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第二部

十一.冬の始まりと心の儀式

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 ───選べない‥‥

 ごめん‥──フィオナ

 ‥‥もう、ここにはいないんだ──

 ────ひとり、だけ‥ですか‥

 なぜ、あの子なの‥‥

 ──どうしてですか⁈

 選びなさい───

 ──リベラリオン知識守護者よ



「バチッ──」

 耳元でかすかな音が弾けると、意識がぼんやりと浮遊している。フィオナは目を覚まし、長い眠りから引き戻されたような感覚に包まれていた。肌に冷たい空気が触れると、毛布を引き寄せた。

「ん‥」微かな声が喉で掠れる。身体は重く動きが鈍いが、部屋の薄青い影と、暖炉から漏れ出す淡く揺れる火が次第に視界に入った。

 闇の静寂に包まれた空間には、暖炉の炭が弾ける小さな音と、フィオナの穏やかな呼吸、そして寒さに縮こまる身体が寝具の中で微かに動く音だけが響いていた。無意識に手を頬に触れると、涙の跡が残っていた。

「……冷たい」囁く声は、自分に語りかけるようだった。夢の中で何を見たのか、その記憶は霧がかかったようにぼんやりとしている。ただ、何か失ったかのような漠然とした不安が彼女の胸にじわりと広がっていた。

 彼女は暖炉の方に身体を捻り、毛布をしっかりと引き寄せた。その際、ペンダントが首筋に触れ、精霊との契約の記憶がふと蘇った。精霊が誇らしげに言ったが、今も深く心に残っている。
『──その白い丸っこいの、守ってやる。そんでフィオナ、名をちょーだい』

 戸惑いながら教師やキリャプカラ帝国大使に相談した結果、精霊に名を与えることは一般的だと知り、彼女は「フィオ」と名づけた。しかし、その後フィオは話さなくなり、眠り続けるようになった。後に判明したのはマナの過剰消耗であり、二人の契約は通常の精霊契約とは異なり、竜と竜騎士のような深いマナの繋がりにあった。

「おはよう、フィオ‥」
 フィオナは微笑みを浮かべながら、ペンダントをそっと握りしめた。


 冬の冷たい空気に包まれながら、フィオナは朝の気配を感じていた。薄暗い部屋にエリザがノックと共に入ってくると、穏やかな声に安心感を覚えた。紅茶をカップに注ぎながら、エリザは優しく言った。
「おはようございます、フィオナ様。寒い朝ですが、温かい紅茶でお体を温めてくださいね」

 フィオナは優しく微笑みながら、カップから立ち上るアールグレイの香りを楽しんだ。芳しい香りが彼女の心を静かに包み込み、穏やかな朝のひとときが流れた。
「ありがとう、エリザ」フィオナは感謝の気持ちを込めて言いながら、白い湯気が立ち上るカップを手に取った。

 エリザは洗面台に湯を張りながら、フィオナに予定を尋ねる。
「後ほどロイ様がお見えになる予定です。本日は学院が清掃のためお休みですね。では、どのように身支度をお手伝いさせていただきましょうか?」
「清掃後の学院へ。役員を急遽頼まれたの。ロイに学院の清掃終了時間を確認してもらえる?それまで軽い装いでいいわ」

 エリザは頷き、「かしこまりました。そのように致します」と返答し、すぐに「トラミット」と、呪の文言を呟き複数の宛先へ伝達した。そして、フィオナの髪を整え始め二人は髪を整える間、穏やかな朝の軽い会話を交わし、和やかな時間を過ごした。

 しばらくして、ロイが部屋に入ってきた。彼は丁寧に礼をし、家族の予定を報告し始めた。

「おはようございます、フィオナ様。本日の予定ですが、旦那様、奥様は宝物殿の魔法細工──。セオ様は──の交流参加後、ご友人とお会いになるため本日は遅くなる予定です」

「アレン様は受験の──」と、話すロイの声に、フィオナは一瞬、兄の名に心を強く引き寄せられた。「聞こえてますか?」と問いかけるロイに、フィオナは少し驚きながら「あ、えゝ」と頷いた。

「続いて、学院への立ち入りは昼過ぎ、清掃が終わり次第、役員としてのご準備が整います」
 ロイの報告にフィオナは安堵し、それまでの時間を窓辺のコンサバトリーで過ごすことに決めた。

