優秀賞受賞作【スプリンターズ】少女達の駆ける理由

棚丘えりん

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3章 都大会(1年目)

49話 倒すべき王者達

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 激戦から一晩明けて翌日の放課後、夏の森陸上部の面々は部室にいた。
 練習は休みだが、ささやかな打ち上げだ。
 それぞれお気に入りの場所でくつろぎながら、持ち寄ったお菓子を食べている。

「おっ時間だ!」
「えっ!? って、なんだラーメンじゃない。紛らわしいわね」

 いつものように袋麺を茹でていた麻矢に、美咲は溜息をつく。

「麻矢先輩、練習のない日でも結局食べるんですねそれ」

 腹筋台の上に寝そべりながら、陽子が言った。
 のんびりしているように見えて、手持ち無沙汰のような、少しそわそわしているようにも見える。

「まぁ自分へのご褒美って感じかなぁ。試合後のこの時間が好きなんだよなぁ……お、きたぞ!」
「今度は本当でしょうね!」
「ホントホント、ほら見てみろよ! おー載ってる載ってる」

 ガバッ! とくつろいでいた面々も起き上がり、スマホを開く。
 そう、みんなで『関東陸上NEWS』の配信を待っていたのだ。
 今日の配信は地区予選特集、夏の森も取材されているので、そわそわと楽しみにしていたのだった。

「表紙は……おっ、澪ちゃんじゃん。相変わらず可愛いなぁ」

 web版のニュースサイトを開くと、最新モデルのランニングウェアを纏った少女が表紙になっていた。
 神奈川・花見台女子学園のエースにして『花の姫君プリンセス・フルール』の二つ名を持つ花房澪はなぶさみお
 モデルとしても活躍する彼女は、本誌でも定期的に表紙を飾っており、スポーツメーカーのスポンサー獲得に一役買っていた。

「ほんとだ~! 速いし可愛いし、もう無敵じゃん。関東大会まで行って生の澪ちゃんに会いたい~!」
「個人は厳しいけど……リレーメンバーとして行けば、もしかしたら隣で走れるかもよ?」
「うわ、なにそれめっちゃアガるじゃん」

 綾乃は花房澪の大ファンだった。
 中学時代は同じ南地区で、地区予選から見れたのにな~。と残念がっている。

「香織、各地区の情報をまとめてもらえますか?」
「承知しました、部長」
 
 みんな必死にスマホを覗くが、いかんせん地区予選は出場者が多いのだ。
 蒼の指示で、香織はスマホを見ながらホワイトボードに情報をまとめていった。

「他の県の結果も気になるけど、都大会で当たる、都内の結果をまとめていくね」
 
 東京都は東西南北の4つの地区に分けられる。
 香織は4つの地区の王者達を書き出した。

 【東地区】
 春の丘 100m、200m、四継で優勝
 海の風 400mとマイルで優勝。

 【西地区】
 秋の川女子 全スプリント種目で優勝

 【南地区】
 夏の森女子 100m、200m、マイルで優勝。
 立身大付属 400m、四継で優勝。

 【北地区】
 冬の谷女子学院 全スプリント種目で優勝。
 
「東地区は大波乱だったみたい。無名かつ部員数僅か4人、それも1年生だけのチームが、まさに無双の活躍をしたそうよ。マイルは優勝を逃したとはいえ、2位だったと書かれているわ。立役者は関東6強『眠れる森の美女スリーピングビューティー木下昼寝きのしたひるねと、謎のエース、成野なるのひと……。瑠那ちゃん、知ってる?」

 木下昼寝の名前は通っていても、成野ひとの存在は誰も知らない。

「昼寝については知っていますが、しかし成野ひとは……地区予選の日にトラックで会いましたが、速いということ以外は何も」
「なるほどね。って、え、地区予選の日? どうして!?」
「メンバー揃って会場を間違えたらしく……」
「えぇ……」

 そりゃそういう反応だよな。と現場に居合わせた面々は香織に共感する。

「しかし、まさか本当に優勝するとは……」
「私は、あそこのバトンパスがちゃんと繋がったんだってことにびっくりだよ」
「あ、予選でバトンミスするも、走力のごり押しで決勝に進んだって書いてありますね……」
「やっぱりミスしたのかよ……」

