密会の森で

鶏林書笈

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二十七

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 井戸の傍に横たわる侍中(朴尚宮)を見つけたのは、水汲みに来た端女だった。
 彼女の悲鳴を聞きつけ、内侍(宦官)や宮女が集まって来た。
「医員を呼んで来なさい」
 年配の宮女が叫んだ。
 まもなく内侍の少年に伴われて内医院の医員と医女がやって来た。
 医女が侍中の口元に手のひらをかざすと医員の顔を見て首を振った。すると医員が近付き、侍中の手首を押さえ、顔を見て言った。
「検視官を呼んで来なさい」
 彼女は既に生き絶えていたのだった。
 その時、「侍中、侍中や!」という曼珠語の叫び声と共に女性の一団が現れた。王妃と彼女の侍女~侍中の同僚たちだった。
 王妃は侍中を見ると、その身体に抱きついた。
「侍中や、何故このような姿になってしまったのだ」
 彼女は当たり憚らず泣いた。
 まもなく検視官が下働きや茶母(端女)を従えてやって来た。
 医員は検視官の耳元で囁いた。
「妊娠しています」
「そうか」
 検視官は遺体を丁重に持参した戸板に載せて別殿から運び出した。
 王妃はその様子を呆然と眺めていた。
「皆、それぞれの持ち場に戻りなさい」
 王妃付きの侍女が命じると集まっていた人々は散って行った。
 その後、王妃も侍女たちに支えられるように自室に戻って行った。
「侍中の腹中には子がいたらしいが‥」
 王妃が呟くように言うと
「医員が検視官に告げていたようです」
と侍女が答えた。
「曲者に乱暴されたのではないでしょうか」
「そういえば、一時、王宮内に不審者が現れ、端女や幼い内侍が襲われたという話を耳にしました」
「美しい侍中さまを見て欲望を抑えられなくなったのではないでしょうか」
「普段、曼珠国を野蛮だの未開だの言っているくせにやっていることは、この程度なんですね」
 侍女たちは日頃の鬱憤を晴らすかのように木槿国を非難した。いつもだと嗜める王妃はただ涙を流すだけで何も言わなかった。
 しばらくすると「主上の御成です」との声が聞こえた。
 王妃は大急ぎで身支度を済ませ、主上を迎えに出た。
「二人だけで話したい」
 王が言うと王妃は王を自室に招き、他の者を全て下がらせた。いつも通訳をしてくれる女官さえも下がらせた。
 王が机の前に座ると王妃は紙と筆、硯と墨を机上に置き自身も座った。
 二人きりになった室内でまず王が口を開いた
「この度は申し訳ないことをした」
 たどたどしいが正確な曼珠語で謝罪をした。
 驚いた王妃は「いったい何事があったのでしょう?」と木槿語で訊ねた。
 王は異母弟・岐城君と朴尚宮すなわち侍中とのこれまでの経緯を木槿語と曼珠語そして唐の言葉を紙に書きながら伝えた。
 王妃には“岐城君”と言われても誰なのか思い浮かばなかった。そのことを正直に話すと、王は苦笑混じりに答えた。
「誰も彼のことを名前で呼ばない、先王の十六人目の子供なので、十六夜君だの単に十六番目と呼ばれているんだ。それくらい目立たない子だ」
「そのような方と侍中が出会ったのですから、これはもう運命としか言いようがないですね」
「そうだね、私としては、王妃には申し訳ないが、あのまま二人が王宮を出て、何処でもよいからひっそりと暮らして欲しかったんだ。或いは異母弟が話してくれれば如何様にも出来たのだが‥」
「それは私も同じ思いです。ここに居らなくてもとにかく生きていて貰いたかった」
 王妃は涙を止めどなく流した。王は慰める言葉が見つからなかった。
 少しの間沈黙が流れた。
「これだけは信じて欲しいのだ。異母弟は心から朴尚宮・侍中を慕い、愛しんでいた。決して浮ついた気持ちではなかった」
 王はようやく口を開いた。
「仰せの通りです、岐城さまとお会いした頃から、あの子の表情は明るくなりました。常に穏やかでとても楽しげに見えました。正妃さまや師傅がよくしてくれるためだとばかり思っていましたが、こうしたわけがあったのですね」
 王妃はしみじみとした口調で答えた。
「岐城は今回の自身の行動を悔いている」
「侍中は岐城さまに出会って幸せだったと思います。異国で生命を捧げても悔いのない方に出会えたのですから」
 王妃は岐城君を責める気にはなれなかった。そして自身を慰めるように言うと我知らず涙を流すのだった。
 再度、沈黙が流れた。今度も王が先に口を開いた。
「今後のことは私に一任して欲しい」
「もちろんです」
 王妃は自身に何の権限もないことを十分に承知していた。
「岐城には罰を受けてもらう」
 意外な言葉に王妃は戸惑った。
「それは‥‥、侍中に先立たれたことで岐城さまは苦しまれています、これ以上の処罰が必要でしょうか」
 王妃は思わず反論した。それに対し王は
「これは彼自身のためでもあるのだ。罰を受け、その上で朴尚宮の冥福を祈りつつ、今後の人生を送って欲しいのだ」
と応じた。王妃は納得した。
「朴尚宮の名誉も守る。彼女は王の子を宿した側室として供養するつもりだ」
「仰せのままに」
 その後、二人は故人の思い出を語りつつ時を過ごすのだった。
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