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1章 入部
18話 湖上瑠那
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「おっ! レースも山場、ここでアンカー4走のおさらいですね! 謎多き天才スプリンターについて、ぜひとも説明をお願いします!」
「なんといってもその経歴が目立つよな! 初めて公式戦に現れたのは、中学3年生でつい1年前!」
「そうなんですよ、1学年上の私は中学生時代に見たことなかったので、当時雑誌で初めて存在を知りました」
「隠されていた天才! ともてはやされたが、その理由は非常にシンプル。瑠那ちゃんの通っていた中学校には陸上部がなかったんだなー。だがあまりの速さに、当時新しく赴任した校長が特例で大会出場を許可したんだと」
「なるほど、陸上界への彗星の如き突然の登場には、そんな理由があったんですね。それで高校では陸上部のある、うちの学校に……ということですか?」
「その通り! 少数精鋭とはいえ、東京南地区で最強の我がチームを選んでくれたというわけだ。まぁー敏腕顧問の私の存在も大きいだろうけどなー!」
「いやいや、優しくて美人の先輩がいるからじゃないですかー?」
ツッコミ不在の実況解説コンビは脱線するが、ギャラリーはなんだかんだでウケているので2人も調子に乗っている。
「いやーしかし1つだけ理解できないですね。珍獣教師と美人な先輩がいるとはいえ、うちは僅か6人のチーム。リレーの成績なら確かにいい線いってますけど、少し足を延ばせばもっと分かりやすい強豪があるじゃないですか」
「綾乃ちゃん? 追加で地獄の練習メニューが欲しいのかな?」
綾乃の疑問はもっともで、夏の森はあくまで少数精鋭のイレギュラー的な存在だ。
同じ東京南地区では、昨年秋の新人戦で夏の森とリレーで優勝を争った強豪校、立身大付属がある。
少し足を延ばして東京北地区には、全国最強のスプリント王国、冬の谷女子学院。
そして、千葉に異能集団と呼ばれる栞葉高校、神奈川にも天才が集う花見台女子学園があり、冬の谷と長年、関東の覇権を争っている。
瑠那ほどのスプリンターは、どこのチームも喉から手が出るほど欲しい逸材だろう。
本来、強豪校の、どこから声が掛かってもおかしくないはずなのだ。
しかし、夏の森はスカウト活動を行っていない。
瑠那を獲得できたのは完全に予想外だった。
なぜ、瑠那は、自分が3年間走るチームを夏の森に決めたのか。
「リレーをさ、走ってみたかったんだって。そして、リレーで……仲間と一緒に倒したい相手がいると。だから、うちを選んだんだってことだなー」
「えー! 冬の谷行って、最強の布陣で全国制覇とかも可能なのに!? 私なら絶対そうしますよ!」
「綾乃ちゃん、ロマンがないなぁー! 強いヤツは倒すためにいる。そのための仲間は用意されるものじゃない。自分で出会い、見つけ出し、共に成長するものだぞー!」
「いやいや、私は全部お膳立てされてでも勝利が欲しいですねー!」
「バカヤロー! まぁそういう貪欲なところは嫌いじゃないが……とにかく、瑠那ちゃんにとっては今日のレースが目標に向けた第一歩、初のリレーってことだぞ!」
綾乃とロリ先生が、賑やかな掛け合いをしている。
走りながら話を聞いていた陽子は、この会話からようやく全てを理解した。
瑠那の寂しげな表情の理由も、どうして陸上部に誘うような言葉を言ったのかも。
瑠那はこれまで、ずっと一人で走ってきたのだ。
楽しいときや、つらいとき、誰かと共有することもなく。
迷ったときに、誰かに助けを求めることもなく。
そして勝利を手にしたときでさえ、誰も隣で共に勝利に酔ってはくれないのだ。
孤高の天才……走りを愛した神が作った、精密な陶磁人形。
当時、陸上雑誌の紙面に踊った文言だ。
しかし陽子は、今なら自信を持って否定できる。
孤高なら、憧れもするだろう。
しかし、孤独になりたい者などいるものか。
陸上競技の試合はシビアで残酷だ。
どれだけ仲間がいても、走るときには一人で戦う必要がある。
しかし仲間がいたからこそ、苦しい練習ができるのだ。
そして苦しい練習を乗り越えてきたからこそ、共に成長してきた仲間が待っているからこそ、試合でも勇気が出せるのだ。
そんな世界で、瑠那はたった一人で走ってきたのだ。
そして今、仲間を求めて高校へ入学した。
感情がない、人形でなどあるものか。
瑠那だって、少し表情が少ないだけの、たまたま才能を持っていただけの、普通の女の子だ。
記者達が気付かずとも、その表情の奥底には寂しげな、少女の顔があったはずなのだ。
全てを理解した陽子には、もう立ち止まる理由はない。
走路の先には、ゴーグルで表情を隠した瑠那が待っている。
陶器のように白く滑らかな肌、人形のように整った、無表情の顔。
しかし陽子には、今の瑠那の感情が分かる。
(初めてのリレー……仲間と走ることが、楽しくて仕方ないんだろ? きっとゴーグルのレンズの向こうでは、期待と興奮で目を輝かせているんだろ?)
