箜篌のうた

鶏林書笈

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 東漢・西河郡美稷県にある左賢王の屋敷の奥から琴の音に乗せて悲しげな女性の歌声が聞こえる。
  公無渡河,公竟渡河‥。
 声の主は、琴を爪弾きながら漢の地に暮らしていた少女時代を思い出していた。
 あれは確か春先のことだっただろうか、父・蔡琰のもとに友人が訪ねて来た。
「このところ見なかったが、どうしていたんだい?」
「実は朝鮮の方に出かけていたんだ」
 久しぶりに会った二人は話が弾み、時が経つのを忘れるほどだった。
 日が沈む頃、ようやく友人は帰って行った。
 父親は彼女に彼から聞いた話を教えてくれた。どの話も珍しく興味深いものだった。中でも特に惹きつけられたのは麗玉という女性が作った「箜篌引」という歌に関するものだった。
  公無渡河 公竟渡河 墮河而死 将奈公何
 父の友人が漢語訳した「箜篌引」の詩は素朴だが、そのもとになった白髪狂夫とその妻の物語は、いろいろ考えさせられた。その後、彼女へ暇さえあれば、琴を弾き哀調を帯びたこの歌を口ずさむようになった。
「昭姫どのは、やはり漢の地に帰りたいのだな」
 彼女の前に現れた人物が声を掛けた。
「左賢王さま」
 知らぬ間に部屋に来たこの邸の主人の姿を見た彼女はさっと琴を置き平伏そうとしたが、王はそれを止めた。そして
「今の歌はとても悲しげに聞こえるのだが望郷の歌か?」
と訊ねた。王は日常会話程度の漢語は分かるが歌はよく聞き取れなかった。
「いえ、昔の朝鮮の歌です」
と彼女は答え、詩の意味とこれにまつわる物語を教えた。
「実に意味深い話だな。もう一度最初から歌ってくれぬか」
「はい、仰せのままに」
 こう応えた彼女は傍に置いた琴を取ると爪弾き歌い始めた。
  公無渡河、 
  公竟渡河、
  墮河而死、
  将奈公何 
 王は澄みきった彼女の声に聞き入るのだった。
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