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見習いほたるの初仕事
むし屋のアマチャ畑
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「……」
「どうかしたかい?」
「ふすま、ですか?」
「ふすまだね」
現れたのは二枚のふすま。
ふすまに描かれているのは、鳥獣戯画ならぬ昆虫戯画だ。
ウサギや狐の代わりに擬人化した昆虫たちが、弓を引いたりススキを持ったりして駆けまわっている。
「なんか……セフィロトの樹が西洋風だったので、ちょっとミスマッチな気がして。和洋折衷というか。これも何か意味があるんですか?」
「ぜんぜん」とアキアカネさんが言った。
「このふすまは、つい最近、向尸井君が模様替えしたんだ。それまでは西洋風の扉だったんだけどねぇ」
「あ、なるほど」
黄色いド派手虫Tシャツを思い出して、ほたるは妙に納得した。
「向尸井さんって、美的センスなさそうですもんね」
「まあ、確かにこの扉はいただけないけれど」
意味ありげに微笑んだアキアカネさんが、「中は素晴らしいよ」と、昆虫戯画のふすまをシューと開いた。
その途端、六月の早朝の朝露のように、瑞々しい花の香りを含んだ風が、ふわぁっとほたるの全身を包み込む。
ほたるは目の前の光景に、息を飲んだ。
あまりの美しさに、言葉が出ない。
終わりの見えない広大なアジサイ畑。
瑞々しい若葉の生い茂るグリーンのキャンバスに、少しずつ色を変えて、さざ波のようにどこまでも広がるアジサイの花花花。
ほたるのすぐ近くでは、白色に、ほんのり薄い紅を混ぜたような色味のアジサイの花が咲いている。そこから奥に向かってピンク、淡赤紫、濃赤紫、紫、濃青紫と色が濃い青へと変化して、また、青紫、淡青紫、薄い青の混ざった白色の花へと、色を薄くしていく。
「ここがアマチャ畑さ。アマチャはヤマアジサイの甘味変種で、江戸時代あたりから民間薬として利用され始めた日本特有のものだよ。むし屋は江戸よりもっと昔からアマチャを栽培していたんだ。アマチャはむし屋にはかかせない秘薬だからね。一説によると、むし屋の客だった薬師が、むし屋で飲んだアマチャを再現したのが日本のアマチャ文化の始まりとも言われている」
「へえ」
ほたるはぽけーっと、天国のような景色に見惚れながら生返事をする。
「ちなみに、このアマチャ畑の花の配置は、向尸井君のデザインなんだよ」
「え!?」
「ウソみたいなホントの話」と、アキアカネさんがおかしそうにウィンクをした。
「……向尸井さんって、美的センスあるのかないのか、わかりませんね」
「セフィロトの樹の間と同じさ。同じ部屋も、道順が変われば別の部屋になるってね」
「はあ」
やっぱり深すぎて、意味不明。
「この通路を進んで、あちら側へ行こう」
アマチャ畑を二つに割るように設けられた細い通路を歩くと、色彩グラデーションの波が押し寄せてくる。
心にぐっと訴えかけてくる、芸術的美しさ。
歩きながら、アキアカネさんがアマチャの収穫について説明してくれた。
「むし屋のアマチャは一般的なアマチャとは収穫の時期が異なるんだ。満月の夜に月明かりを受けて瑞々しく咲いた花の若い葉だけを摘み取るんだよ」
「なんだかメルヘンですね」
「ふふ。そうかもしれないね。そのあとの発酵工程は、一般的なアマチャとあまり変わらない。まず、葉を摘みとり、葉っぱを丁寧に水洗いして2日間日干しする。それから、葉っぱ1枚、1枚に、霧吹きで均等に水をかけたものを重ねていき、むしろをかぶせる。それを25℃の温室で一昼夜置くと甘茶の葉が蒸されて発酵が始まり、発熱して湯気が出る。約1日発酵させたら、葉をよく揉みこんでいく。しっかり茶葉を揉んだ後は、天日干しではなく、月光干しで2週間ほど乾燥させれば完成。月光干しはむし屋独自の製法だね」