陽子の胸に、熱い火が灯る。
(だったら! 私が、隣に立ってやる! そして、倒したい相手ってのをぶっ倒せるくらい、一緒に速くなってやる!)
すぅっと息を吸い、背筋を伸ばす。
力んで小さくなっていた腕振りが、肩の力を抜いたことが自然と大きくなる。
徐々に、一歩一歩のストライドが伸びてゆく。
まるで枷を外したかのように、陽子の走りが大きくなってゆく。
(だから瑠那……もう、寂しく一人で走るのは終わりだ。これからは、何があっても隣に私が立ってやる! 嬉しいときも、悔しいときも、つらいときも、勝ったときも、負けたときも! 全部、一緒に受け止めてやる! だからもう、寂しい顔なんてさせるものか!)
陽子は、これまでのどのレースよりも速く走った。
決して、力んで速く走ろうとしたわけではない。
ただ覚悟を決め、心の枷が解かれたことで、これまで無意識に小さくなっていた動きが、一回り大きくなったのだ。
加えて、想いの強さに呼応するかのように、全身の筋肉の出力が上がった感覚を得る。
これまで走った中で、一番身体が軽く、そして力強いと感じた。
想いの強さが、自ら限界を決めていた心に打ち勝ったのだ。
「なっ!? とんでもない加速! 先頭集団はもちろん……麻矢先輩を相手に追い上げています!」
「陽子ちゃん、1つ壁を乗り越えたようだな。だが、麻矢だって、ちょっと成長した程度で追いつける相手じゃないぞ!」
陽子が成長して追い上げるも、なお麻矢は速かった。
すでにテイクオーバーゾーンは眼前に迫り、差を縮められようとも抜かれることはないだろう。
それでも、陽子は全力で追い上げる。
瑠那に、少しでも早くバトンを繋ぐために。
「麻矢、ここです!」
「陽子、ここだっ!」
蒼と瑠那が並んで待つ。
身長が並みの男子以上にある蒼が、ゆっくりと手を上げる。
平均的な身長の瑠那も同じように手を上げるが、さらに蒼の大きさが際立つ。
しかし、瑠那はそんなことを気に留めない。
蒼もまた、瑠那に対して慢心などしない。
「ハイッ!」
先に到達した麻矢が、蒼にバトンを渡す。
お互い、もはや交わす言葉はない。
「信じてるぞ」「任せてください」そうアイコンタクトで伝え合う。
これまでチームを牽引してきた2人には、無言の信頼関係があった。
「瑠那ーっ! ハイッ!」
やや遅れて到達した陽子も、瑠那の柔らかく小さな手のひらへバトンを押し込む。
やや緊張しているのか、興奮か、バトンを掴む手の動きがぎこちないように見えた。
「楽しんで、走ってきなよ」
そう伝えると、瑠那は無表情のまま頷き、蒼を追って駆け出す。
しかし陽子は、瑠那の頬がやや紅潮しているのを見逃さなかった。
(そうだ、それでいいんだよ。瑠那)
陽子は満足げに頷くと、腕を組んで瑠那の後姿を見守る。
「さぁついに最終、4走にバトンが渡りました! 先頭集団は変わらずも、すぐ後ろに陸上部上級生チーム、そして新入生チームがついています! ここからは二つ名持ち同士の戦いとなります……『蒼炎』対『磁器人形』最後に勝つのはどちらか!」
「なんといってもその経歴が目立つよな! 初めて公式戦に現れたのは、中学3年生でつい1年前!」
「そうなんですよ、1学年上の私は中学生時代に見たことなかったので、当時雑誌で初めて存在を知りました」
「隠されていた天才! ともてはやされたが、その理由は非常にシンプル。瑠那ちゃんの通っていた中学校には陸上部がなかったんだなー。だがあまりの速さに、当時新しく赴任した校長が特例で大会出場を許可したんだと」
「なるほど、陸上界への彗星の如き突然の登場には、そんな理由があったんですね。それで高校では陸上部のある、うちの学校に……ということですか?」
「その通り! 少数精鋭とはいえ、東京南地区で最強の我がチームを選んでくれたというわけだ。まぁー敏腕顧問の私の存在も大きいだろうけどなー!」
