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第4話 推したい日々

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肉桂が雑木林に棲み着くようになった。

少し足を伸ばせば会える。時々墓場に顔を出して様子を聞いてくれる。
そんな身近な存在になったことに対して「慣れてしまうかも」と不安を覚えた日もあった。

しかし結果として、ローズマリーの創作意欲は以前より増すこととなった。

人形、カカシ、抱き枕はいずれも精度が増し、既存作品に手を加えてさらにリアリティを与えることも。
霊廟外に無雑作に並べ立てていたカカシは全て撤去し、完全に霊廟内だけでの創作へシフトした。
他にも扇子に、肉桂がヒグマをノックアウトした時の姿を刺繍してみたり、墓石の破片に肉桂の顔とアルファベット名を彫り込み、それを丸く削ってブローチにしたり。
量産した墓石ブローチをドレスに付け過ぎたために、重みでドレスが破けるハプニングもしばしば。

ある寒い日、ローズマリーのボロボロで露出の高いウェディングドレス姿を気に掛けた肉桂が、

「ローズマリーさん、これをどうぞ。冷たい風を凌げます。」

自身の着ていた丈の長い礼服を脱ぎ、その場でローズマリーに着せてくれたのだ。
ゾンビもキョンシーも死んでいるため寒さを感じることはないが、肉桂は人間だった頃の名残りか、ローズマリーの薄着を心配しての行動だった。

男性サイズのため、着丈も袖丈も肩幅もだいぶ余っている。彼の肌でひんやり冷たくなったその礼服に包まれたローズマリーは、感じたことのない過度な興奮のあまり、また顔が沸騰し、最終的には頭ごと自壊する結果となってしまった。

「……みっ、見ないでくださいまし!!」

「頭が無くなっても手探りで治せるなんて、凄い得意技ですね。」

首無し騎士デュラハンのような有り様も、出会い初めこそ見られるのを恥ずかしがっていたローズマリーだが、何度も言葉を交わすうち、何度も照れ臭い経験を重ねるうち、そんな無防備な姿を見られることにも慣れてきてしまった。

ーーー肉桂様は、わたくしが物珍しいから見に来てくださるのね、きっと…。


その日、霊廟へ戻ったローズマリーは、ひとしきり肉桂の服の感触や香りを堪能した後、それと似せた“自分用の礼服”を作ってみた。
肩と胸の細かな金の刺繍も再現して、自分サイズに落とし込んだのだ。

礼服に袖を通し、髪も三つ編みに結い、肉桂とお揃いの格好をしてみる。何となく彼に近づいたような気がして、ローズマリーはえも言われぬ心地良さに包まれた。

「ギュフッ。」

思わず笑みがこぼれる。

肉桂に出会ってからというもの、肉桂と親しい関係になってからというもの、ローズマリーは100年ぶりに“幸せ”を感じていた。

肉桂のことを考えるだけで、モノクロのこの墓場に彩りが感じられた。

春は色彩豊かな花が咲き誇り、その花を眺める肉桂はより美しく見えた。
夏は澄みきった夜空に光る星々を一緒に眺めた。

秋は降り積もった落ち葉の上をサクサク音を立てながら歩き、落ち葉を寄せ集めて肉桂の似顔絵を創作してみたり。
(本人に見られるのは恥ずかしいため、ローズマリーの密かな趣味だった)

冬は“雪だるま”を知らない肉桂のために、大きな雪玉を丸めて雪だるまを作った。籐籠の帽子に、ローズヒップの目、蔦で編んだ三つ編みの、肉桂そっくりの雪だるま。
この時初めて、ローズマリーは自身の創作物を肉桂に披露した。

「これが私ですか。他人からどう見えるのか気にしなかったので、新鮮です。」

肉桂は雪だるまをじっと見つめる。
無表情な上、眠そうな目のままだが、興味を示していることは分かった。

ずっと見ていたから、分かる。
ローズマリーはそんな自分が誇らしかった。

「ローズマリーさんの雪だるまも作りましょうか。」

「ギッ!?」

予想外の申し出に、思わず声が裏返った。
自分から誰かを模すことはあれど、誰かに自分を模してもらえるなんて、考えたこともなかったのだ。

「いえ、そんな…っ、」

慣れないことに一度は断ろうとしたものの、“肉桂には自分がどう見えているのか知りたい”。その欲求が芽生えたことに気づく。

断りのセリフを飲み込んで、

「……で、では、お願いしますわ。」

照れ臭そうに、柔らかく微笑んだ。


その冬のもう一つの思い出は、肉桂がとんでもなく不器用だと判明したことだった。

大ぶりな雪玉を押せば勢いをつけて転がり出してしまい、手近な木にぶつかって大破。
ローズマリーが手伝い雪玉をふたつ作ってみたが、それを重ねる際にも力加減を誤り大破。
何日もかけて雪玉を重ねることに成功しても、枝や木の実といった装飾を深く深く突き刺しすぎ、内側から大破…。

