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三十五
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ほの暖かい日差しで明るくなった寝室内で王は布団の上に起き上がり、目の前にいる男女に声を掛けた。
「汝らのお陰ですっかりよくなった、礼を言うぞ」
その声は元気だった頃と変わらない。
「恐れ入ります」
二人は言葉通り恐縮しながら平伏した。
王は二人の身を起こすように言って話を続けた。
「そこで、特別に報奨を出すことにした。まず、許医員は二階級品階を上げよう」
男は礼を言いながら再度平伏した。
「次に行首だが…。医女には位階がないゆえ、どうしたものか」
王が少し困った顔で言うと
「とんでもございません、既に十分な報酬を得ている身で、これ以上何を望みましょう」
と女が恐縮しながら応じた。
「そうはいかぬ。汝も許医員同様、いやそれ以上に尽くしてくれたのだからな。何か望むものはないか? 金銭でも家屋でも土地でも」
王は思いつくままに口に出したが、
「賤しい田舎者の私が、こうして内医院で働けるだけでも有り難いことです。過分とも思える俸給をいただき、住む所もあり毎日食べて行けるのです、これ以上もう望むものはございません」
と行首は辞退する。
「では、欲しいものは何かないか」
行首が答えあぐねていると、
「何でもよい、取り敢えず申してみよ。全てに応じられるとは限らぬのだから」
と王が答えを促し、
「何でいいから、とにかく言ってみなさい」
と医員も耳元で囁く。
「そうですね…」
小声で呟いた後、行首は言った。
「天涯孤独のこの身には家族というものがありません。敢えて欲しいものといえば、家族、自分の子供でしょうか」
答えを聞いた王は笑いながら
「そうか、子供か」
と言ったところでこの話題は終わった。
その後、今後の療養についてや世間話をして二人は寝室を出て行った。
数日後、許医員と行首はいつものように王の元へ体調の確認に出向いた。
医員と医女は脈を取ったり、顔色を見たりと健康状態を診た。
異常の無いことを告げると王は
「そうか、このところ食事も美味く、書を読んでも疲れなくなった」
と上機嫌で応じた。
「それは大変良きことにございます。ただ、くれぐれも御無理なさらぬように」
医員は働き過ぎ気味の王にさりげなく注意した。
その後はいつものように健康に関する話をした後、二人は退いた。
医員の後について歩き始めた医女に王付きの侍女が
「行首は残りなさい」
と言った。
「まだ御自身の体調が気になられているのかも知れない、引き続き頼む」
医員は医女にこう言って、一人その場を去って行った。
「着いて来なさい」
残された行首に侍女は命じる口調で言った。
本来、宮女も医女も同じ賎民階級だった。しかし、王族に仕える宮女と医員の下で働く医女の間にはいつのまにか上下関係が生じてしまった。医女の中には高圧的な宮女に反感を持つ者もいるが行首は特に気にしなかった。
しばらく歩くと小部屋の前に着いた。
宮女は戸を開けながら、
「ここでお待ちなさい」
と行首に中に入るよう促した。
その後、彼女は戸を閉めて去って行った。
部屋はこぢんまりとしていたが、調度品は立派なものだった。
まもなく「失礼します」という声と共に二人の内人(見習い宮女)が茶菓子がのった膳を運んできた。
「こちらを召し上がりながら今しばらくお待ち下さいとのことです」
内人たちはこう言いながら膳を置くと頭を下げて出て行った。
応対が急によくなったことに行首は驚いた。
「まさか」
彼女は内心であることを考えたが打ち消した。
そして、取り敢えず、茶菓子をいただいた。
「美味しい、世の中にはこんなに味の良いものがあるのね」
庶民の彼女には想像も出来ないものだった。
その後は、誰も来なかった。
退屈まぎれに室内を見回した後、窓の外を見た。
木々に若芽が出ているのが見えた。
もう少しすれば蕾が出て花も咲くことだろう。
「きれいな風景なのだろうな、見てみたいけど…」
それは叶わぬことだろう、行首は残念に思うのだった。
日が西に傾く頃、先程の内人たちが夕食を運んで来た。白米飯を始めとする膳上に並んだ料理は、どれも美味しそうだった。
行首はさっそく箸を取った。
「美味しい」
どの料理も彼女がこれまで食べたことのない味だった。
食事を終えて暫くすると再度内人が来て彼女を別室に連れて行き、沐浴させた。
寝衣に着替え、結い髪を解いて垂髪姿になった行首を別の宮女が導いた。
奥まった部屋の前に着くと宮女は
「主上がお待ちです」
と言ったのち、中に向かって声を掛けた。
同時に戸が開き、奥に人が座しているのが見えた。