「いやいや、優しくて美人の先輩がいるからじゃないですかー?」
ツッコミ不在の実況解説コンビは脱線するが、ギャラリーはなんだかんだでウケているので2人も調子に乗っている。
「いやーしかし1つだけ理解できないですね。珍獣教師と美人な先輩がいるとはいえ、うちは僅か6人のチーム。リレーの成績なら確かにいい線いってますけど、少し足を延ばせばもっと分かりやすい強豪があるじゃないですか」
「綾乃ちゃん? 追加で地獄の練習メニューが欲しいのかな?」
綾乃の疑問はもっともで、夏の森はあくまで少数精鋭のイレギュラー的な存在だ。
同じ東京南地区では、昨年秋の新人戦で夏の森とリレーで優勝を争った強豪校、立身大付属がある。
少し足を延ばして東京北地区には、全国最強のスプリント王国、冬の谷女子学院。
そして、千葉に異能集団と呼ばれる栞葉高校、神奈川にも天才が集う花見台女子学園があり、冬の谷と長年、関東の覇権を争っている。
瑠那ほどのスプリンターは、どこのチームも喉から手が出るほど欲しい逸材だろう。
本来、強豪校の、どこから声が掛かってもおかしくないはずなのだ。
しかし、夏の森はスカウト活動を行っていない。
瑠那を獲得できたのは完全に予想外だった。
なぜ、瑠那は、自分が3年間走るチームを夏の森に決めたのか。
「リレーをさ、走ってみたかったんだって。そして、リレーで……仲間と一緒に倒したい相手がいると。だから、うちを選んだんだってことだなー」
「えー! 冬の谷行って、最強の布陣で全国制覇とかも可能なのに!? 私なら絶対そうしますよ!」
「綾乃ちゃん、ロマンがないなぁー! 強いヤツは倒すためにいる。そのための仲間は用意されるものじゃない。自分で出会い、見つけ出し、共に成長するものだぞー!」
「いやいや、私は全部お膳立てされてでも勝利が欲しいですねー!」
「バカヤロー! まぁそういう貪欲なところは嫌いじゃないが……とにかく、瑠那ちゃんにとっては今日のレースが目標に向けた第一歩、初のリレーってことだぞ!」
綾乃とロリ先生が、賑やかな掛け合いをしている。
走りながら話を聞いていた陽子は、この会話からようやく全てを理解した。
瑠那の寂しげな表情の理由も、どうして陸上部に誘うような言葉を言ったのかも。
瑠那はこれまで、ずっと一人で走ってきたのだ。
楽しいときや、つらいとき、誰かと共有することもなく。
迷ったときに、誰かに助けを求めることもなく。
そして勝利を手にしたときでさえ、誰も隣で共に勝利に酔ってはくれないのだ。
孤高の天才……走りを愛した神が作った、精密な陶磁人形。
当時、陸上雑誌の紙面に踊った文言だ。
しかし陽子は、今なら自信を持って否定できる。
孤高なら、憧れもするだろう。
しかし、孤独になりたい者などいるものか。
陸上競技の試合はシビアで残酷だ。
どれだけ仲間がいても、走るときには一人で戦う必要がある。
しかし仲間がいたからこそ、苦しい練習ができるのだ。
そして苦しい練習を乗り越えてきたからこそ、共に成長してきた仲間が待っているからこそ、試合でも勇気が出せるのだ。
そんな世界で、瑠那はたった一人で走ってきたのだ。
そして今、仲間を求めて高校へ入学した。
感情がない、人形でなどあるものか。
瑠那だって、少し表情が少ないだけの、たまたま才能を持っていただけの、普通の女の子だ。
記者達が気付かずとも、その表情の奥底には寂しげな、少女の顔があったはずなのだ。
全てを理解した陽子には、もう立ち止まる理由はない。
走路の先には、ゴーグルで表情を隠した瑠那が待っている。
陶器のように白く滑らかな肌、人形のように整った、無表情の顔。
しかし陽子には、今の瑠那の感情が分かる。
(初めてのリレー……仲間と走ることが、楽しくて仕方ないんだろ? きっとゴーグルのレンズの向こうでは、期待と興奮で目を輝かせているんだろ?)
