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第二部
十二. 運命を紡ぐ冬の風
しおりを挟む冬の冷気が頬に触れる中、フィオナはゴンドラに乗り込み、王都アートレントンの街を進んでいた。
ゴンドラの船首と船尾が美しく反り上がり、船首には黒竜の像が取り付けられ、水面を滑るように進んでいる。運河には小さな氷のかたまりが漂い、船がそれに当たるたび、氷がギュッと集まりながら漂い続ける。
この季節、運河には豪快に進む砕氷船が登場する。船底が氷に触れると、「ギュッ」「ドコン」と重低音が響き渡り、王都の至るところでその音が聞こえる。砕かれた氷は船底を伝い、船の側面に沿って浮かび上がっていくのだ。
街並みは、冬の寒さで凍りつきながらも美しく輝く。雪吊りされた街路樹が立ち並ぶ中、中央の広場では雪の風紋が見られ、風に舞う雪が幻想的な文様を描いている。
水上都市の暖かな灯りが、冬の大将軍の訪れと共に氷上都市として新たに姿を変えていく過程が、まるで冬を題材にした絵画展に飛び込んだかのような気持ちにさせた。
ゴンドラ内には、焜炉の魔道具が設置されており、ガラス戸の向こうで赤々と輝く魔石が船内を心地よい暖気で満たしていた。前面はガラス張りで、窓は開閉式になっている。フィオナは窓を少し開け、冷たい風が頬を撫でる感覚を楽しんだ。閉め切ることもできたが、完全に閉めても外の冷たさが微かに伝わる、そうした感覚が逆に心地よかった。
足元では焜炉の熱が寒さを和らげ、ゴンドラがわずかに揺れるたびに、フィオナは膝掛けを引き寄せる。時の流れがゆっくりと進むような、穏やかな空間がそこに広がっていた。
隣に座るロイは、ゴンドラの揺れに身を預けるように静かに佇み、時折優しい言葉をかけてくる。「今日も寒いですね。ご自愛ください。」その言葉は外の冷たさとは対照的に、フィオナの胸に温かく染み渡った。ロイの声を聞くたび、彼女はつい兄セオとの過去を思い出してしまう。
──あの日、父とセオが執務室で激しく言い争っていた場面が、今も鮮明に蘇る。
「‥‥どうして、どうしてですか?──父上!」
二人の声が、まるで昨日のことのように心に刻まれている。セオの声は怒りに満ちていたが、フィオナはその背中に無理に抑えた涙を見た。その姿が今も彼女の胸に焼き付いている。
その後、父から告げられたのは、ロイが兄ではなく彼女の元に仕えるという知らせだった。
「本日より、あなた様の侍従としてお仕えします。」ロイのその言葉は、あの時も今も変わらず真っすぐで、フィオナは彼の忠実な眼差しを見つめながら、兄への複雑な思いとロイの誠実さが交差するのを感じ、胸が締め付けられた。
ゴンドラがゆっくりと進む中、フィオナは心の中でこれから自分の成人の儀について考えながら、兄セオの儀式の記憶と向き合っていた。
成人の儀式が行われたリベラリオン邸宅の地下、書庫のような神聖な空間での光景が頭に浮かぶ。四方を取り囲む本棚の間に古びた蔵書が無数に並ぶ中、背拍子の本から浮かび上がる金銀の文字たちが、セオの周りを飛び回る。
まるで、生き物のように空間を舞い踊っているようだった。
その神秘的な光景と彼の決意の表情が、フィオナの心に強く刻まれている。
──────
四年前──。城での成人の儀を終えたその冬至の翌、夜明け方、静けさの中で、フィオナは長い階段を降りながら、心の中に渦巻く様々な感情を抱えていた。
リブラリオン後継だけが、成人の儀を執う特別な場所がある。邸宅の地下深くに広がる書庫のような空間は、儀式や特別な行事が行われる神聖な場所だった。
階段を降りると、目前に広がる書庫は、古書の香りと微かな霧に包まれていた。自然光は一切差し込まず、室内全体が淡い青白い光に照らされ、まるで異世界に迷い込んだかのような荘厳な雰囲気が漂っていた。古びた蔵書が一周するように並び、その間に浮かび上がる金銀の文字が空間を彩る。
「発光してる‥」
儀式の中央には、巨大な魔方陣が複雑に描かれ、その幾何学的な図形が静かに光を放っていた。その中心には兄セオが立っており、彼の姿にフィオナは幼い頃から抱いていた尊敬の念とともに、複雑な感情を抱えていた。兄が成人を迎える瞬間を目の当たりにし、その胸中には深い感慨と将来への不安が交錯していた。
