YUZU

箕面四季

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【金曜日、ゆったりした朝】

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 冬の淡い朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。うーん、と伸びをして、柚樹はぐしゃっと頭をかきむしる。良く寝た気がするな。

 今何時だろうと目覚まし時計を見たら、もう9時を過ぎていた。

(今日はフライパン攻撃なしか)
 毎日やかましいと思っていたのに、なければないで寂しいような。

 とりあえず、どこに出かけてもいいように、動きやすいモスグリーンのトレーナーと、ブラックジーンズに着替えて下に降りると、柚葉は鼻歌混じりに冷蔵庫を開けているところだった。

「あら、もう起きたの? 朝ごはん今から作るところだから、まだ寝てて良かったのに~」
「え? ああ。うん」と、曖昧に頷きながら柚樹は首を傾げた。
 今から作るというわりに、部屋には食べ物の匂いが充満していたからだ。

 にしても、今日はやけにゆっくりしてるな。いつもは学校に行く日と同じくらい早起きさせられるのに。

「あのさ」
「うん?」

「今日はどこにも出かけないの?」
「出かけるわよー。超スッキリするとこに。でも近場だからゆっくりでいいの」

「ふうん」
(近場で超スッキリするところって、どこだろう)

 柚樹は頭を巡らす。カラオケとか、ボーリングとか……

(CCパークだ!)
 思いついた柚樹は、一気に興奮した。

 CCパークは今年のお正月にオープンした県内最大級の屋内遊園施設だ。
 館内はボウリングもカラオケもゲームもビリヤードも、全部遊び放題。おまけに駅前のシャトルバスに乗れば、たった10分でつけちゃうという超近場。

 土日は混むため、学校を休んで平日に遊びに行くのがこの辺の小学生のセオリーだ。そしてなんと、今日は金曜日。平日じゃん!

(やりぃ! ずっと行きたかったんだよな!)
 柚樹は心の中でガッツポーズする。

 同じアミューズメントパークでも、動物園や遊園地に比べて、CCパークは子どもっぽさがなくて、逆に中高生が友達と楽しむ場所みたいな、ちょっと大人なイメージがある。
 だから高学年向けな人気スポットだった。

 でも、さすがに小学生が友達だけで遊びに行くにはハードルが高い。
 だから、家族でいくしかないのだが、小6男子的に、親と出かける=ハズい、なので、みんな「親が行きたがるから仕方なくさー」と一言言い訳したあと、「CCパーク行ったぜ! すげーよ、あそこ」と話すのだ。

 柚樹もその流行りに便乗したくて、春休みに父さんと母さんに「行こう」と誘ったのだが、いつもなら、二つ返事で仕事の日程調整をする父さんも、家族三人の思い出を何より大切にしている母さんも、何故かいい顔をしなかった。

「あそこは人混みが多くてお前が風邪をひくから」とか「今はオープンしたばかりだし、もう少し落ち着いてからにしよう」とか、あやふやな理由をあれこれ並べる父さんにイラついたっけ。

 いつもなら「いいわね」とすぐに頷く母さんも、困り顔で何も言わなくて、変だな、と思った。
 でもあの時は、真面目な母さんのことだから、CCパークを不良の遊び場みたいに思ってるんだ、と考えていた。
 だけど、今思えば……

(あの時、もう母さんのお腹には赤ちゃんがいたのかも)
 赤ちゃんがどのくらいで生まれるのか、詳しくは知らないから、違うかもだけど。

 だけど、そのあたりだ。
 母さんが時々調子悪そうにしていて「大丈夫?」と聞いたら「ちょっと風邪をこじらせたみたい。病院で薬を貰ったから心配ないわ」と言っていたのは。

(あれが……世に言うつわりってやつだったのかも)

 つわりって、やっぱ苦しいのかな、と柚樹は思った。
 そういえば、あの頃、ほんのちょっとだけ母さんの様子がおかしかった気がする。

 いつも玄関の靴をそろえないと怒られるのに、脱ぎ捨てでも何も言われないとか、柚樹の部屋が散らかっていても怒られないとか、母さんにしては珍しく洗濯物を取り込み忘れて夜までベランダに干されているとか、あと、いつもは家族揃って食事をするルールなのに、母さんだけ食べないとか……

