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2章 デビュー戦
27話 四継初戦
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「女子4×100mリレー予選を開始します。4組の各組2着とタイムレースで上位8チーム、計16チームが決勝進出となります」
アナウンスが入り、ついに大会が始まる。
最初のトラック種目は四継だ。
リレーを走らない陽子達はスタンド前列に立ち、応援の準備をする。
「オペレーターの香織からスタンド、マイクテスト」
「スタンドマンの綾乃です。スタンド側、マイクOKです」
陽子達の前に置いたスピーカーから香織の声が聞こえ、緊張感が高まった。
リレーではオペレーターの配置が許可されており、ゴール地点に設置されたスペースから各チームのオペレーターがレースを支援する。
選手は高精度の位置情報システムを搭載した小型インカムを装着しており、オペレーターから順位やペースの情報を受け取れるのだ。
また、スタンドマンはスタンドからより広い視野で情報を提供する。
高度な情報化によって、リレーの戦略性とバトンパス精度は飛躍的に向上した。
「1組、位置について」
早速、1組からレースが始まる。
30チームが出場しており、決勝には過半数の16チームが進めることになる。
そして都大会に進めるのは、決勝2組の中からタイム順に12チームだ。
号砲が鳴り、1組が走り出す。
1組を走る選手達のチームなのだろう、スタンドでは他のチームが大声で応援をしている。
人数の多いチームは応援団のように統制の取れたコールで応援をしており、学校ごとに個性がある。
「あそこ、1クラス分くらいいますよ。凄い応援だなぁ」
「部員数多いところは凄いよね、うちも負けないように声は張るけど」
「先輩、うちって何か応援の方法とか決まってましたっけ?」
「いや、フリースタイルだね」
統制の取れた応援ができるほど、部員数いなかったから。と歌と綾乃が苦笑いする。
今回から瑠那が1走を走るが、春先の大会では歌がリレーメンバーだった。
そして1年生が不在となると、スタンドには綾乃1人しかいなかったのだから当然だ。
「おー50秒切ってきた! 今の組の1位、結構速いなぁ」
1組目がゴールし、電光掲示板にタイムが表示されている。
「私まだタイムがどれくらいだと速いとか分からないんですが、優勝するには何秒くらいが必要なんですか?」
花火が質問する。
「優勝となると立身大付属の仕上がり次第だから読みづらいけど……新人戦より速くなってるはずだから、47秒台出してくるかもね。都大会進出だけなら52秒台出せばいけるレベルになると思うから、決勝は一騎打ちになると思うよ」
歌の説明に「去年の新人戦はお互いに48秒台で決着ついたんだけどね」と綾乃が補足する。
「な、なるほど? リレーのタイムって合計の数字ですし、どれくらい速い選手が走ってるのか分かりづらいですね」
「それならいい方法があるよ。3秒足してから4で割れば、おおよそのチームの平均タイムが分かるの。例えば53秒だったら3秒足して56秒、4で割って14秒ね。都大会進出ラインが52秒台ってことは、4人の平均が最低でも14秒は切っていなきゃいけないってことになるかな」
伊緒の分かりやすい計算方法に、陽子も思わずなるほどと感心する。
四継では2~4走が加速のついた状態でスタートする上、バトンパスで腕を伸ばす利得距離があるため、各区間のタイムが100mの自己ベストより1秒程度速くなるのだ。
そのため、3区間分の3秒程度を、単純な自己ベストの合計値よりも短縮できることになる。
「いいじゃん! その計算方法。実際は4人同じタイムってのはないから、都大会進出ライン上ギリギリのチームだと、エースが13秒台前半くらいで残り2人が13秒台後半、一番遅い4人目が14秒台前半って感じじゃないかな? うちのチームは一番遅かった歌ちゃんでも13秒台前半の速さがあったから、瑠那ちゃんが入る前でも地区で優勝できたって感じ」
「今回のオーダーだと、13秒台の私じゃ完全に力不足だけどね」