儀式が始まると、魔方陣の線やシンボルに沿って光が流れ出し、書物の背拍子からエメラルドグリーンの文字が静かに浮かび上がっていった。──文字の色は、リブラリオン直系の証である瞳と同色で、まるで生き物のように空間を舞っている。その光景は夢の中の出来事のように現実離れしていた。
突然、魔方陣から激しい風が吹き上げ、部屋の壁がミシミシと音を立て始めた。文字たちはその影響を受けて、くるくると回り始め、空間全体に異様なマナが満ちていく。最初は静かなささやきのように、空気の中に微細な声が混じり始め、次第にその声は深みを増していった。古のリブラリオン家の歴史や知恵が声となって空間を包み込む。文字が浮かび上がりながら、空間全体に重厚な存在感を与えていくのをフィオナは感じた。
セオは神聖な空間の中で、一歩一歩を踏みしめながら決意に満ちた表情を浮かべていた。彼の顔には緊張と未来への覚悟が見て取れ、フィオナはその姿に深い感動を覚え、家族や親類たちが静かに見守る中、セオの周囲に舞い飛ぶ文字たちは、彼が運命を受け入れる準備を整えているかのようだった。
儀式が進む中、セオは右手の薬指にリブラリオン家の後継者の証である指輪をはめ、指と親指を軽く接触させるようにして、低い声で呪の古語を紡ぎ始めた。
「‥─リベラ‥─トラクトコ・──スィディロソ───ノイシリエ・オブ・トライ──、リオン─セオ─‥。」
その声に合わせて、文字たちが渦を巻くように指輪に吸い込まれていく。文字が次々と指輪に吸い込まれるたびに、空間に響く声が合奏のように広がり、非日常の世界へとフィオナを誘った。
儀式が終盤に差し掛かると、フィオナは心の中で一つの決意を固めていた。
どんなに複雑な感情が渦巻こうとも、兄と同じように、自分もまたリブラリオン家の一員としての責務を果たす覚悟を持つこと。そして、未来に対する不安と期待の中で、その瞬間を心に深く刻みつけたのだった。
───
───────
「──学院に到着しました、フィオナ様。」
ロイの声が現実に引き戻す。彼の落ち着いた口調が、フィオナの心をさらに静め、現実に対する準備を整える。
ゴンドラが学院近くの停泊場に到着すると、フィオナはその静謐な風景に、いつもながら目を奪われる。
雪に覆われた広大な敷地、古びた学院の建物が、冬の光の中で一層神秘的に輝いていた。ロイが穏やかにフィオナの手を取ってサポートする。その優しい仕草に、彼女は心の安らぎを感じながら、学院の門をくぐる準備を整えた。
フィオナとロイがゴンドラから降り、学院の敷地に足を踏み入れると、冬の冷たい風が彼女の頬を撫でる。
学院の建物が目の前に広がり、ここでの一歩を踏み出す瞬間が、フィオナの心に深く刻まれる。うっすら雪が静かに降り積もる中、彼女は自分の成人の儀が近づいていることを実感し、心を引き締めた。
ロイに優しく導かれながら、フィオナは学院の図書室へと向かう。
学院の校舎は静まり返っていた。休校日ということもあり、いつもの活気が消え、透明硝子のように澄み切った空気が漂っている。
「──んっ?」ふいに、微かだが、ペンダントが震えたように感じた。
フィオナは内ポケットからハンカチを取り出すように、首元からペンダントを引き出して確かめた。白い玉が、いつもとは違う輝きを放っているように見えた。
「‥‥フィオ?」ペンダントがフィオナに何かを伝えようとしているのだろうか。だが、その感覚は一瞬のもので、すぐに消え去った。
「──フィオナ様?」
ロイがこちらを伺うように振り返り、足を止めている。
「いゝえ──何でもないわ。早く、向かいましょう。」
フィオナは微かな不安を胸に抱きつつ、再び歩き始める。二人が進む廊下の先には、学院の図書室が静かに待っている。古い木製の扉が冷たい風に微かにきしみ、部屋の奥からはかすかなざわめきが聞こえるような気がする。フィオナは不思議な予感に包まれながら、扉を開け放つと、何かが動き出す瞬間が近づいていることを感じた。
──王都アーレントンの冬の影は早く訪れ、遅く去る。
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