水底からみる夢は

小雨路 あんづ

文字の大きさ
上 下
18 / 27

第十七話 悪くない

しおりを挟む
「フラン?」
「……なんでもないわ。それで完成なの?」
「そうよ。どうかしら、なかなかの力作なんだけど」
「……それでなかなかなんて、世の中の切絵職人が聞いたら自殺しそうね」
「え?」

 力作であり、最高傑作ではないという意味のその言葉を繰り返せば。不思議そうにアンルティーファは首を傾げる。
 長い時間をかけてきた職人が最高傑作と言えるようなものを作っておきながらのその態度に、フランはひくりと頬を引きつらせる。

「別に。……というか、これから王都に行くんでしょ? だったらそれ持って切絵師の品評会に出した方がいいんじゃない?」
「だめよ。これはフランのものだもの。フランのために作ったものを他のひとに差し出せなんてひどいわ」

 ぷくうっと頬を膨らませて怒っているとアピールしているらしいアンルティーファに、フランは困惑する。
 だってこれはそれほどの価値があるものだ。こんなに美しく、雨の情景を切り取ったものをフランは他に知らない。なのに、これを奴隷であるフランのために作ったのだという。フランのためだけに。その言葉、どこか心の奥底を指で優しくなぞられるような快楽にふるりと身体を震わせたフランに。アンルティーファは怒っていたのも忘れて頬から空気を抜くと、心配そうに作りあがった切絵をもって近づいてくる。その眉はへにょんと下がっていて、情けなかった。

「どうしたの、フラン。寒い?」
「……なんでもないわ。それより……それ、本当に私に寄こすつもり?」
「ええ! フランのために作ったものだもの、フラン以外にあげる気なんかないわ。はい、どうぞ」
「……礼は言わないわよ」
「ふふー、いずれお友達になるんだもの。いらないわ」
「……無理だと言ってるでしょうに」

 雨空に似合わない晴れやかな笑みで「いいのよ!」と強く言い切ったアンルティーファに、フランはそっとため息をついたのだった。
 フランの手にのるほどの小さくて巧緻なその切絵をフランの手のひらに押し付けると、目の前で食べてみせろと言わんばかりににこにこしているアンルティーファ。それにもう一つため息をついてフランはその切絵を食べ始めた。端からじわじわと燃えるように消えていくそれに、アンルティーファは目を輝かせる。
 それは官能に近かった。エルフが食べる切絵の味は作者の技量によって変わる。拙いものならまずく、その技術が研ぎ澄まされていればいるほど美味しく。これは間違いなく熟練者の味だった。サトールのキビから採れるもったりとした砂糖の甘さとは違う、爽やかな甘みがじんわりと身体に響いて。ずくりと身体がうずくそれはゆっくりと喉をくすぐるみたいで、キャッルのようにごろごろと喉を鳴らしたくなる。ごくりとのんだ唾液すら甘い気がして、フランはその鋭い碧眼をとろけさせた。頬は紅潮し、細い上向きの耳の先が赤くなる。熱そうに一つ軍服じみた白い衣裳のボタンを外す。
 はぁ、とうつむいて深く熱い吐息をこぼしたフランに、アンルティーファは心配そうな顔をした。ため息に聞こえたらしい。

「フラン、平気? おいしくなかったかしら? ごめんなさい」
「……なんでも、ないわ。悪くはなかったとだけ、言っとくわ」

 とぎれとぎれにそう言って、フランは身に余る熱を冷ますために箱型馬車に通じる階段をふらふら降りると。アンルティーファの戸惑った視線を背中に感じつつも御者台へと飛び乗り、フランは御者台の上に寝転んで足を持て余し気味にぶらぶらさせてみたり、地図を引っ張り出して暇つぶしにめくったりと冬の雨、空気から伝わる冷たさで身体を冷ましたのだった。
 その日は雨なのをいいことに作品を作ったり、脳裏に浮かんだ案を絵に描きとめたり、使った道具類を雨水で洗ったりとアンルティーファは一日を過ごしたのだった。フランは「悪くない」と言っていたのだから、きっとそれは美味しいってことなんだわと明るい考え方をすることにして。「悪くない」そう言ったのが彼女にとって、最大の嫌味だったことに気付かないまま。
 エルフは基本的に素直で嘘はつかない。その本質に、フランも逆らえず出た言葉とは知らないで。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

婚約破棄された令嬢の恋人

菜花
ファンタジー
裏切られても一途に王子を愛していたイリーナ。その気持ちに妖精達がこたえて奇跡を起こす。カクヨムでも投稿しています。

婚約破棄からの断罪カウンター

F.conoe
ファンタジー
冤罪押しつけられたから、それなら、と実現してあげた悪役令嬢。 理論ではなく力押しのカウンター攻撃 効果は抜群か…? (すでに違う婚約破棄ものも投稿していますが、はじめてなんとか書き上げた婚約破棄ものです)

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~

緑谷めい
恋愛
 ドーラは金で買われたも同然の妻だった――  レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。 ※ 全10話完結予定

処理中です...