上 下
89 / 97
素質ある子

禍福は糾える縄の如し

しおりを挟む
 向尸井さんが、ピンセットを内ポケットにしまいながら、ついで話のように口を開く。

「喜怒哀楽の感情を持つ生き物が、辛く悲しい経験を一度もせずに生涯を終えることは不可能だ。また、個々の不幸の大きさを他者が推し量ることも難しい。陽の感情はわかりやすいが、陰の感情は得てして複雑なんだ。些末な事と他者が軽くとらえる出来事が原因で、自ら命を絶つ者もいる。反対に、1000人が1000人、死ぬほど辛い不幸と捉える出来事に見舞われた者が、その不幸を受け入れ、あるいは乗り越えて、命を輝かせることもある。とにもかくにも、辛く哀しい不幸な過去をなかったことにすれば、今の自分はいないんだよ。不幸な過去も、その時に生まれた陰の感情も、全てが現在の自分につながっているんだ」

『ほっちゃん、禍福は糾える縄の如しじゃよ。悪いことといいことは順番こじゃ』
 ふと、ひいじいじがよく言っていた言葉が浮かんだ。

 小さなほたるにはうまく意味を飲み込めなかったけれど、もしかしたら今向尸井さんが言ったことを、ひいじいじは言いたかったのかもしれない。

(そういえば、最初にアキアカネさんに会った時、禍福は糾える縄の如しの話をしたのよね。アキアカネさんは、知人もそんなことを言っていたって話してたけど)

 今思えば、あれはひいじいじのことだったんだろう。

 あの日、アキアカネさんに『随分と珍しい虫をお持ちですね』と呼び止められたのが、全ての始まりだった。

 ほたるはその時、まだ体内に宿るむしのことを知らなくて、『虫』ではなくて、『石』のことだと考えた。
 アキアカネさんが指した胸元には、篤からもらったフローライトのネックレスが輝いていたから。
 ん?
 ほたるは自分の胸元を触る。
 あるはずのものがなくて、しっくりしない自分の身体。

(…………)

「ああ~~!!」
 青天の霹靂!
 目から鱗!!

「お、お前、いきなり大声出すな!」
 気が付けば、向尸井さんが心臓を押さえて1メートルほど後ずさっていた。
 
(もしかして、あたしがむし屋に行けなくなったのって、フローライトのネックレスを付けてなかったからかも)

 そういえば、むし屋でのアルバイト(見習い)が決まった後、ハイツに戻ったほたるは、篤からプレゼントされ、ずっと身につけていたフローライトのネックレスを外したのだ。
 心機一転のつもりで。

「オレ、ちゃんと生きるっ! 夢も探すっ! そんで、嬉しいことも悲しいことも、たくさん経験して、栄養にして、いつか、すっげー綺麗なガになるっ!!」

 運動会の選手宣誓さながらに優太君が叫んだ。びんびん壁が振動して、むし屋の店内に反響する。
 ほたるが張り上げた声の三倍は大きなボリュームだ。
 けれど、向尸井さんは文句を言わなかった。ふんわり口角を上げて、優太君を見ていた。
 アキアカネさんが、苦笑する。

「少年、そこはガじゃなくて、チョウでいいんじゃないかい?」 
「だって、ガとチョウってさ、陰と陽みたいじゃん。オレ、向尸井さんみたいに翳背負ってる男になりたいからさ」

「おお、わかるか? オレの魅力が。お前は見込みがあるな」

(向尸井さん、嬉しそう)
 どこに、翳背負ってるんだろ。

「ついでに言うと、オレの守護神ルナモスだしな。昔っから、何故かよく、遭遇するんだよなー」 
 ニタニタと優太君が碧ちゃんを見ている。

「え? なに? どゆこと??」
 さっぱりわけがわかっていないのは、どうやらほたるだけのようだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