作っても作っても出来上がらない。
遥か東洋の島国ではそんな状態を「賽の河原」と呼ぶことを、いつかの本で読んだことを思い出した。

「ローズマリーさん、もうお手伝い頂かなくて大丈夫です。」

ついに肉桂が弱気になりだした。
ゾンビの意地を見せて雪玉を力強く押すローズマリーに、淑女の面影はない。

「グアルル…!!」

低い唸り声を上げながら大量の雪玉を作り続けるローズマリー。肉桂がいくら失敗してもいいように“ストック作り”に余念がない。

「もう少し力加減を覚えてから再挑戦します。今のままではローズマリーさんのせっかくの善意を木っ端微塵にしてしまいますから。」

顔は無表情、声は淡々としていながら、内心ひどく申し訳ないと思っていようことは、想像に難くない。

だからこそ、ローズマリーは諦めたくなかった。

「…だ、だめですわ!今年の雪はこれで最後かもしれないんですの!」

「雪ならまた来年降りますから。」

「で、でもっ、せっかく肉桂様が、わたくしを作ってくださってるのに…!」

早く作らないと、作れなくなってしまう。
なぜなら、来年のこの日も彼がここにいてくれる保証が、どこにもないから。

二人が初めて出会った日から、もうじき一年が経とうとしていた。

一緒の時間を過ごす中でローズマリーの中に生まれた不安。いつまでもこの日常が続くかは分からない。
だから今のうちに、思い出をたくさん作っておきたい。そう願うようになっていたのだ。

そんな彼女の真意を、肉桂はきっと知らない。

「……あっ!」

ローズマリーが雪玉を持ち上げようと力を入れたとき、ふいにバランスを崩した。
ヨロヨロと後退り、雪玉を安全に置くことも難しい。
倒れる!そう思ったが、

「大丈夫ですか。ローズマリーさん。」

肉桂が後ろから、ローズマリーの体を受け止めた。

危険を助けてもらっただけ。だが端から見れば、まるでローズマリーが抱きしめられているかのよう。

「ギャウ…ッ!!」

お姫様抱っこをしてもらった時以来の、かなりの至近距離に迫る肉桂の姿。
声も匂いもすぐ傍にある。

一年も一緒にいても慣れないものは慣れないし、ときめくものはときめく。
ローズマリーは触れられている箇所が熱を持つのを感じた。

「ありがとうございます」とお礼を言う余裕もなく、彼女の体は熱で溶けた雪とともに、肉桂の足元に無惨にも崩れ落ちた。

「あっ。」

「ーーッ!!」

声にならない悲鳴が響く。
ここまで原形を留めないほど崩れたのは初めてのことだった。
治そうにも、捏ねる両腕の跡形もない。もはや肉桂に見られることの恥じらいも忘れ、ローズマリーは声なき声で泣き叫んだ。

ーーーどどど、どうしましょう!!こんなことになるなんて!!

グズグズの残骸の中で、ブルーの目玉が思わず涙を流す。

肉桂はしばらく完全に停止して思案を巡らせた後、こんな提案をした。

「ローズマリーさんの霊廟に行きましょう。何か再形成の役に立つ道具があるかもしれません。」

「!?」

これにはグズグズローズマリーも動揺する。
なぜならあの霊廟内には、肉桂の姿を模ったアイテムが無数に飾られ、さながら祭壇のような有り様なのだ。
お揃いの礼服は目のつく位置に飾ってあるし、石棺の中にはクタクタになった抱きぬいぐるみまで。

いくら穏やかな肉桂でもあの部屋を見てどんな反応をするか…。
大人しく幻滅されるか、人型に戻るのを諦めるか。ローズマリーは究極の二択を迫られる。

ーーーわ、わたくしのことは気になさらないで肉桂様!なんとか自力で手を尽くしますわ!
今“手”も無いけど!