 他にもいろいろあった気がするけど、どれも些細なことで、だから柚樹は、怒られなくてラッキー、とか、母さんもおっちょこちょいだな、とか、風邪で食欲ないんだな、くらいにしか考えなかった。

 でも、もしかしてあれは、つわりで具合が悪かったのかもしれない。

『赤ちゃんを産むことは、時には命がけになるほど大変なことです。』
 柚葉が代筆した作文が、浮かぶ。

 妊娠して身体が辛い中で、ずっと母さんは平然を装って家事をして、柚樹と向き合おうとしていたのかもしれない。
(それなのにオレは……)

『僕らはみんな、そうやって生まれてきました。』
(……オレも、ママからそうやって生まれてきたのかな)

 ママも大変な思いをしながらオレを生んだのかな。柚樹の脳裏にぼんやりと、夢の中のママも浮かんでいた。

「二人のお母さんのおかげで、今の柚樹がいるんだぞ」
 いつもの父さんのウザいセリフが、何故か胸にズンと来る。


「難しい顔しちゃって、どうかしたの?」
 ふと気が付くと、柚葉が柚樹の顔を間近で覗き込んでいた。

「うわぁ!」
 柚樹はぴょんっと、後ろにのけぞる。

「だから、距離感!! 柚葉近すぎだから」
 真っ赤になって叫ぶと「距離感って……他人じゃあるまいし、私と柚樹の関係よ?」と柚葉はぷくぅと膨れた。

「何、意味深な言い方してんだよ! 限りなく他人に近い親戚だろ!!」
 しばし考えこんだ柚葉が「そうだった」と、ペロッと舌を出して「で、どうかした? 悩み事?」と、尋ねてきた。

「……なんでもねー」
 あれだけ「赤ちゃんなんか死ねばいい」とか「再婚なのに赤ちゃんなんか作るな」とか、ギャーギャー騒いでたのに、今更、赤ちゃん無事生まれるといいなとか考えてるなんて、恥ずかしくて言えない。

「変な子ね……ま、いいけど」
 柚葉は、再びキッチンに向かい、鼻歌混じりに料理を始めた。ご機嫌な柚葉をチラッと盗み見て、柚樹はふと胸の辺りに手を置いた。

 ちょっと前まで母さんの妊娠のことを考えると、この辺がものすごく嫌な感じになって、モヤモヤ、イライラして、頭ん中ぐちゃぐちゃになって、息苦しくておかしくなりそうだったのに、今は、平気だった。

 そればかりか、赤ちゃんってどんなだろう、とか、ほんの少しワクワクしている自分がいたりする。不思議な、スッキリした気持ち。

 たとえて言うなら、引き出しの中にごちゃごちゃ文房具を放り込んで、もう消しゴムすら入らないと思っていたのに、あと一個、どうしても入れなきゃいけない必要な文房具ができちゃって、仕方なく中のモノを全部取り出して、仕切りケースを底に置いてから鉛筆は鉛筆、消しゴムは消しゴムと分けていったら、案外余裕で収まって、おまけにずっと昔に失くして忘れていたお気に入りの怪獣消しゴムが出てきた、みたいな。

(つまり……整理整頓してスッキリした、みたいな?)
 心に余裕が生まれた、みたいな。

 どうして、こんなに気持ちになれたのか。
 夏目のじいちゃんのおかげなのは確かだけど。
 
(でもやっぱ、それだけじゃないよな)
 キッチンで、柚葉がトントンと、小気味よく包丁で何かを切っている。

(やっぱ、柚葉のおかげ? かな) 
 必要な文房具がじいちゃんなら、仕切りケースが、柚葉、みたいな。

(って、何言ってんだ、オレ)
 自分のたとえが、意味不明すぎる。

 ただ、何というか……自分の中に確かにあったはずなのに、見つからなくて、ずっと探していた大切なモノを、柚葉が見つけてくれたような気がしていた。
 柚葉のおかげって言うのは、なんか、悔しい気もするけど。
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