったみたい。
 男の人は深く頭を下げて、塊たちは薬屋を通り過ぎ、出口の方向へ這っていく。
 薬屋の入口からは私の姿がまる見えなんだけど、

「…………。」

 塊たちは、私に気づくことはなかった。


 やがて塊たちの姿が完全に見えなくなると…、

「もういいですよ。声を出しても。」

「っ!」

 陳列棚にもたれ掛かりながら、男の人が私の顔を覗き込んで言った。

「…っ、」

 最初、すぐに声が出せなかった。さっき見た恐ろしいものが頭に焼き付いて離れなくて…。

「…きみの知る“お客様”と違って驚いたでしょう?」

 男の人は、私の胸の内を的確に読み取っていた。

「……っ、だ、だって…、あんなの……見たことない…。ここ…何なの……?」

 ぽたっ、ぽたっ…と、自分の両目から大粒の涙が流れていることに、最初気づかなかった。

「…、う…ぅ…っ。」

「…………。」

 普段すかして達観してる私が泣くなんて有り得ないことだと思ってた。見ず知らずの人に泣き顔を見せるなんて、情けない…。
 でも、一度流れ出した涙はそう簡単に止まるものじゃなくて。

「…はぁ。んもう、お子様は…。」

 泣きべそをかく私を見下ろして、男の人は面倒臭そうに溜め息を吐く。…笑顔だけど。

 まったくもってその通り。…だけど私は悔しくて、嗚咽をもらしながら言い返す。

「…おっ、子さまじゃ…ない…!」

「違うんですか?見たところ小学生でしょう?
 大方、肝試し気分でここに入り込んだんでしょう。立入禁止の金網を越えて。
 いけない子だ。」

「…うぅ………。」

 言い返せない…。この人は正しい。
 勝手に入り込んだんだから私が悪いのは明らかだ。まさか地下に人がいるなんて思ってなかったけど。

 恐怖心がだんだん申し訳なさに変わってきた。
 ぐすぐすと鼻水すすりながら、小さな声で「ごめんなさい…」と謝る。子どもじゃないと言いながら、なんだこれ。完全に子どもだ…。

「…ふふ、もういいですよ。
 一人で怖かったですね。」

 急に優しい声で、男の人はそっと私の頭を撫でた。
 ちっちゃい子にするみたいで嫌だったけど、その優しい手つきのおかげで少しだけ不安が和らいだのも本当で。

 警戒心マックスだったけど、今頼れるのはこの人しかいない。私は恐る恐る訴えてみた。

「…と、友達が…まだあっちにいるの。早く迎えに行かないと…。」

「ああ、だからさっき、あっちへ行こうとしたんですね。それなら心配要りませんよ。
 “ここ”の住人でない者が紛れ込んだ場合、警備員さんが見つけ次第地上まで連れ出してくれます。
 子供相手ならそう時間はかからないでしょう。」

 住人とか、警備員とか、この人の言うことはやっぱり分からない…。

「…連れ出すって…、乱暴なことするの?」

「抵抗するようなら多少は。」

 さっきの塊のオバケを“お客様”と呼ぶくらいだ。
 警備員さんはどれだけ怖い姿をしてるんだろう。

 一人また震えだす私。
 …待って。ということは、

「わ、私も引き渡すの…っ?
 警備員さんに…!」

 だって私はここの住人じゃないし。この人が私を匿う理由もないし。
 じゃあ、じゃあ…、

 ―――引き渡すしかないじゃない…!

 最悪の返答を覚悟して、つい身構える。

 男の人は相変わらずニコニコと笑ったまま。
 何がおかしいのか楽しいのか分からないけど、私にとって都合の良いことを考えてないのは明らかだ。


「そういえば、まだ名前を聞いていませんでしたね。」

「………え?」

 一瞬自分の耳を疑った。
 私は確か、引き渡すのかって訊いたはず。名前なんて一言も…。

 でも彼はまるで気にせず、名前の話題へと逸らしていく。

「僕は、ヨシヤといいます。
 きみの名前は?」

「あっ……う……。」

 当然、私は狼狽える。

 半ばパニックな私とは対照的に、のほほんとした口調の男の人。お子様な私はつい場の空気に流される形で、

「……ゆ、豊花…。
 西城 豊花にしじろ ゆたか…です。」

 なぜ敬語?


 男の人……ヨシヤは、ふんふんと二、三度頷き、突然くるりと後ろを向いて、

 ――バンッ

 入り口である、木製の引き戸を閉めてしまった。

「なっ!!」

 どうして閉める必要があるんだろう、っていう驚きと、ここの入り口はシャッターじゃなかったっけ?っていう二重の驚き。

 戸が閉まっても店の中の明かりがある。
 けど、

「きゃっ…!!」

 その明かりを遮り、私に覆いかぶさるように立ったヨシヤに、凝視された。

「ひっ…。」

 彼の顔は笑ってる。
 でも目は、笑ってない………。

「…初めは冷やかしかと思いましたよ。
 時々いるんですよね。地上人を装って商売の邪魔をする“お客様”が。
 ……ですが、どうやらきみは本物らしい。本物の地上人。だって、僕達に対して“名前”を名乗ったのだから。」

「? ……っ?」

 ヨシヤの口からまた新しい意味不明ワードが飛び出した。地上人とか、名前がどうとか…。

 その、塊たちとは違う得体の知れなさに、私は身震いする。だってこの人の口ぶり、まるで私を…、


「初めまして、豊花ちゃん。
 せっかく知り合えたところ、急で申し訳ないですけど、僕はきみのことを“食べよう”と思います。」


 …殺しそう、な…。
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