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「ひん?」

 小さく呼びかけてみる。ごおごおとした土煙や大蛇の怒りの咆哮に紛れて聞こえないかもしれないそれを。咲也子の、たったひとりのテスターはきちんと拾い上げていた。

「ふぃぃぃん!」

 歌うような声で。以前の枯れたような声とは全く違う絹の音で返事をする。大蛇から視線は外さないものの、綺麗な三枚の尾先ですべらかに咲也子の頬をなでることで。
 ひんは精一杯、この場で表現できるうれしさを表していた。

(来てくれたんだ……)

 おいしい紅茶を飲んだわけでもない。怪我だっていっぱいしていて、服も顔も泥と血で汚れているだろう。それでも、胸とお腹があったかくなってきたような気がして。
『かわりになる』といったキイナに『ごめんね』と言わずに済んだことにほっとして。助けに来てくれたことがうれしくて。いまさらになって足が震えだす。本当は怖くてたまらなかったんだということに、本当にいまさら気が付いた。
 
 うれしくて、泣きたくて、たまらなくなって、咲也子は赤い水と泥で汚れてしまったケープの裾を握る。ぽたりとそこから赤い水がたれる。
 こわかった。こわかった。一人はいやだった。口を開けば出てしまいそうなそれをぎゅっと耐えて、咲也子はひん越しに怒り狂い尾で壁を叩きまわっている大蛇に体を向ける。
 一回強く目をつぶって、覚悟を決める。

「ひん。一緒にがんばろ、う」

 嬉しそうにひんが鳴いた。背中に生えた無数の羽毛を羽ばたかせながら、嬉しそうに。誇り高く鳴いた。
 それを、その言葉をひんは聞きたかった。なによりも。
 
「‘凍てつく吐息‘」

 美しい龍の口がぷくりと膨れ、冷気が放出される。
 初めて放たれたはずのそれは、まず大蛇の鱗を、次に脂肪を、そして肉を明確に、瞬間的に凍らせていく。それでも放たれ続ける冷気は大蛇の全身を覆い、完全に凍てつき静かに動きを止めた。
 
 ひんが現れてから五分もたっていない。ここまでさんざん咲也子をなぶっていた蛇の呆気ない最期だった。
 大蛇が完全に生命活動を停止したのを確認してから、咲也子はひんに近づいた。

「ひん?」
「ふぃぃぃん!」
「ごめんなさ、い」

 歌うような柔らかい声が怒りを伝える。
 危険かもしれないと分かっていたのに、結晶塔の迷宮に来て。ひんにこわい思いをさせて。ひとりぼっちにして。ごめんなさい。
 うつむいて、水の染みこんだワンピースの裾を握りながらつらつらと謝罪を述べていく咲也子に、ひんは首をふる。

「ふぃぃん。ふぃぃぃん」
「お、れ?」

 ちょいちょいと鼻先で咲也子の顔をつつく。進化以前にあった前ひれなら容易くできたのだが、何分進化とともに体に吸収されてしまい、羽毛が背中に、首周りに毛皮があるだけだった。まあ、そんなことはどうでもよくて。
 重要なのは咲也子が自分のことを考えていないことだ。
 
 ひんが出る前よりも明らかに傷だらけになっている顔をつつくのをやめ、咲也子を包むようにとぐろを巻き、背中の羽毛で咲也子を包む。ふわふわした羽に包まれて、咲也子はどうしたのだろうかと考える。やはり謝罪が足りなかったのだろうかと思っていると、さわさわ揺れる羽がぼんやりと光り始め、声が聞こえてきた。

『無事でよかった』『マスター、大好き』『あなたのために、強くなりたかったんだよ』『大好き』『弱くてごめんね』『傷、たくさんごめんね』『捨てないで』『守れてよかった』

 やわらかい、女の子の声だった。さまざまな感情が羽越しに伝わってくる。どこまでも咲也子の身を案じて、自分の弱さを恥じて、守れたことに喜んでいるその声たちに。

「ありがと、う。ひん。おれも大好き、よ」

 たまらずひんの羽に抱き着いた咲也子の目から、涙が一粒だけこぼれた。
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