19 / 37
十九
しおりを挟む
爽やかな気分で目覚めた岐城君は身支度を始めた。使用人を大幅に減らしたため、朝の身支度等々は彼自身でしている。今日はいつになく念入りである。朝食を運んで来た侍女に「(服装や髪型で)おかしいところはないか?」と聞くほどだった。
朝食を済ませ屋敷を出る時も上機嫌だった。
「岐城さま、何かあったのかしら?」
屋敷の使用人女性“吉祥の母さん”が言うと
「さあな、だが、姫さまが亡くなって以来ずっと淋しげだったことを思うといいことだよ」
と彼女の夫が嬉しそうに応じた。
使用人たちにとって主人が悲しそうな顔をしているよりは楽しげにしている方が気分が良いのだった。
施薬院に着くと岐城君はいつも通り仕事を始めたが、その様子はどこか明るさを感じられた。
「岐城さま、今日はずいぶん楽しそうだな」
「ああ、何かいいことでもあったのかな」
職員たちは口々に呟いた。
退勤時間が来ると岐城君は
「今日はここまでだ。急ぎの件はないのだから、後は明日だ」
と言いながら皆に帰るよう促した。そして自身も早々に退出した。
彼は急足で王宮を出ると森に向かった。その人に一刻も早く会いたかったのだ。
森に入り奥まで進んで行くと人影が見えた。
女官姿の女性だった。
「朴尚宮!」
声を掛けると相手は
「岐城さま」
と笑顔で応じた。
「今日も正妃様のところか、それとも師傅のところか」
「はい、師傅から詩の添削を受けました。それとお茶をいただきました」
こう答えながら尚宮はお茶の小壷を見せた。
二人は大樹の下に座った。
「師傅はね、昔からお茶大好きなんだ。木槿国だけじゃなく、唐土や扶桑国のお茶にも詳しく、お茶に関するあらゆる書物に目を通しているらしい」
「そうなのですか」
尚宮が感心すると岐城君は話を続けた。
「それでね、珍しい茶葉を得るためなら夫人を質に入れても構わないなんておっしゃるんだ」
「まぁ!」
尚宮が声を立てて笑うと岐城君もつられて笑った。
「それゆえ、師傅は茶詩をたくさん詠み、それらをまとめた詩集も出したんだ。今度、持ってこよう」
「楽しみにしています」
その後、二人はしばらく話し込んでいたが、
「そろそろ戻らないと」
と尚宮が立ちあがろうとした。
「そうだね」
岐城君も立ち上がった。
別れの挨拶を交わした後、二人はそれぞれの方角に去って行った。
別殿に戻った侍中(朴尚宮)は自室に戻って着替えた後、王妃のもとへ行った。
「遅くなりました、今日は師傅から茶葉をいただきました」
と言いながら王妃に小壷を渡した。
「良い香りだ」
壺の蓋を開けた王妃が呟いた。そして
「さっそく淹れてみよう」
と侍女に小壷を渡した。侍女は立ち上がり部屋を出た。
「私自身は師傅が手ずから淹れて下さったお茶をいただきました。すっきりした味わいでした」
「そうか、そうか」
「師傅はたいそうなお茶好きとのことです」
「この国の者はお茶好きが多いな」
先ほど茶を淹れに立った侍女が戻って来て、碗にお茶を注ぎ王妃の前に出した。
茶碗を手に取り、一口含んだ王妃は
「美味じゃ、他の者にも」
と言って侍中の同僚たちにも茶を勧めるのだった。
「岐城さま、おかえりなさい」
門前で遊んでいた吉祥が、いつものように声を掛けた。
「ただいま」
岐城君は応えながら吉祥を伴って屋敷内に入って行った。
「おかえりなさいませ」
吉祥の父親を始めとして他の使用人たちも出迎えた。
「ただいま」
こう応じて岐城君は一人自室へ入った。
壁に掛けられた亡き妻の絵姿が彼を出迎える。
「ただいま、姫君。今日も朴尚宮に会ったよ。彼女は本当は君のような気がしてならないんだよ」
絵姿に向かって彼はこう語りかけるのだった。
朝食を済ませ屋敷を出る時も上機嫌だった。
「岐城さま、何かあったのかしら?」
屋敷の使用人女性“吉祥の母さん”が言うと
「さあな、だが、姫さまが亡くなって以来ずっと淋しげだったことを思うといいことだよ」
と彼女の夫が嬉しそうに応じた。
使用人たちにとって主人が悲しそうな顔をしているよりは楽しげにしている方が気分が良いのだった。
施薬院に着くと岐城君はいつも通り仕事を始めたが、その様子はどこか明るさを感じられた。
「岐城さま、今日はずいぶん楽しそうだな」
「ああ、何かいいことでもあったのかな」
職員たちは口々に呟いた。
退勤時間が来ると岐城君は
「今日はここまでだ。急ぎの件はないのだから、後は明日だ」
と言いながら皆に帰るよう促した。そして自身も早々に退出した。
彼は急足で王宮を出ると森に向かった。その人に一刻も早く会いたかったのだ。
森に入り奥まで進んで行くと人影が見えた。
女官姿の女性だった。
「朴尚宮!」
声を掛けると相手は
「岐城さま」
と笑顔で応じた。
「今日も正妃様のところか、それとも師傅のところか」
「はい、師傅から詩の添削を受けました。それとお茶をいただきました」
こう答えながら尚宮はお茶の小壷を見せた。
二人は大樹の下に座った。
「師傅はね、昔からお茶大好きなんだ。木槿国だけじゃなく、唐土や扶桑国のお茶にも詳しく、お茶に関するあらゆる書物に目を通しているらしい」
「そうなのですか」
尚宮が感心すると岐城君は話を続けた。
「それでね、珍しい茶葉を得るためなら夫人を質に入れても構わないなんておっしゃるんだ」
「まぁ!」
尚宮が声を立てて笑うと岐城君もつられて笑った。
「それゆえ、師傅は茶詩をたくさん詠み、それらをまとめた詩集も出したんだ。今度、持ってこよう」
「楽しみにしています」
その後、二人はしばらく話し込んでいたが、
「そろそろ戻らないと」