 ──────

 コンサバトリーは、多角形のガラス屋根が特徴で、うっすら雪が積もっていた。朝の柔らかな光が差し込み、美しい雪室のようだった。その静謐な空間に足を踏み入れ、心がすっと落ち着くのを感じた。

 朝の軽食にティータイムと読書を楽しむために、この特別な場所でのひとときを思い描きながら、彼女は思わず微笑みを浮かべ、静かに呟いた。

「今年も雪室のようだわ‥‥本当に素敵」

 彼女を包むのは、冷たさと温かさが交錯する不思議な空気だった。ガラス越しに差し込む太陽の光が、雪化粧した多角形の屋根を透過し、やわらかな輝きを室内に拡散させる。まるで冬の冷たさを封じ込めた結晶が、内側から暖かさを放っているかのようだった。

 椅子に腰掛けると、赤い背表紙の“日記”を手に取った。それは母から贈られたものであり、彼女が白竜に出会った日から、すべての変化を記録してきた大切なものだ。日記をめくりながらフィオナの心は少しずつ過去の記憶へと旅立つ。

 目覚める直前に聞いた「リベラリオン知識守護者のまことの継承者」という言葉が、彼女の記憶に鮮明に刻まれている。そして、父が涙を流し彼女の左手を握った姿が脳裏に浮かんだ。

 ページをめくるたびに、フィオナの記憶はあの頃の出来事へと遡る。城の奥深く、壮麗な大理石の柱が立ち並ぶ地下神殿。静かに流れる滝の音が空間全体に反響し、周囲の樹々や植物が幻想的な光景を織りなしていた。その場所で、彼女はフィオナと同じ髪色と緑の瞳を持つ女性と、同じく太陽のような神秘的なオーラ霊気を纏った男性に出会った。

 国王や王妃、そしてノアの父がその場にいたが、肝心のノアは見当たらなかった。ノアが遠くへ行ったと聞かされ、国王からはノアが託した白い玉を大切に持っておくようにと指示を受けた。そして、リベラリオンの知識守護者としての次代継承のお役目が告げられたのだった。

「──どうして‥」フィオナは言葉を詰まらせた。

 邸宅に戻ると、母は涙ぐみながら彼女を抱き、父は複雑な表情を浮かべ、兄セオは困惑していた。弟のアレンは無邪気にお土産を尋ねていた。


 フィオナは日記を指でなぞりながら、最近の出来事を思い返していた。“成人の儀”と記されたページに視線が止まり、心の奥にあるしこりが疼く。兄セオとの関係があの日を境に微妙に変わってしまったことを、彼女は痛感していた。

 成人の儀、それは家族の中で新たな役割を担うための重要な儀式であり、フィオナ自身の未来をも決定づけるものだった。兄との距離が縮まることを期待しつつも、その儀式が彼女に課す責任の重さが不安として心に渦巻いている。


 フィオナは再びコンサバトリーの光景に目を向けた。ガラス越しに降り注ぐ陽光が、室内を優しく照らしている。彼女は無意識に左手首に触れ、夢の中で誰かがその手を握っていた感触が未だに残っているかのような違和感を覚えた。

「一体、あの夢は何だったのかしら‥」彼女は小さく呟き首にかけたペンダントを手に取った。その冷たい金属の感触が、現実へと彼女を引き戻す。

 フィオナの視線が室内に移ると、花壇にはジャスミンの低木が空調の風で微かに揺れ、色とりどりの花々も咲き誇っていた。その美しい光景が、彼女の心を少しだけ和らげてくれる。しかし、コンサバトリーの温もりとは対照的に、王都アーレントンには本格的な冬の冷たさが迫っていた。

「──さらに冷えるわね」


 その時、侍女が静かにやって来て、学院への準備を促した。フィオナはゆっくりと立ち上がり、外出の支度を始める。外の空気は刺すように冷たく、コンサバトリーの温もりが一層恋しく感じられた。


 もうすぐ冬至──この日を境に日脚が伸び始め、太陽の光が次第に力を取り戻していく。その日はフィオナが迎える成人の儀と重なっていた。

 王国の儀式が夕暮れから夜にかけて執り行われる一方で、翌夜半から黎明にかけてはリベラリオン特有の儀式が控えている。この日を契機に、彼女が背負う覚悟を決めなければならないことを、静かに、しかし確実に感じていた。

 フィオナは自分の胸の中で少しずつ芽生える不安と共に、心を落ち着けるよう深呼吸をした。新しい季節が訪れるように、自分も新たな段階に進まなければならない。

 彼女はその決意を胸に、歩みを進めた。
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