タチバナ

空蝉の声

仮初のペルソナ

「一年生の昆虫学講義で初めてナツ先生を見た瞬間、一目惚れしたんです。ドキドキして、身体が熱くなって、すぐに恋だとわかりました。ナツ先生はアイドルグループ『ハンターX』のタクト君に似てるって言われたことありませんか？　私ずっと彼のファンだったんです。タクト君のこと、本気で好きだったんです。私、小学生の頃から地味で、いつもクラスのヒエラルキーの底辺で、キモいとかウザいとか陰口叩かれてて、毎日辛くて。でもタクト君の笑顔を見ると辛い学校生活も耐えられたんです。ファンなんてもんじゃない。タクト君にマジ恋でした。高校に入ってからはバイト代を全部推し活に捧げました。なのに高2の冬に春宮カナと結婚しちゃったんです。恋愛はいいけど結婚はナシなのに。もう死のうって本気で思って、でも親のために死ねなくて。だから失恋の苦しさを紛らわすために勉強に打ち込みました。私が生きるためにできることはそれくらいしかなかったから。猛勉強してこの大学に入学して、最初の講義でタクト君そっくりのナツ先生が現れたんです。運命だって思いました。ガチ恋の一目惚れなの。ナツ先生がアセクシュアルだって知った時は、絶望してまた死にたくなった。でもすぐにラッキーだって思ったんです。だって、恋愛感情がないってことは、他の誰かとナツ先生が付き合うことも結婚することも絶対にないでしょ。私みたいなアイドルオタは、アイドルと絶対に付き合えないことをちゃんと理解してるんです。自分の身の程もわきまえてます。アイドルが私たちに見せる笑顔や優しさが、メディア用に作られた仮初のペルソナなのもわかってる。それも含めて好きなんです。ナツ先生も私の中でアイドルと同じ存在なの。だって、ナツ先生も仮初のペルソナ貼り付けてるよね」

　仮初のペルソナという言葉にぎくりとした。

　気取られまいと無表情を貫く。
　この子の観察眼は僕の想像をはるかに超えて鋭い。

　山田さんの恋愛観は僕にはわからなかった。
　でも彼女の告白は、これまで経験したどの告白よりも痛々しい。
　鬼気迫る必死さに気圧される。

　推しのアイドルに顔が似ているというだけの安易な恋心。
　なのに僕の殻に到達しかけている。

　少し、怖いと思った。