「へえ~、アマチャを作るのって、結構大変そうですね」
「そうだね。でももっと大変なのは……」
「どうかしたかい?」
「ふすま、ですか?」
「ふすまだね」
現れたのは二枚のふすま。
ふすまに描かれているのは、鳥獣戯画ならぬ昆虫戯画だ。
ウサギや狐の代わりに擬人化した昆虫たちが、弓を引いたりススキを持ったりして駆けまわっている。
「なんか……セフィロトの樹が西洋風だったので、ちょっとミスマッチな気がして。和洋折衷というか。これも何か意味があるんですか?」
「ぜんぜん」とアキアカネさんが言った。
「このふすまは、つい最近、向尸井君が模様替えしたんだ。それまでは西洋風の扉だったんだけどねぇ」
「あ、なるほど」
黄色いド派手虫Tシャツを思い出して、ほたるは妙に納得した。
「向尸井さんって、美的センスなさそうですもんね」
「まあ、確かにこの扉はいただけないけれど」
意味ありげに微笑んだアキアカネさんが、「中は素晴らしいよ」と、昆虫戯画のふすまをシューと開いた。
その途端、六月の早朝の朝露のように、瑞々しい花の香りを含んだ風が、ふわぁっとほたるの全身を包み込む。
ほたるは目の前の光景に、息を飲んだ。
あまりの美しさに、言葉が出ない。
終わりの見えない広大なアジサイ畑。
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ほたるのすぐ近くでは、白色に、ほんのり薄い紅を混ぜたような色味のアジサイの花が咲いている。そこから奥に向かってピンク、淡赤紫、濃赤紫、紫、濃青紫と色が濃い青へと変化して、また、青紫、淡青紫、薄い青の混ざった白色の花へと、色を薄くしていく。
「ここがアマチャ畑さ。アマチャはヤマアジサイの甘味変種で、江戸時代あたりから民間薬として利用され始めた日本特有のものだよ。むし屋は江戸よりもっと昔からアマチャを栽培していたんだ。アマチャはむし屋にはかかせない秘薬だからね。一説によると、むし屋の客だった薬師が、むし屋で飲んだアマチャを再現したのが日本のアマチャ文化の始まりとも言われている」
「へえ」
ほたるはぽけーっと、天国のような景色に見惚れながら生返事をする。
「ちなみに、このアマチャ畑の花の配置は、向尸井君のデザインなんだよ」
「え!?」
「ウソみたいなホントの話」と、アキアカネさんがおかしそうにウィンクをした。
「……向尸井さんって、美的センスあるのかないのか、わかりませんね」
「セフィロトの樹の間と同じさ。同じ部屋も、道順が変われば別の部屋になるってね」
「はあ」
やっぱり深すぎて、意味不明。
「この通路を進んで、あちら側へ行こう」
アマチャ畑を二つに割るように設けられた細い通路を歩くと、色彩グラデーションの波が押し寄せてくる。
心にぐっと訴えかけてくる、芸術的美しさ。
歩きながら、アキアカネさんがアマチャの収穫について説明してくれた。
「むし屋のアマチャは一般的なアマチャとは収穫の時期が異なるんだ。満月の夜に月明かりを受けて瑞々しく咲いた花の若い葉だけを摘み取るんだよ」
「なんだかメルヘンですね」
「ふふ。そうかもしれないね。そのあとの発酵工程は、一般的なアマチャとあまり変わらない。まず、葉を摘みとり、葉っぱを丁寧に水洗いして2日間日干しする。それから、葉っぱ1枚、1枚に、霧吹きで均等に水をかけたものを重ねていき、むしろをかぶせる。それを25℃の温室で一昼夜置くと甘茶の葉が蒸されて発酵が始まり、発熱して湯気が出る。約1日発酵させたら、葉をよく揉みこんでいく。しっかり茶葉を揉んだ後は、天日干しではなく、月光干しで2週間ほど乾燥させれば完成。月光干しはむし屋独自の製法だね」
「へえ~、アマチャを作るのって、結構大変そうですね」
「そうだね。でももっと大変なのは……」
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