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第十五話 職人
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翌日は大降りではない、ただ静かに降る小雨だった。朝食を食べおわって、何もすることがない二人はなめし革の敷物の上でなんとなく黙り込んでいた。
しとしとと冷たい雨が屋根のない部分の旅籠に落ち、平らになった草を濡らす。どんよりと曇った空は濃い灰色で、どことなく気分が滅入る。こんな時、明るい陽気なルチアーナがいれば……と考えて、アンルティーファは自己嫌悪に陥る。そのルチアーナを殺したのはいったい誰だ。自分だろうと。そしてルチアーナがいればアンルティーファはフランを買うこともなかったのに、と。
雨の日に箱型馬車を走らせることはできない。紙は雨に弱く、もしも雨漏りなんてしていたら目も当てられないから。
そんな日にやることは決まっている。切絵づくりだ。雨の日は特にそうだった。ルチアーナも「暇よねえ」なんて呟きながらアンルティーファに切絵の作り方や「オリガミ」と呼ばれる東の果てにあるという国の紙の折り方などを教えてくれた。だから、やけに明るい口調でアンルティーファはフランに言った。
「ねえ、フラン。わたし切絵を作るから見る?」
「……別に、構わないけど」
「えへへ、ママ以外に見られたことないから緊張するわ!」
嬉しそうに弾んだ声でアンルティーファはフランの手をそっとまるでガラス細工でも持つように丁寧に握ると、箱型馬車の荷台へと誘った。
仕方なさそうにため息をつきながらもちまちま歩くアンルティーファに手をひかれて、その長い足でフランは箱型馬車の荷台へとのぼった。
荷台の入り口に来るとアンルティーファはフランの手を離し、自分は箱型馬車の荷台の布でできた扉を開けた。ふわりと様々な甘い匂いがする。中にあるカンテラにマッチで火を入れて、使い終わったマッチの棒は雨が降っている旅籠の屋根がないところまで放り投げる。万が一でも火事の心配がないようにだ。光が幾重にも反射して周りを明るく照らすタイプのカンテラに照らされた箱馬車の荷台は、縦幅が薄く横幅の厚い棚がずらりと積んであって、その棚の取っ手を区切ってすべてに小さな切絵用の紙が貼ってあった。一段一段違う色が貼ってあることから「ここにこの色の切絵用の紙が入っている」ということを示しているのがわかる。
入り口の近くの隅に作業台があって、後はすべて箱型馬車の高いとは言えない天井まで紙が入っているのだろう棚がある。作業台の上にはゴムでできたサイズの書かれたカットマットは作業台全体に敷かれていて何十本とあるデザインナイフは深い木のペン立てに入っていた。まっすぐに線を引くための木の定規、ピンセット、大ぶりと小ぶりのカッターが一つずつとこれまた大小の鋏が一こずつにのりの入った壺。作業台の上に散らばっている。作業台の隣には白い切絵紙に色を付けるための横に十、縦に五十三入る四角い回転式の食紅の入った小瓶棚とパレット、薄めるための水の入った小瓶と筆。筆の種類も筆先の細いものから極太のものまで十何本あった。それがおかれていた。ところどころ隙間があるため、まだ食紅を集めている途中なのだとわかる。
「あ、フランはここで待ってて」
「来いって言いながら入り口で待てとかどういうことよ」
「あのね、ここは作業場なの。切絵を作る、神聖な場所なの。だからね、職人以外がここに入っちゃいけない、切絵を作る目的以外で入ってはいけないってママが言ってたの。だからわたしもママも一度として作業場で寝たことはないし、切絵目的以外で入ったことはないし。わたしもそう思うわ」
「……お前は職人なのね」
「そうよ!」
自慢げに凹凸のない胸を張って、アンルティーファは本当に嬉しそうに笑った。それはぱっと輝く太陽のように眩しい笑顔で、その曇りのなさにフランはついっと目をそらした。フランは知らないが、ルチアーナが死んでから初めて浮かべる本当の笑顔だった。
そもそも、切絵に使われる紙は「紙のための果実」と呼ばれる木の実の皮なのだ。枯れ細い幹に人の指ほどの太さの枝が無数に伸び、そこにコッコの卵くらいの大きさの地域によって様々な色合いの実をつける。とある高山では黄色、とある野原ではターコイズブルー、とある漁村では緋色といった具合に。
まず、たらいに水を張りそこに果実を入れる。一晩経って皮が緩んで来たら実の頭を上にして一気につるんとむき上げる。むけたら皮を広げてのりの役割をする実から絞った果汁と残りかすを混ぜて、粘り気が出るまで練り上げ板に張りつける。そうすることで切絵に使う甘い匂いのする紙は完成する。昔は切絵職人もそれをやっていたらしいが、あまりに根気のいる作業にいまでは専門の業者がいるくらいだ。
それぞれの町や村で紙の色は微妙に違い、同じ時に作られた紙でも一枚として同じものはないためこれを求めてルチアーナは各地方面を旅していた側面がある。この作られる紙は薄いものから厚いものまでさまざまで、種類によって値段は変わったものだ。ちなみにこの棚には同じ色でも厚いものは下に、薄いものは上に置いてある。
