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母親が言うように木槿国は文明国であり君子の国だった。
国境を越えた途端、山水画のような風景が繰り広げられ毎日、目を楽しませてくれた。宿所も食事も道中と思えないほど上等だった。
「侍中、木槿国は良い所みたいね」
昼食を摂りながら王妃は側に控える彼女に言った。
“侍中”と呼ばれているが正規にその職位についている訳ではない。訳官代わりに常に控えている彼女を王妃が戯れにそう呼んだのが、そのまま彼女の呼び名になったのである。
「仰せの通りにございます」
その後、少し行くと京師に入り中原の街並みが現れた。といっても一行は皆、実際に中原の街など見たことがないが、物語や人伝てに聴いたものと同じように思われたのである。
ようやくたどり着いた王宮はとても立派だった。彼らの宗主国である曼珠の王宮は振興国のため、まだこれほど洗練されていなかった。
出迎えた国王を始め、大臣たちの服装も中原を思わせるような立派で威儀のあるものだった。
木槿国風の衣装を身に付けた女官によって一行は、これから住むことになる別殿に案内されたが、これまでとは異なった空気を感じた。この時はそれが何なのか分からなかった。
「お待ちしていました、王妃様」
出迎えた侍女の第一声は見事な曼珠国語だった。彼女を含めた王妃の身近な世話をする侍女たちは皆、曼珠国語が堪能だった。国王が気遣って言葉の出来る娘を手配してくれたのだろう、さすがは君子の国だけあるとその時は皆感心した。
その後、王妃と随行の侍女たちはそれぞれの居室に通された。
王妃の居室はもちろんのこと、随行の侍女たちの部屋も品良く設えてあった。
「とても素敵な部屋ね」
皆、口々に称賛するなか、侍中の耳に不快な言葉が飛び込んできた。
“所詮、蛮族なのよね”
“調度品見て大騒ぎしちゃって”
“かの国って皆、粗末な幕屋に住んでるんでしょ”
木槿国の侍女たちが密やかに笑いながら囁く。
―表面では宗主国を尊重しているように見せながら内心では馬鹿にしているのか‥。
侍中は母親がよく口にしていたことを思い出す。
“ここは野卑で嫌だわ”
“こんな処で生きていかなければならないなんて、何て不幸なのでしょう”
母親は曼珠国を野蛮な処だといって嫌っていた。文明国で生まれ育ったのに、蛮族の地に連れて来られ、蛮族の妾になった自身の身の上をいつも嘆いていた。
第二王妃には特にすべきことは無かった。毎朝、ご機嫌伺いに来る国王を迎えるのが今のところ唯一の“仕事”だろう。
国王には既に正妃を始め側室が何人もいた。正妃との仲もとても良かった。それゆえ、王妃の“出る幕”など全くないのだが、国と国との都合でこの国に嫁ぐことになってしまったのだ。よくある話である。
当初、王妃一行は宮殿内を散策して一日を過ごした。広い別殿内の庭はよく手入れされていて彼女たちを楽しませてくれた。
しかし、まもなくこれだけでは物足りなくなった。
「今日はお天気が良いので毽子(羽根蹴り)をしましょう」
王妃の提案に侍中たちは歓声を上げた。曼珠国では毽子がさかんだ。老若男女、身分の貴賎を問わず人々は毽子を楽しんだ。侍中も子供の頃、屋敷の庭で親族の子供たちとよく遊んだものである。
中庭に出た王妃たちは声を掛け合いながら羽根を蹴り上げた。賑やかで楽しげな光景を遠巻きに見ていた木槿国の人々視線は冷たかった。
素早くこれを感じた侍中はその理由を探った。
この国で毽子は、男性のみが行う遊びで女性たちはやらないのだった。
侍中はすぐに王妃にこのことを告げた。
「そうなの、ならば、この国の婦女たちは何をして遊ぶのかしら」
王妃の問いに侍中は答えた。
