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夜のむし屋

残念な方のギャップ

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 店内は、オレンジ色の照明を受けて大理石の床がぴかぴか光っていた。ややクリーム色の壁には、小さいけれど高価そうな絵画が飾られている。
 いつもと同じ美術館を彷彿とさせるお店に、今日はジャズがかかっていなかった。
 虹色にキラキラ輝く螺鈿細工が施された丸窓から、外の雨音がBGM代わりに聞こえている。

 店内にミュージックが流れていないこと以外、前回来た時と変わらない、高級感漂う店。
 なのに、どことなくラフな感じがするのは何故だろう。
 なんとなく、砕けた感じの空気感というか。

 一見同じに見える店のどこかに、小さな間違いが潜んでいる気がして、どこだろうと探しかけた時「え……」と、聞き覚えのある声が驚き呟いた。

 この、いかにも知的な低音ボイスは。
 ほたるは笑顔で年輪テーブルの椅子に座る声の主に声をかけた。

「こんにちは! 向尸井……さん?」
 端正な顔をこわばらせる向尸井さんの服装を見たほたるは「え……」と、同じように驚きのつぶやきを漏らし、固まってしまう。

 向尸井さんは、いつものピシッと糊のきいたネイビーのスーツではなく、Tシャツとジーンズというラフな格好をしていたのだ。
 ラフなのはいい。いいんだけど……

(Tシャツ、だっさ!!)
 
 ひまわり色の生地のど真ん中に、エメラルドグリーンに輝く長細い虫がプリントされているど派手Tシャツ。
 部屋着だとしても、ダサい。大人が着るにはとんでもなくダサい。

「おい、今日は定休日だぞ。外は雨だし、自動ドアに鍵をかけて張り紙もしてあっただろう。オオミズアオ、また勝手に鍵を開けたな」
「鍵なんかかかってなかったけどー?」

「嘘つけ。いつも休日にやってくるのは嫌がらせか?」
「僕は夜の雨のむし屋が好きなだけだよー。落ち着くからさー」
 どうやら、休日だからスーツを着ていないらしい。
 てことは、やっぱり私服?

「あのぅ向尸井さん、そのTシャツって……まさかの自前ですか?」
「そうだが? ははあ、さては」
 Tシャツにプリントされたエメラルド甲虫を愛おしそうに撫でて、向尸井さんが口の端っこを持ち上げる。

「カッコいいだろう、このタマムシTシャツ。期間限定開催イベントのキラキラ甲虫博覧会でしか手に入らない、限定オリジナルTシャツだ。タマムシの絵には、本物のタマムシの羽を使用しているというこだわりよう! 欲しがる気持ちはわかるが、やらないからな」
「いりませんよ。そんなダサいTシャツ」

「ダサい?」
 まるで知らない外国語を聞いた様な顔で、自分のティシャツを検めながら「何言ってんだ、お前」と、冷たい視線を投げてくる。
 マジですか!!

(うわぁ~、向尸井さんって、私服ダサい系のイケメンだったのかー。これ、残念な方のギャップだ。萌えない方のギャップだ)
 見てはいけないものを見てしまったような罪悪感。
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