と尚宮が立ちあがろうとした。
「そうだね」
岐城君も立ち上がった。
別れの挨拶を交わした後、二人はそれぞれの方角に去って行った。
別殿に戻った侍中(朴尚宮)は自室に戻って着替えた後、王妃のもとへ行った。
「遅くなりました、今日は師傅から茶葉をいただきました」
と言いながら王妃に小壷を渡した。
「良い香りだ」
壺の蓋を開けた王妃が呟いた。そして
「さっそく淹れてみよう」
と侍女に小壷を渡した。侍女は立ち上がり部屋を出た。
「私自身は師傅が手ずから淹れて下さったお茶をいただきました。すっきりした味わいでした」
「そうか、そうか」
「師傅はたいそうなお茶好きとのことです」
「この国の者はお茶好きが多いな」
先ほど茶を淹れに立った侍女が戻って来て、碗にお茶を注ぎ王妃の前に出した。
茶碗を手に取り、一口含んだ王妃は
「美味じゃ、他の者にも」
と言って侍中の同僚たちにも茶を勧めるのだった。
「岐城さま、おかえりなさい」
門前で遊んでいた吉祥が、いつものように声を掛けた。
「ただいま」
岐城君は応えながら吉祥を伴って屋敷内に入って行った。
「おかえりなさいませ」
吉祥の父親を始めとして他の使用人たちも出迎えた。
「ただいま」
こう応じて岐城君は一人自室へ入った。
壁に掛けられた亡き妻の絵姿が彼を出迎える。
「ただいま、姫君。今日も朴尚宮に会ったよ。彼女は本当は君のような気がしてならないんだよ」
絵姿に向かって彼はこう語りかけるのだった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
仕合せ屋捕物控
綿涙粉緒
歴史・時代
「蕎麦しかできやせんが、よございますか?」
お江戸永代橋の袂。
草木も眠り、屋の棟も三寸下がろうかという刻限に夜な夜な店を出す屋台の蕎麦屋が一つ。
「仕合せ屋」なんぞという、どうにも優しい名の付いたその蕎麦屋には一人の親父と看板娘が働いていた。
ある寒い夜の事。
そばの香りに誘われて、ふらりと訪れた侍が一人。
お江戸の冷たい夜気とともに厄介ごとを持ち込んできた。
冷たい風の吹き荒れるその厄介ごとに蕎麦屋の親子とその侍で立ち向かう。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
戦争はただ冷酷に
航空戦艦信濃
歴史・時代
1900年代、日露戦争の英雄達によって帝国陸海軍の教育は大きな変革を遂げた。戦術だけでなく戦略的な視点で、すべては偉大なる皇国の為に、徹底的に敵を叩き潰すための教育が行われた。その為なら、武士道を捨てることだって厭わない…
1931年、満州の荒野からこの教育の成果が世界に示される。
我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~
華研えねこ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。
一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。
二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。
三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。
四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。
五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。
六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。
そして、1907年7月30日のことである。
江戸時代改装計画
華研えねこ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。
「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」
頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。
ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。
(何故だ、どうしてこうなった……!!)
自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。
トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。
・アメリカ合衆国は満州国を承認
・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲
・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認
・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い
・アメリカ合衆国の軍備縮小
・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃
・アメリカ合衆国の移民法の撤廃
・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと
確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる