上 下
34 / 35

34 ギリギリをいい感じに

しおりを挟む


 滴る赤。

 暗く濁る青。

 底冷えするほどに冷たい声。

 その異常な光景を前にアンジェリークは一歩だけ後退り、カシウスから距離を取った。

 ……ヤバイ、たぶんこの人が一番ヤバイ。

 軽々と人間が吹っ飛ばされました。

 ただ公爵は私に近寄っただけなのに。


「マルタン公爵? さっさと起き上がって下さい、この程度なんともないのはわかっているんです」

「……やれやれ、親によく似て貴方も野蛮ですねカシウス皇太子殿下? 暴力はいけませんよ?」

 カシウスの言葉に、床に蹲っていたマルタン公爵は薄ら笑いを浮かべてゆっくりと起き上がった。

「……減らず口を叩いていられるのも今の内だけだ、ここに何故呼び出されたのか貴方はもうわかっているのだろう?」

「さぁて……? なんのことやら……私には皆目検討がつきませんな、皇太子殿下?」

「公爵、シラを切るつもりか?」

「そんな事よりも、我が家の嫁を即刻返して頂きたいですな? 皇太子が側近の婚約者を拐かした……など可笑しな醜聞が広まる前に……ね?」

 ニタリ、とカシウスを挑発でもするかのように嫌な笑みをマルタン公爵は浮かべ。

 脅迫紛いの言葉を平然と並べ立てた。

「何が婚約者だ、白々しい。1ヶ月前、ここ王城にて開かれた夜会でオーギュスト・マルタンがアンジェリーク・レニエに対して婚約破棄宣言を行ったことはもう調べはついている、揉み消しても無駄だ」

「はて? ……婚約破棄の書類は当家から国に出していないはずですが?」

「双方が合意なら書類無しでも有効、公爵も知っているだろう? あんな衆人環視の元でやっておいて隠し通せるわけがないだろう!」

「ふむ……これは困りましたね……?」

「それにどうしてそなた達はアンジェリークの事を国に報告しなかった? 彼女は国で保護すべき聖女だとわかっていただろう?」

「……聖女? それは初耳ですな。アンジェリーク・レニエと我が息子の婚約は事業提携の為に組まれたもので彼女についてそこまで詳細に私は知らないのですよ」

 『自分は何も知らなかった』

 それは白々しい嘘だと、この謁見の間にいるものはマルタン公爵の態度でそれが嘘だとわかる。

 だがそこに証拠がない。

 証拠がなくてはいくら皇太子といえど、公爵を罪には問うことが出来ない。

 ……だけど。

 マルタン公爵がアンジェリークが聖女だと、知っていたと知る唯一の人物がここにはいる。

「……ではレニエ伯爵、貴方だけの責任という事になりますがそれで宜しいですか? 国への報告義務を違反し、保護されるべき聖女を虐げた……罪は重いぞ?」

 カシウスはレニエ伯爵に問う。

 『お前一人の罪でいいんだな?』と。

「お、お待ちください! カシウス皇太子殿下っ! アンジェリークの使えない魔法の事は誰にも知られないように黙っておけとマルタン公爵に私は命令されただけで……娘が聖女だったなんて知らなかったんです! それに虐げたなんて……生意気な娘をちょっと躾していただけですよ?」

 カシウスの問いに、レニエ伯爵はあっさりとマルタン公爵が命令していたことを認めた。

 あっさりと認めたレニエ伯爵をマルタン公爵が忌々しそうに睨み付けるが、どうすることも出来ない。

「……躾?」

「ひっ……!」

 『躾』

 その言葉にカシウスが反応し暗く濁った瞳で睨むと、レニエ伯爵はガクガクと震え床に尻餅をついた。

「では……皇帝陛下、此度の件どういたしましょう?」

「……報告義務を怠り聖女を虐げた罪は重い、レニエ伯爵は王都から追放処分し領地から出る事を禁ずる」

「そ、そんな……! それじゃ仕事が出来ない……!」

 端から見れば軽い処分。

 だが、王都で事業を展開するレニエ伯爵としては領地から出られないのはかなり厳しいもの。

「そしてマルタンは……塔にでも幽閉されてろ、お前を野放しにすると碌でもない事しかせんからな? あと息子も聖女に暴力を振るっていたと調べは付いてるから公爵の爵位を受け継ぐ事を禁ずる、適当に遠縁から後継者見繕って来い」

「っち……」

「え……嘘……」

 皇帝の決定に舌打ちして不満そうにするマルタン公爵と、項垂れ肩を落とすオーギュスト。

「本当は二人とも断頭台に送ってやりたい所なのだが聖女の父が処刑されるのは外聞が悪いし、マルタンは皇后の生家だから、妻の弟を殺す訳にもいかん……」

「……父上? それじゃ処分が甘過ぎます」

 皇帝が決めた処分に『甘い』と言って、不満そうにするのはカシウスで。

「そうは言ってもなぁ? どうしろと……」

「二人とも母上の玩具にでもすればいいんです、確か新しい拷問器具を隣国から色々と輸入したからとご機嫌でしたし? 名前は鉄の処女……と、後なんでしたっけ? いくつかあったはずですが……」