 伊緒が観戦記事から情報を拾って言った。
 あの日、一番悲惨だったバトンパスをしていたのは冗談ではなかったようだ。
 
「東地区は元々、海の風高校が強豪として君臨していましたよね。選手を集めているわけでも、固定の名監督がいるわけでもない公立校ながら、なぜか伝統的にマイルが強いという」

 蒼が言うように、ロングスプリントの領域では海の風が王座を守っている。
 東地区は超新星がショートスプリントを、伝統校がロングスプリントで王座を分け合った形だ。
 
「春の丘については要注意ですね。12秒台前半の選手が2人もいますし。続いて西地区ですが……ここは順当ですね。非常に勢いのあるチームです」

 西地区の王者、秋の川女子。
 いわゆるお嬢様校で、やんごとなき家柄の令嬢が通っている。
 長らく健康陸上部といった雰囲気で戦績も乏しかったが、ここ3年で急激に力を伸ばしてきたチームだ。
 部員数が多いが、カリスマ的な部長のトップダウンで統率の取れた組織と評判高い。

「試合出場はしていない1年生の部長が率いるチームとあります……強力な選手でないとすると、どうして部長に選ばれているんでしょう?」
「とんでもないお家柄のお嬢様で、部員は全員SPとか代々の従者とかかもよ」
「それはもはや私軍ではないですか!?」
 
 陽子は疑問を口にする花火をからかう。
 
「南地区は自分達の地区だから飛ばして……最後の北地区についてもいつも通りね。でも今年は1つ、すでにみんな知っているかもしれないけれど、新情報があるわ」

 香織はそう言うと、ホワイトボードに2人の名前と情報を追記した。
 『絶対女王クイーン最上理音もがみりおん 200m、400m優勝
 『白銀皇帝カイザー大路大河おおじたいが 100m優勝、200m準優勝

「この2人……瑠那ちゃんと同じ関東6強が、ともに1年生として進級してきたこと。早くも校内序列の最上位に君臨したみたいね。今年の冬の谷は、地区どころか全国でもスプリント種目5冠を達成しかねない、怪物級のチームよ」

 中学時代に陸上をやっていたなら、知らぬ者はいないというほどに有名な2人。
 それぞれ100mと200mで全国制覇を成し遂げており、その名は全国で通じる。

「関東6強を2人も! 推薦で集めたんですかね!?」
「ううん、あの2人は中学時代から冬の谷。本当に偶然に、たまたま最強の2人が揃っちゃったの」

 高校から陸上を始めた故に2人を知らない花火に伊緒が解説する。
 そして冬の谷女子学院は、都内トップの偏差値を誇る名門校だ。
 中学受験組と高校受験組がいるが、どちらも非常に厳しい受験を乗り越えなければ入学できない。
 学校文化としてはお嬢様校に含まれるが、秋の川に比べると生徒はご令嬢といより才女といった雰囲気だ。

「でもでも、こちらにも同じ関東6強の瑠那さんがいますし、先輩方の実力も考えれば、うちも負けてないですよね?」

 花火の希望的な質問に、リレーメンバーは「う~ん」とうなる。
 それほどに、冬の谷というチームはただでさえ強大なのだ。
 今年はそこに全国最強の2人が加わってしまい、もはやどう勝てばよいのやらというレベルだろう。

「あの2人は、まさに別格だ……関東6強と同じくくりで言われるが、その間には大きな差がある。私は……一度も、勝負と言えるレースすらできなかった」

 瑠那は少し悔しそうに言う。
 二つ名を持ち、天才と呼ばれる瑠那ですら中学時代に敵わなかった存在。
 一体どれほど強く、速いのだろうか。
 その瑠那の背中さえ遠く感じる陽子にとっては、もはやどれだけの差があるのかすら分からない。
 そう考えるうち、陽子は、いつもドライな瑠那の悔しそうな声に気付く。
 
 自分は今、遠過ぎる存在をどこか他人事のように、別世界のことのように思っていた。
 度合いは分からないけれど、確実に敵わないという事実が分かっているから、もはや悔しさなどの感情も湧かなかった。
 しかし瑠那はどうだ、今もじっと2人の記事を読んでいる。
 そのガラス玉のような目を大きく開き、文字を読み進めるたびに、唇をキュッと閉じ、僅かに力が入っているのが分かった。

 陽子には分かった。
 瑠那は、2人に勝つことを諦めていないのだ。
 陽子が瑠那に追い付くことを諦めていないように、瑠那もまた、目標としているのだろう。
 全国最強の存在を。
 そして陽子は思い出す。
 瑠那がかつて語っていたことを。
 夏の森陸上部に入部した理由を。
 
