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三十
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普段は静かな姫君の墓所の邸は、大騒ぎだった。
「全く、どういうことかしら。いきなり、この辺りを“里”に格上げしたかと思うと早々に里長が赴任して、官衙が出来るまで、ここを使うなんていうんですからね」
「本来、ここは王室の土地で、今いるのは私たちと墓所付けの田畑を耕す人たちだけなのに、何故、里にしたのでしょう」
大尚宮と小尚宮が戸惑い気味の口調で話していると、
「里長さまが…」
下働きの男があたふたしながら報告に来た。
「一体何事ですか」
少し咎める口調で答えながら、大尚宮が立ち上がると小尚宮も続いた。里長が到着したのであろう、とにかく出迎えねばならなかった。
門に着いた二人は目の前にいる四人を見て唖然とした。
「岐城さま⁉︎」
「大尚宮、小尚宮、久しぶりだな。その間ご苦労だった」
二人はその場に平伏そうとしたが、岐城君はそれを制した。
「大尚宮さま、小尚宮さま、ご無沙汰しております」
吉祥一家が頭を下げると、
「お前たちも来てくれたんだね」
「吉祥も大きくなったわね」
と二人は頭を上げさせながら答えた。
「まず屋内に入ろう、それから姫へ挨拶せねばならないね」
岐城君一行は屋内へと入って行った。
急遽設えた主人用の部屋で岐城君は侍女二人に着替えを手伝って貰い服装を整えると妻の墓所へと向かった。といっても邸の隣のような場所なのだが。
「姫、久しぶりだね。これから暫くの間、そばにいるよ」
岐城君は亡妻の墓前に供物を置き、香を焚くと平伏した。その瞬間、背中に懐かしい気配を感じた。
「君はここにいるんだね」
彼は嬉しく思う反面、朴尚宮にすまなさも感じたのだった。
ここでの生活は単調だが、穏やかなものだった。
毎朝、姫君の墓所に参拝する以外は決まった“日課”はなかった。
書を読み、書き物を、絵を描く、天気の良い日には狭い領内を見回り、農民たちの働く姿を見守ることもある。
「今年は天候も良いので豊作だろう」
この収穫が自分たちの生活を支えていることを思うとありがたかった。
月に一度は王宮に行く。その時は吉祥を従者にした。若い彼に都の空気を味わわせてやりたかったためである。
都に着くと、まず王を訪ね近況を報告し、その後、朴尚宮の位牌の前に行く。
「君には本当に申し訳ないことをした‥」
供物を捧げ、平伏しながら、岐城君はいつもこう呟く。
すると耳元に朴尚宮の声が聞こえる。
「気になさらないで、岐城さまに会えて幸せでした」
彼女の声を聞くたびに悲しさと申し訳なさが込み上げるのだった。
王宮では、時々、施薬院の職員と会うことがあった。
「岐城さま、その間、如何お過ごしでしたか」
「変わりなく暮らしているよ、施薬院の方は如何か」
「はい、今度、いらした提学様は、真面目で優秀な方です。お陰で仕事は順調に捗っています」
「そうか、それはよかった」
では、と岐城君の側を離れる職員たちの後姿を見守り、その後、彼も王宮を出た。
ここまでが、一応、公務といえるだろう。
その後は、私的な時間になり、繁華街に行く。吉祥はこれが楽しみのようだ。
「私は、書物を買った後、ここで待っているから、お前は好きな所へ行きなさい」
茶店の前でこう言うと、吉祥は「分かりました」と言って市場に駆けて言った。
書肆で書物を購入した後、岐城君も市場に向かった。大尚宮と小尚宮への土産物を買うためだった。
「二人にはいつも世話になっているからな」