「え……いや……それは、流石に? というかまた買ったの? 拷問器具……」

「大丈夫ですよ父上、母上は上手いですから死なないギリギリをきっといい感じに攻めてくれますよ?」

「え? あ、そう……? じゃあレニエ伯爵とマルタン公爵の二人は皇后に任せる……?」

「や……やめてくれ! 私が悪かった! あ、姉にだけは! 頼む! あれは……魔女だ……から……」

 皇后と聞いて、ガクガクと震えだすマルタン公爵はポロポロと涙を流し懇願し始めた。

 マルタン公爵はよほど皇后が怖いらしい。


 ……その一部始終を聞いて。

 アンジェリークはそろりとカシウスから距離をとって、謁見の間から逃げだした。

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

お金目的で王子様に近づいたら、いつの間にか外堀埋められて逃げられなくなっていた……

木野ダック
恋愛
いよいよ食卓が茹でジャガイモ一色で飾られることになった日の朝。貧乏伯爵令嬢ミラ・オーフェルは、決意する。  恋人を作ろう!と。  そして、お金を恵んでもらおう!と。  ターゲットは、おあつらえむきに中庭で読書を楽しむ王子様。  捨て身になった私は、無謀にも無縁の王子様に告白する。勿論、ダメ元。無理だろうなぁって思ったその返事は、まさかの快諾で……?  聞けば、王子にも事情があるみたい!  それならWINWINな関係で丁度良いよね……って思ってたはずなのに!  まさかの狙いは私だった⁉︎  ちょっと浅薄な貧乏令嬢と、狂愛一途な完璧王子の追いかけっこ恋愛譚。  ※王子がストーカー気質なので、苦手な方はご注意いただければ幸いです。

婚約破棄目当てで行きずりの人と一晩過ごしたら、何故か隣で婚約者が眠ってた……

木野ダック
恋愛
メティシアは婚約者ーー第二王子・ユリウスの女たらし振りに頭を悩ませていた。舞踏会では自分を差し置いて他の令嬢とばかり踊っているし、彼の隣に女性がいなかったことがない。メティシアが話し掛けようとしたって、ユリウスは平等にとメティシアを後回しにするのである。メティシアは暫くの間、耐えていた。例え、他の男と関わるなと理不尽な言い付けをされたとしても我慢をしていた。けれど、ユリウスが楽しそうに踊り狂う中飛ばしてきたウインクにより、メティシアの堪忍袋の緒が切れた。もう無理!そうだ、婚約破棄しよう!とはいえ相手は王族だ。そう簡単には婚約破棄できまい。ならばーー貞操を捨ててやろう!そんなわけで、メティシアはユリウスとの婚約破棄目当てに仮面舞踏会へ、行きずりの相手と一晩を共にするのであった。けど、あれ?なんで貴方が隣にいるの⁉︎

出来の悪い令嬢が婚約破棄を申し出たら、なぜか溺愛されました。

香取鞠里
恋愛
 学術もダメ、ダンスも下手、何の取り柄もないリリィは、婚約相手の公爵子息のレオンに婚約破棄を申し出ることを決意する。  きっかけは、パーティーでの失態。  リリィはレオンの幼馴染みであり、幼い頃から好意を抱いていたためにこの婚約は嬉しかったが、こんな自分ではレオンにもっと恥をかかせてしまうと思ったからだ。  表だって婚約を発表する前に破棄を申し出た方がいいだろう。  リリィは勇気を出して婚約破棄を申し出たが、なぜかレオンに溺愛されてしまい!?

たった一度の浮気ぐらいでガタガタ騒ぐな、と婚約破棄されそうな私は、馬オタクな隣国第二王子の溺愛対象らしいです。

弓はあと
恋愛
「たった一度の浮気ぐらいでガタガタ騒ぐな」婚約者から投げられた言葉。 浮気を許す事ができない心の狭い私とは婚約破棄だという。 婚約破棄を受け入れたいけれど、それを親に伝えたらきっと「この役立たず」と罵られ家を追い出されてしまう。 そんな私に手を差し伸べてくれたのは、皆から馬オタクで残念な美丈夫と噂されている隣国の第二王子だった―― ※物語の後半は視点変更が多いです。 ※浮気の表現があるので、念のためR15にしています。詳細な描写はありません。 ※短めのお話です。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません、ご注意ください。 ※設定ゆるめ、ご都合主義です。鉄道やオタクの歴史等は現実と異なっています。

冷徹義兄の密やかな熱愛

橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。 普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。 ※王道ヒーローではありません

新たな婚約者は釣った魚に餌を与え過ぎて窒息死させてくるタイプでした

恋愛
猛吹雪による災害により、領地が大打撃を受けたせいで傾いているローゼン伯爵家。その長女であるヘレーナは、ローゼン伯爵家及び領地の復興を援助してもらう為に新興貴族であるヴェーデル子爵家のスヴァンテと婚約していた。しかし、スヴァンテはヘレーナを邪険に扱い、彼女の前で堂々と浮気をしている。ローゼン伯爵家は援助してもらう立場なので強く出ることが出来ないのだ。 そんなある日、ヴェーデル子爵家が破産して爵位を返上しなければならない事態が発生した。当然ヘレーナとスヴァンテの婚約も白紙になる。ヘレーナは傾いたローゼン伯爵家がどうなるのか不安になった。しかしヘレーナに新たな縁談が舞い込む。相手は国一番の資産家と言われるアーレンシュトルプ侯爵家の長男のエリオット。彼はヴェーデル子爵家よりも遥かに良い条件を提示し、ヘレーナとの婚約を望んでいるのだ。 ヘレーナはまず、エリオットに会ってみることにした。 エリオットは以前夜会でヘレーナに一目惚れをしていたのである。 エリオットを信じ、婚約したヘレーナ。それ以降、エリオットから溺愛される日が始まるのだが、その溺愛は過剰であった。 果たしてヘレーナはエリオットからの重い溺愛を受け止めることが出来るのか? 小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話

ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。 リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。 婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。 どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。 死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて…… ※正常な人があまりいない話です。

処理中です...