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しおりを挟む年季の入った木製の扉を開ける。
天窓式で光がいっぱいに取り込めるようにと設計されたそこは。白い床に壁、並べられた椅子すら真っ白で、少女と手をつないでいるキメラの像まで一点の翳りもなく白かった。
白さが光を乱反射させて、中に人がいないことも光の反射を遮ることなく行わせている一因になっている。光の中にいるといってもいいほどの場所に咲也子はめまいと同時に、やりすぎだろうと思った。どうしてこうなった。そっと扉を閉めた修道女によって、この空間はさらに白さを増す。
「キメラ様は白をお好みでいらっしゃるというお話がありまして。我々神殿は白を基調としたつくりになっておりますの」
この修道服も白いでしょう? と自慢げに語る修道女は咲也子のフードを被った小さな頭が羞恥に震えていることに気が付いていない様子だった。
ティオヴァルトとしては何度も小さいころから見慣れた神殿のつくりに何の不満があるのかと咲也子の羞恥っぷりを見ていたが。というか、この小さいキメラが白を身に着けているところなんて、そのフード付きのケープと白いタイツくらいしかない。
今まで当然のことだと思っていたが、本当にキメラは白を好んでいるのか不思議になってきた。
「お待ちください!」
「少しくらいいいじゃないか! 邪魔しないでよ!」
「ですから、青目持ちの方がいらっしゃらなければいけないのはあちらの建物で……!」
「青目持ちが礼拝しちゃいけないっていう決まりでもあるの!?」
「青目持ちの方専用の礼拝堂が!」
「わたしはこっちがいいんだよ!」
にわかに咲也子たちが入ってきた扉の向こうが騒がしくなると、大きな音を立てて扉が開いた。
乱暴な動作に修道女はきゃっと悲鳴をあげ、とっさに繋いでいた手をほどき、ティオヴァルトは咲也子を背後にかばった。
そんな彼らに目もくれず入ってきたのは青い修道女服を着て黒い髪を赤いひもで結い上げたポニーテールにした少女だった。かつかつと像の前まで来るとふーんと呟きながらじろじろと見た挙句。
「なーんだ。あっちにあるものと変わらないじゃないか。来て損した」
勝手なことを言っていた。
後ろを振り向いて、修道女とティオヴァルト、背後にかばわれている咲也子に気付くとにやにやとした笑みを浮かべながら近づいてきた。しかし、ティオヴァルトに目をやると不思議そうな顔をしてから、何かに合点がいったかのようにうなずいた。
「やあ、君誰かと思ったら、この間の呪印君じゃないか。元気?」
「……元気に見えるんだったそうなんじゃねえの」
「なんだ口が減らないね。ところでお嬢ちゃん、建物の中ではフードを脱ぐようにってママに教わらなかったのかい? お貴族様だろうとキメラ様の前での無礼は許されないよ?」
「……」
「だんまりか。つまらないなあ。そういえば呪印君の方は奴隷になったって聞いてたんだけど、その子に買われたのかい? 包帯、似合ってるね」
厭味ったらしいその口調に。口が減らないのはてめえだろとティオヴァルトは言いたくてたまらなかった。キメラ様の前での無礼も何もしているのがキメラ様本人なのだから、むしろ無礼なのはそちらである。
「ティオ、知り合いな、の?」
「呪印解くときに同席してたやつだ。こいつ自体は'暴食'の加護持ちらしいが」
「おや、覚えててくれたの? ありがとうね、奴隷君」
あまりにも失礼、無遠慮ともいえる態度にさすがの修道女もいさめようとしたとき、その前に。
咲也子が切れた。
楽しく羞恥心にもまれながらも見学をしていた時にいきなりの無礼である。誰でも怒るだろう。
「君、は」
ぼそりと、小さく声が聞こえた。
正直に言えば、1人で迷宮に潜る前に。朝市でサンドイッチを買うために並んでいるときに。こういうことは何度かあった。
奴隷という身分となったティオヴァルトに、自分ではどうとも思っていないのに周りが囃し立てて盛り上がっていることは。だから、特に気にもしていなかった。言いたい奴には好きなだけ言わせておけばいいのだ。だから。自分が気にしていないのだから、咲也子が気にすることなんてひとかけらもないと、思っていた。
実際にそんなに長く時間は経っていないだろう。ティオヴァルトが考え事をしていた時間なんて微々たるもののはずだ。なのになぜか。目の前の問いに、時間の流れが変わる。ここだけ時間軸がよどむように、流れているかもわからないくらいにことさらゆっくりと流れている気がした。
「君は、誰のものに向かって口をきいているんだ」
ぞくりとした。
ただ目の前で、生まれ変わるように雰囲気を変えた少女を、小さな主人を見て。同時に、「誰のもの」という言葉に。自分が確かにこの少女の所有物なのだと断言された、そんな背徳的とも言える感情に背筋を震わせる。
『光の中にいるようだ』と形容される礼拝堂にいてなお、光すらその存在に覆われてしまって。ここがもう『光の中』だなんて思えなかった。
理解はしているつもりだった。主神殿の青目持ちすら解けなかった呪いを容易く解いたときに。とっくに理解をしていたはずだった。いや、理解したつもりになっていただけなのかもしれない。この幼い少女はキメラであると。神話上の生き物であると。
でも、目の前で全く違う次元の存在へと昇華された少女は間違いなく、キメラである本質を今の今まで全くと言ってもいいほどに出していなかったことを悟った。
(そうだろ。これで本気じゃないとか言われてみろよ……)
全くをもって笑えない。
今でさえ、信仰心なんて一度も抱いたことがないどころか。鼻で笑っていたようなティオヴァルトでさえ、膝を折りたくてたまらない。苦しい威圧というわけではなく。ただその神々しさに。その存在感に、圧倒的なまでの雰囲気に本能が守らなければ・膝を折らなければと思わせるのに。目の端で、耐えきれずに修道女が膝をついたのが見えた。
きっと、信仰心が耐えられなかったのだろうとティオヴァルトは推測した。それほどまでに、強烈な存在感。
「口を謹《つつし》んで」
果たして、そんな存在から実際に言葉を告げられた少女は。黒髪を結い上げた、青目持ちの少女は。涙目になって腰を抜かしてしまっていた。
何か言いたいように、口を開くことしかできずただ空気をかんでいるだけだった。無様なその光景を見た咲也子の存在感がほどかれるように霧散する。
そこにはただの幼い、貴族めいた気品のある幼い少女しかいなかった。
存在感で時間を圧迫していた神話上の神様は、そっと静かにその才能を隠した。
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