密会の森で

鶏林書笈

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十一

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 帰宅すると今日も客が来ていた。
 結婚後、岐城君の屋敷には毎日のように人が来るようになった。もっとも三人に過ぎないのだが。それでも以前は訪れる人など殆ど無かったのだから大賑わい(?!)である。
「今日はどなただろうか‥。大監夫妻かな」
 妻の祖父母である前宰相夫妻は、岐城君が出仕し始めるとさっそく孫の様子見に訪ねて来た。彼の屋敷の使用人の大半が宰相家から来た者たちなので、自分の家のような気安さがあるのだろう。 遅くまで居て夕食を共にすることもしばしばだった。食事は先方持ちなので岐城君には経済的な負担はなかった。
「或いはー」
 彼の異母兄である国王だ。
 主上が異母弟の屋敷を訪れるようになったのには理由があった。
 結婚して暫く経った頃、王は彼を食事に招いた。岐城君としては早く帰宅して妻の側に居たいのだが“王命”とあっては断れなかった。
 王宮奥の異母兄の書斎には時々来ることがあった。久しぶりに訪れた書斎の庭は相変わらず手入れが行き届いていた。
「最近、見ていないが元気そうだな」
 部屋に入った異母弟を嬉しそうに王は迎えた。
 王の前にはたくさんのご馳走が並んだ膳と香りの良い酒が用意されていた。
 岐城君を座らせると王自ら酒を注いでやった。
「これと同じものを汝の屋敷にも贈った。汝の細君(妻のこと)も今頃は食しているだろう」
 王は笑顔で異母弟に酒を勧める。
 酒杯を交わした後、王は近況についてあれこれ尋ねた。答える異母弟の表情が明るいのをみて王は、今回の縁組が成功したことを知りとても喜んだ。
 日が傾き始めた頃、岐城君は暇乞いをしたが、王は
「まだよいではないか、今宵は十六夜月ゆえ、共に愛でようではないか」
と引き留めた。
 食事の膳が片づけられるを酒肴が運ばれてきた。窓の外に浮かぶ月を見ながら二人は杯を傾けながら詩の応酬をした。
「子供の頃、時々、こうして月見をしたなぁ」
 王が懐かしそうに言うと
「そうですね」
と岐城君も感慨深げに応じた。
 夜が更けた頃、岐城君はようやく王の書斎を出た。
 王宮の門を出ると、従者と下男が
「岐城さま」
と呼びながら駆け寄ってきた。
「姫さまが大変なのです。お急ぎ下さい」
 岐城君の屋敷の者は主人の奥方を主人に倣って‘姫さま’と呼んでいた。
 屋敷の者に急かせられながら、彼は文字通り駆けていった。
 自宅前に着くと門前で小尚宮が待ち構えていて
「岐城さま、早くいらして」
と実際に袖を引っ張るような勢いで主人を屋内に連れていく。
 部屋の戸を開けると大尚宮の膝に伏して泣いていた妻が、岐城君の這ってきた。
 彼が妻を抱き上げると大尚宮が
「岐城さまが帰ってこないので、ずっと泣き続けていたのですよ」
と困ったような口調で言った。
「王宮から届いた御馳走も全く召し上がらないで…」
 後に控えていた小尚宮が言葉を継いだ。
「そうなのか」
 岐城君は姫君を抱きしめた。
 自分をこれほど慕ってくれる人間は母親が亡くなって以来誰もいなかった。
 彼は妻を膳の前に座らせると
「姫君、お腹が空いたでしょう。わたくしめが給仕いたしましょう」
とおどけた調子で言った。そして、小尚宮に着替えを持って来させて、その場で着替えた。
「さて、どれにいたしましょう」
 妻の脇に座った岐城君は、膳の食べ物を皿にとっては妻の口に運んだ。
 姫君は笑顔でそれらを食べた。大尚宮、小尚宮を始めとした側仕え、下働きの者たちは安堵の表情を浮かべたのだった。
 食事を済ませ、床についた妻の脇で岐城君は、
「これからは、仕事が終わったら、たとえ王命があろうとも、すぐに家に戻ろう。それが出来ないようなら、もう宮仕えなど辞めるよ」
と言いながら上掛けを直してやった。
 その後、岐城君は、勤務が終わるや否や、すぐに施薬院を出た。そして一目散に帰宅した。
 暫くしたある日、いつものように帰宅すると、門の前で小尚宮が待っていた。
「どうしたのだ?」
「大変な方がお見えなのです、早くお部屋の方に」
 小尚宮に促されて書斎に行くと
「最近、汝と会えないので屋敷の方に来たのだ」
 窓から庭を眺めながらこう言ったのは
「主上」
 岐城君の異母兄の王だった。
 その場で平伏す異母弟を王は腰を下ろしながら、顔を上げさせた。
「政務を少しづつ世子に任せることにしたので暇が出来たのだ。これからは、汝のところにも来やすくなった」
 言葉の通り、王はその後、岐城君の屋敷にたびたび姿を見せるようになった。
 ある日、岐城君が妻と書斎で過ごしていると、突然、部屋の戸が開いた。
「仲が良くて結構なことだ」
「主上!」
 岐城君が声を上げ、妻は夫の背中にしがみついた。
「この方は私の兄上だ。怖がらなくていいんだよ」
 怯えている妻に岐城君は肩を抱きながら声を掛ける。
「見知らぬ男には顔を見せない。女人としてよい心掛けだ」
 王は冗談めいた口調で言った。岐城君は口では「申し訳ございません」と言ったが、内心、王に笑顔を見せなくて嬉しかった。
―姫の笑顔は私たち~自分と宰相夫妻そして侍女二人~だけのものだ。たとえ国王で兄だといっても他の男には見せたくない。
 姫君には自分以外の‘男’は夫である自分以外必要ないのだと岐城君は思うのだった。
 
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