しとしとと冷たい雨が屋根のない部分の旅籠に落ち、平らになった草を濡らす。どんよりと曇った空は濃い灰色で、どことなく気分が滅入る。こんな時、明るい陽気なルチアーナがいれば……と考えて、アンルティーファは自己嫌悪に陥る。そのルチアーナを殺したのはいったい誰だ。自分だろうと。そしてルチアーナがいればアンルティーファはフランを買うこともなかったのに、と。
雨の日に箱型馬車を走らせることはできない。紙は雨に弱く、もしも雨漏りなんてしていたら目も当てられないから。
そんな日にやることは決まっている。切絵づくりだ。雨の日は特にそうだった。ルチアーナも「暇よねえ」なんて呟きながらアンルティーファに切絵の作り方や「オリガミ」と呼ばれる東の果てにあるという国の紙の折り方などを教えてくれた。だから、やけに明るい口調でアンルティーファはフランに言った。
「ねえ、フラン。わたし切絵を作るから見る?」
「……別に、構わないけど」
「えへへ、ママ以外に見られたことないから緊張するわ!」
嬉しそうに弾んだ声でアンルティーファはフランの手をそっとまるでガラス細工でも持つように丁寧に握ると、箱型馬車の荷台へと誘った。
仕方なさそうにため息をつきながらもちまちま歩くアンルティーファに手をひかれて、その長い足でフランは箱型馬車の荷台へとのぼった。
荷台の入り口に来るとアンルティーファはフランの手を離し、自分は箱型馬車の荷台の布でできた扉を開けた。ふわりと様々な甘い匂いがする。中にあるカンテラにマッチで火を入れて、使い終わったマッチの棒は雨が降っている旅籠の屋根がないところまで放り投げる。万が一でも火事の心配がないようにだ。光が幾重にも反射して周りを明るく照らすタイプのカンテラに照らされた箱馬車の荷台は、縦幅が薄く横幅の厚い棚がずらりと積んであって、その棚の取っ手を区切ってすべてに小さな切絵用の紙が貼ってあった。一段一段違う色が貼ってあることから「ここにこの色の切絵用の紙が入っている」ということを示しているのがわかる。
入り口の近くの隅に作業台があって、後はすべて箱型馬車の高いとは言えない天井まで紙が入っているのだろう棚がある。作業台の上にはゴムでできたサイズの書かれたカットマットは作業台全体に敷かれていて何十本とあるデザインナイフは深い木のペン立てに入っていた。まっすぐに線を引くための木の定規、ピンセット、大ぶりと小ぶりのカッターが一つずつとこれまた大小の鋏が一こずつにのりの入った壺。作業台の上に散らばっている。作業台の隣には白い切絵紙に色を付けるための横に十、縦に五十三入る四角い回転式の食紅の入った小瓶棚とパレット、薄めるための水の入った小瓶と筆。筆の種類も筆先の細いものから極太のものまで十何本あった。それがおかれていた。ところどころ隙間があるため、まだ食紅を集めている途中なのだとわかる。
「あ、フランはここで待ってて」
「来いって言いながら入り口で待てとかどういうことよ」
「あのね、ここは作業場なの。切絵を作る、神聖な場所なの。だからね、職人以外がここに入っちゃいけない、切絵を作る目的以外で入ってはいけないってママが言ってたの。だからわたしもママも一度として作業場で寝たことはないし、切絵目的以外で入ったことはないし。わたしもそう思うわ」
「……お前は職人なのね」
「そうよ!」
自慢げに凹凸のない胸を張って、アンルティーファは本当に嬉しそうに笑った。それはぱっと輝く太陽のように眩しい笑顔で、その曇りのなさにフランはついっと目をそらした。フランは知らないが、ルチアーナが死んでから初めて浮かべる本当の笑顔だった。
そもそも、切絵に使われる紙は「紙のための果実」と呼ばれる木の実の皮なのだ。枯れ細い幹に人の指ほどの太さの枝が無数に伸び、そこにコッコの卵くらいの大きさの地域によって様々な色合いの実をつける。とある高山では黄色、とある野原ではターコイズブルー、とある漁村では緋色といった具合に。
まず、たらいに水を張りそこに果実を入れる。一晩経って皮が緩んで来たら実の頭を上にして一気につるんとむき上げる。むけたら皮を広げてのりの役割をする実から絞った果汁と残りかすを混ぜて、粘り気が出るまで練り上げ板に張りつける。そうすることで切絵に使う甘い匂いのする紙は完成する。昔は切絵職人もそれをやっていたらしいが、あまりに根気のいる作業にいまでは専門の業者がいるくらいだ。
それぞれの町や村で紙の色は微妙に違い、同じ時に作られた紙でも一枚として同じものはないためこれを求めてルチアーナは各地方面を旅していた側面がある。この作られる紙は薄いものから厚いものまでさまざまで、種類によって値段は変わったものだ。ちなみにこの棚には同じ色でも厚いものは下に、薄いものは上に置いてある。
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