ブルーの目玉がコロコロ揺れるだけで、声は肉桂には届かない。
それでも、肉桂は彼女の目玉をじっと見て、その意思を読み取った。

「困っている時はお互い様です。不安でしょうが、どうか私に頼ってください。」

言うが早いか、肉桂はローズマリーの残骸を優しく集めると、自身の服の裾を袋状に結び、その中にそっと納めた。
人一人分の重みのはずだが、彼は軽々とそれを持ち上げ、ローズマリーの霊廟目指して足早に移動する。

ーーーあぁっ、肉桂様…!わたくしまだ心の準備が…!

ローズマリーが幻滅のスタンバイをしていると、ふと肉桂の顔に目が止まる。
無表情。だが、目つきは普段より真剣に見えた。焦りと使命感を混ぜ合わせたような、強い決意を秘めている。

ーーー肉桂様…。

幻滅されてもいい。どうせ既にみっともない姿を晒しているのだ。
彼の真剣さと優しさに、ローズマリーは身を任せることにした。

***

丘の上の石造りの霊廟に到着した肉桂は、あることに気づく。
この中に入ることは勿論初めてであるし、言わば“女性の寝所”に入ることなどもっと経験がなかった。

失礼に当たらないだろうか。いいや、今はそれどころではない。こんな無神経な行動を取って、幻滅されても至極当然だ。
偶然にもローズマリー、肉桂ともに「幻滅されるかも」という不安を抱えていたのだ。

「お邪魔します。」

意を決して石の扉を開ける。人間なら大の大人が二、三人掛かりの重厚な扉も、肉桂にかかれば片手で楽々だ。

扉をくぐり中に入る。
オレンジ色のランプで薄暗く照らされた室内を見た時、

「!」

肉桂の動きがまた止まった。

霊廟内に所狭しと置かれた、自分そっくりの人形、人形、人形…。
壁の造り付けの石の棚には、肉桂をモチーフにした扇子やカップ、ブローチといった小物がずらりと並ぶ。反対側の壁には、以前一度ローズマリーに貸した礼服そっくりのサイズダウンしたドレスが、手を加え丈を変えて何着も掛かっている。
石棺の中にはくたびれた肉桂ぬいぐるみがちょこんと収まり、持ち主が夜毎それを抱きしめて眠りに就いていることが想像できた。

祭壇ゾーンから離れた位置には一人分の机と椅子が作業台として置かれ、様々な工具や材料、スケッチが散乱している。ここからあの無数の創作物は生み出されていたらしい。

「………。」

ローズマリーは何も言わない。(言えない)

肉桂は特に感想を言うでもなく、作業台へ向かう。
何か役に立つものはないか…と見回したとき、人の腕の形の型紙を見つけた。恐らく等身大肉桂人形を作るのに用いたものだろう。
肉桂サイズのものと、それより小さい…女性サイズのものもある。これはローズマリーが自分の腕のサイズと比べて“どれだけ大きさが違うのか”を俯瞰的に見て楽しむために作ったのだが、その事実を肉桂が知る必要はない。

肉桂は作業台に型紙を置き、ローズマリーの残骸を一掬い、その上に乗せる。
不器用な彼ながら、型紙とサイズを照らし合わせながら、慣れない手つきで崩れた体を捏ね始めた。

ーーー肉桂様…。

いびつで不恰好な形に仕上がっていく。が、それは確かに女性の腕だった。

「厚みは……指はもう少し…長かったような…。」

いつも淡々としている肉桂らしくなく、独り言を呟きながら熱心に腕を形作っていく。
雪だるま作りの時のような諦めの色は微塵もない。ただ真剣に「彼女を治したい」。彼の頭にはそれだけがあった。

肉桂の熱心な姿を、ブルーの目玉が静かに見守る。


片腕の修復には、なんと丸三日がかかった。
何度も量を調整して、形を整えて…を繰り返した左腕は、お世辞にも完璧とは言えない。
だが形を得たことで、ひとりでに動くことが可能になった。

指を使って器用に立ち上がった左腕。
それを見て、だいぶ疲弊気味の肉桂は、

「……ハァ…。」

安堵の溜め息を漏らした。

自由を得た左腕は、さながら水を得た魚。
机の上に残った大量の残骸を一掴み取ると、それを細長く、先を枝分かれさせて造形していく。みるみるうちに、ローズマリーの右腕が出来上がった。
その完成度は彫刻家も目を剥くレベル。肉桂も思わずポカンと口を開けてしまうほどだ。

