水底からみる夢は

小雨路 あんづ

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第十三話 ありがとう

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「うらあああああ!」
「フラン!!」
「平気よ」

 とっさに声を上げたアンルティーファに、遠いはずのフランの声はなぜかよく耳に響いた。その声はちっとも焦っていなくて、いつも通り悠然としていて。だから、まだ戦闘が終わったわけでもないのにアンルティーファは、ほっと肩の力を抜いてしまった。フランは大丈夫なのだとなぜか強い安堵感を抱いてしまったから。
 そうしている間に、弓の握を持ったフランが鳥打のところで剣を弾く。きぃん、きぃんと数度弾いたところで最後の弾きを大きく振る。白金色の髪が避けるたびに光を弾いてふわりと風を孕んだ。まるで金属同士を打ち合うような鋭い音がした。そのため体勢を立て直そうと盗賊が後ろに下がったところで、フランは弦を強く引いてその盗賊の身体を鋭い透明な刃で上半身と下半身にわけたのだった。どしゃっとずれ落ちた上半身、その顔は苦痛でもなくただ驚愕していて。
 アンルティーファはまるで夢でも見ているかのように非現実的な光景にぼんやりとその光景を見ていることしかできなかった。まあ、元々十歳の非力な少女であるアンルティーファになにができたわけでもないだろうが。
 その場でもがく足を切断された五頭の馬の悲鳴にも似た悲しげないななきに、死んだ盗賊の一つの死体が踏み固められた道と呼ばれる土の上に残される。フランはそんな馬に向かって大儀そうに弓を向け、再び弦をひいて透明な刃でもって馬の首を切断した。血の匂いを嗅ぎつけた野獣が来る恐れはあるが、ひどすぎる怪我をした馬は助からない。長引かせるよりかは、さっさと息の根を止めてしまった方がよっぽども慈悲深い。
 荒野に吹く風がわずかな血臭をアンルティーファのもとへと連れて、木綿のドレスのスカートの部分から這いあがってくる。気が付けばアンルティーファの指先は冷え、かすかに震えていた。
 フランに首を切断された馬を、自分の「お願い」のせいで死んでしまった者たちを焼き付けるようにその目に映す。盗賊とは言え、自分の「お願い」のせいで人間が一人死んだ。馬は五頭死んだ。アンルティーファの一言がこんな結末を引き起こすことに、驚きと恐怖を抱いた。それは小さな身体、幼い思考には余ったのか、どこか遠い出来事のように感じていたのを風が現実に引き戻す。
 ついで来るのは心配だった。御者台から飛び降りて、いつの間にか乾いていた涙の筋の残った顔に冷たい空気を感じながらフランへと抱きつく。

「フラン!!」
「なによ、うるさいわね。……なにするのよ、離れなさい」
「けが、けがはない!? 大丈夫!?」
「お前、見てなかったの? 怪我なんてないわよ」
「よか……よかった……。ありがとうフラン」
「……別に」

 フランのうっとおし気な口調にほっと肩の力を抜き、また目を潤ませれば。奇異なものを見る目で見下ろされる。普通は、そう普通は。奴隷が怪我をしたところでそうは動揺なんてしない。使役者にとって奴隷は都合のいい道具でしかないのだから。道具に傷がついたところで誰も怒ったりなんかしないのと同じだ。そもそも、戦闘奴隷は戦うことが仕事なわけであってけしてお礼を言われることじゃない。感謝しろと言ったのはフランだが。
 離れなさいと言いつつも無理やり引きはがしたりせずに困惑気味に戸惑っているフランの細長い耳がぴくりと動く。それは野獣の足音だった。いまはまだ遠い、でも確かに血の匂いを嗅ぎつけてこちらへと向かっているそれに、フランは腰までしかないアンルティーファを抱き上げて御者台に走る。御者台に目を瞬かせるアンルティーファをのせると、フランは自分も乗り込んでアンルティーファの横に腰かける。そして足を組み、尊大な口調でのたまった。

「後ろから野獣が来てる、早くしないと食い殺されるかもしれないわ」
「ええ!? じゃ、と、とりあえず行こう!」

 アンルティーファは、手綱を握り馬に鞭を打って。いつの間にか日が傾きかけた夕暮れの中を目と鼻の先にあるすでに鉄扉の閉じた旅籠とは違う、目的の旅籠を目指して再び走り出したのだった。置き去りにした箱型馬車の横を通るとき、アンルティーファはどきりとした。血まみれのだらんと下がった腕の持ち主は上向きの細長い耳をしていて。エルフだったからだ。その瞬間だけ切り取られたように妙に心に残った場面に首を傾けながらも、アンルティーファはそんなことよりもいまは逃げる方が大事だと前を向いたのだった。
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