箜篌のうた

鶏林書笈

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 初夏のある夜、月の光に誘われて子建は高殿に登った。
 都にいた頃なら、多くの友人を引き連れ、豪華な料理を並べ、都一番の音楽家を招いて当代最高の芸妓を舞わしたものだが、今は違う。
 鄙びたこの地で一人侘しく杯を傾けている。
 少年の頃、同母兄の子桓(曹丕)とは仲良く過ごしていた。父(曹操)主催の詩会では、兄弟ともにその詩を褒められたものだ。
 彼はずっと兄を敬愛していた。その気持ちは今も変わらない。彼に代わって王位に就こうとなど思ってもいない。
 なのに自分は中央から追われ、部下も友人も失くし、不遇をかこっている。
 独酌に飽きた頃、側に置いた琴を引き寄せた。
 まず弾いたのは「箜篌引」。都にいた頃よく奏した曲である。
 その後、数曲弾いた後、彼は旋律に乗せて自ら詩を作り詠じた。
  
  酒を置く高殿の上 親友 我に從いて遊ぶ。
  中廚 豐膳を辦え 羊を烹し肥牛を宰く。
  奏箏 何ぞ慷慨たる 齊瑟 和にして且つ柔なり
  陽阿 奇舞を奏し 京洛 名謳を出だす。
  飮を樂みて三爵を過ごし 帶を緩めて庶羞を傾く。
  主は稱す 千金の壽 賓は奉ず萬年の酬。
  久要は忘る可からず 薄終は義の尤むる所。
  謙謙たるは君子の德 磬折して何をか求めんと欲す。
  驚風 白日を飄えし 光景 馳せて西に流る。
  盛時 再びすべからず 百年 忽ち我に遒る。
  生存しては華屋に處り 零落しては山丘に歸る。
  先民 誰か死せざらん 命を知らば復た何をか憂えん
  置酒高殿上 親友從我遊  
  中廚辦豐膳 烹羊宰肥牛 
  奏箏何慷慨 齊瑟和且柔
  陽阿奏奇舞 京洛出名謳
  樂飮過三爵 緩帶傾庶羞  
  主稱千金壽 賓奉萬年酬 
  久要不可忘 薄終義所尤  
  謙謙君子德 磬折欲何求  
  驚風飄白日 光景馳西流  
  盛時不可再 百年忽我遒  
  生存華屋處 零落歸山丘  
  先民誰不死 知命復何憂  
 
 生前にどんなに贅沢な暮らしをしていても、死んでしまえば山に葬られるだけ。先人のうち死なぬ者など無かったではないか!だから憂いることなど何もないのだ。
 こう詠じながら子建は自身を慰めるのだった。
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