狗神巡礼ものがたり

唄うたい

文字の大きさ
上 下
32 / 75
四:狒々の池泉

木通の実

しおりを挟む
 お猿はわたしを先導し、深い山の中を進んでいきます。
 枝から枝を渡り、岩場を軽やかに飛び越え、草の繁る獣道を苦もなく進んで行く。けれど人の身のわたしには、それらは過酷な道でした。

 仁雷さまと義嵐さまであれば、わたしの体力を推し測ってくださったでしょう。けれどその心配りは、それが狗神さまのお使いである、あの方々の“お役目”だから。

 ーーーわたしはどれほど護られていたのでしょう。

 着物も肌も土に汚れ、汗が無く吹き出し、脚は痛くて今にも千切れそう。
 前を行く一匹のお猿は、わたしが姿を見失わないように、一定の距離を保ってくださっています。
 誰の手も借りず、わたし一人の力で試練に挑む…。きっと、こういうことなんだわ。

「………はぁ、はぁ……。っ…」

 息を切らしながら、わたしはお猿の白い体毛を目指します。

 …けれどどうしても、疲れは歩みを妨げます。
 木に手をついてしゃがみ込み、わたしは荒い呼吸を繰り返しました。
 いけない。まだ幾許いくばくも進んでいないのに…。お猿はわたしを見限ってしまうかしら…。
 前方を見遣れば、

「……?」

 お猿がある場所で座り込みました。
 そこは一本の木の根元でした。木を多い尽くすほどの葉が茂っています。目を凝らせば、どうやら別の植物のつるが、木に巻きついて繁殖しているようです。蔓からは、たくさんの紫色の果実が成っているのが見えました。

「……あれは、木通あけびの実…?」

 わたしは吸い寄せられるように、その立派な果実のそばへ。
 お猿が、木に成っている実をじっと見つめます。

「これが欲しいの…?」

 お猿は何も言いません。口を引き結び、実を見つめ、それからわたしの顔へと視線を移します。

 わたしにはお猿の言葉が分からないけれど、さもそうすることが正解であるかのように、木通の実をひとつ両手で握り、そっと茎からもぎました。
 瑞々しく熟れて、縦に割れた淡紫色の外皮。その中に覗く、白く柔らかな果肉。初めて嗅ぐ甘い香りに、お腹が空いて喉も乾いていたわたしは、思わずごくりと生唾を飲みました。

「……これを、食べるの…?」

 お猿は口を閉ざしたまま。なおもわたしの顔を見ています。

 爪の先で果皮を優しく剥き、その中に潜む実にそっと唇を寄せます。
 滑らかな果肉をひとみすると、味わったことのないトロトロとした食感と、爽やかな甘さに包まれました。

「……!」

 思えば、野生の実をもいで食べるのは初めてのことでした。
 屋敷で、誰かの手を介することで美しくなる料理とはまた違う。山の、野の本来の味が、そこにありました。
 わたしはお行儀のことも忘れ、木通の実を夢中で食べました。口の中に溜まった種をひと噛みすると思いのほか苦くて、はしたないと思いながらも、種を一粒…二粒…と、口から足元へと落とすのでした。


 時間をかけて実をひとつ食べ終える頃には、お猿は再び獣道を先導し始めていました。
 どうやら疲れ切ったわたしを見かねて、束の間のいこいを与えてくださったようです。

「……お待たせしました」

 わたしは袖で口元を拭い、少し元気を取り戻した脚を、前へ前へと進めます。
 お腹が満ちたからかしら。不思議と、胸の中に渦巻いていた不安や焦りは薄らいでいたのです。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

みちのく銀山温泉

沖田弥子
キャラ文芸
高校生の花野優香は山形の銀山温泉へやってきた。親戚の営む温泉宿「花湯屋」でお手伝いをしながら地元の高校へ通うため。ところが駅に現れた圭史郎に花湯屋へ連れて行ってもらうと、子鬼たちを発見。花野家当主の直系である優香は、あやかし使いの末裔であると聞かされる。さらに若女将を任されて、神使の圭史郎と共に花湯屋であやかしのお客様を迎えることになった。高校生若女将があやかしたちと出会い、成長する物語。◆後半に優香が前の彼氏について語るエピソードがありますが、私の実体験を交えています。◆第2回キャラ文芸大賞にて、大賞を受賞いたしました。応援ありがとうございました! 2019年7月11日、書籍化されました。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

貴族家三男の成り上がりライフ 生まれてすぐに人外認定された少年は異世界を満喫する

美原風香
ファンタジー
「残念ながらあなたはお亡くなりになりました」 御山聖夜はトラックに轢かれそうになった少女を助け、代わりに死んでしまう。しかし、聖夜の心の内の一言を聴いた女神から気に入られ、多くの能力を貰って異世界へ転生した。 ーけれども、彼は知らなかった。数多の神から愛された彼は生まれた時点で人外の能力を持っていたことを。表では貴族として、裏では神々の使徒として、異世界のヒエラルキーを駆け上っていく!これは生まれてすぐに人外認定された少年の最強に無双していく、そんなお話。 ✳︎不定期更新です。 21/12/17 1巻発売! 22/05/25 2巻発売! コミカライズ決定! 20/11/19 HOTランキング1位 ありがとうございます!

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

生贄巫女はあやかし旦那様を溺愛します

桜桃-サクランボ-
恋愛
人身御供(ひとみごくう)は、人間を神への生贄とすること。 天魔神社の跡取り巫女の私、天魔華鈴(てんまかりん)は、今年の人身御供の生贄に選ばれた。 昔から続く儀式を、どうせ、いない神に対して行う。 私で最後、そうなるだろう。 親戚達も信じていない、神のために、私は命をささげる。 人身御供と言う口実で、厄介払いをされる。そのために。 親に捨てられ、親戚に捨てられて。 もう、誰も私を求めてはいない。 そう思っていたのに――…… 『ぬし、一つ、我の願いを叶えてはくれぬか?』 『え、九尾の狐の、願い?』 『そうだ。ぬし、我の嫁となれ』 もう、全てを諦めた私目の前に現れたのは、顔を黒く、四角い布で顔を隠した、一人の九尾の狐でした。 ※カクヨム・なろうでも公開中! ※表紙、挿絵:あニキさん

今日はパンティー日和♡

ピュア
ライト文芸
いろんなシュチュエーションのパンチラやパンモロが楽しめる短編集✨ おまけではパンティー評論家となった世界線の崇道鳴志(*聖女戦士ピュアレディーに登場するキャラ)による、今日のパンティーのコーナーもあるよ💕

あなたは異世界に行ったら何をします?~良いことしてポイント稼いで気ままに生きていこう~

深楽朱夜
ファンタジー
13人の神がいる異世界《アタラクシア》にこの世界を治癒する為の魔術、異界人召喚によって呼ばれた主人公 じゃ、この世界を治せばいいの?そうじゃない、この魔法そのものが治療なので後は好きに生きていって下さい …この世界でも生きていける術は用意している 責任はとります、《アタラクシア》に来てくれてありがとう という訳で異世界暮らし始めちゃいます? ※誤字 脱字 矛盾 作者承知の上です 寛容な心で読んで頂けると幸いです ※表紙イラストはAIイラスト自動作成で作っています

処理中です...