左腕、右腕が揃うと、彼女の仕事は段違いのスピードを見せる。
みるみる出来上がっていく足、脛、太腿、下腹部の辺りから胸にかけての造形が始まった頃からは、肉桂は紳士らしく後ろを向いていた。

離れていた両腕が胴体に固定され、最後に頭部が造られる。
髪の毛まで手際良く整え、ふたつの眼窩にブルーの目玉が収まる。

ボロボロのドレスを纏いコルセットを締めると、

「……に、肉桂様。」

ローズマリーは、恐る恐る彼の名を呼んだ。


善意で後ろを向いていた肉桂が、正面へ向き直る。
そこには、昨日と寸分違わない姿のローズマリーが、作業台の上に小さく座り込んでいた。
顔も体も、完璧な造形だ。肉桂が作った左腕以外は…。

「ローズマリーさん……。元に戻って良かった。」

どこか、落ち着いた声の中に安堵の色が窺える。
ローズマリーの心中は複雑だった。元の姿に戻れた安心感。大切な人にみっともない姿を見られた落胆。肉桂の祭壇と化した霊廟を目の当たりにされた絶望。
…そして、こんなに疲弊しながら自分を助けてくれた肉桂に対する、深い深い感謝。

「ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんわ…。腕、治していただいて、ありがとうございます。」

「いえ……。元々は私が驚かせたのが原因ですから。こちらこそごめんなさい。」

どちらかと言えば一方的に自壊したのはローズマリーなのだが、その理由を知らない肉桂からすれば「自分のせい」と考えるのが自然だ。

ずっと綺麗な姿勢を保っていた肉桂だが、安心感からかドッと体の力が抜け、椅子の背もたれに体を預けてしまった。

「に、肉桂様…!お疲れですわよね…!
本当に、なんてお詫びをしたらいいか…。」

「……いいえ。嬉しいんです。
大切な友人が元に戻らなかったらどうしようかと、とても不安だったので。」

肉桂が自身の青白い手の平を見つめる。
そこにはさっきまでローズマリーの体を捏ねていた感触や余韻がまだ残っていた。

「“何かを作る”のは初めてでした。私自身、道士に造られた存在なので。
ローズマリーさんのことを頭の中でずっと考えて、形や感触や、一緒に体験した出来事のことも、何度も何度も思い出していました。」

「……。」

肉桂が感じた初めての感覚。初めての体験。
誰かを思いながら作品に込める。
とても大変な、楽ではない作業だった。それでも彼には、ただの“つらい作業”という経験ではなく、

「“楽しかった”です。
ローズマリーさんも、いつもこんな気持ちで創作しているんでしょうか。」

一種の「幸せ」として彼の中に根付いたのだった。


ローズマリーは、呆然と彼の顔を見つめる。

“楽しい”……そうだ。100年間たった一人で霊廟に籠り、墓場や雑木林を徘徊していた彼女の原動力は「好きなことをする」。
呪いの人形の数々であっても、物を作る楽しさは無意識に自分の中にあった。
肉桂と出会ってからは…今までの反動で、創作がより楽しく活力が湧いてきた。霊廟内に溢れる品々はすべて、ローズマリーの楽しみの結晶だった。

「げ、幻滅、なさらないの…?」

声が震える。
肉桂を模した人形やアイテムに溢れたこの空間は、確かにローズマリーの楽園。だが、彼女以外が同じ感情を持つわけもない。まして、人形のモデルとなった人が。

肉桂は意外にも、少しだけ驚いた顔をした。

「左腕を造っていた時に思いました。
ローズマリーさんも、私のことを考えて、楽しみながら作ってくれていたんだろう…と。
ローズマリーさんの楽しみの手伝いができるなら、私のことをモデルにしてくれて構いません。」

公認を得た気分だった。

しばらく「信じられない」と言うように口をパクパクさせて、また顔に熱を集める。
自壊する寸前で、肉桂の冷たい両手が顔の形を保護するように、ローズマリーの頬を包み込んだ。

「また崩れたら大変です。」

「ア…ギャ……ニッ、ギャワワ…!!」 

その親切は徒労に終わる。
幸せの絶頂を迎えたローズマリーは、派手な音を立てて顔を自壊させた。
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