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エピローグ ようこそ、むし屋へ

招きむしの進化

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「ま、ままままま、招きむしの卵が、その宝石の中にあるのか??」

 突然、目の色を変えた向尸井さんが、今度はずずいとほたるのパーソナルスペースにしっかりと割り込んできて、熱のこもった眼差しで胸元をガン見してきた。

 視線の圧が強すぎて、胸がムズ痒くなってくる。思わずほたるは後ずさり「ちょっと、いきなりなんなんですか?」と、ネックレスを手で覆い隠す。
 その手をがしっと掴む向尸井さん。

「おい、隠すな。目を皿にすれば、オレにだって卵が見えるかもしれないだろ!」
(ち、近い)

「てゆーか、向尸井さんはむし屋なのに、フローライトの中の招きむしの卵が見えないんですか?」

「むし屋だから、見えないんだ!」
 はあはあと、荒い息遣いの向尸井さんは、もはや変態だ。

「ああ、見てみたい。見たい、見た過ぎる」と、恍惚の表情まで浮かべて、完全にイッちゃったやばい人になっている。
 やれやれ、と、アキアカネさん。

「これだから、招きむしは、むし屋に見えないように進化したのさ」
「アキアカネさん、それ、どういう意味ですか?」

「珍しいむしを引き寄せる招きむしは、むし屋にとってダイヤモンドよりも価値があるんだ。だから、招きむしは卵から成虫まで、むし屋たちに乱獲されてきた。つまり、招きむしにとっての天敵はむし屋だったってわけ。得てして生き物というのは天敵から逃れるために進化するからね。招きむしもしかり。世代を重ねるうちに、むし屋の目を欺くのに特化した特殊なステルス層の殻で覆われた、突然変異個体が生まれてね。それはむし屋に掴まることなく大人になり命をつないだ。生まれた卵のいくつかが、ステルス層の殻を受け継ぎ、また、命をつなぐ。そうやって、ステルス層の殻で覆われた個体だけが生き残り、招きむしは、むし屋に見えなくなったというわけさ」
「おい!」と、向尸井さんがアキアカネさんを睨む。

「オレの招きむしへの愛は、ビジネス目的じゃないぞ。正真正銘の愛、LOVEだ。昆虫好きの少年が、アトラスオオカブトを一目見たいと憧れる気持ちと同じだ。ああ、この時ばかりは、自分がむし屋であることが煩わしい。招きむしさん、君は一体、どんな形をしていて、どんな特徴があるんだい? 古い文献にあるデッサンの造形も、まさに神の所業のなすところだったが、そこから進化を遂げた君は、さぞかし、ビューティフルなんだろうなぁ。卵だってビューティフルに違いない。やはり何かの糞や種に擬態していたりするのか? はあ~、君を思うと、胸が苦しくて切なくなる。愛おしすぎて食べちゃいたいくらいに」

(出た! 向尸井さんの食べちゃいたい)
 こうやって、昆虫食は生まれたのだろうか。

 ぐいぐい胸元に顔を近づける向尸井さんとじりじり距離を取りながら「でも、アキアカネさんには、卵が見えてるんですよね」と、ほたるはアキアカネさんを見た。

「そりゃあ、僕はむし屋ではないからね」

 この前も、自分のことをむし屋を手伝うものと言っていたけれど、それってつまり、どういう立ち位置なんだろう。
 ハッと、ほたるは閃いた。

「もしかして、アキアカネさんも見習いアルバイトなんですか?」
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