白衣の下 先生無茶振りはやめて‼️

アーキテクト
恋愛
弟の主治医と女子大生の恋模様

ままならないのが恋心

桃井すもも
恋愛
ままならないのが恋心。 自分の意志では変えられない。 こんな機会でもなければ。 ある日ミレーユは高熱に見舞われた。 意識が混濁するミレーユに、記憶の喪失と誤解した周囲。 見舞いに訪れた婚約者の表情にミレーユは決意する。 「偶然なんてそんなもの」 「アダムとイヴ」に連なります。 いつまでこの流れ、繋がるのでしょう。 昭和のネタが入るのはご勘弁。 ❇相変わらずの100%妄想の産物です。 ❇妄想遠泳の果てに波打ち際に打ち上げられた、妄想スイマーによる寝物語です。 疲れたお心とお身体を妄想で癒やして頂けますと泳ぎ甲斐があります。 ❇例の如く、鬼の誤字脱字を修復すべく激しい微修正が入ります。 「間を置いて二度美味しい」とご笑覧下さい。

勇者じゃないと追放された最強職【なんでも屋】は、スキル【DIY】で異世界を無双します

華音 楓
ファンタジー
旧題:re:birth 〜勇者じゃないと追放された最強職【何でも屋】は、異世界でチートスキル【DIY】で無双します~ 「役立たずの貴様は、この城から出ていけ!」  国王から殺気を含んだ声で告げられた海人は頷く他なかった。  ある日、異世界に魔王討伐の為に主人公「石立海人」(いしだてかいと)は、勇者として召喚された。  その際に、判明したスキルは、誰にも理解されない【DIY】と【なんでも屋】という隠れ最強職であった。  だが、勇者職を有していなかった主人公は、誰にも理解されることなく勇者ではないという理由で王族を含む全ての城関係者から露骨な侮蔑を受ける事になる。  城に滞在したままでは、命の危険性があった海人は、城から半ば追放される形で王城から追放されることになる。 僅かな金銭で追放された海人は、生活費用を稼ぐ為に冒険者として登録し、生きていくことを余儀なくされた。  この物語は、多くの仲間と出会い、ダンジョンを攻略し、成りあがっていくストーリーである。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

俺がロボットに乗って活躍するぜ!

けろよん
キャラ文芸
現代の日本に人々の生活を脅かす存在が現れた。怪獣だ。 奴らは災害を撒き散らす者という意味を込めて災獣ディザスターと呼ばれるようになった。 青年隼人は博士の造ったロボットに乗って自分が戦うのだと信じてトレーニングを続けてきた。 だが、ロボットのパイロットに選ばれたのは年端もいかない少女だった。 納得のいかない答えを跳ねのけるには現実を教えてやるしかない。 隼人は仕方なくパイロットに選ばれたその少女を迎えに行くことにする。 果たして隼人は活躍できるのだろうか。

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

腐っている侍女

桃井すもも
恋愛
私は腐っております。 腐った侍女でございます。 腐った眼(まなこ)で、今日も麗しの殿下を盗み視るのです。 出来過ぎ上司の侍従が何やらちゃちゃを入れて来ますが、そんなの関係ありません。 短編なのに更に短めです。   内容腐り切っております。 お目汚し確実ですので、我こそは腐ってみたいと思われる猛者読者様、どうぞ心から腐ってお楽しみ下さい。 昭和のネタが入るのはご勘弁。 ❇相変わらずの100%妄想の産物です。 ❇妄想遠泳の果てに波打ち際に打ち上げられた、妄想スイマーによる寝物語です。 疲れたお心とお身体を妄想で癒やして頂けますと泳ぎ甲斐があります。 ❇例の如く、鬼の誤字脱字を修復すべく激しい微修正が入ります。 「間を置いて二度美味しい」とご笑覧下さい。

ぱんだ喫茶店へようこそ ~パンダ店長はいつもモフモフです~

和賀ミヲナ
キャラ文芸
プロポーズ間近と思っていた彼氏から衝撃的な言葉を告げられた女性が傷心のなか歩く道にふと現れた不思議な喫茶店。 その名は「ぱんだ喫茶店」 パンダ店長と呼ばれた人は何とも不思議な容姿をしているし、アルバイト店員も美少年?美少女なの?性別不明な子もいれば、 ヤクザ顔負けのコワモテな店員もいるし… なんだかバラエティーに富んだ不思議なお店。 その不思議なお店の店員たちと織り成す少しだけ愉快で不思議な物語です。

処理中です...