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十九
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爽やかな気分で目覚めた岐城君は身支度を始めた。使用人を大幅に減らしたため、朝の身支度等々は彼自身でしている。今日はいつになく念入りである。朝食を運んで来た侍女に「(服装や髪型で)おかしいところはないか?」と聞くほどだった。
朝食を済ませ屋敷を出る時も上機嫌だった。
「岐城さま、何かあったのかしら?」
屋敷の使用人女性“吉祥の母さん”が言うと
「さあな、だが、姫さまが亡くなって以来ずっと淋しげだったことを思うといいことだよ」
と彼女の夫が嬉しそうに応じた。
使用人たちにとって主人が悲しそうな顔をしているよりは楽しげにしている方が気分が良いのだった。
施薬院に着くと岐城君はいつも通り仕事を始めたが、その様子はどこか明るさを感じられた。
「岐城さま、今日はずいぶん楽しそうだな」
「ああ、何かいいことでもあったのかな」
職員たちは口々に呟いた。
退勤時間が来ると岐城君は
「今日はここまでだ。急ぎの件はないのだから、後は明日だ」
と言いながら皆に帰るよう促した。そして自身も早々に退出した。
彼は急足で王宮を出ると森に向かった。その人に一刻も早く会いたかったのだ。
森に入り奥まで進んで行くと人影が見えた。
女官姿の女性だった。
「朴尚宮!」
声を掛けると相手は
「岐城さま」
と笑顔で応じた。
「今日も正妃様のところか、それとも師傅のところか」
「はい、師傅から詩の添削を受けました。それとお茶をいただきました」
こう答えながら尚宮はお茶の小壷を見せた。
二人は大樹の下に座った。
「師傅はね、昔からお茶大好きなんだ。木槿国だけじゃなく、唐土や扶桑国のお茶にも詳しく、お茶に関するあらゆる書物に目を通しているらしい」
「そうなのですか」
尚宮が感心すると岐城君は話を続けた。
「それでね、珍しい茶葉を得るためなら夫人を質に入れても構わないなんておっしゃるんだ」
「まぁ!」
尚宮が声を立てて笑うと岐城君もつられて笑った。
「それゆえ、師傅は茶詩をたくさん詠み、それらをまとめた詩集も出したんだ。今度、持ってこよう」
「楽しみにしています」
その後、二人はしばらく話し込んでいたが、
「そろそろ戻らないと」
と尚宮が立ちあがろうとした。
「そうだね」
岐城君も立ち上がった。
別れの挨拶を交わした後、二人はそれぞれの方角に去って行った。
別殿に戻った侍中(朴尚宮)は自室に戻って着替えた後、王妃のもとへ行った。
「遅くなりました、今日は師傅から茶葉をいただきました」
と言いながら王妃に小壷を渡した。
「良い香りだ」
壺の蓋を開けた王妃が呟いた。そして
「さっそく淹れてみよう」
と侍女に小壷を渡した。侍女は立ち上がり部屋を出た。
「私自身は師傅が手ずから淹れて下さったお茶をいただきました。すっきりした味わいでした」
「そうか、そうか」
「師傅はたいそうなお茶好きとのことです」
「この国の者はお茶好きが多いな」
先ほど茶を淹れに立った侍女が戻って来て、碗にお茶を注ぎ王妃の前に出した。
茶碗を手に取り、一口含んだ王妃は
「美味じゃ、他の者にも」
と言って侍中の同僚たちにも茶を勧めるのだった。
「岐城さま、おかえりなさい」
門前で遊んでいた吉祥が、いつものように声を掛けた。
「ただいま」
岐城君は応えながら吉祥を伴って屋敷内に入って行った。
「おかえりなさいませ」
吉祥の父親を始めとして他の使用人たちも出迎えた。
「ただいま」
こう応じて岐城君は一人自室へ入った。
