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第十七話 悪くない
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「フラン?」
「……なんでもないわ。それで完成なの?」
「そうよ。どうかしら、なかなかの力作なんだけど」
「……それでなかなかなんて、世の中の切絵職人が聞いたら自殺しそうね」
「え?」
力作であり、最高傑作ではないという意味のその言葉を繰り返せば。不思議そうにアンルティーファは首を傾げる。
長い時間をかけてきた職人が最高傑作と言えるようなものを作っておきながらのその態度に、フランはひくりと頬を引きつらせる。
「別に。……というか、これから王都に行くんでしょ? だったらそれ持って切絵師の品評会に出した方がいいんじゃない?」
「だめよ。これはフランのものだもの。フランのために作ったものを他のひとに差し出せなんてひどいわ」
ぷくうっと頬を膨らませて怒っているとアピールしているらしいアンルティーファに、フランは困惑する。
だってこれはそれほどの価値があるものだ。こんなに美しく、雨の情景を切り取ったものをフランは他に知らない。なのに、これを奴隷であるフランのために作ったのだという。フランのためだけに。その言葉、どこか心の奥底を指で優しくなぞられるような快楽にふるりと身体を震わせたフランに。アンルティーファは怒っていたのも忘れて頬から空気を抜くと、心配そうに作りあがった切絵をもって近づいてくる。その眉はへにょんと下がっていて、情けなかった。
「どうしたの、フラン。寒い?」
「……なんでもないわ。それより……それ、本当に私に寄こすつもり?」
「ええ! フランのために作ったものだもの、フラン以外にあげる気なんかないわ。はい、どうぞ」
「……礼は言わないわよ」
「ふふー、いずれお友達になるんだもの。いらないわ」
「……無理だと言ってるでしょうに」
雨空に似合わない晴れやかな笑みで「いいのよ!」と強く言い切ったアンルティーファに、フランはそっとため息をついたのだった。
フランの手にのるほどの小さくて巧緻なその切絵をフランの手のひらに押し付けると、目の前で食べてみせろと言わんばかりににこにこしているアンルティーファ。それにもう一つため息をついてフランはその切絵を食べ始めた。端からじわじわと燃えるように消えていくそれに、アンルティーファは目を輝かせる。
それは官能に近かった。エルフが食べる切絵の味は作者の技量によって変わる。拙いものならまずく、その技術が研ぎ澄まされていればいるほど美味しく。これは間違いなく熟練者の味だった。サトールのキビから採れるもったりとした砂糖の甘さとは違う、爽やかな甘みがじんわりと身体に響いて。ずくりと身体がうずくそれはゆっくりと喉をくすぐるみたいで、キャッルのようにごろごろと喉を鳴らしたくなる。ごくりとのんだ唾液すら甘い気がして、フランはその鋭い碧眼をとろけさせた。頬は紅潮し、細い上向きの耳の先が赤くなる。熱そうに一つ軍服じみた白い衣裳のボタンを外す。
はぁ、とうつむいて深く熱い吐息をこぼしたフランに、アンルティーファは心配そうな顔をした。ため息に聞こえたらしい。
「フラン、平気? おいしくなかったかしら? ごめんなさい」
「……なんでも、ないわ。悪くはなかったとだけ、言っとくわ」
とぎれとぎれにそう言って、フランは身に余る熱を冷ますために箱型馬車に通じる階段をふらふら降りると。アンルティーファの戸惑った視線を背中に感じつつも御者台へと飛び乗り、フランは御者台の上に寝転んで足を持て余し気味にぶらぶらさせてみたり、地図を引っ張り出して暇つぶしにめくったりと冬の雨、空気から伝わる冷たさで身体を冷ましたのだった。
その日は雨なのをいいことに作品を作ったり、脳裏に浮かんだ案を絵に描きとめたり、使った道具類を雨水で洗ったりとアンルティーファは一日を過ごしたのだった。フランは「悪くない」と言っていたのだから、きっとそれは美味しいってことなんだわと明るい考え方をすることにして。「悪くない」そう言ったのが彼女にとって、最大の嫌味だったことに気付かないまま。
