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1章 入部

20話 新しい世代

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「……負けたか」

 結果を知り、瑠那がつぶやく。

「いい勝負でしたよ。こんなに競り合ったのは久し振りです」

 蒼はひとしきりギャラリーに手を振り終えると、そう言って、握手を求めた。

「頼もしい仲間ができて嬉しいですよ。これからはチームメイトとして、よろしくお願いします」
「こちらこそ、光栄です」

 二人はしっかりと握手をする。

「ほら、あなたの同期達が来ていますよ。笑顔で迎えてあげてください。それでは表彰台で」
「え、笑顔で……」

 そう告げると、蒼はニコリと笑って瑠那を送り出す。

「瑠那さん! 本当に凄い走りでした! 最後に負けたのは悔しいですけど、十分過ぎるくらいにいいレースでした!」
「瑠那! お疲れ。ほんと、惜しいところまでいったんだけどなぁ!」

 伊緒と陽子が走り寄り、瑠那は少しぎこちなくハイタッチをする。

「二人とも、いい走りだった。……ん? 花火はどうした」
「それならここに」

 陽子が足元を指さす。
 そこには、あらゆる汁を出しながら全力で土下座をする花火がいた。

「申し訳ございませんでしたぁぁぁ!! 戦犯は私です! 私が自分に負けさえしなければ、瑠那さんは最後の競り合いで勝てていたはずなんです!」
「あーだから泣くなって! ってうわ、鼻血も出てるじゃん大丈夫かそれ! 転んだりは……」
「これはレースの興奮で出ただけなので大丈夫です!」
「そ、それはそれで大丈夫なの?」
「え、えぇ……」
 
 泣きながらもやけに自信満々に「大丈夫です!」と言いつつ、地面に涙と鼻水混じりの鼻血をポタポタと垂らす花火を見て一同は困惑してしまう。
 しかし、しばらくするとシュールな光景にくすくすと笑えて来てしまった。

「大丈夫だよ、今日は練習。試合でまた、あのスタート見せてくれよ!」
「私も、むしろ1走で勢いというか、流れを作ってくれたお陰で勇気もらったよ。花火ちゃん、ナイスファイト!」
「二人の言う通り、花火は十分よくやった。特にあのスタート、鍛え上げれば十分通用する武器になる」
「み、皆さん!」
「あー! こら! 顔拭いてから抱き着いてくれ!」
 
 感極まり、ぐちゃぐちゃの顔のまま抱き着こうとする花火を陽子が取り押さえる。
 タオルとウェットティッシュをもらい、ようやく花火は顔を拭いた。

「それと……今日の2位という結果は、私達全員のものだろ? 勝ったという意味でも、負けたという意味でも、4人で繋いだ結果だよ」
「陽子、いいこと言うじゃない」
「その通りだ。3人がバトンを繋いだから、私も走ることができた」
「私は! 感動しています! こんなにもいい同期に恵まれ……」
「あ、ところで……陽子は結局入部するの?」

 またも泣き始める花火を遮り、伊緒が聞く。
 そういえば! と瑠那と花火も陽子の顔を見る。

「……入部するよ! するってば。こんなレースやって、入部しないなんて言えないだろ!」
「やっぱり、ツンデレだったね」
「先ほどから、そのツンデレとはなんだ?」
「私は最初から信じていましたよ!」

 緊張が解け賑やかに話す4人は、生徒会に表彰台へ登るよう指示される。
 表彰台の狭い台の上に4人で肩を抱き合って乗ると、賞品の学食チケットが授与された。

「なぁ部長、2位の賞品って部員全員が貰えるんだろ? だったら同じ部活だし私達も貰えるんだよな」
「確かに、1位も2位も陸上部ですよね」
「その通り。明日からランチ代が浮きますね。当然、ここまで計算通りです」
「流石部長、抜かりないぜ!」
「ちょっとあなた達、優勝賞品は最高の栄誉だけ! って格好つけてたのに、空気読みなさいよ!」

 蒼が自慢げに言うが、美咲に怒られる。
 写真部が「笑ってくださーい」と声をかけ、校内新聞用の写真がパシャリと撮られた。
 堂々とした顔つきの上級生に対し、陽子達は……無表情の瑠那を除き、少しはにかんだ顔をしている。
 3位に入ったサッカー部も最初は悔しそうだったが、蒼と瑠那の走りのリプレイ映像が映し出されると「これは勝てないわ」といった顔で諦めたようだった。
 今は賞品を受け取り、満足そうに3本指を立てて順位をアピールするポーズをしている。

「かのんちゃん、なかなかいいメンバーが揃ったわね」

 陽子と伊緒の担任にして、新聞部顧問の榊先生が語りかける。

「文子ちゃんか。ルーキー達の取材したいなら1杯おごれよ」
「はいはい、私が一緒じゃないと居酒屋に入店拒否されちゃうものね」
「うるさいぞ!」

 二人は共に夏の森のOGで、同級生だ。
 かつての陸上部と新聞部という関係性は、お互い顧問となって今も変わらない。

「今度こそ、抜けるかしら。”歴代最強の世代”を」
「さぁ、どうだろうな」

 明確には答えないが、その口元は笑っていた。
 榊先生はその表情を昔から知っている。

「つまり、期待できるってことね」
「何も言ってないだろー!」

 恰好をつけたつもりだったのか、ロリ先生が怒っている。
 
(かのんちゃんが自己ベストを出す前日は、インタビューすると、いつも同じ顔で同じセリフを返してきてたじゃない)