「汝に褒美を賜ろうと思うのだが…」
王は笑顔で言いながら、側に来るよう促すのだった。
「汝らのお陰ですっかりよくなった、礼を言うぞ」
その声は元気だった頃と変わらない。
「恐れ入ります」
二人は言葉通り恐縮しながら平伏した。
王は二人の身を起こすように言って話を続けた。
「そこで、特別に報奨を出すことにした。まず、許医員は二階級品階を上げよう」
男は礼を言いながら再度平伏した。
「次に行首だが…。医女には位階がないゆえ、どうしたものか」
王が少し困った顔で言うと
「とんでもございません、既に十分な報酬を得ている身で、これ以上何を望みましょう」
と女が恐縮しながら応じた。
「そうはいかぬ。汝も許医員同様、いやそれ以上に尽くしてくれたのだからな。何か望むものはないか? 金銭でも家屋でも土地でも」
王は思いつくままに口に出したが、
「賤しい田舎者の私が、こうして内医院で働けるだけでも有り難いことです。過分とも思える俸給をいただき、住む所もあり毎日食べて行けるのです、これ以上もう望むものはございません」
と行首は辞退する。
「では、欲しいものは何かないか」
行首が答えあぐねていると、
「何でもよい、取り敢えず申してみよ。全てに応じられるとは限らぬのだから」
と王が答えを促し、
「何でいいから、とにかく言ってみなさい」
と医員も耳元で囁く。
「そうですね…」
小声で呟いた後、行首は言った。
「天涯孤独のこの身には家族というものがありません。敢えて欲しいものといえば、家族、自分の子供でしょうか」
答えを聞いた王は笑いながら
「そうか、子供か」
と言ったところでこの話題は終わった。
その後、今後の療養についてや世間話をして二人は寝室を出て行った。
数日後、許医員と行首はいつものように王の元へ体調の確認に出向いた。
医員と医女は脈を取ったり、顔色を見たりと健康状態を診た。
異常の無いことを告げると王は
「そうか、このところ食事も美味く、書を読んでも疲れなくなった」
と上機嫌で応じた。
「それは大変良きことにございます。ただ、くれぐれも御無理なさらぬように」
医員は働き過ぎ気味の王にさりげなく注意した。
その後はいつものように健康に関する話をした後、二人は退いた。
医員の後について歩き始めた医女に王付きの侍女が
「行首は残りなさい」
と言った。
「まだ御自身の体調が気になられているのかも知れない、引き続き頼む」
医員は医女にこう言って、一人その場を去って行った。
「着いて来なさい」
残された行首に侍女は命じる口調で言った。
本来、宮女も医女も同じ賎民階級だった。しかし、王族に仕える宮女と医員の下で働く医女の間にはいつのまにか上下関係が生じてしまった。医女の中には高圧的な宮女に反感を持つ者もいるが行首は特に気にしなかった。
しばらく歩くと小部屋の前に着いた。
宮女は戸を開けながら、
「ここでお待ちなさい」
と行首に中に入るよう促した。
その後、彼女は戸を閉めて去って行った。
部屋はこぢんまりとしていたが、調度品は立派なものだった。
まもなく「失礼します」という声と共に二人の内人(見習い宮女)が茶菓子がのった膳を運んできた。
「こちらを召し上がりながら今しばらくお待ち下さいとのことです」
内人たちはこう言いながら膳を置くと頭を下げて出て行った。
応対が急によくなったことに行首は驚いた。
「まさか」
彼女は内心であることを考えたが打ち消した。
そして、取り敢えず、茶菓子をいただいた。
「美味しい、世の中にはこんなに味の良いものがあるのね」
庶民の彼女には想像も出来ないものだった。
その後は、誰も来なかった。
退屈まぎれに室内を見回した後、窓の外を見た。
木々に若芽が出ているのが見えた。
もう少しすれば蕾が出て花も咲くことだろう。
「きれいな風景なのだろうな、見てみたいけど…」
それは叶わぬことだろう、行首は残念に思うのだった。
日が西に傾く頃、先程の内人たちが夕食を運んで来た。白米飯を始めとする膳上に並んだ料理は、どれも美味しそうだった。
行首はさっそく箸を取った。
「美味しい」
どの料理も彼女がこれまで食べたことのない味だった。
食事を終えて暫くすると再度内人が来て彼女を別室に連れて行き、沐浴させた。
寝衣に着替え、結い髪を解いて垂髪姿になった行首を別の宮女が導いた。
奥まった部屋の前に着くと宮女は
「主上がお待ちです」
と言ったのち、中に向かって声を掛けた。
同時に戸が開き、奥に人が座しているのが見えた。
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王は笑顔で言いながら、側に来るよう促すのだった。
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