流石、上級生はタイムについても肌感覚で具体的な数字を分かっているな。と陽子は感心する。
しばらく陸上の世界に身を置いていればなんとなく分かってくるが、高校に上がったばかりで、陽子もまだ感覚がアップデートできていない。
その点については、普段から観戦していた伊緒の方が分かっているだろう。
「あ、もう3組目。立身大付属が走りますよ!」
立身大付属の選手達は、強者の余裕か、ゆっくりとコースインする。
バックストレートに陣取った応援団が、大きく『R』と書かれた旗を掲げている。
「今朝のツインテールの子、1走なのか。瑠那と同じポジションだ」
監督の凌に連れられていた本田宗が、スターティングブロックの調整をしている。
1年生だが、まったく緊張などしていないようで、慌ただしく準備を終えて既に整列ラインで待っている他校の上級生もいる中、マイペースに準備をしていた。
「あの1走の子、なかなか肝が据わってるね。あの余裕は、上の大会まで勝ち上がって行った経験のある子じゃないとなかなか出せないよ」
「関東6強に”なるはずだった”なんて言われてたけど、あながち間違いじゃないのかもねー」
宗の落ち着きぶりには、歌と綾乃も感心している。
「あ、そろそろ走り出しますよ!」
パァン! と号砲が鳴り、3組目が走り出す。
「おぉっ! 速い!」
四継はトラックを1周するため、アウトレーンほど見た目上、前からスタートする段差方式になっている。
しかし宗はスタート後一瞬で一つ外側を走る選手を捉えて、すでに抜き去っていた。
地面を引っ掻くように蹴り、長いツインテールをたなびかせて駆け抜けていく。
2走にバトンが渡り、バックストレートを半分を走った頃には既に立身大付属は独走状態に入っていた。
段差方式などなかったかのように、外側のどの選手よりも前を走っている。
危なげなくバトンは3走に渡り、もはやタイムトライアルのような状態で4走へ。
「うわー! 最後の直線になると、差がさらに広がって見えますね!」
四継は4走に渡ってホームストレートに入った時点で、ようやくレーンによる見かけ上の差がなくなる。
1走では遥か前方からスタートしていたように見えても、アウトレーンは1周を走るのに必要な距離が長いためだ。
立身大付属は2走の時点でアウトレーンのチームを見かけ上でも抜き去ってしまっていたので、ホームストレートではもはや画角に誰も入らないほどの独走状態になっていた。
最後50mほどはもはや力を抜き、流してゴールしている。
「うへ、あんだけ流して48秒22だってよ!」
綾乃がマジか~といった顔をしている。
2着が51秒50だったが、その差は3秒28。
25m以上の圧倒的な差をつけてのゴールだった。
「やっぱり1走の本田さんと2走の松下さんが半端なかったね、前半でもう決まった感じ。4走の渋沢さんはほぼ流してたし」
そう言って、歌も少し心配そうな顔になる。
「ロリ先生、予選から1位通過を期待してるだろうなぁ」
「大丈夫ですよ、先輩達の速さは負けてないですし、何より……瑠那が負けるはずがない」
心配する歌に、陽子は確信を持って言った。
かつて心を折られたからこそ、仲間としての瑠那には絶対的な信頼を寄せていた。
「予選、最終組の4組目の選手は準備をしてください」
トラックにはすでに夏の森のリレーメンバーが入っており、歓声を上げる地元のファンに手を振っていた。
瑠那はよほどの自信があるのか、スターティングブロックを一瞬で調整すると、早々に整列ラインでリラックスしている。
「香織からオーダーへ。みんな、準備はいいかしら?」
スピーカーから香織の声が入る。
ゴール地点を見ると、ヘッドセットを着けた香織がノートパソコンを開き、オペレーター席に座っていた。
「1走、瑠那。準備ヨシです」
「2走、麻矢! 立身大付属の連中が騒がしいバックストレートだが、逆に燃えてきたぜ」
「3走、美咲。麻矢、調子乗ってバトン落とさないでよ」
「4走、蒼。確実に、勝利していきましょう」
「OK、オーダー。見栄を切ってくれた先生のためにも、ここは1位通過するわよ。それでは、オーダー、健闘を祈ります」
各ポジションからインカム越しに返事を聞くと、香織がスターターに「夏の森女子、スタンバイOK」と報告する。