陽子の胸に、熱い火が灯る。
(だったら! 私が、隣に立ってやる! そして、倒したい相手ってのをぶっ倒せるくらい、一緒に速くなってやる!)
すぅっと息を吸い、背筋を伸ばす。
力んで小さくなっていた腕振りが、肩の力を抜いたことが自然と大きくなる。
徐々に、一歩一歩のストライドが伸びてゆく。
まるで枷を外したかのように、陽子の走りが大きくなってゆく。
(だから瑠那……もう、寂しく一人で走るのは終わりだ。これからは、何があっても隣に私が立ってやる! 嬉しいときも、悔しいときも、つらいときも、勝ったときも、負けたときも! 全部、一緒に受け止めてやる! だからもう、寂しい顔なんてさせるものか!)
陽子は、これまでのどのレースよりも速く走った。
決して、力んで速く走ろうとしたわけではない。
ただ覚悟を決め、心の枷が解かれたことで、これまで無意識に小さくなっていた動きが、一回り大きくなったのだ。
加えて、想いの強さに呼応するかのように、全身の筋肉の出力が上がった感覚を得る。
これまで走った中で、一番身体が軽く、そして力強いと感じた。
想いの強さが、自ら限界を決めていた心に打ち勝ったのだ。
「なっ!? とんでもない加速! 先頭集団はもちろん……麻矢先輩を相手に追い上げています!」
「陽子ちゃん、1つ壁を乗り越えたようだな。だが、麻矢だって、ちょっと成長した程度で追いつける相手じゃないぞ!」
陽子が成長して追い上げるも、なお麻矢は速かった。
すでにテイクオーバーゾーンは眼前に迫り、差を縮められようとも抜かれることはないだろう。
それでも、陽子は全力で追い上げる。
瑠那に、少しでも早くバトンを繋ぐために。
「麻矢、ここです!」
「陽子、ここだっ!」
蒼と瑠那が並んで待つ。
身長が並みの男子以上にある蒼が、ゆっくりと手を上げる。
平均的な身長の瑠那も同じように手を上げるが、さらに蒼の大きさが際立つ。
しかし、瑠那はそんなことを気に留めない。
蒼もまた、瑠那に対して慢心などしない。
「ハイッ!」
先に到達した麻矢が、蒼にバトンを渡す。
お互い、もはや交わす言葉はない。
「信じてるぞ」「任せてください」そうアイコンタクトで伝え合う。
これまでチームを牽引してきた2人には、無言の信頼関係があった。
「瑠那ーっ! ハイッ!」
やや遅れて到達した陽子も、瑠那の柔らかく小さな手のひらへバトンを押し込む。
やや緊張しているのか、興奮か、バトンを掴む手の動きがぎこちないように見えた。
「楽しんで、走ってきなよ」
そう伝えると、瑠那は無表情のまま頷き、蒼を追って駆け出す。
しかし陽子は、瑠那の頬がやや紅潮しているのを見逃さなかった。
(そうだ、それでいいんだよ。瑠那)
陽子は満足げに頷くと、腕を組んで瑠那の後姿を見守る。
「さぁついに最終、4走にバトンが渡りました! 先頭集団は変わらずも、すぐ後ろに陸上部上級生チーム、そして新入生チームがついています! ここからは二つ名持ち同士の戦いとなります……『蒼炎』対『磁器人形』最後に勝つのはどちらか!」
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