「鞦韆(ブランコ)や板跳びをするようです。以前、母が申しておりました」
「鞦韆か‥、いいわね! それと板跳びっていうのはどんなものなの?」
侍中は母親が言っていた通りに説明した。
「面白そうね、明日はそれをやってみましょう」
翌日、中庭に板跳びが作られ、まず侍中と彼女の同僚がやってみせた。その後、王妃が侍中と共にやった。
「簡単そうに見えて意外と難しいのね」
と言いつつも王妃はもちろんのこと他の侍女たちも歓声を上げながら板の上で跳んだのだった。
次の日は鞦韆乗りを楽しんだ。
「木槿国の遊びって結構楽しいわね」
王妃も侍女たちも鞦韆と板跳びがすっかり気に入って天気の良い日は毎日のように楽しんだ。
こうした様子を木槿国の宮女や内侍(宦官)たちは冷ややかに見ていた。
「端午でもないのに鞦韆やら板跳びなんかして」
「ホント、いい年齢して見っともない」
「やっぱり蛮族だから慎みがないのよね」
言葉が通じないことをいいことに言いたい放題だった。
侍中は王妃に、彼女たちの言葉通りに伝えるのは憚れたので婉曲に王妃に申し上げた。
「そうか、少し子供じみていたかも知れぬ。では君子の遊戯“投壺”でもしようか」
投壺とは文字通り、壺に矢を投げ入れる遊びである。曼珠国では上流階級の人々の間で行なわれている。
「そうだ、今回は木槿国の者たちも誘って一緒にやろうではないか」
王妃はこう言ったので、翌日、侍中は宮女や内侍たちを誘ってみた。
当然、断られたのだが、この時、彼女は木槿国語を使ったのである。
「尚宮さまは木槿国の言葉を御存じだったのですか」
声を掛けた者は一様に驚いた。
―そういえば、ここに来てから木槿国の言葉は全く使わなかったな。
彼女は自分の本来の役目をほとんど果たしていないことに苦笑した。そして、彼女たちの間では、自分が尚宮と呼ばれているのを知ったのだった。
国境を越えた途端、山水画のような風景が繰り広げられ毎日、目を楽しませてくれた。宿所も食事も道中と思えないほど上等だった。
「侍中、木槿国は良い所みたいね」
昼食を摂りながら王妃は側に控える彼女に言った。
“侍中”と呼ばれているが正規にその職位についている訳ではない。訳官代わりに常に控えている彼女を王妃が戯れにそう呼んだのが、そのまま彼女の呼び名になったのである。
「仰せの通りにございます」
その後、少し行くと京師に入り中原の街並みが現れた。といっても一行は皆、実際に中原の街など見たことがないが、物語や人伝てに聴いたものと同じように思われたのである。
ようやくたどり着いた王宮はとても立派だった。彼らの宗主国である曼珠の王宮は振興国のため、まだこれほど洗練されていなかった。
出迎えた国王を始め、大臣たちの服装も中原を思わせるような立派で威儀のあるものだった。
木槿国風の衣装を身に付けた女官によって一行は、これから住むことになる別殿に案内されたが、これまでとは異なった空気を感じた。この時はそれが何なのか分からなかった。
「お待ちしていました、王妃様」
出迎えた侍女の第一声は見事な曼珠国語だった。彼女を含めた王妃の身近な世話をする侍女たちは皆、曼珠国語が堪能だった。国王が気遣って言葉の出来る娘を手配してくれたのだろう、さすがは君子の国だけあるとその時は皆感心した。
その後、王妃と随行の侍女たちはそれぞれの居室に通された。
王妃の居室はもちろんのこと、随行の侍女たちの部屋も品良く設えてあった。
「とても素敵な部屋ね」
皆、口々に称賛するなか、侍中の耳に不快な言葉が飛び込んできた。
“所詮、蛮族なのよね”
“調度品見て大騒ぎしちゃって”
“かの国って皆、粗末な幕屋に住んでるんでしょ”
木槿国の侍女たちが密やかに笑いながら囁く。
