名探偵の心臓は、そうして透明になったのだ。

小雨路 あんづ

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自らの意志で

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「繰り返します。本日起こった殺人事件を通し、人の尊厳及び生命について多くの投稿が寄せられております。事件は雨竜髭島の美山町にて起こりました。シングルマザーとみられる女性が胸をナイフで刺されたあと、妊娠していた胎児ごと腹部を刺されそのまま胎児が引きずり出されるという痛ましい、非常に残忍な事件です、犯人はまだわかっておらず、未だ逃走中である線が濃厚です。いずれも今回の件を受け――」

 秋から冬に移ろう、ほんの僅かな隙間の季節。まだ撫子の蕾は小さく硬い蕾の頃。勢いの衰えた日差しが窓から探偵所に差し込む時間帯。
 十時のおやつに、とチャロアが焼いたクッキーを食べようとした時に。呼んでもいない、背の高い二人組の男・オーウェンとウェルナイアがやってきたのだ。


 がしゃん


 穏やかさとは無縁の、無機質な音がオニキスの足元から響いた。カップとソーサーが、オニキスの手からすべらかに落ち、割れたからだ。

「先生っ」

 チャロアがオニキスを呼んだ。それでも、呆然とも愕然ともつかない感情が、オニキスの頭の中をぐるぐると回り、その言葉は右から左へと流れていった。普段よく回る頭も口も硬直している、足元が濡れる感覚が気持ち悪い。でも、それすら厭わないほど。
 オーウェンが発した言葉は、オニキスの逆鱗に触れたのだ。

「いま、なんと言ったの?」
「警察ではあの怪盗が関与……いや、犯人だと考えられていると言ったまでだが? 容疑をただの窃盗から窃盗及び殺人に切り替える方針で動いている」
「ふざけないでちょうだい!!」

 どこから、とオニキス自身が思うほどに大きな声が出た。その後にこほこほと小さく咳き込んでしまったのは仕方がない。こんな大声、出したことがないのだから。チャロアが背中を擦ってくれたのが効いているのか、段々と楽になるが堰は止まない。
 むせているオニキスを冷えた目で見ながら、オーウェンは告げる。それを困ったようにみているウェルナイアとオーウェンを睨みつけているチャロアではだいぶ差があったが。

「あの場は密室だった。唯一逃げられるとすれば窓だけだが、地上七階だ。しかも『確かにいただきました』とカードも残っていたと聞いている。誰が、どうやって、こんな手腕と証拠品を残していけると言うんだ? あの怪盗以外!」
「手腕は鮮やかね、でもそれだけよ! カードなんていくらでも偽造できるわ、それだけであの人を犯人に仕立て上げるなんて警察は無能なの!?」
「何だと!?」
「オーウェン!」
「先生っ!」

 激昂するオニキスに、オーウェンが掴みかかろうとしたのを、オーウェン側はウェルナイアが羽交い締めにし、オニキスの身を抱きしめることでチャロアが守った。
 心臓の拍動が激しく、涙が出てくる。こんな感情を、オニキスは知らない。ぼたぼた大粒の涙を流すオニキスを見て、きまりが悪くなったのかオーウェンは「これが警察の見解だ」もごもご言いながら、探偵所を出ていった。
 ウェルナイアとオーウェンが出ていって、残ったのは割れたティーカップとソーサー、未だ涙を流し続けるオニキス。なかなかの惨状だ。
 静かに、チャロアがオニキスを呼んだ。

「先生」
「あなたも、怪盗さんが犯人だというの?」
「先生」
「あんな、あんなこじつけで、あの人のこと何一つ知りもしないくせに」
「先生っ!」
「……っ」

 ぐじゅと洟をすすって顔を上げたオニキスに、チャロアはただ真っ直ぐに。その涙で潤み、サファイアみたいに輝く青い瞳に、屈み込んで視線を合わせていた。

「先生は足があります。手も、口も、明晰な頭脳も」
「……」
「なのに何故、ここに居るんです?」
「え」
「どこにだって行ける足が、何でも調べられる手が、真実を語る口が、明らかにする頭脳があるのに。なんでただ待っているだけなんですか?」
「!!」
「それで、いいんですか?」

 よくない。
 オニキスは目を見開いて、頭の中で否定した。でも同時に、つつじからの命令も頭をよぎる。つつじはオニキスにとっていつだって恐ろしい存在だ。
 だが、それでいいのだろうか。大切なのは、優先順位はどれだ。
 つつじ、と出かけて怪盗という言葉が邪魔をする。
 怪盗は、一度も人を傷つけるようなことはしなかった。傷つける行為は、美しくないとも言っていた。なら、その美学に反することをあの怪盗がするだろうか。美学に則るためには盗んだ品さえ返す怪盗が? 否。
 あの怪盗はそんなことをしないと、オニキスの中では明白なのにこのままだと犯人にされてしまう。してもいない罪で中傷される怪盗を見て、オニキスは耐えられるだろうか? 否。
 つつじの命令は、無実の人間を有罪に仕立て上げることを阻止することほど大事なのだろうか? 断じて否。
 長い長い逡巡の後、オニキスは自然と下がっていた顔をあげた。その瞳に、煌めくような強い意志を携えて。
「今ならチャロアちゃんも付いてきますよ!」とお茶目にウインクを飛ばした助手に口元を緩め。

「助手、出かけるわよ」
「はい、先生っ!」

 オニキスとチャロアは、いままで連れ出されることでしか出たことのない探偵所を、自らの意志で飛び出したのだった。
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