普段の優しい香織の声とは違う、凛とした声に、陽子達は驚きつつ頼もしさを感じる。
一緒に走るわけではないが、共に練習をしてきたマネージャーは、共に戦うオペレーターとして戦場にいた。
「4組目、位置について」
礼儀正しく軽くお辞儀をしてから、瑠那がスターティングブロックに足をかける。
ゴーグル越しだが、真剣な眼差しで目の前の曲走路を見つめている姿が大型ディスプレイに映された。
「あれって……『磁器人形』じゃん! 夏の森の1走なんだ!」
「立身大付属の1走の1年生も速かったけど、一体どれくらい速いんだろう」
瑠那の存在に気付いたスタンドのギャラリーがざわつき、陽子は自分のことではないながら、少し誇らしい気持ちになる。
「用意」
瑠那がゆっくりと腰を上げ、号砲を待つ。
かなりの前傾姿勢でスタート姿勢を取っているため、華奢な細腕で身体を支えられるのか不安になるが、安定感を高めるためにやや広めに手をついている。
「パァン!」
号砲とともに、瑠那の身体が前へ飛び出す。
4レーンを走る瑠那は、すぐに5レーンの選手を抜き去り、そして6レーンの選手まで捉えている。
ウォームアップのときに4レーンの角度は予習済だからか、ぴったりとレーンの内側をなぞって走っていく。
「1走、トップで来ます! 速度修正なし、追い風0.5m!」
「オーケー、いい調子だ!」
麻矢は腕をぐるりと回してから、ぐぐぐ……と前足に重心を乗せ、スタンディングでスタートの姿勢を取る。
スタートの軸足に全体重を乗せ、脚力任せに猛烈なスタートをするのが麻矢のフォームだ。
じっとマーカーに視線を集中し、麻矢は呼吸を止める。
瑠那がマーカーに到達すると同時に、待っていたかのように麻矢が獣のように飛び出す。
「ハーイ! ハイッ!」
上げられた麻矢の手に、瑠那がバトンを押し込む。
麻矢は満足そうにニヤリと笑うと、バックストレートを爆走した。
「速度修正、マイナス0.2秒!」
「まったく、練習がアテにならないじゃないの。香織、サポートお願い」
練習時よりも大幅に速いスピードで走る麻矢。
やれやれ。といった風に首を回すと、スイッチが切り替わったのか、美咲は集中した顔でスタートを待つ。
「タイミングサポート、マーカーマイナス0.2秒……3、2、1、GO!」
練習時以上に速い麻矢に合わせ、マーカーに到達する0.2秒手前にスタートする。
美咲の位置からは目測でタイミングの判別が難しいため、香織がタイミングをサポートした。
絶好調なときの麻矢は練習時よりも速く入ってくることが常態化しているため、この区間でのサポートは香織も慣れたもので、非常に正確にカウントができる。
「ハァァァイッ! ハイッ! 美咲、いっけぇー!」
麻矢は力強くバシンッと美咲の手のひらにバトンを叩きつけると、腕を上げて声援を送る。
美咲はもはや競う相手がいない中、予選の1位通過というプライドのためだけに、ただ正確に走る。
「3走、トップで来ます! 速度修正なし、向かい風0.5m!」
「リクエスト、必要タイム」
「1位通過の推定必要タイム、11秒6!」
「了解」
自身の走りに求められるタイムを確認し、蒼は簡潔に返事をする。
ゆっくりと深呼吸をし、レーンの右端ギリギリでスタートの姿勢を取る。
レーンの内側、つまり左側ギリギリを綺麗になぞって走ってくる美咲を見て、蒼はそのまま右寄りでスタートをした。
「ハーイッ! ハイ!」
蒼は長い腕を伸ばし、利得距離をいっぱいに取ってバトンを受け取る。
互いにレーンの両端に陣取っていたお陰で、高身長の蒼でも窮屈にならずにバトンパスができた。
詰まり過ぎるとバトンパスが難しくなる長身の蒼をよく理解した、美咲の技術があるからできるバトンパスだ。
そしてあとは、もはや視界に誰も映らない、孤独な一人旅の始まりだ。
「部長、ファイトー!!」
陽子達も、スタンドから声の限り叫ぶ。
目の前のホームストレートを駆ける蒼は、相変わらず長い脚を活かしてスイスイと泳ぐように進んでいく。
ゴール横のタイマーを見ながら走る蒼は、最後の50mあたりから力を抜き、しかし大きな失速はせず綺麗に流してゴールした。
「48秒17! やった、1位通過です!」
見事に立身大付属のタイムを0.05秒上回り、夏の森は予選1位で決勝へ駒を進めた。
