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第一話 中編
しおりを挟む鹿鳴館でのパーティーから三日後、梓は櫂人が住んでいる、父親の弟の叔父夫婦の家へ赴いた。
「梓お姉様!お越し下さりありがとうございます!」
可愛らしい姿をした、十二歳ぐらいに見える着物を着た少女が梓を自宅へ招きいれる。
「千代ちゃん、体調の方は大丈夫?」
「はい!もう終わりに近いので、数日前よりは元気になりましたわ!」
「それは良かったわ。千代ちゃんが体調を崩していると聞いて来たけれど、元気そうで安心したわ。」
「お気遣い、ありがとうございます!」
千代は礼儀正しくお礼を述べる。
「でも、月の物が来るようになって3回目ですが、全然慣れませんわ!体調もすぐに崩してしまうので、つまらないですわ!」
膨れっ面をしながら述べる千代に、梓も同調した。
「そうね、月の物は何年経っても私も慣れなくて、本当に困っているわ」
溜息を吐きながら、梓も心から千代の意見に賛同した。
「でも、終わって数日は体調に波があるから、気を付けてね」
「分かりましたわ!お姉様!」
千代は満面の笑みで答える。梓もその笑顔を見てつられて微笑む。
「お姉様、せっかくお越し頂いたので、お茶にしませんか?」
「ありがとう、そうさせてもらうわ」
千代は梓の腕を引き、客間へ連れていく。客間にある椅子に腰かけていると、女中が、紅茶と洋菓子を持ち、梓と千代の前へ、用意された紅茶と洋菓子を置いていく。
「では、千代お嬢様。何かございましたら、お呼び下さい。失礼いたします」
女中は一礼をすると客間から去っていく。
「お姉様、この紅茶美味しいんですの。是非お飲みになって下さい」
「ありがとう、千代ちゃん。戴くわね」
梓が紅茶に口をつける。香りも味も自分好み紅茶で、飲み込んでから温かい溜息が零れる。
「この紅茶、とても美味しいわ」
「そうでしょう!」
千代は誇らしげに答える。すると、客間に見知った姿の青年が顔を出す。
「お客様が来ているのか?」
客間の扉から、髪を纏めていない姿の櫂人がひょっこり顔を出した。
「あら、お兄様!おはようございます」
「櫂人!」
「姉さん、来ていたのか!」
眠そうな顔をしていた櫂人が、梓の姿を見てすぐに眠気が覚める。
「お仕事に行っていたのかと思っていたわ」
「あぁ、今日は午後から出勤なんだ。午前中まではゆっくりできる」
「そうだったのね」
「櫂人は凄いわ。この年齢でお仕事をしていて。私が櫂人と同じ年齢の時はまだ女学生だったから。大学在住中には、勉強と仕事を両立していて、ついこの間、卒業したばかりなのに…、もう一人前の立派な男性になって。私、あなたを誇らしく思うわ」
梓は微笑みながら櫂人を賛嘆する。
「そんな事ないよ。大学を飛び級出来たのも、学園長の贔屓だし、仕事も叔父さんに頼み込んで入れただけだから。たまたま運が良かっただけだよ」
櫂人は、あくびをしながら己の経緯を淡々と語る。
自分の努力をひけらかさないのも、櫂人の良さともいえよう。
長い髪を整えながら、一纏めにして、髪紐で後頭部に器用に髪を結んでいく。髪を結ぶと、シャツの襟首に細紐を回し、金属のブローチで、ループタイを付けた。
「そうだわ、お兄様!お昼まで暇でしたら三人で久々にお茶でもしましょう!はい、決定ですわ!」
千代の決定事項に櫂人は否定をせず、しぶしぶと空いていた椅子に腰かける。
ライ麦色の長い髪が朝の陽ざしに照らされ、薄い金色へと変化していく。
その美しい髪色に、梓は少し見惚れてしてしまう。
千代は女中を呼び、兄の紅茶を用意させた。自分用に用意された紅茶を、息で冷ましながら櫂人も紅茶に口を付ける。
