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「オハヨウとオヤスミ」1

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 もう伝わる事の無いおやすみとおはようを何度繰り返しただろう。
 恋の始まりが興味で愛が分かち合う理解だとすれば、会話をないがしろに出来ないのは自分だけではない。

 朝から交わす事の出来ない会話が、いやが上にも身体の無い自分を再認識させる。
 これから先どんな疑問が在っても、もう何も聞く事は出来ない。

 其れは生きていた時に聞けなかった自分と一緒になって幸せだったのかとか、
 自分のどんな所を好きになったのかなんかも同様で。
 君にも聞きたかった事が、まだ沢山有ったのかも知れない。

 君の朝は忙しいので一人分の支度が減ったとも言えるが、そんなのは居ない自分に対する気休めなのだろう。
 思えば生前の自分は君の仕事に反対だった。

 そう思い始めたのは子供が生まれてからだが、君に云った事は一度も無い。
 其れが言えないのは努力が足りない自分のせいだと解っているから。
 大して家事をしない自分の行動や稼ぎを省みず、そんな事を言えるはずも無かった。

 母強しと云えど子供が産まれて直ぐに誰もがそうなる訳ではないし、そんな強さを望む訳ではなく。
 一般的に出生率が落ちているのも、どれだけ子育てが大変かを物語っている。

 そんなふうに慌ただしく家事をこなす君との生活は、一緒に食事をする時間すら無くなっていた。
 もちろん自分が居なくなっても其れが変わる訳は無く、寧ろ悪化している。

 だからといって助けてくれる人が居ない訳ではない。
 シングルマザー同士の相談相手も居るし、その人から教えてもらったファミリーサポートというのも有り。
 勿論無料という訳ではないが良心的な値段だし、何よりも頼れる誰かが居るのは大きい。

 其れ以外には社会福祉制度で児童手当や児童扶養手当。
 こんな状態になるまで自分も知らなかった事ばかりだが、まだまだこの国にも助けてくれる制度や人達は居て。

 とはいえ自分から動かなければ自動的に得られる訳ではないので、
 役所でのやり取りや手続きは面倒そうだったが何とか無事に済んでいた。

 少しずつ磨り減らしていく余裕や何かがこういった事の積み重ねならば、充分な助けには際限なんて無く。
 自分が居ればと、もう叶わない想いに無い身を悔やんでしまう。

 其れならば自分が生きていれば頼れる人なのかとは言い切れないが、やはり旦那の存在というのは大きい。
 収入は確実に減っているのに、助けてくれる人達には支払いが必要なのだから。

 そう誰もが知っているように人は一人では生きていけない、だからこそ人は人を求めるのだろう。
 とはいえ君との生活も全てが順風だった訳ではなく、泣かしてしまった事が一度だけ在る。
 其れはお爺ちゃん子だった君の祖父が亡くなって、数ヶ月経った時の事だった。


 お爺ちゃんの近くに住めば良いだろと、格好つけて君の地元に移り住んだ迄は良かった。
 事実其れなりに仲良く暮らせていたと思っていたし、特に言い争うような事も無かったから。
 ずっと自分が気付けなかっただけで、きっと君は我慢し続けていたのだろう。

 二人の生活が始まって数年経っても籍は入れていなかったし、共働きなのに家事を協力的に分担する訳ではない。
 たまには掃除・洗濯・洗い物もしたが、あくまでも稀で其れでも君は笑って喜んでくれた。

 せめて休日位は充実した一日をと思うが互いに交代制の勤務だから都合は中々合わないし、
 遠くに出掛けるような気晴らしも出来ない。

 若さゆえに生活を共にするという事を甘く考えていたのは事実だろう。
 それに役所での支払いや手続きが同居人だと不便だなんて君は冗談付いていたが、
 本当に伝えたかったのは何よりも他に在って。

 何時になったらプロポーズをしてくれるのかは聞くべきではないと、言わずに我慢していたにちがいない。
 自分自身も待たしたという意識から簡単には云えられなくなり、
 何か特別な事をして伝えなければと答えを遠ざけてしまった。

 結論なら付き合う事を受け入れてくれた時から決まっている。
 籍を入れるのかどうかでは悩んでいなかったから。

 よく勢いや切っ掛けが大事だと聞くが、事実そうなのだろう。
 大切に思うからこそ中々踏み出せない一歩も在るのだと。

 だからといって考え続けた時間も決して無駄ではないと思う。
 そうして積み上げていく想いが夫婦で在り、家族となっていくのだから。

 プロポーズをした場所は綺麗な夜景の見える所なんかじゃなく、二人で生活しているアパートのリビングだった。
 特別な演出もプレゼント何もない。
 いつもどうりに夕食を食べ、食べ終えた皿を片付けている時に伝えた。

「結婚しようか」

 何気ない会話のようだが随分考えたうえでの自分らしさだった。
 礼儀正しく「はい」と答えた君は笑って質問する。

「急にどうしたの?」

「急にじゃないよ、ずっと考えてたから」

 幾つかの質問の時に君が何度も笑っていたのが何だか照れくさく、そして嬉しかった。
 こんなに喜ぶならもっと早く伝えれば良かったと思いながらも。
 それから数日後の5月5日に籍を入れた。