そして同時に、陽子達1年生はレースを正確にコントロールする3年生の実力を目の当たりにし、改めて頼もしさを実感した。
アナウンスが入り、ついに大会が始まる。
最初のトラック種目は四継だ。
リレーを走らない陽子達はスタンド前列に立ち、応援の準備をする。
「オペレーターの香織からスタンド、マイクテスト」
「スタンドマンの綾乃です。スタンド側、マイクOKです」
陽子達の前に置いたスピーカーから香織の声が聞こえ、緊張感が高まった。
リレーではオペレーターの配置が許可されており、ゴール地点に設置されたスペースから各チームのオペレーターがレースを支援する。
選手は高精度の位置情報システムを搭載した小型インカムを装着しており、オペレーターから順位やペースの情報を受け取れるのだ。
また、スタンドマンはスタンドからより広い視野で情報を提供する。
高度な情報化によって、リレーの戦略性とバトンパス精度は飛躍的に向上した。
「1組、位置について」
早速、1組からレースが始まる。
30チームが出場しており、決勝には過半数の16チームが進めることになる。
そして都大会に進めるのは、決勝2組の中からタイム順に12チームだ。
号砲が鳴り、1組が走り出す。
1組を走る選手達のチームなのだろう、スタンドでは他のチームが大声で応援をしている。
人数の多いチームは応援団のように統制の取れたコールで応援をしており、学校ごとに個性がある。
「あそこ、1クラス分くらいいますよ。凄い応援だなぁ」
「部員数多いところは凄いよね、うちも負けないように声は張るけど」
「先輩、うちって何か応援の方法とか決まってましたっけ?」
「いや、フリースタイルだね」
統制の取れた応援ができるほど、部員数いなかったから。と歌と綾乃が苦笑いする。
今回から瑠那が1走を走るが、春先の大会では歌がリレーメンバーだった。
そして1年生が不在となると、スタンドには綾乃1人しかいなかったのだから当然だ。
「おー50秒切ってきた! 今の組の1位、結構速いなぁ」
1組目がゴールし、電光掲示板にタイムが表示されている。
「私まだタイムがどれくらいだと速いとか分からないんですが、優勝するには何秒くらいが必要なんですか?」
花火が質問する。
「優勝となると立身大付属の仕上がり次第だから読みづらいけど……新人戦より速くなってるはずだから、47秒台出してくるかもね。都大会進出だけなら52秒台出せばいけるレベルになると思うから、決勝は一騎打ちになると思うよ」
歌の説明に「去年の新人戦はお互いに48秒台で決着ついたんだけどね」と綾乃が補足する。
「な、なるほど? リレーのタイムって合計の数字ですし、どれくらい速い選手が走ってるのか分かりづらいですね」
「それならいい方法があるよ。3秒足してから4で割れば、おおよそのチームの平均タイムが分かるの。例えば53秒だったら3秒足して56秒、4で割って14秒ね。都大会進出ラインが52秒台ってことは、4人の平均が最低でも14秒は切っていなきゃいけないってことになるかな」
伊緒の分かりやすい計算方法に、陽子も思わずなるほどと感心する。
四継では2~4走が加速のついた状態でスタートする上、バトンパスで腕を伸ばす利得距離があるため、各区間のタイムが100mの自己ベストより1秒程度速くなるのだ。
そのため、3区間分の3秒程度を、単純な自己ベストの合計値よりも短縮できることになる。
「いいじゃん! その計算方法。実際は4人同じタイムってのはないから、都大会進出ライン上ギリギリのチームだと、エースが13秒台前半くらいで残り2人が13秒台後半、一番遅い4人目が14秒台前半って感じじゃないかな? うちのチームは一番遅かった歌ちゃんでも13秒台前半の速さがあったから、瑠那ちゃんが入る前でも地区で優勝できたって感じ」
「今回のオーダーだと、13秒台の私じゃ完全に力不足だけどね」
流石、上級生はタイムについても肌感覚で具体的な数字を分かっているな。と陽子は感心する。
しばらく陸上の世界に身を置いていればなんとなく分かってくるが、高校に上がったばかりで、陽子もまだ感覚がアップデートできていない。
その点については、普段から観戦していた伊緒の方が分かっているだろう。
