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十六
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岐城君は一人きりの生活にもだいぶ慣れた。一人といっても、吉祥一家を始めとする少ないが下働きの者たちは屋敷にいるし、異母兄の王も時々訪ねてくれる。施薬院の部下たちは彼を頼りにしてくれ、驚いたことにかつてこの屋敷で働いていた者たちが時々訪ねて来るのである。
「お前たちは自由の身なのだから、このような物を持って来る必要はないんだよ」
と言っても彼らは、自分の畑で採れた野菜やら穀物、行商人になった者は地方の名産品を持って来る。皆、「岐城さまのおかげで良い暮らしが出来るようになったのだから」と口を揃えて言うのだった。
今の彼は孤独でも寂しくもないのである。ただ、姫君のことを思うと心が痛むのだった。
「森の中にいた彼女、あの娘は姫の化身なのかも知れない」
一瞬、こう思ったが「馬鹿らしい、そのようなことなどあるわけないじゃないか」とすぐに打ち消した。
翌日、仕事を終えた岐城君は書類を届けに内医院に向かった。
ふと中庭をみると高齢の官吏が宮女と立ち話をしているのが見えた。
老人は彼が宗学(王族子弟たちを対象とした教育機関)で学んでいた時の師傅で宮女は何と森で出会った娘だった。
まもなく宮女が立ち去ったので岐城君は師傅のもとへ走って行った。
「師傅(せんせい)、お久しぶりです」
岐城君が声を掛けると
「岐城さま」
と老人は嬉しそうに応えた。
伴侶を亡くしすっかり落ち込んでいた愛弟子が元気を取り戻した姿を見て安心したのであった。思えば、この教え子の少年時代は気の毒だったなぁと師傅はふと回想した。
母親の身分が低かったためか、幼い頃から万事控えめで何事も自分から言い出すことはなかった。利発で性格もよかったので、本来ならばそれなりに人々から評価されてもいいのだが、本人が目立たぬようにしているため存在すら忘れられた身の上になった。そのため、母親が亡くなってからは、気に掛けてくれる者もほとんどなくなり寂しい生活を送っていた。父親である先王と兄である現国王はそんな彼を気遣っていたが、十分とはいえなかった。彼が前宰相の孫娘と結婚し、前宰相夫妻と文字通り家族のように過ごすようになったことを知った時、師傅も心から喜んだのだった。
二人は暫く近況を伝えあった後、
「ところで今の女性は誰ですか?」
と一番知りたかったことを訊ねた。
「別殿の宮女で朴尚宮というんですよ。第二王妃の腹心のような女人でとても優秀です。今日も別殿さまや側仕えの宮女たちが詠んだ詩の添削を依頼されたところです。曼珠国から輿入れした王妃に従ってきた侍女たちは皆、相応の家柄で才色兼備揃いだ。あの朴尚宮も宰相家の令嬢で木槿国語も堪能ですよ。曼珠皇帝が我が木槿国を尊重している証拠でしょう。南方の蛮国の王家には庶民の娘を王室の養女にして嫁がせているらしいが我が王には皇室の娘を嫁がせたのですから」
師傅は誇らしげに説明するのだった。
帰宅途中、岐城君は王宮の外側から例の森に入っていった。ひょっとすると朴尚宮に会えるのではないかと期待をしたのだった。
「お前たちは自由の身なのだから、このような物を持って来る必要はないんだよ」
と言っても彼らは、自分の畑で採れた野菜やら穀物、行商人になった者は地方の名産品を持って来る。皆、「岐城さまのおかげで良い暮らしが出来るようになったのだから」と口を揃えて言うのだった。
今の彼は孤独でも寂しくもないのである。ただ、姫君のことを思うと心が痛むのだった。
「森の中にいた彼女、あの娘は姫の化身なのかも知れない」
一瞬、こう思ったが「馬鹿らしい、そのようなことなどあるわけないじゃないか」とすぐに打ち消した。
翌日、仕事を終えた岐城君は書類を届けに内医院に向かった。
ふと中庭をみると高齢の官吏が宮女と立ち話をしているのが見えた。
老人は彼が宗学(王族子弟たちを対象とした教育機関)で学んでいた時の師傅で宮女は何と森で出会った娘だった。
まもなく宮女が立ち去ったので岐城君は師傅のもとへ走って行った。
「師傅(せんせい)、お久しぶりです」
岐城君が声を掛けると
「岐城さま」
と老人は嬉しそうに応えた。
伴侶を亡くしすっかり落ち込んでいた愛弟子が元気を取り戻した姿を見て安心したのであった。思えば、この教え子の少年時代は気の毒だったなぁと師傅はふと回想した。
母親の身分が低かったためか、幼い頃から万事控えめで何事も自分から言い出すことはなかった。利発で性格もよかったので、本来ならばそれなりに人々から評価されてもいいのだが、本人が目立たぬようにしているため存在すら忘れられた身の上になった。そのため、母親が亡くなってからは、気に掛けてくれる者もほとんどなくなり寂しい生活を送っていた。父親である先王と兄である現国王はそんな彼を気遣っていたが、十分とはいえなかった。彼が前宰相の孫娘と結婚し、前宰相夫妻と文字通り家族のように過ごすようになったことを知った時、師傅も心から喜んだのだった。
二人は暫く近況を伝えあった後、
「ところで今の女性は誰ですか?」
と一番知りたかったことを訊ねた。
「別殿の宮女で朴尚宮というんですよ。第二王妃の腹心のような女人でとても優秀です。今日も別殿さまや側仕えの宮女たちが詠んだ詩の添削を依頼されたところです。曼珠国から輿入れした王妃に従ってきた侍女たちは皆、相応の家柄で才色兼備揃いだ。あの朴尚宮も宰相家の令嬢で木槿国語も堪能ですよ。曼珠皇帝が我が木槿国を尊重している証拠でしょう。南方の蛮国の王家には庶民の娘を王室の養女にして嫁がせているらしいが我が王には皇室の娘を嫁がせたのですから」
師傅は誇らしげに説明するのだった。
帰宅途中、岐城君は王宮の外側から例の森に入っていった。ひょっとすると朴尚宮に会えるのではないかと期待をしたのだった。
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