箜篌のうた

鶏林書笈

文字の大きさ
上 下
2 / 3

しおりを挟む
 東漢・西河郡美稷県にある左賢王の屋敷の奥から琴の音に乗せて悲しげな女性の歌声が聞こえる。
  公無渡河,公竟渡河‥。
 声の主は、琴を爪弾きながら漢の地に暮らしていた少女時代を思い出していた。
 あれは確か春先のことだっただろうか、父・蔡琰のもとに友人が訪ねて来た。
「このところ見なかったが、どうしていたんだい?」
「実は朝鮮の方に出かけていたんだ」
 久しぶりに会った二人は話が弾み、時が経つのを忘れるほどだった。
 日が沈む頃、ようやく友人は帰って行った。
 父親は彼女に彼から聞いた話を教えてくれた。どの話も珍しく興味深いものだった。中でも特に惹きつけられたのは麗玉という女性が作った「箜篌引」という歌に関するものだった。
  公無渡河 公竟渡河 墮河而死 将奈公何
 父の友人が漢語訳した「箜篌引」の詩は素朴だが、そのもとになった白髪狂夫とその妻の物語は、いろいろ考えさせられた。その後、彼女へ暇さえあれば、琴を弾き哀調を帯びたこの歌を口ずさむようになった。
「昭姫どのは、やはり漢の地に帰りたいのだな」
 彼女の前に現れた人物が声を掛けた。
「左賢王さま」
 知らぬ間に部屋に来たこの邸の主人の姿を見た彼女はさっと琴を置き平伏そうとしたが、王はそれを止めた。そして
「今の歌はとても悲しげに聞こえるのだが望郷の歌か?」
と訊ねた。王は日常会話程度の漢語は分かるが歌はよく聞き取れなかった。
「いえ、昔の朝鮮の歌です」
と彼女は答え、詩の意味とこれにまつわる物語を教えた。
「実に意味深い話だな。もう一度最初から歌ってくれぬか」
「はい、仰せのままに」
 こう応えた彼女は傍に置いた琴を取ると爪弾き歌い始めた。
  公無渡河、 
  公竟渡河、
  墮河而死、
  将奈公何 
 王は澄みきった彼女の声に聞き入るのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

散華の庭

ももちよろづ
歴史・時代
慶応四年、戊辰戦争の最中。 新選組 一番組長・沖田総司は、 患った肺病の療養の為、千駄ヶ谷の植木屋に身を寄せる。 戦線 復帰を望む沖田だが、 刻一刻と迫る死期が、彼の心に、暗い影を落とす。 その頃、副長・土方歳三は、 宇都宮で、新政府軍と戦っていた――。

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

海将・九鬼嘉隆の戦略

谷鋭二
歴史・時代
織田水軍にその人ありといわれた九鬼嘉隆の生涯です。あまり語られることのない、海の戦国史を語っていきたいと思います。

空母鳳炎奮戦記

ypaaaaaaa
歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。 というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!

けもの

夢人
歴史・時代
この時代子供が間引きされるのは当たり前だ。捨てる場所から拾ってくるものもいる。この子らはけものとして育てられる。けものが脱皮して忍者となる。さあけものの人生が始まる。

異聞・鎮西八郎為朝伝 ― 日本史上最強の武将・源為朝は、なんと九尾の狐・玉藻前の息子であった!

Evelyn
歴史・時代
 源氏の嫡流・源為義と美貌の白拍子の間に生まれた八郎為朝は、史記や三国志に描かれた項羽、呂布や関羽をも凌ぐ無敵の武将! その生い立ちと生涯は?  鳥羽院の寵姫となった母に捨てられ、父に疎まれながらも、誠実無比の傅役・重季、若き日の法然上人や崇徳院、更には信頼できる仲間らとの出会いを通じて逞しく成長。  京の都での大暴れの末に源家を勘当されるが、そんな逆境はふふんと笑い飛ばし、放逐された地・九州を平らげ、威勢を轟かす。  やがて保元の乱が勃発。古今無類の武勇を示すも、不運な敗戦を経て尚のこと心機一転。  英雄神さながらに自らを奮い立て、この世を乱す元凶である母・玉藻、実はあまたの国々を滅ぼした伝説の大妖・九尾の狐との最後の対決に挑む。  平安最末期、激動の時代を舞台に、清盛、義朝をはじめ、天皇、上皇、著名な公卿や武士、高僧など歴史上の重要人物も多数登場。  海賊衆や陰陽師も入り乱れ、絢爛豪華な冒険に満ちた半生記です。  もちろん鬼若(誰でしょう?)、時葉(これも誰? 実は史上の有名人!)、白縫姫など、豪傑、美女も続々現れますよ。  お楽しみに 😄

北宮純 ~祖国無き戦士~

水城洋臣
歴史・時代
 三国時代を統一によって終わらせた晋(西晋)は、八王の乱と呼ばれる内紛で内部から腐り、異民族である匈奴によって滅ぼされた。  そんな匈奴が漢王朝の正統後継を名乗って建国した漢(匈奴漢)もまた、僅か十年で崩壊の時を迎える。  そんな時代に、ただ戦場を駆けて死ぬ事を望みながらも、二つの王朝の滅亡を見届けた数奇な運命の将がいた。  その名は北宮純。  漢民族消滅の危機とまで言われた五胡十六国時代の始まりを告げる戦いを、そんな彼の視点から描く。

椿散る時

和之
歴史・時代
長州の女と新撰組隊士の恋に沖田の剣が決着をつける。

処理中です...