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35 酒は飲んでも飲まれるな
しおりを挟む鉄の匂いが充満したその暗い部屋は、壁や床関係なく至る所に赤黒い染みが出来ていた。
「ひぎぁ……ぐひぅっ……い」
悲鳴。
それは自分が発したものなのかもうわからない。
赤、揺れる赤。
いま痛いのか苦しいのかワカラナイ。
そして美しい魔女がそこにいた。
逃げる。
たぶん逃げても無駄。
わかっていても逃げずにはいられない。
「こわっ……なにあれ、拷問って……なに……?」
王城を出てアンジェリークは辻馬車に乗りレニエ伯爵家に帰って来た、いつか家出してやろうと貯めておいた資金を回収する為に。
長年住み慣れた別棟。
古びていてすきま風が入り住み心地はあまりよくなかったけれど、今は危険人物が近くにイナイというだけで素敵なお家に感じられた。
「アンジェリーク……」
「っひ……!」
名を突然後ろから呼ばれ、アンジェリークは驚いて床に尻餅をついた。
「何をしているの貴女? ほんと馬鹿な子」
「っ……イレーヌお姉様!?」
その聞き慣れた声に振りかえれば。
姉イレーヌの姿に、アンジェリークはどうして別棟になんかいるのかと首を傾げる。
「どうしてこの屋敷に帰って来てるの? 本当に馬鹿ね、貴女やっと王城で保護されたのでしょう」
「え……なんで知って……」
「……聖女の魔法、知ってるに決まっているでしょうが、私は貴女と違って優秀なのよ?」
「あー……ソウデスネ……」
「もう、馬鹿みたいに呆けてないでさっさと王城に帰りなさいな? 私もあの馬鹿両親がいない内にここから逃げて修道院に行くから……!」
「え……? 修道院……?」
「……正直もう完璧令嬢を演じるのは疲れたのよね? だから私は修道院でのんびりと暮らすわ? じゃあね、アンジェリーク? ガンバッテ!」
『私も連れていって』
その言葉を発する前にイレーヌはそそくさと、アンジェリークの前から姿を消した。
アンジェリークも逃げ足が早いほうだが、イレーヌはそれ以上に逃げ足が早いらしい。
「お姉様……やっぱりずるいです……」
……さみしい。
それは自分が逃げたせいですが。
でもなんか怖かったから仕方ないです。
早くここから逃げ出さなければいけないのに、アンジェリークは不貞腐れて寝台でゴロリと寝転がる。
カシウス様は怒ってらっしゃるのでしょうか?
さて、どうしましょうか。
「アンジェリーク」
頭上から聞こえたその声に、起き上がれば。
黄金に輝くお髪。
それにゾクリとするような暗く濁った青。
「っ……カシウス様?」
「……何故、私から逃げた? アンジェリークは私のこと好きなんじゃなかったのか?」
カシウス様は私の足をゆっくりと撫でる、その手付きはとても優しいもの。
だったけれど。
……ゾクリと、悪寒が走った。
ゆっくりと私の足を優しく撫でていた手は足首を掴む、それは爪がめり込む程に……強く。
「い゛っ……」
「……やっぱり、逃げられないように足を切ってしまおうか? ずっと不安なんだ私を捨てて君が他の男の所にいくんじゃないかって……」
……私の足首を掴んでいない方の手は、腰に携えた剣に添えられておりまして。
今、下手なことを言ってしまえば。
カシウス様に斬られてしまいそうです。
「っ……だ、だって私以外の方にばかりカシウス様が構ってらっしゃって、さ、寂しかったんです!」
「……え?」
「逃げたら、カシウス様は絶対に私を見つけてこうやってお迎えに来てくださいますでしょう?」
「……もしかして、私に構って欲しくてアンジェリークはわざと逃げたのか?」
「……私の作戦大成功です!」
今にも震えだしそうな身体に言い聞かせて。
カシウス様に、ぎゅっ……と抱きついて。
その唇に、ちゅっ……とキスをした。
「っ……す、すまない、私は勘違いをしてしまっていたようだ」
カシウスは掴んでいたアンジェリークの足首から手を離して、その身体を抱きしめた。
そしてカシウスの頬は赤く染まり、暗く濁った瞳はきらきらとまた輝きだした。
「いいんです、カシウス様は来てくれましたから!」
……ギリギリセーフ!
ちょっと痛かったけど!
またサヨナラしてない……!
「だけどアンジェリーク? 謁見の間から皇帝の許可もなく居なくなってはいけないよ……?」
「……ごめんなさい私、何も知らなくて。こんなんじゃカシウス様の妃にはなれないですね? やっぱり私なんてお捨て置きくださいませ?」
……カシウス様の顔はとっても好み。
でも足切られるのは困ります。
なので皇太子妃は辞退したいです……!
「あっ……ごめん! 君が何も知らないの忘れて……私は君を責めるようなことを……!」
「カシウス様が悪いのではないのです……不出来な私が全て悪いのです、ですから私なんかよりもっと優秀な方を皇太子妃になさった方が……」
犠牲者は別の優秀な方にお譲りします。
ですのでお考え直し下さい。
私もイレーヌお姉様みたいに修道院に行きたい。
「私の妃は君だけだアンジェリーク、それに前に言っただろう? 私のアンジェリークを貶めるような事を言うのなら君自身でも許さないと……」
「っ……じゃあカシウス様が教えて下さいませ? 私はカシウス様に躾されたいな……?」
……さっきから。
自分で言っててコレ死ぬほど恥ずかしい。
けどこれも生き残る為です……!
「アンジェリーク……本当に君は可愛いね? 君にあの月の無い夜に出会えて本当によかったよ」
「……私も……です!」
……もうお酒なんて絶対に飲まない。
『酒は飲んでも飲まれるな!』
うん、これ家訓にしよう。
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