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二十六
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自邸の前に着くと、吉祥一家を始めとした岐城君邸の使用人たちが全て集まり、主人を出迎えた。
「岐城さま、お帰りなさいませ」
吉祥父は涙声で声を掛ける。
「皆には心配かけたな」
岐城君は極めた平静に応じ、屋敷内に入って行った。その後には“見張り役”が続いた。
彼と共に岐城君は書斎に入った。そして、彼の前で、着替えを始めた。身に刀剣類を付けていないことを示すためだった。
着替え終えた岐城君は、部屋の戸を開け、いつものように庭を眺めた。
彼の脳裏には、様々なことが行き交った。亡き妻との日々、朴尚宮の面影…。
ふと、振り返ると見張り役は座したまま、身動きせずにじっと岐城君を見ていた。
岐城君は侍女を呼び、男のために茶菓を持ってくるように言った。
茶菓はすぐに運ばれ、男の前に置かれた。
岐城君は飲むよう勧めたが男は手を出さなかった。岐城君は苦笑しながら「毒なんて入ってないよ」と言った。
男はそれでは、といった感じで茶碗を手に取り、口を付けた。一瞬、表情が緩んだように見えた。
―この者も茶付きなのだろう。
岐城君は何となくほっとするのだった。
岐城君は視線を庭の方に戻した。
しばらく、じっと眺めていたが、突然、立ち上がった。
「どちらへ御出でで?」
見張りが訊ねる。
「手洗いだ」
岐城君が応じると彼も立ち上がり、岐城君に続いて部屋を出た。
手洗い所に着くと、
「一緒に入るか?」
岐城君が冗談めかして言うと、見張りは戸惑った表情を浮かべた。
「心配無用だ。お前も見ただろう、私は刀剣も毒薬も身に付けていないよ」
すぐに出て来た岐城君を見て、見張りは安堵の表情を浮かべた。
やがて、日が西に傾き始めた。
岐城君は見張りの分の夕食も用意させたが、彼は今度は手を付けなかった。
夜が更け、岐城君は寝室へ移った。当然、見張りも一緒だった。
床に入る際、「一緒に寝るかい」と男に冗談めかして言うと、彼は再度、戸惑いの表情を見せた。
「冗談だよ」
こう言いながら岐城君は横たわった。
彼が見張りを揶揄ったようなことを言ったのは、自分が自決などしないということを示すためだった。朴尚宮を死に追いやった罪で自身は生きて処罰されねばならないと思っているのだった。
その夜、彼は眠りに陥ることはなかった。
自分と出会ったために、自分が声を掛けたために、自身の欲望を抑えられなかったために、彼女は死ななければならなかったのだ。結局、自分は関わった女性を皆死に追いやったのだ。
岐城君は一晩中、繰り返し、このように考え、脳裏には朴尚宮と姫君の姿が浮かぶのだった。
「岐城さま、お帰りなさいませ」
吉祥父は涙声で声を掛ける。
「皆には心配かけたな」
岐城君は極めた平静に応じ、屋敷内に入って行った。その後には“見張り役”が続いた。
彼と共に岐城君は書斎に入った。そして、彼の前で、着替えを始めた。身に刀剣類を付けていないことを示すためだった。
着替え終えた岐城君は、部屋の戸を開け、いつものように庭を眺めた。
彼の脳裏には、様々なことが行き交った。亡き妻との日々、朴尚宮の面影…。
ふと、振り返ると見張り役は座したまま、身動きせずにじっと岐城君を見ていた。
岐城君は侍女を呼び、男のために茶菓を持ってくるように言った。
茶菓はすぐに運ばれ、男の前に置かれた。
岐城君は飲むよう勧めたが男は手を出さなかった。岐城君は苦笑しながら「毒なんて入ってないよ」と言った。
男はそれでは、といった感じで茶碗を手に取り、口を付けた。一瞬、表情が緩んだように見えた。
―この者も茶付きなのだろう。
岐城君は何となくほっとするのだった。
岐城君は視線を庭の方に戻した。
しばらく、じっと眺めていたが、突然、立ち上がった。
「どちらへ御出でで?」
見張りが訊ねる。
「手洗いだ」
岐城君が応じると彼も立ち上がり、岐城君に続いて部屋を出た。
手洗い所に着くと、
「一緒に入るか?」
岐城君が冗談めかして言うと、見張りは戸惑った表情を浮かべた。
「心配無用だ。お前も見ただろう、私は刀剣も毒薬も身に付けていないよ」
すぐに出て来た岐城君を見て、見張りは安堵の表情を浮かべた。
やがて、日が西に傾き始めた。
岐城君は見張りの分の夕食も用意させたが、彼は今度は手を付けなかった。
夜が更け、岐城君は寝室へ移った。当然、見張りも一緒だった。
床に入る際、「一緒に寝るかい」と男に冗談めかして言うと、彼は再度、戸惑いの表情を見せた。
「冗談だよ」
こう言いながら岐城君は横たわった。
彼が見張りを揶揄ったようなことを言ったのは、自分が自決などしないということを示すためだった。朴尚宮を死に追いやった罪で自身は生きて処罰されねばならないと思っているのだった。
その夜、彼は眠りに陥ることはなかった。
自分と出会ったために、自分が声を掛けたために、自身の欲望を抑えられなかったために、彼女は死ななければならなかったのだ。結局、自分は関わった女性を皆死に追いやったのだ。
岐城君は一晩中、繰り返し、このように考え、脳裏には朴尚宮と姫君の姿が浮かぶのだった。
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