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エピローグ ようこそ、むし屋へ

宝石とむしの共通点

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「それ」
 向尸井さんの低い声がささやく。
 改めて聞くと、イ・ケ・ボ。

「そのネックレスの宝石、フローライトだったか。詳細は不明だが、不思議な力を持っていることは確かだ。お前が来るといつも保管庫のむしたちが騒がしくなるんだが、オオミズアオと一緒に来た時には、それがなかった。あの日、お前がネックレスを付けていなかったとすると、やはり原因はそのネックレスにあるんだろう。宝石の類は人の体内に宿るむしと同様、感情と呼応し結びつく性質を持っているからな。むしの中には宝石を好むものもいて……って、おい、聞いてるのか?」
「へ? あ、向尸井さん、このネックレス見てたんですか」
「他に何がある?」

 向尸井さんの指は、ほたるの胸元のフローライトのネックレスをしっかりと差していた。

(しかも思ったより、向尸井さん遠くにいるし)
 全然、パーソナルスペースの外だった。

「な、何でもないです! あはは」
 な、なーんだ。と一人赤面するほたるを見て片眉をちょっと上げた向尸井さん。

「まあいい。ついでだ。宝石の性質も理解しとけ」と、向尸井さんが説明を始めた。

「さっきも少し話したが、むし屋で扱うむしと宝石は、人の感情と結びつきやすい性質を持っている。宝石の中には、身につけた人の感情を増幅させて、特殊な光の波長に変換し放出するものがあるんだ。その特殊な波長をキャッチして群がるむしもいる。だから宝石好きな人間は、知らず知らずのうちに多くのむしを飼ってしまい、そのせいで体調を崩すこともある。その場合、原因となった宝石を手放せば、多数のむしがその人の身体から離れていき、体調不良がすっと治るケースもある」
「なるほどー」
「お前のその、アホづらのなるほどーは、わかりませんの意味なのか?」

「あはは~。だって向尸井さんの説明って、難しいんですもん」
 はあ、と向尸井さんが眉間を揉んで「もっと、単純に。たとえを使うべきか?」とブツブツ言いながら、しばし考え込む。

「例えば、恋人からプレゼントされた宝石入りのアクセサリーなんかは、肌身離さず身につけることが多いよな。だが、恋人と破局すると、途端に身につけていたアクセサリーまで憎くなり、無性に捨てたくなって、実際に捨ててみると何故かちょっとスッキリすることがある。人によっては、何故あんな人のことが好きだったのだろうと、首を傾げることもある。それは何故かと言うと、宝石を捨てることで、宝石によって増幅されていた恋人に対する愛情や想いが捨てられたり、その愛情に関連するむしを一気に手放せたりするからだ。恋愛にまつわる宝石は、安易に手放せば、最悪の場合、恋人との記憶を根こそぎなくすこともある」

「記憶を根こそぎ……実はあたしも、脱初恋で心機一転しようと、篤からもらってずっと身につけてたフローライトのネックレスを、机の引き出しにしまって封印してたんです」
 バツの悪さを感じつつ、ほたるは白状した。

「それで、引き出しにしまったあと、スッキリしたのか?」
「逆に思い出すことが多くなったというか、ネックレスをつけていたところが妙にスースーして、落ち着かないっていうか。だから、余計に思い出して、忘れなきゃって焦るって言うか」
 ダメでしたー、と、ほたるは冗談交じりにてへっと笑う。
 しかし、向尸井さんは笑わなかった。

「お前はその幼馴染との間に生まれた気持ちを、過去を、なかったことにしたいのか?」
「……したく、ない、です」

「なら、もっとちゃんと考えてそのネックレス取り扱うべきだな。宝石の取り扱いを誤ったせいで不幸になった人間の話は、世界各国に昔から存在し、語り継がれている。そういった昔ばなしには、真実が紛れていることも多いんだ。ただの昔ばなしと甘く見ていると痛い目にあうぞ」
「気を付けます……」

 至極真っ当なご意見。
 しょんぼり反省するほたるに「これは、むし屋の扱うむしにも通じることだが」と、わずかに向尸井さんが表情を和らげた。

「むしの中には、宿主の心に変化が生じると、自然と縁が解けて離れていったり乖離しやすくなったりするむしもいる。そのネックレスも、お前の心がしっかり役目を終えたと感じた時に、外せばいいんじゃないのか」

(心がしっかり役目を終えたと感じた時に)
 ずん、と、向尸井さんの説教が心に響いた。

 篤との恋の結末がどうであれ、このネックレスが、篤からもらった大切なモノであることは変わりない。
 あの同窓会で、チーム田園のメンバーたちが、それぞれ素敵な恋をしているのを見て、あたしは焦っていたのかもしれない。
 でも、あたしは、あたしのタイミングでゆっくりと進めばいいんだ。

 すとんっと、心に引っかかっていた何かが落ちて、身体が軽くなった気がした。
「ありがとうございます! 向尸井さん」
「……まあとにかく、お前の場合、体質的に宝石やむしと心が惹き合いやすいから、取り扱いには充分注意しろ」
 向尸井さんが、こほん。と、咳払いをする。

「それに、ほたるちゃんのネックレスの石は、蜻蛉神社への通行許可証でもあるからね」と柔和な声が割り込んできた。
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