 榊先生は、懐かしい思い出を思い出すが、ふふっ。と笑って誤魔化す。
 そして、これから陸上部の取材は面白くなりそうだと確信した。

 グラウンドでは、表彰式を終えた陽子達が改めてレースを振り返っていた。
 
「しかし、最後の競り合いは本当に凄まじかったよな。部長も凄いけど、あともう少しで瑠那の勝ちだった」
「これが土のトラックじゃなくて、タータンだったら、スパイクを履いていたら、結果は違っただろうね」

 陽子と伊緒がうんうん。と頷くが、瑠那が否定する。

「いや……部長はおそらく、本気じゃなかった。少なくとも、最後の一瞬以外は」
「マジか!?」
「そんな、じゃああの競り合いも全て調整していたってこと?」
「あれだけのスピードで、勝負がかかっている状況でそんな芸当ができるのですか!? ……私には信じられません!」

 3人が驚いていると、蒼本人が現れる。

「あぁ、すみません。聞こえてしまったものですから」

 苦笑いをして、先に謝ってから話し始める。

「瑠那さん、私は最初から最後まで本気でしたよ。あのスピードで小細工はできません」
「しかし最後の一瞬、部長の動きが明らかに変わったような違和感を感じました。私の勘違いでしょうか」
「それは……勘違いですよ」

 蒼は少し、気まずそうな顔をしてから話しを続ける。
 
「誓って、私は本気でしたし、だからこそ熱い勝負でした。これからが楽しみです」

 そう言うと、そろそろ残りの練習をしますよ。と声をかけて立ち去る。
 部長がそう言うなら。と瑠那も納得したようだ。
 
「もーびっくりさせられた」
「流石の部長でも、そこまで異次元じゃなくて……同じ人間として安心したかも」

 陽子と伊緒もふぅー。とため息をつきながら納得する。
 
(しかし言われてみれば、私も一瞬だけ部長が加速したように見えたんですよね……うーん。まぁ、私の勘違いですね! 大丈夫です!)

 花火は一瞬疑問に思うが、やはり勘違いだろうと納得して練習に戻った。
 
 全ての練習が終わり、陽子達は4人揃って入部届を提出した。
 その後、部員達の下校を確認すると蒼は部室の鍵を職員室へ返却に行く。

「失礼します。部室の鍵を返却しに来ました」
「おー、蒼ちゃん。お疲れお疲れ」

 書類の山に埋もれ顔は見えないが、ひらひらとロリ先生が手を振る。
 
「4人の入部届を預かってきました。伊緒さんはマネージャー兼選手を希望するとのことです」
「なるほどねー、いいんじゃない? 選手が増えるのはいいことだし、鍛えればいい選手になりそうじゃん」
「そうですね。香織と美咲が伊緒さんを気に入ったようで、早くも打ち解けていたので安心しました」
「よきかなよきかな」

 ふざけた口調で、くるしゅうないぞー。と言って椅子の背にばふんっ。ともたれてから、身長差の激しい蒼を見上げる。

「最後、”使った”でしょ」

 先ほどまでのふざけた様子からは想像もできないほどの冷静な声で言う。
 ロリ先生は珍しく厳しい顔をしていた。

「……流石に、先生の目は誤魔化せませんね。すみません、無意識に使ってしまいました」
「はぁー……。それで、問題は?」
「大丈夫です。最後の、ほんの一瞬でしたので」
「よかった……。本当にさ、無理しないでよ。じゃないと、私は蒼ちゃんが走ることを止めなきゃいけない」
「それは困ります」
「だったら、ちゃんと約束は守って。あの技……再燃焼推進アフターバーナーは封印。どれだけ熱くなっても、心にセーフティロックをかけるつもりで」
「分かりました。気を付けます」
「やだからなー、蒼ちゃんの心臓が壊れちゃうのなんて」
「大丈夫ですよ。まだ」

 ロリ先生は大きくため息をつくと、頭の後ろで手を組む。

「あんな競り合い、一生に何度もない。つい熱くなるのも分かる。それでも、ダメだ。蒼ちゃんには選手としての未来がある。それに、部長としても、これからあの子達を導いてもらわないといけないんだから。こんなところで燃え殻になんて、なって欲しくないよ」
「分かりました。責任を持って、育てます」
「信頼してるからね。それじゃ、お疲れ様」
「はい、お疲れさまでした」
 
 蒼を送り出してから、ロリ先生は頭を抱えた。
 生まれながらのスプリンターから、スプリントも、全力を出すことも取り上げた自分を、それでも正しいとは信じている。
 しかしその姿を見るたび、自分の選択が正しかったかつい不安になってしまうのだ。
 どれだけの好敵手に出会おうと、枷を嵌めた中での本気しか出せない。
 それは、走っていると、競っていると言えるのか?
 もしも自分が同じ立場だったなら、心が耐えられるだろうか。
 蒼とて、本当に全てを奪われたなら心が耐えられなかっただろう。
 しかしまだ、リレーがある。
 チームのためという役割があるおかげで、なんとか心の均衡が保たれていた。
 限界を超える力を発揮させろ、燃え尽きるような勝負をさせろ。
 そうした荒ぶる心を抑え、蒼は理性によって静かに燃えていた。
 新たな才能を育て、次の世代へ繋ぐ使命のために。
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