―表面では宗主国を尊重しているように見せながら内心では馬鹿にしているのか‥。
侍中は母親がよく口にしていたことを思い出す。
“ここは野卑で嫌だわ”
“こんな処で生きていかなければならないなんて、何て不幸なのでしょう”
母親は曼珠国を野蛮な処だといって嫌っていた。文明国で生まれ育ったのに、蛮族の地に連れて来られ、蛮族の妾になった自身の身の上をいつも嘆いていた。
第二王妃には特にすべきことは無かった。毎朝、ご機嫌伺いに来る国王を迎えるのが今のところ唯一の“仕事”だろう。
国王には既に正妃を始め側室が何人もいた。正妃との仲もとても良かった。それゆえ、王妃の“出る幕”など全くないのだが、国と国との都合でこの国に嫁ぐことになってしまったのだ。よくある話である。
当初、王妃一行は宮殿内を散策して一日を過ごした。広い別殿内の庭はよく手入れされていて彼女たちを楽しませてくれた。
しかし、まもなくこれだけでは物足りなくなった。
「今日はお天気が良いので毽子(羽根蹴り)をしましょう」
王妃の提案に侍中たちは歓声を上げた。曼珠国では毽子がさかんだ。老若男女、身分の貴賎を問わず人々は毽子を楽しんだ。侍中も子供の頃、屋敷の庭で親族の子供たちとよく遊んだものである。
中庭に出た王妃たちは声を掛け合いながら羽根を蹴り上げた。賑やかで楽しげな光景を遠巻きに見ていた木槿国の人々視線は冷たかった。
素早くこれを感じた侍中はその理由を探った。
この国で毽子は、男性のみが行う遊びで女性たちはやらないのだった。
侍中はすぐに王妃にこのことを告げた。
「そうなの、ならば、この国の婦女たちは何をして遊ぶのかしら」
王妃の問いに侍中は答えた。
「鞦韆(ブランコ)や板跳びをするようです。以前、母が申しておりました」
「鞦韆か‥、いいわね! それと板跳びっていうのはどんなものなの?」
侍中は母親が言っていた通りに説明した。
「面白そうね、明日はそれをやってみましょう」
翌日、中庭に板跳びが作られ、まず侍中と彼女の同僚がやってみせた。その後、王妃が侍中と共にやった。
「簡単そうに見えて意外と難しいのね」
と言いつつも王妃はもちろんのこと他の侍女たちも歓声を上げながら板の上で跳んだのだった。
次の日は鞦韆乗りを楽しんだ。
「木槿国の遊びって結構楽しいわね」
王妃も侍女たちも鞦韆と板跳びがすっかり気に入って天気の良い日は毎日のように楽しんだ。
こうした様子を木槿国の宮女や内侍(宦官)たちは冷ややかに見ていた。
「端午でもないのに鞦韆やら板跳びなんかして」
「ホント、いい年齢して見っともない」
「やっぱり蛮族だから慎みがないのよね」
言葉が通じないことをいいことに言いたい放題だった。
侍中は王妃に、彼女たちの言葉通りに伝えるのは憚れたので婉曲に王妃に申し上げた。
「そうか、少し子供じみていたかも知れぬ。では君子の遊戯“投壺”でもしようか」
投壺とは文字通り、壺に矢を投げ入れる遊びである。曼珠国では上流階級の人々の間で行なわれている。
「そうだ、今回は木槿国の者たちも誘って一緒にやろうではないか」
王妃はこう言ったので、翌日、侍中は宮女や内侍たちを誘ってみた。
当然、断られたのだが、この時、彼女は木槿国語を使ったのである。
「尚宮さまは木槿国の言葉を御存じだったのですか」
声を掛けた者は一様に驚いた。
―そういえば、ここに来てから木槿国の言葉は全く使わなかったな。
彼女は自分の本来の役目をほとんど果たしていないことに苦笑した。そして、彼女たちの間では、自分が尚宮と呼ばれているのを知ったのだった。
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