エルフは基本的に素直で嘘はつかない。その本質に、フランも逆らえず出た言葉とは知らないで。
「……なんでもないわ。それで完成なの?」
「そうよ。どうかしら、なかなかの力作なんだけど」
「……それでなかなかなんて、世の中の切絵職人が聞いたら自殺しそうね」
「え?」
力作であり、最高傑作ではないという意味のその言葉を繰り返せば。不思議そうにアンルティーファは首を傾げる。
長い時間をかけてきた職人が最高傑作と言えるようなものを作っておきながらのその態度に、フランはひくりと頬を引きつらせる。
「別に。……というか、これから王都に行くんでしょ? だったらそれ持って切絵師の品評会に出した方がいいんじゃない?」
「だめよ。これはフランのものだもの。フランのために作ったものを他のひとに差し出せなんてひどいわ」
ぷくうっと頬を膨らませて怒っているとアピールしているらしいアンルティーファに、フランは困惑する。
だってこれはそれほどの価値があるものだ。こんなに美しく、雨の情景を切り取ったものをフランは他に知らない。なのに、これを奴隷であるフランのために作ったのだという。フランのためだけに。その言葉、どこか心の奥底を指で優しくなぞられるような快楽にふるりと身体を震わせたフランに。アンルティーファは怒っていたのも忘れて頬から空気を抜くと、心配そうに作りあがった切絵をもって近づいてくる。その眉はへにょんと下がっていて、情けなかった。
「どうしたの、フラン。寒い?」
「……なんでもないわ。それより……それ、本当に私に寄こすつもり?」
「ええ! フランのために作ったものだもの、フラン以外にあげる気なんかないわ。はい、どうぞ」
「……礼は言わないわよ」
「ふふー、いずれお友達になるんだもの。いらないわ」
「……無理だと言ってるでしょうに」
雨空に似合わない晴れやかな笑みで「いいのよ!」と強く言い切ったアンルティーファに、フランはそっとため息をついたのだった。
フランの手にのるほどの小さくて巧緻なその切絵をフランの手のひらに押し付けると、目の前で食べてみせろと言わんばかりににこにこしているアンルティーファ。それにもう一つため息をついてフランはその切絵を食べ始めた。端からじわじわと燃えるように消えていくそれに、アンルティーファは目を輝かせる。
それは官能に近かった。エルフが食べる切絵の味は作者の技量によって変わる。拙いものならまずく、その技術が研ぎ澄まされていればいるほど美味しく。これは間違いなく熟練者の味だった。サトールのキビから採れるもったりとした砂糖の甘さとは違う、爽やかな甘みがじんわりと身体に響いて。ずくりと身体がうずくそれはゆっくりと喉をくすぐるみたいで、キャッルのようにごろごろと喉を鳴らしたくなる。ごくりとのんだ唾液すら甘い気がして、フランはその鋭い碧眼をとろけさせた。頬は紅潮し、細い上向きの耳の先が赤くなる。熱そうに一つ軍服じみた白い衣裳のボタンを外す。
はぁ、とうつむいて深く熱い吐息をこぼしたフランに、アンルティーファは心配そうな顔をした。ため息に聞こえたらしい。
「フラン、平気? おいしくなかったかしら? ごめんなさい」
「……なんでも、ないわ。悪くはなかったとだけ、言っとくわ」
とぎれとぎれにそう言って、フランは身に余る熱を冷ますために箱型馬車に通じる階段をふらふら降りると。アンルティーファの戸惑った視線を背中に感じつつも御者台へと飛び乗り、フランは御者台の上に寝転んで足を持て余し気味にぶらぶらさせてみたり、地図を引っ張り出して暇つぶしにめくったりと冬の雨、空気から伝わる冷たさで身体を冷ましたのだった。
その日は雨なのをいいことに作品を作ったり、脳裏に浮かんだ案を絵に描きとめたり、使った道具類を雨水で洗ったりとアンルティーファは一日を過ごしたのだった。フランは「悪くない」と言っていたのだから、きっとそれは美味しいってことなんだわと明るい考え方をすることにして。「悪くない」そう言ったのが彼女にとって、最大の嫌味だったことに気付かないまま。
エルフは基本的に素直で嘘はつかない。その本質に、フランも逆らえず出た言葉とは知らないで。
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