狗神巡礼ものがたり

唄うたい

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四:狒々の池泉

優しいお犬

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 お猿の後を追いかけて、どれだけの時間を歩いたのでしょう。日はすっかり沈み、辺りは闇に包まれました。
 手元には灯りもなく、方位を知る道具もありません。お猿の白い毛がどこを歩いているのかも分かりません。

「………はぁ、はぁ……」

 わたしは夜目が利かないものですから、辺りをいくら見回しても、ここがどこで、どのような場所なのか見当もつかないのです。
 耳を澄ませば、微かな虫の音と、風に葉が擦れる音がするばかり…。歩き続けた疲れも相成って、わたしは無性に寂しい気持ちに襲われました。

「……どうしよう…。わたし…」

 山の中に一人。このまま迷い果て、いずれは獣に食べられてしまうのかしら…。

 おかしな話。狗神さまの生贄となるために、とっくに死を覚悟したはずだったのに。
 今のわたしはとても、“死ぬのが怖い”と思ってしまっている。

 それどころか、とても人恋しい気持ちに駆られている。母さま…星見さま…、義嵐さま…、仁雷さま……。

「…どうか、…わたしをひとりにしないで…」

 寂しくてたまらない。胸に渦巻く不安を取り除きたくて、自分自身を強く抱き締めます。
 それでも、感じるのは知った温もりひとつだけ。それはわたしの不安や寂しさを、さらに増長させるだけでした。

 ーーーああ、わたしはなんて鈍かったのかしら。死ぬ覚悟ができたなんて、真っ赤な嘘だわ…。

 自分がこんなにも弱くて、臆病だったなんて、知らなかったの。屋敷で皆から遠巻きに見られて、さみしくて、ずっと気丈に振る舞っていただけ。わたしはまだ、たった十三の子どもだったんだわ…。

 わたしは大きな木にもたれ掛かるようにして、その場に座り込みます。
 こんな時、年相応の子ならどうするのかしら。声を上げて泣いて、両親を呼ぶかもしれない。でも、縋れる両親もいないわたしに、同じことは出来ないわね…。
 そう思うだけでだんだんと、目頭が熱くなっていきました。

 …ふと、

「…………っ」

 暗闇の中で、わたしの頬に柔らかな“毛並み”が触れました。
 温もりを持つ滑らかな毛並み。しかも、それはとても大きな体をしているのが分かりました。足音を殺しているけれど、大きく重い足が草を踏み締める音が耳に残ります。

「………誰…?」

 わたしを導いてくれたお猿ではない。
 それにこの毛並み、どこかで触れたことがあるように思えます。

 獣はわたしのそばに寄り添い、腰を下ろします。近づく確かな呼吸。山の香り。ふかふかとした毛の感触は、お犬の姿の仁雷さまを思わせました。

「……仁雷さま、なの…?」

 獣は答えません。
 けれどその場から去ることはなく、穏やかな呼吸を繰り返します。
 わたしの肌に、柔らかな苔のような感触もありました。

 …仁雷さまじゃない。でもこのお犬は、きっと優しい気持ちでここに居てくれるのだわ。

「……わたしを慰めてくださるの…?」

 お犬の鼻先が、わたしの頬に擦り寄ります。安心させるように。

「ありがとう。優しいのね…」

 間近の温もりに、わたしは心が解されていくのを感じました。
 少しだけ、少しだけ頼ってもいいのかしら。とても疲れてしまったものだから…。

「…あったかい……」

 わたしはお犬の大きな体に身を預け、そうして目を瞑ります。
 意識は、深い深い眠りの底へと、ゆっくり落ちていきました。
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