「あ、もう3組目。立身大付属が走りますよ!」
立身大付属の選手達は、強者の余裕か、ゆっくりとコースインする。
バックストレートに陣取った応援団が、大きく『R』と書かれた旗を掲げている。
「今朝のツインテールの子、1走なのか。瑠那と同じポジションだ」
監督の凌に連れられていた本田宗が、スターティングブロックの調整をしている。
1年生だが、まったく緊張などしていないようで、慌ただしく準備を終えて既に整列ラインで待っている他校の上級生もいる中、マイペースに準備をしていた。
「あの1走の子、なかなか肝が据わってるね。あの余裕は、上の大会まで勝ち上がって行った経験のある子じゃないとなかなか出せないよ」
「関東6強に”なるはずだった”なんて言われてたけど、あながち間違いじゃないのかもねー」
宗の落ち着きぶりには、歌と綾乃も感心している。
「あ、そろそろ走り出しますよ!」
パァン! と号砲が鳴り、3組目が走り出す。
「おぉっ! 速い!」
四継はトラックを1周するため、アウトレーンほど見た目上、前からスタートする段差方式になっている。
しかし宗はスタート後一瞬で一つ外側を走る選手を捉えて、すでに抜き去っていた。
地面を引っ掻くように蹴り、長いツインテールをたなびかせて駆け抜けていく。
2走にバトンが渡り、バックストレートを半分を走った頃には既に立身大付属は独走状態に入っていた。
段差方式などなかったかのように、外側のどの選手よりも前を走っている。
危なげなくバトンは3走に渡り、もはやタイムトライアルのような状態で4走へ。
「うわー! 最後の直線になると、差がさらに広がって見えますね!」
四継は4走に渡ってホームストレートに入った時点で、ようやくレーンによる見かけ上の差がなくなる。
1走では遥か前方からスタートしていたように見えても、アウトレーンは1周を走るのに必要な距離が長いためだ。
立身大付属は2走の時点でアウトレーンのチームを見かけ上でも抜き去ってしまっていたので、ホームストレートではもはや画角に誰も入らないほどの独走状態になっていた。
最後50mほどはもはや力を抜き、流してゴールしている。
「うへ、あんだけ流して48秒22だってよ!」
綾乃がマジか~といった顔をしている。
2着が51秒50だったが、その差は3秒28。
25m以上の圧倒的な差をつけてのゴールだった。
「やっぱり1走の本田さんと2走の松下さんが半端なかったね、前半でもう決まった感じ。4走の渋沢さんはほぼ流してたし」
そう言って、歌も少し心配そうな顔になる。
「ロリ先生、予選から1位通過を期待してるだろうなぁ」
「大丈夫ですよ、先輩達の速さは負けてないですし、何より……瑠那が負けるはずがない」
心配する歌に、陽子は確信を持って言った。
かつて心を折られたからこそ、仲間としての瑠那には絶対的な信頼を寄せていた。
「予選、最終組の4組目の選手は準備をしてください」
トラックにはすでに夏の森のリレーメンバーが入っており、歓声を上げる地元のファンに手を振っていた。
瑠那はよほどの自信があるのか、スターティングブロックを一瞬で調整すると、早々に整列ラインでリラックスしている。
「香織からオーダーへ。みんな、準備はいいかしら?」
スピーカーから香織の声が入る。
ゴール地点を見ると、ヘッドセットを着けた香織がノートパソコンを開き、オペレーター席に座っていた。
「1走、瑠那。準備ヨシです」
「2走、麻矢! 立身大付属の連中が騒がしいバックストレートだが、逆に燃えてきたぜ」
「3走、美咲。麻矢、調子乗ってバトン落とさないでよ」
「4走、蒼。確実に、勝利していきましょう」
「OK、オーダー。見栄を切ってくれた先生のためにも、ここは1位通過するわよ。それでは、オーダー、健闘を祈ります」
各ポジションからインカム越しに返事を聞くと、香織がスターターに「夏の森女子、スタンバイOK」と報告する。
普段の優しい香織の声とは違う、凛とした声に、陽子達は驚きつつ頼もしさを感じる。
一緒に走るわけではないが、共に練習をしてきたマネージャーは、共に戦うオペレーターとして戦場にいた。
「4組目、位置について」
礼儀正しく軽くお辞儀をしてから、瑠那がスターティングブロックに足をかける。