妻が亡くなった後も彼女に仕え、そして、今また自分に支えてくれる侍女たちに岐城君は心から感謝した。
買物を済ませた彼は茶店に戻り、中に入った。
曼珠国の茶を飲みながら、亡き朴尚宮を偲んでいた。
“木槿国のお茶も美味しいですね”
“扶桑国のお茶は苦いですね”
“今日は師傅に褒められました”
岐城君の脳裏には愛しい人の笑顔が次々と浮かぶのだった。
「岐城さま、お待たせしました」
目の前にたくさんの荷物を抱えた吉祥が現われたのを見た岐城君が
「どうしたんだ、それ」
と訊ねた。
「射的が当たった賞品です」
吉祥が嬉しそうに答えた。
「大したものだ」
と岐城君が褒めると
「止まっている的に当てるなんて容易いですよ」
と誇らしげに応じた。
いつも鳥だの獣だの“動いているもの”を仕留めているのだから、簡単だろうと岐城君も思うのだった。
彼は、吉祥にも茶菓子を食べさせ、そして、帰宅の途に就いた。
二人が屋敷に着くと
「岐城さま、お帰りなさいませ」
数人の男女が出迎えた。
「お前たち…」
姫君と大監夫妻が生きていた頃、屋敷に仕え、その後、行商人となった者たちだった。
「今度、こちらにお住まいになったと聞きましたので、岐城さまの分もこちらにお届けしました」
彼らは屋敷を辞めた後も、元主人のもとを訪ね、魚介の干物など様々な物を届けてくれたのだった。
「届け先が一ヶ所になって楽になったっていうのですよ」
出迎えに出た大尚宮が言葉を続けた。
岐城君は彼らが姫君の墓所にも届けていたことを知ったのだった。
岐城君は改めて有り難さを感じ、彼らに礼を言うのだった。
元使用人たちは、恐縮しながら帰って行った。
自室に入った岐城君は、着替えの手伝いをする大尚宮と小尚宮に土産の髪飾りを渡すと
「勿体のうございます」
と恐縮しながら受け取った。
一方、吉祥は両親に頼まれた物を渡しながら、射的の賞品も渡して自慢するのだった。
両親は息子の話を楽しそうに聞くのだった。
「全く、どういうことかしら。いきなり、この辺りを“里”に格上げしたかと思うと早々に里長が赴任して、官衙が出来るまで、ここを使うなんていうんですからね」
「本来、ここは王室の土地で、今いるのは私たちと墓所付けの田畑を耕す人たちだけなのに、何故、里にしたのでしょう」
大尚宮と小尚宮が戸惑い気味の口調で話していると、
「里長さまが…」
下働きの男があたふたしながら報告に来た。
「一体何事ですか」
少し咎める口調で答えながら、大尚宮が立ち上がると小尚宮も続いた。里長が到着したのであろう、とにかく出迎えねばならなかった。
門に着いた二人は目の前にいる四人を見て唖然とした。
「岐城さま⁉︎」
「大尚宮、小尚宮、久しぶりだな。その間ご苦労だった」
二人はその場に平伏そうとしたが、岐城君はそれを制した。
「大尚宮さま、小尚宮さま、ご無沙汰しております」
吉祥一家が頭を下げると、
「お前たちも来てくれたんだね」
「吉祥も大きくなったわね」
と二人は頭を上げさせながら答えた。
「まず屋内に入ろう、それから姫へ挨拶せねばならないね」
岐城君一行は屋内へと入って行った。
急遽設えた主人用の部屋で岐城君は侍女二人に着替えを手伝って貰い服装を整えると妻の墓所へと向かった。といっても邸の隣のような場所なのだが。
「姫、久しぶりだね。これから暫くの間、そばにいるよ」
岐城君は亡妻の墓前に供物を置き、香を焚くと平伏した。その瞬間、背中に懐かしい気配を感じた。
「君はここにいるんだね」
彼は嬉しく思う反面、朴尚宮にすまなさも感じたのだった。
ここでの生活は単調だが、穏やかなものだった。
毎朝、姫君の墓所に参拝する以外は決まった“日課”はなかった。