「そうだわ!これを、千代ちゃんに渡したかったの!」
梓は、持って来た包みを千代に渡す。包みを開けると、そこには甘いカカオの香りが漂うチョコレートが箱に入っていた。
「これは、チョコレート!こんな高価な物を良いのですか!?」
「えぇ、勿論。少しでも千代ちゃんに元気になってほしくて、持って来たのよ」
「ありがとうございます。お姉様!戴きます!」
小さなチョコレートが千代の口の中へ入っていく。カカオの甘さと、少しのほろ苦さが口内に広がっていく。
「美味しいですわーーー!」
自分の頬を両手で抑え、幸せそうな満面の笑みで千代は答えた。
「チョコレートって今でも高価だよな?姉さんが買ったの?」
「いえ、実はお兄様から戴いたの。でも、このチョコレートは本当に美味しいから、千代ちゃんや櫂人にも食べさせたくて」
「あぁ、やっぱり。兄さんからの物だったんだね」
櫂人は不服そうに納得した。
「でも、美味しいのは本当なの。櫂人も一つどうかしら?」
姉の優しさを無下にできない櫂人は、複雑な面持ちでチョコレートを一粒口に入れる。
すると、チョコレートの美味しさに思わず声が漏れる。
「美味い…!」
「でしょう!このチョコレートは今までのと違って、一等高級な輸入品らしいの。味も今までのチョコレートより濃厚な甘さで出来ているのよ」
誇らしげに答える梓に対して、千代と櫂人は、次々とチョコレートを口に運んでいく。
「ふふふ、二人に気に入ってもらえて何よりだわ」
二人の姿に、思わず笑みが零れる。
だがすぐに、梓は少しだけ顔を曇らせた。
その様子をすぐに気づいたのは千代だった。
「どうしましたの?お姉様」
千代の問いに梓は重い口を開く。
「三日後に、縁談をする事になったの。」
「まぁ!?縁談!?それはお可哀そうに」
悲しそうな面持ちで千代は答える。
「相手はどんな人なの?」
チョコレートを運ぶ手を止め、真剣な眼差しで、櫂人は梓を見つめる。
「海外に留学をして、ドイツで医学を学んだお医者様らしいわ。ごめんなさい。それ以外は、私も知らないの…」
暗い表情で答える梓をよそに、千代は再びチョコレートを食べながら憤懣をぶちまけるように話し始める。
「そもそも、どうして私達女性は、親が勝手に決めた縁談をしなければならないのか、理解に苦しみますわ!見知らぬ人と縁談して、その殿方が気に入れば結婚するって、時代錯誤も甚だしいですわ!」
不満をぶつけながら千代の話続ける。
「まるで私達女性には人権がないのも同じですわ!何故選ばれる側で、い続けなければならないのか。そもそも、私達子供は、親の所有物ではありませんのよ!私は、今の世の中の結婚までの仕組みが嫌いです!私達女性だって、自由に選びたいですし、選ぶ権利もあります!」
甘いチョコレートを食しているにも関わらず、千代は苦い面持ちで力説する。
「私は…愛がある結婚なら賛成します。好きな人と両想いになって、結ばれる。そう、物語で言うと大団円!ハッピーエンド派ですわ!例え、どんな相手や身分でも、そこに愛があれば、二人の愛が確かなものなら結ばれるべきですわ!」
千代は瞳を輝かせ、胸の前で拳を作り、力を込める。
「ま、愛があっても、不貞の愛や、不倫などは論外ですけどね。そういうのは、真実の愛とは言えませんからねー」
一転して冷めたように千代は言う。
「そういう風に言うが。千代、お前この間まで妻子ある人と駆け落ちする恋愛小説を読んでいたよな?」
紅茶を飲みながら櫂人は、先ほどまで力説していた千代に問う。
「あれは、文学小説だから良いのですわ!現実の話でしたら、私はぜーーーーったいに、認めません!それよりも、私は今女探偵物に夢中なんですの!複雑難解な謎を解く、女探偵は本当に素晴らしくて、女性の私でも惚れ惚れしてしまうほど、かっこいいんですのよ!!」
