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杜門不出
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李成桂が朝鮮王朝を建てた時(1392年 日本では室町時代)、大半の人々は新王朝を支持しましたが、中には二君に仕えることを潔しとせず、世を捨て人里から離れて暮らす人々もいました。
こうした人々は、いくら失政続きの王朝といえども、それを正すのが臣下の役目であり、滅ぼすなどとんでもないことだったのでしょう。
杜門洞に暮らした72名の人々も門を閉ざし、二度と世に出ようとはしませんでした。
靖安君(後の太宗・朝鮮三代王)は、そんな彼らを見て自分たちに叛意を抱いていると考え、不快と恐れを抱いたかもしれません。
しかし、後世、杜門洞の人々の忠義心が高く評価され、英祖王は彼らの末裔を登用したそうです。
当初、筆者は「杜門不出」を中国の故事成語と思い、日本での使用例を調べてみましたがありませんでした。後日、韓国(朝鮮)オリジナルの故事成語であることを知りました。韓国では今でも日常的にこの言葉は使われています。北朝鮮の方は分かりません。筆者の知る限りではなかったように思います。
こうした人々は、いくら失政続きの王朝といえども、それを正すのが臣下の役目であり、滅ぼすなどとんでもないことだったのでしょう。
杜門洞に暮らした72名の人々も門を閉ざし、二度と世に出ようとはしませんでした。
靖安君(後の太宗・朝鮮三代王)は、そんな彼らを見て自分たちに叛意を抱いていると考え、不快と恐れを抱いたかもしれません。
しかし、後世、杜門洞の人々の忠義心が高く評価され、英祖王は彼らの末裔を登用したそうです。
当初、筆者は「杜門不出」を中国の故事成語と思い、日本での使用例を調べてみましたがありませんでした。後日、韓国(朝鮮)オリジナルの故事成語であることを知りました。韓国では今でも日常的にこの言葉は使われています。北朝鮮の方は分かりません。筆者の知る限りではなかったように思います。
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