「瑠那、リレーで仲間と一緒に倒したい相手がいる。って言ってたけど……もしかしてそれって」

 意を決して聞いてみる。
 すると、拍子抜けするくらいにアッサリと答えが返ってきた。

「あぁ、他の関東6強に勝ちたいんだ……。特に、一番の大物『絶対女王クイーン』『白銀皇帝カイザー』の2人に。お前達と一緒に」

 え? と陽子に加えて伊緒と花火も驚く。
 話の流れからして、ともに立ち向かう仲間とは、陽子達のことだ。
 とすれば、瑠那の願いは……。

「全国一のスプリント王国を相手に、私達に革命を起こせって?」
「あぁ。一緒にな。それが、私の目標であり……リレーを走る理由だ」
「マジか……っ!」
 
 強く、速くなることを望んでいた。
 そして瑠那に並び立つことを望んでいた。
 では、その先は?
 陽子はこれまで、その先を考えてこなかった。
 改めて、自分の視座の低さを実感させられる。
 瑠那の目指す場所は、もっともっと上、そして遥か先だろう。
 必死に追いかけて、横に一瞬並んで満足するようでは、すぐにまた瑠那は遠くへ行ってしまう。
 瑠那の進む道で、横に並んで進むには、同じ夢を見なければならない。
 全国最強という夢だ。
 あまりにも遠く、現実味のない、まさしく夢だ。
 しかし瑠那は、それを現実の、未来だと信じている。
 
 瑠那が澄んだ瞳で見つめるのは、陽子、伊緒、花火。
 これから3年間、ともに戦う仲間達を、じっと見つめている。
 弱く、到底最強を目指すなどと語れないような存在でも、仲間達だと認められているのだ。
 ならばその未来、自分も信じよう。
 夢想者だと笑われるかもしれない、それでも、掴み取る未来だと信じ続ける。

「伊緒、花火、いけるか?」

 陽子は、2人に聞く。
 
「……私は弱く、遅いです。選手としてはとても力になれないかもしれません。けれど、役割なんて分からない、ただの仲間としての私は、この心は、同じ未来を見たいと言っています……!」
「私も、まだ自分に何ができるのか分かっていません。ただ自分の無力さだけを一昨日のレースで知りました。だからこそ、そんな世界でも強さを見せてくれた先輩達のように、自分も強くなりたいと思いました。もし私が目指すその先に、瑠那さんの目標があるなら……ぜひお供させてください!」

 いきなり大きな目標を告げられ、笑い話と流すこともできただろう。
 しかし2人がそうしないことは、陽子にも、瑠那にも分かっていた。
 一度決めた目標に向かうためなら、どんな荒野でも走り続ける、そして例え走れなくても、愚直に歩き続けるような、そんな純粋な性格の2人だ。
 出会って僅かな期間と共に過ごしただけだが、それだけは分かっている。
 今はまだ弱く小さい存在だとしても、成長できる素質を持っている、そう信じられた。

「私も、一緒に行くよ。瑠那の目指すところまで。後ろをついていくんじゃない、隣を走ってさ」

 瑠那は無意味に留まり続けるような、そんな存在じゃない。
 瑠那は、自分にとっての目標は、前に進み続ける存在だ。
 だから隣に立ちたいんじゃない。
 隣を走りたいんだ。

 陽子達はこの日、最強を目指す覚悟を決めた。
 
「もう、これが青春ね」
「でも私達にもあっただろ。何かを覚悟した、そういう日が」
「えぇ、確かにあったわ。私達にも”いた”もの。強くなりたい理由が」

 1年生達を微笑ましく見ていた美咲が呟き、麻矢は自分達の2年前を思い返した。
 香織の言葉で3人とも、蒼の顔を見る。

「ん? 3人とも、どうかしましたか?」
 
 不思議そうな顔をする蒼を無視して、こういうときだけ鈍感なんだから。と3人で笑った。

 3年生の旅路は、もうすぐ終わる。
 同時に、1年生の旅路はこれから始まる。
 長く厳しい旅路だ、どこまでたどり着けるかは分からない。
 自分達とて、道半ばで旅路を終えるかもしれない。
 だからこそ、 僅かな期間だけ交わったその道の途中で、この子達にできるだけのことをしようと思う。
 旅に出ようと覚悟を決めた、若き冒険者たちの未来のために。
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