物語の内容を思い出しながら、女探偵にうっとりするように、千代は両手を頬に沿える。
「その熱を勉学に活かせたら、苦労しないのにな…」
櫂人は目を瞑りながら紅茶をすすっていく。
「酷いですわ、お兄様!千代はこれでも努力はしているのですのよ!!」
必死に弁解する千代に、櫂人は意地悪く問いかける。
「じゃあ、このチョコレートの味の感想を、フランス語で言ってみろ」
自信満々に千代は答えた。
「デリシャスですわ!」
「それ、英語」
「んーーー?あっ!ブォーノー」
「それは、イタリア語」
「えっ?あっ!フクースナ!」
「それはロシア語…てか、ロシア語は教えてないよな!?」
「むーーーーー」
千代は頭を抱え悩み込む。それを見た梓が千代の耳元で囁く。
「セボン…よ。千代ちゃん」
閃いたかのように、千代は人差し指を自らの兄に向ける。
「セボ~ン!!!ですわ!!」
深い溜息を吐きながら、櫂人は答える。
「はぁ…。ーーー正解。というか、姉さんに教えてもらうまで分らなかったのか?」
「違います!思い出せなかったのが正解です!」
「本当か?!この前の試験の点数でもそれを言えるのか?」
千代は頬を膨らませ櫂人を睨む。
「人には向き不向きがあるんですのよ!」
「お前が海外の文学書も読みたいって頼んできたから、俺は仕事で疲れていても教えているのに?」
「それはっ、確かにお願いしましたけれど…海外の言葉は覚えるのが難しいんですのよ!」
兄の言葉に戸惑い、慌てながら彼女は弁解した。
「数年前から教えているのにか?」
「みんなお兄様みたいに覚えるのが早い人ばかりではないんですーーー!もーーーお兄様のいじわる!!」
「意地悪していない!俺は本当の事を言ったまでだ!」
千代と櫂人の軽い口喧嘩姿に梓がつい声を出して笑った。
その声に反応して、二人は梓の方へ顔を同時に向ける。
「二人のやりとりを見ていると、まるで本当の兄妹のようで見ていて微笑ましいわ。」
息を整えた後、梓は物寂し気に呟く。
「二人が羨ましいわ…」
その言葉を聞いた櫂人が悲痛な面持ちに変わる。
「何を言っているのですか?」
千代が不思議そうに梓を見つめる。
「お兄様とお姉様は、本当の姉弟じゃないですか!千代にとって、お兄様は、確かに血がつながっていない、本当の兄妹ではありませんわ!でも、私は、お義兄様の事を、本当のお兄様として思っています。それに、お兄様のお姉様は、千代にとってもお姉様になります!梓お姉様と千代は、本来なら従姉妹になりますが、私は本当のお姉様としてお慕いしております!」
「千代ちゃん…」
「お姉様は、千代の事を、やはり妹として思われては無いのですか?」
不安そうな顔で訪ねてくる彼女に、梓は首を横に振る。
「いいえ。戸籍上は従姉妹だけど、千代ちゃんの事は、本当の妹のように思っているわ。勿論、櫂人の事も、大切な弟として見ているわ」
「そっか…。ありがとう…姉さん」
複雑そうな顔をしながら櫂人は答える。
「では、誠一郎お兄様も含めて、私たちは、『九条家四兄妹』ですわね!」
喜ぶ千代を見て、梓は先程の不安が消える。誰かと三人でいる時は必ず余り物のように、一人になる経験をしている梓は、毎回感じる疎外感が辛く悲しかった。でも、千代と櫂人の三人でいる時は、疎外感を感じさせないぐらい、気持ちが安らぐのだ。
千代の明るさには何度も救われている。それは、三日後の縁談で、憂鬱になっていた気分さえ吹き飛ぶぐらいだ。
「そうだわ、お姉様!今度、小説愛好家達のお茶会がありますの!今回も女性のみのお茶会なんです!ご都合が良ければ、また一緒に行きませんか?」
「私なんかが行っても大丈夫なのかしら?私は千代ちゃんがお薦めしてくれた本しか読んでないのだけど…」