 日にちに拘りなんて勿論無く。
 役所に行くの何日にする?と嬉しそうに聞く君に、冗談半分で選び答えた日だ。

 結婚式は挙げていない。
 お金が無かったというのが理由の大半だが、君を大事に思っていない訳ではなく。
 常識はずれなのかもしれないが、よく二人で話したうえで決めた事だった。

 そんな感じだったから昔の結婚式を体験しに行ったのが結婚式代わりで、他人に話せば笑い話になってしまう。
 何を大事にするかで答えは変わると思っているから、其れでも気にはしていない。
 その何れもが求める方向次第で道を変え、二人は進んで来たのだから。

 他人と比べれば足りない部分は幾らでも在るだろうが、上も下も見ればキリがないから大した事ではない。
 こんなふうに二人で歩み続ける日々は、ありふれた小さな幸せを見付けては一喜一憂する。
 そんな日常の積み重ねだった。

 勿論時間には限りが有るから二人の生活を優先すれば、
 住んでいる場所が近くても祖父母に会う機会は少なくなり。
 其れは祖父が体調を崩し入院した時も同じで、心配する君に時間を作る事は出来なかった。

 今までよりは優先的に家事を手伝っていたつもりだが、生きているのだから限りがなく。
 自分が思っている以上に其れを、責任感の強い君はどうしようもない負担として抱え続けていたのだろう。

 そんな事にも気付けなかった自分は入院先に何度か見舞いに行けた位で、自分にも何か出来た気になっていた。

「まだまだ甘いな」なんてお爺ちゃんにからかわれながら見舞い先の病室では将棋を打ち、
 其れを見て君とおばあちゃんは笑って喜ぶ。

「いつもは一人で詰め将棋だから面白くないだって」お婆ちゃんが告げ口すると
「こんなに弱くちゃ、どうしようもない」とお爺ちゃんは何だか照れくさそうに悪びれる。

 対戦相手としての実力不足は明らかだったが、楽しみにして待っていると聞けば素直に嬉しく。
 一番好きなのは麻雀だと知ると入門書を買っては読み始め、職場の仲間に教えてもらったりしていた。

 思い返せば同棲する事を最初に認めてくれたのも、皆で一緒に住めば良いのにと言ってくれたのもお爺ちゃんで。
 家族で一番発言力の有るお爺ちゃんは、いつも二人の後押しをしてくれていた。

 自分としては突然押し掛けているのだから少しずつでも認めてもらい、
 ゆっくりと家族の一員に為れれば良いなんて思っていたのが甘く。
 そんな時間も無いまま、お爺ちゃんは回復する事なく亡くなってしまった。

 もっとこうすればよかったと自分でも思う位なのだから、君の後悔は計り知れず。
 そんな君をどう支えれば良いのか解らないまま、出来るだけ普段どうりを意識した暮らしが続いた。

 その頃の自分には気付けなかった位だから、きっと君も心配掛けまいと隠していたのだろう。
 幾日かが過ぎ其れが一月になろうとする頃、君は突然泣き崩れ何を聞いても応える事なんて出来なかった。

 電気の点けていなかった其の部屋は暗く、明かりを点けた隣室のTVから流れる笑い声だけが虚しく響いている。

「どうしたんや?何かあったんか……」

 そんな言葉ではどうする事も出来ないのは解ったから、ただ傍に居る事しか出来ない。
 振り返れば理由は明白だった。

 特に変わる事の無い生活だと思わせる位に君は隠し努めていて、
 そんな君の優しさに気付けない自分は無意識に甘え安心しきっていたから。

 どうする事も出来ないまま、今にも消えいってしまいそうな君を繋ぎ止めてくれたのは子供だった。

 そのせいか妊娠したと最初に聞いた時思ったのは、ありがとうでもおめでとうでもなく良かっただった。
 それこそ大袈裟かも知れないが、天恵のような何かを感じずにはいられない位に運命的なタイミングで。

 其れは生まれ変わりとは違い、命を繋げるリレーのバトンを受け取ったような感覚だった。

 考えに考えた名前は全て君に却下されてしまったが、其れすら良かったと思えたのは初めて子供を抱いた時。
 背中に生えた産毛が羽のように綺麗で、天使にしかみえない其の姿から新たに名前を考え。
 まるで降りて来たような其の案には君も納得して、長男の名前が決まった。

 自分達らしい家族の在り方を探し、進んでは下がるを繰り返すような幾年が過ぎ今日に至る。
 今でこそ子供達二人はゲームに夢中で自分と走り回り遊ぶ事も少なくなったが、
 其れでも君の言う事は聞くようになったので少しは君の負担が少なくなっているように思う。

 あらかた遺品整理も済み、母子家庭手当等の手続きが落ち着き始め。
 君の時間が少しでも増えてきた事は、子供が遊んでくれなくなってきた寂しさよりも自分には喜ばしく思えた。

 これから先の見えない自分の状態が、そう思わせるのかもしれない。
 君の母親が実家に帰ってきたらどうだと連絡してきたのは、そんな時だった。
 
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