ゴーグル越しだが、真剣な眼差しで目の前の曲走路を見つめている姿が大型ディスプレイに映された。
「あれって……『磁器人形』じゃん! 夏の森の1走なんだ!」
「立身大付属の1走の1年生も速かったけど、一体どれくらい速いんだろう」
瑠那の存在に気付いたスタンドのギャラリーがざわつき、陽子は自分のことではないながら、少し誇らしい気持ちになる。
「用意」
瑠那がゆっくりと腰を上げ、号砲を待つ。
かなりの前傾姿勢でスタート姿勢を取っているため、華奢な細腕で身体を支えられるのか不安になるが、安定感を高めるためにやや広めに手をついている。
「パァン!」
号砲とともに、瑠那の身体が前へ飛び出す。
4レーンを走る瑠那は、すぐに5レーンの選手を抜き去り、そして6レーンの選手まで捉えている。
ウォームアップのときに4レーンの角度は予習済だからか、ぴったりとレーンの内側をなぞって走っていく。
「1走、トップで来ます! 速度修正なし、追い風0.5m!」
「オーケー、いい調子だ!」
麻矢は腕をぐるりと回してから、ぐぐぐ……と前足に重心を乗せ、スタンディングでスタートの姿勢を取る。
スタートの軸足に全体重を乗せ、脚力任せに猛烈なスタートをするのが麻矢のフォームだ。
じっとマーカーに視線を集中し、麻矢は呼吸を止める。
瑠那がマーカーに到達すると同時に、待っていたかのように麻矢が獣のように飛び出す。
「ハーイ! ハイッ!」
上げられた麻矢の手に、瑠那がバトンを押し込む。
麻矢は満足そうにニヤリと笑うと、バックストレートを爆走した。
「速度修正、マイナス0.2秒!」
「まったく、練習がアテにならないじゃないの。香織、サポートお願い」
練習時よりも大幅に速いスピードで走る麻矢。
やれやれ。といった風に首を回すと、スイッチが切り替わったのか、美咲は集中した顔でスタートを待つ。
「タイミングサポート、マーカーマイナス0.2秒……3、2、1、GO!」
練習時以上に速い麻矢に合わせ、マーカーに到達する0.2秒手前にスタートする。
美咲の位置からは目測でタイミングの判別が難しいため、香織がタイミングをサポートした。
絶好調なときの麻矢は練習時よりも速く入ってくることが常態化しているため、この区間でのサポートは香織も慣れたもので、非常に正確にカウントができる。
「ハァァァイッ! ハイッ! 美咲、いっけぇー!」
麻矢は力強くバシンッと美咲の手のひらにバトンを叩きつけると、腕を上げて声援を送る。
美咲はもはや競う相手がいない中、予選の1位通過というプライドのためだけに、ただ正確に走る。
「3走、トップで来ます! 速度修正なし、向かい風0.5m!」
「リクエスト、必要タイム」
「1位通過の推定必要タイム、11秒6!」
「了解」
自身の走りに求められるタイムを確認し、蒼は簡潔に返事をする。
ゆっくりと深呼吸をし、レーンの右端ギリギリでスタートの姿勢を取る。
レーンの内側、つまり左側ギリギリを綺麗になぞって走ってくる美咲を見て、蒼はそのまま右寄りでスタートをした。
「ハーイッ! ハイ!」
蒼は長い腕を伸ばし、利得距離をいっぱいに取ってバトンを受け取る。
互いにレーンの両端に陣取っていたお陰で、高身長の蒼でも窮屈にならずにバトンパスができた。
詰まり過ぎるとバトンパスが難しくなる長身の蒼をよく理解した、美咲の技術があるからできるバトンパスだ。
そしてあとは、もはや視界に誰も映らない、孤独な一人旅の始まりだ。
「部長、ファイトー!!」
陽子達も、スタンドから声の限り叫ぶ。
目の前のホームストレートを駆ける蒼は、相変わらず長い脚を活かしてスイスイと泳ぐように進んでいく。
ゴール横のタイマーを見ながら走る蒼は、最後の50mあたりから力を抜き、しかし大きな失速はせず綺麗に流してゴールした。
「48秒17! やった、1位通過です!」
見事に立身大付属のタイムを0.05秒上回り、夏の森は予選1位で決勝へ駒を進めた。
そして同時に、陽子達1年生はレースを正確にコントロールする3年生の実力を目の当たりにし、改めて頼もしさを実感した。
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