千代の提案に梓は少し不安げになる。
「大丈夫です!皆さんお優しい方なので、梓お姉様も是非にと言っておりましたわ!」
「そうなの?なら、また行こうかしら」
「わーい!嬉しいですわ!また楽しいお茶会をしましょうね!」
笑顔で喜ぶ千代がいじわるそうに、櫂人へ問いかける。
「お兄様、“また”千代の保護者として参加しても良いのですのよ?」
「もう行くわけないだろう!」
櫂人はすぐさま否定する。
「前回は驚いたわ。まさか、櫂人が千代ちゃんの保護者として、女装してくるとは思ってなくて…」
その時の事を思い出して、梓と千代はクスクスと笑い始める。
「あれは、叔母様に頼まれたからだ!自分は用事で行けないから、子供の千代だけで行かせるのが不安だからと何度も頼み込まれて…仕方なくやっただけだ!!」
顔をしかめながら櫂人は弁解する。その姿に千代は堪えきれない笑いに肩を震わせながら返す。
「だって、初めて小説愛好家の皆さんが開かれたお茶会に行きたかったんですもん!千代は悪くありません。それに、お母様もお兄様を女装させるのを、心から楽しんでいましたし」
「そうね、とても似合っていたわ、櫂人」
「やめてくれ、姉さん!!」
櫂人は素早く姉の言葉を否定した。
「あの時、姉さんが来るって知っていれば…俺は、あんな格好なんてしなかった!そもそも、千代!!お前が姉さんを誘っていた事を忘れるのが悪い!」
「確かにお誘いはしましたが、無理強いはしていなかったので、千代も予想外の展開で驚きましたわ!」
可愛く舌を出し、櫂人への謝罪は軽くあしらわれた。
お茶会会場で出会った時は驚いた。まさか自分の弟が髪に大きなリボンを付け、顔には軽く白粉を塗り、口紅を付け、女性の洋装姿で目の前に現れるとは、誰にも予想は出来なかっただろう。
出会った瞬間に二人は、驚きのあまり声を出した。
「姉さん!?」
「櫂人なの!?」
二人を不思議そうに見つめる参加者の女性達。慌てた様子で、千代が解釈をし始める。
「ああああのおおお!こちらは、家の事情で別々に暮らしております。お姉様の実のお姉様ですの。そうですよね?『櫂子お姉様』!!」
千代のとっさの気転に櫂人も合わせて話し始める。
「おほほほ、そうなんですのよ!お久ぶりですね、お姉様!とてもお会いしたかったわ!!」
中性的な声の櫂人だが、とっさの事である為、誰しもが解るぐらい下手くそな演技で場を和ませようとする。
不穏な空気を察して、梓は現状をすぐさま理解し、彼の言葉に合わせる。
「えぇ…『櫂子』本当に久しぶりね、でも元気そうで何よりですわ。おほほほ」
梓と櫂人のわざとらしい笑いが周りに響く。
千代も慌てふためきながら説明を続ける。
「訳あり姉妹って、小説にはよくありますからね!現実にあってもおかしくないですよね!?」
その場にいたのが全員文学大好きな女子ばかりだった為か、皆は不思議に思いつつも納得して、千代の協力もあり、訳ありの“姉妹”としてお茶会に迎えられた。その日のお茶会の話題は、二人が何故訳あり姉妹になったのかを談義する話で終わった。
その日の事を思い出しては、千代は笑いで肩を震わせるが、逆に櫂人は何度も肩を落とす。
「今度のお茶会も、またお兄様も是非にと、呼ばれておりました。いかがいたしますか?『櫂子お姉様』」
「櫂人さえ良ければ、私もまた見てみたいわ。『櫂子ちゃん』」
千代は先ほどの仕返しで、何度も兄を『お姉様』と意地悪く呼ぶ。梓もつい同じく、櫂人をからかってしまう。
「頼むから、姉さん!!記憶から抹消してくれ!!」
櫂人の悲痛な懇願も空しく、楽しい会話は昼まで続いた。
《一話 後編に続く》
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