書を読み、書き物を、絵を描く、天気の良い日には狭い領内を見回り、農民たちの働く姿を見守ることもある。
「今年は天候も良いので豊作だろう」
この収穫が自分たちの生活を支えていることを思うとありがたかった。
月に一度は王宮に行く。その時は吉祥を従者にした。若い彼に都の空気を味わわせてやりたかったためである。
都に着くと、まず王を訪ね近況を報告し、その後、朴尚宮の位牌の前に行く。
「君には本当に申し訳ないことをした‥」
供物を捧げ、平伏しながら、岐城君はいつもこう呟く。
すると耳元に朴尚宮の声が聞こえる。
「気になさらないで、岐城さまに会えて幸せでした」
彼女の声を聞くたびに悲しさと申し訳なさが込み上げるのだった。
王宮では、時々、施薬院の職員と会うことがあった。
「岐城さま、その間、如何お過ごしでしたか」
「変わりなく暮らしているよ、施薬院の方は如何か」
「はい、今度、いらした提学様は、真面目で優秀な方です。お陰で仕事は順調に捗っています」
「そうか、それはよかった」
では、と岐城君の側を離れる職員たちの後姿を見守り、その後、彼も王宮を出た。
ここまでが、一応、公務といえるだろう。
その後は、私的な時間になり、繁華街に行く。吉祥はこれが楽しみのようだ。
「私は、書物を買った後、ここで待っているから、お前は好きな所へ行きなさい」
茶店の前でこう言うと、吉祥は「分かりました」と言って市場に駆けて言った。
書肆で書物を購入した後、岐城君も市場に向かった。大尚宮と小尚宮への土産物を買うためだった。
「二人にはいつも世話になっているからな」
妻が亡くなった後も彼女に仕え、そして、今また自分に支えてくれる侍女たちに岐城君は心から感謝した。
買物を済ませた彼は茶店に戻り、中に入った。
曼珠国の茶を飲みながら、亡き朴尚宮を偲んでいた。
“木槿国のお茶も美味しいですね”
“扶桑国のお茶は苦いですね”
“今日は師傅に褒められました”
岐城君の脳裏には愛しい人の笑顔が次々と浮かぶのだった。
「岐城さま、お待たせしました」
目の前にたくさんの荷物を抱えた吉祥が現われたのを見た岐城君が
「どうしたんだ、それ」
と訊ねた。
「射的が当たった賞品です」
吉祥が嬉しそうに答えた。
「大したものだ」
と岐城君が褒めると
「止まっている的に当てるなんて容易いですよ」
と誇らしげに応じた。
いつも鳥だの獣だの“動いているもの”を仕留めているのだから、簡単だろうと岐城君も思うのだった。
彼は、吉祥にも茶菓子を食べさせ、そして、帰宅の途に就いた。
二人が屋敷に着くと
「岐城さま、お帰りなさいませ」
数人の男女が出迎えた。
「お前たち…」
姫君と大監夫妻が生きていた頃、屋敷に仕え、その後、行商人となった者たちだった。
「今度、こちらにお住まいになったと聞きましたので、岐城さまの分もこちらにお届けしました」
彼らは屋敷を辞めた後も、元主人のもとを訪ね、魚介の干物など様々な物を届けてくれたのだった。
「届け先が一ヶ所になって楽になったっていうのですよ」
出迎えに出た大尚宮が言葉を続けた。
岐城君は彼らが姫君の墓所にも届けていたことを知ったのだった。
岐城君は改めて有り難さを感じ、彼らに礼を言うのだった。
元使用人たちは、恐縮しながら帰って行った。
自室に入った岐城君は、着替えの手伝いをする大尚宮と小尚宮に土産の髪飾りを渡すと
「勿体のうございます」
と恐縮しながら受け取った。
一方、吉祥は両親に頼まれた物を渡しながら、射的の賞品も渡して自慢するのだった。
両親は息子の話を楽しそうに聞くのだった。
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