狗神巡礼ものがたり

唄うたい

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三:雉子の竹藪

雉喰い、這う

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 雉子亭は君影さまの力によって、雉喰いの目から逃れるように場所を転々と変えているそうです。
 あんなに大きなお屋敷が音もなく移動できるなんて摩訶不思議なこと…。この世にはわたしの知らないことが山とあるようです。

「仁雷とおれは鼻がきくから、雉子亭がどこへ移っても匂いを辿れる。雉喰いは目は良いが鼻が鈍いから、ここを見つけることは難しい…というわけだ」
「そ、そうなのですね…」

 雉子亭を出たわたし達は、またも竹藪の中を縦に並んで進んでいました。

 辺りはすっかり夜闇に包まれ、提灯も持っていないため、お二人の姿は見えません。
 先頭を行くのは義嵐さま。その後を仁雷さまが進み、わたしは仁雷さまに手を引かれて導いていただき、なんとか歩けています。

「……早苗さん、暗がりを歩かせてすまない。雉喰いは目が良いから、灯りをつければたちまち居所が知れてしまう。俺と義嵐は匂いで周囲の様子が分かるから、ただ付いて来てくれれば大丈夫だ」
「はい、ありがとうございます…」

 暗闇はわたしの不安をいっそう煽ります。
 風もいつしか止んで、聞こえるのはわたし達三人の足音のみ。今こうしている間にも、雉喰いはわたし達を見つけているかも…。

 不安を紛らわせたくて、仁雷さまの熱い手を、ほんの少しだけ強く握りました。

「……っ!!」
「ほら仁雷ぃ、集中集中」

 雉喰いとはどんな姿なのかしら。
 それを退治するなんて、一体どうすれば…。

 ーーーそういえば…、

「…仁雷さま。君影さまは、雉喰いの持つ宝を持ち帰るよう仰っていました。それは、どんなものなのですか…?」
「君影が求めているのは、雉喰いの身体の一部。貝殻かいがらのことだ。雉喰いは、巻貝の体を持つ妖怪だ。退治すれば殻から体が離れるため、貝殻を手に入れられる」
「刀も鉄砲玉も倒さない強固な殻で、身を護る特殊なまじないも込められてる。正直、手に入れるのは容易じゃないかなぁ」

 巻貝の殻を備える、強固な妖怪…。

「そんな強い妖怪…わたしはどう立ち回ればいいのでしょう…」

 何せわたしには、お二人のような大きな体も、鋭い牙もない…。

「なぁに、きみが闘うわけじゃない。早苗さんと雉喰い、両者の根比こんくらべだよ」
「…こん、くらべ…?」

 義嵐さまの言葉の意味を、よく理解できませんでした。


 ふと、お二人がぴたりと足を止めました。

「…仁雷、こいつは近いぞ」
「動くな義嵐。月が現れる」

 張り詰める空気。
 わたしは仁雷さまの言葉通り、頭上の月に目を向けました。

 やがて、厚い雲に遮られていた満月が姿を現します。
 すると辺り一帯が、白銀の月明かりに照らされました。
 まるで昼間のよう。わたし達三人の姿が分かるほどの明るさに、“それ”も釣られて姿を現しました。

「………な、なに…?」

 竹藪の向こうから、大きな体を引きずって何かが這い寄って来るのが見えます。
 猪か熊か…と思えば、それはあっという間に月下へ姿を晒します。

「っ!!」

 大きな大きな蝸牛かたつむりの貝殻が見えました。その殻の穴から、大柄な青い体の“鬼”が、上半身だけを出して這いずっています。
 恐ろしい形相。その額には二本の角。

「あれが、雉喰い…!?」
「二人とも! 下がれ!! あいつは“早苗さん”を狙ってるぞ!」

 叫ぶのと同時に、義嵐さまの体が山のように盛り上がり、炭色の山犬の姿に変化します。

 大口を開けて迫り来る雉喰いに、義嵐さまもまた、牙の生え揃った口を大きく開けて迎えうつ…。

「義嵐さま…!」

 両者がぶつかり合ったとき、僅かな差で、義嵐さまが先に相手の喉笛に噛みつきました。

 不気味な悲鳴を上げる雉喰い。
 一瞬見えたその瞳は確かに、“わたし”を捉えていました。

「……ひっ…!」

 その恐ろしい姿に、わたしは震え上がってしまいました。

 ーーーこわい…! 逃げ出したい…っ!

 義嵐さまは次に、雉喰いの頭に噛みつこうとします。
 …ところが相手の二本の太い腕が、義嵐さまの体を羽交締めにしたのです。
 今度は、義嵐さまが苦しそうに唸る番でした。

「ぎ、義嵐さま…!」
「早苗さん、絶対にここを動くな!」

 仁雷さまが走り出します。
 その姿は瞬く間に芒色の山犬へと変わり、義嵐さまを締め上げる雉喰いの左上腕目掛けて、力の限り噛みつきました。
 雉喰いの顔が痛みに醜く歪み、腕の力を緩める…。

 義嵐さまは自由になると同時に、雉喰いの右腕に食らいつき、そのまま地面へと叩きつけました。

 雉喰いの不気味な悲鳴が上がります。
 両腕を封じられて、自由に動くのは頭部のみ。その鋭い牙を振り回し、義嵐さまと仁雷さまに手当たり次第に噛みつきます。

【……っ!!】

 お二人は怪我を負いながらも、決して雉喰いの腕を放しません。

「じ、仁雷さま…! 義嵐さま…!」

 ーーーどうしよう、どうしたら…!

 お二人は噛みついているから、言葉を…わたしに指示を出せないようでした。

 ーーーどう、どうしよう…! どうすればいいのか、“わたし”が考えないと…!

 自身の胸の前で手を強く握り、わたしは焦りと恐怖に押し潰されそうになりながら、必死に考えます。

 雉喰いがわたしを狙っているなら、わたし一人ではどこへ逃げても追いつかれてしまうでしょう…。

 ーーー安全な所に身を潜めれば、お二人も逃げられるかもしれない…。でも、安全な所なんて…。


 ……その時、わたしは義嵐さまの言葉を思い出しました。

『刀も鉄砲玉も倒さない強固な殻で、身を護る特殊なまじないも込められてる』

 今この場でもっとも安全な場所。
 それは、雉喰いの“殻の中”…。

 そんな馬鹿げた話があるでしょうか。
 でもそんな馬鹿げた話に賭けてしまいたくなるほど、わたしは未曾有みぞうの恐怖でどうかしていたのです。

 胸の前で手を強く強く握り締め、わたしは真っ直ぐ雉喰い目掛けて走り出します。

【……アッ!?】

 仁雷さまが驚き叫ぶ声が聞こえました。

 馬鹿げていることでしょう。
 でも、どこへ逃げても同じなら、わたしは目先へ進むことしかできないのです。

 力の限り走ります。
 こちらへ気づいた雉喰いが、大きく口を開き待ち構えます。

【……はへるかさせるか!!】

 仁雷さまが前足の硬い爪を、雉喰いの顔面目掛けて叩きつけます。

 鈍い音がして、次いでまたあの不気味な悲鳴…。
 わたしはぎゅっと目を瞑り、そのまま足を走らせ続けました。
 雉喰いの胴体の…殻の入り口目掛けて、

「っ!!」

 わたしは強く地面を蹴って、“殻の中”へと滑り込みました。
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