壁に掛けられた亡き妻の絵姿が彼を出迎える。
「ただいま、姫君。今日も朴尚宮に会ったよ。彼女は本当は君のような気がしてならないんだよ」
絵姿に向かって彼はこう語りかけるのだった。
朝食を済ませ屋敷を出る時も上機嫌だった。
「岐城さま、何かあったのかしら?」
屋敷の使用人女性“吉祥の母さん”が言うと
「さあな、だが、姫さまが亡くなって以来ずっと淋しげだったことを思うといいことだよ」
と彼女の夫が嬉しそうに応じた。
使用人たちにとって主人が悲しそうな顔をしているよりは楽しげにしている方が気分が良いのだった。
施薬院に着くと岐城君はいつも通り仕事を始めたが、その様子はどこか明るさを感じられた。
「岐城さま、今日はずいぶん楽しそうだな」
「ああ、何かいいことでもあったのかな」
職員たちは口々に呟いた。
退勤時間が来ると岐城君は
「今日はここまでだ。急ぎの件はないのだから、後は明日だ」
と言いながら皆に帰るよう促した。そして自身も早々に退出した。
彼は急足で王宮を出ると森に向かった。その人に一刻も早く会いたかったのだ。
森に入り奥まで進んで行くと人影が見えた。
女官姿の女性だった。
「朴尚宮!」
声を掛けると相手は
「岐城さま」
と笑顔で応じた。
「今日も正妃様のところか、それとも師傅のところか」
「はい、師傅から詩の添削を受けました。それとお茶をいただきました」
こう答えながら尚宮はお茶の小壷を見せた。
二人は大樹の下に座った。
「師傅はね、昔からお茶大好きなんだ。木槿国だけじゃなく、唐土や扶桑国のお茶にも詳しく、お茶に関するあらゆる書物に目を通しているらしい」
「そうなのですか」
尚宮が感心すると岐城君は話を続けた。
「それでね、珍しい茶葉を得るためなら夫人を質に入れても構わないなんておっしゃるんだ」
「まぁ!」
尚宮が声を立てて笑うと岐城君もつられて笑った。
「それゆえ、師傅は茶詩をたくさん詠み、それらをまとめた詩集も出したんだ。今度、持ってこよう」
「楽しみにしています」
その後、二人はしばらく話し込んでいたが、
「そろそろ戻らないと」
と尚宮が立ちあがろうとした。
「そうだね」
岐城君も立ち上がった。
別れの挨拶を交わした後、二人はそれぞれの方角に去って行った。
別殿に戻った侍中(朴尚宮)は自室に戻って着替えた後、王妃のもとへ行った。
「遅くなりました、今日は師傅から茶葉をいただきました」
と言いながら王妃に小壷を渡した。
「良い香りだ」
壺の蓋を開けた王妃が呟いた。そして
「さっそく淹れてみよう」
と侍女に小壷を渡した。侍女は立ち上がり部屋を出た。
「私自身は師傅が手ずから淹れて下さったお茶をいただきました。すっきりした味わいでした」
「そうか、そうか」
「師傅はたいそうなお茶好きとのことです」
「この国の者はお茶好きが多いな」
先ほど茶を淹れに立った侍女が戻って来て、碗にお茶を注ぎ王妃の前に出した。
茶碗を手に取り、一口含んだ王妃は
「美味じゃ、他の者にも」
と言って侍中の同僚たちにも茶を勧めるのだった。
「岐城さま、おかえりなさい」
門前で遊んでいた吉祥が、いつものように声を掛けた。
「ただいま」
岐城君は応えながら吉祥を伴って屋敷内に入って行った。
「おかえりなさいませ」
吉祥の父親を始めとして他の使用人たちも出迎えた。
「ただいま」
こう応じて岐城君は一人自室へ入った。
壁に掛けられた亡き妻の絵姿が彼を出迎える。
「ただいま、姫君。今日も朴尚宮に会ったよ。彼女は本当は君のような気がしてならないんだよ」
絵姿に向かって彼はこう語りかけるのだった。
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