「学芸伯爵令嬢 - フィオナの秘密」 アークラディア王国物語

愛以

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第一部

閑話 ・ 赤い瞳に宿る過去

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 ──フィオナが準備室の扉を静かに閉めた瞬間、レオ・グラント教授は深いため息をつき、眼鏡を外した。彼女が淹れた紅茶の香りが、まだ微かに部屋に残っている。瞳の奥で封じられていた記憶が、眼鏡を外したことで徐々に浮かび上がってくる。

 部屋の一隅に置かれた縞紫露草シマムラサキツユクサの花が、鮮やかな紅紫色を放っている。その色彩は、部屋全体にわずかながらも生命感を与え、優しくも暖かい雰囲気を作り出している。窓を開けると、少しの寒さが感じられるが、その寒さを和らげるかのように、花が放つ微かな香りが広がっている。外の空気と花の香りが調和し、部屋の中に穏やかで落ち着いた空気が漂っていた。


 物心がついた頃、レオはシュカという遊牧民である母親と二人三脚で過ごしていた。彼らは基本的に二人だけで生活していたが、シュカの民が助けに来ることもあったため、孤独感は感じなかったし、母と一緒にいることで寂しさを感じることはなかった。

 シュカの民は、自由に各地を巡る生活を送り、どの国にも属さない独立した存在だった。赤い目を持つことで知られるシュカの民は、星を見ることを重要視し、長老が魔眼を持ち、予言めいた言葉を口にすることが多かった。レオにとっても、その言葉がどこか神秘的で運命的な響きを持っていた。

 母が病に倒れたときのことを、レオは今でも鮮明に覚えている。病床に伏す母は、弱々しくも優しい微笑みを浮かべながら、レオに父のことを語った。

「レオ──。星の巡りの時間だ。お前の父はアークラディアの国王だったんだよ。そして三ヶ月もしたら迎えに来るだろう」

 その言葉が現実となり、七歳のレオは王室に引き取られることになった。彼は驚きと戸惑いを感じたが、同時にこれが運命なのだと理解した。

 彼が王室に迎えられた年、奇しくもノアとフィオナが生まれた。

 さらにその年、父であるラインハルト国王と義母エレオノール王妃が生前退位した。レオは、自分が迎え入れられたことが退位の原因ではないかと悩んだが、すぐにその不安は打ち消された。彼は、思いのほか温かく迎えられたのだ。

 異母兄であるアレクシオスとヴィクトルと初めて会ったとき、アレクシオスは二十六歳、ヴィクトルは二十四歳だった。二人ともすでに家庭を持っており、レオにとっては大人すぎる存在だった。しかし、彼らはあまり交流こそなかったものの、初対面から優しく彼を迎え入れてくれたのだ。

 もっとも、悪意を持つ貴族も一部には存在しており、その影響を受けないようにするため、レオは自分を守る術を自然と身につけることになった。

 南西にあたるハッコ地方、王国随一の港町、そこに位置する離宮で、レオは父と義母となった両親とともに学院に入学するまでの時間を過ごした。そこでの日々は、彼にとってまるで祖父母と過ごすような穏やかで温かいものであった。

「ほとんど孫だな、あれは。めちゃくちゃ可愛がるからビビった。」

 レオは思い出し、自然に笑みがこぼれた。

 母は平民でありながら、その才覚によって各領地にある学校から王立魔術学院に特待生として編入し、エレオノール王妃と親友となった。

 だが、母がどうして王と出会い、自分が生まれたのかは依然として謎であった。エレオノール義母に何度か尋ねてみたが、微笑みながら「星の定めだ」と言葉を濁されるばかりだった。それでも、レオは家族として愛されていることを確信していた。

 高学院の三年生だった頃、レオは王都で突如現れた白竜を目撃した。その神秘的な存在は彼の心に深く刻まれ、今でもその光景が脳裏に焼き付いている。学院から王城の離宮へ戻るゴンドラの水上バスから見えた白竜を目にした瞬間、彼はまるで時を超えたような感覚に囚われた。

 その後、宮廷図書館から医療棟へと運ばれる幼いノアとフィオナを見かけたとき、レオは運命の歯車が回り始めたと感じた。それが、彼を文史研究の道へと導くきっかけとなり、白竜と黒竜の研究に取り組む決意を固めた。白竜は彼にとって神秘的な力を象徴する存在であり、黒竜はその対極として混沌とした何かを感じさせた。

 レオは立ち上がり、準備室の窓に目を向けた。窓際に置かれた縞紫露草シマムラサキツユクサの花が、鮮やかな紅紫色を放っている。その色彩は、部屋全体にわずかながらも生命感を与え、心地よい空気を作り出していた。

 外では、他の学生や教授の声が微かに聞こえてくるが、この準備室だけは、まるで時間が止まったかのように静かであった。

「星の巡りは避けられないか──。」

 窓越しに空を見つめながら、レオは幼い頃の記憶とシュカの爺さまが王都に初めて訪れたときの言葉を思い起こす。爺さま達との銀の河が流れる、夜空の下での対話を思い返し、星について語られた数々の話が彼の心に深く刻まれていた。

「──今はどこを巡っているんだろうな。」

 無意識に頭をかきながら、レオは自分の肩に目をやった。窓ガラスに映る自分の肩には赤い鷲のような鳥が乗っている。しかし、実際には何もいないことに気づいた。さらに、自分の目が赤くなっていることに気づいた教授、レオ・グラントは静かに呪の文言を唱え、瞳の色を琥珀色に戻した。

 レオは静寂の中、一人、運命という名の星々が巡るその意味を考えながら、白竜と黒竜の研究に対する深い思いを胸に抱いていた。過去の記憶と研究への情熱が交錯する中で、レオは自らの使命と向き合っていた。


 ─────────
 ───────
 ───

 ──その日の夜、レオは講義を終え、準備室へと戻ってきた。疲れた体を椅子に沈め、ゴビの葉を巻いた一本の煙草に火をつけた。紫煙を燻らせながら、彼はゆっくりと窓辺に立ち、夜空を見上げた。

 彼の瞳は、赤い色から琥珀色にすでに変化していた。あの深紅の色合いは、彼の内に秘めた神秘的な感覚を反映しているようだった。その変化が、彼の運命に深く結びついていることを示しているかのように思えた。

 彼は、白竜を初めて見たときのことを思い出した。その時、彼の目には黒竜が重なって見えた。白竜の光景が、彼の中で混ざり合い、神秘的な何かを感じさせたのだ。その変化する瞳の色が、彼にとって未知の世界を見せる鍵となっているのかもしれないと感じていた。

「自分の目に映る世界が、他の人々と異なることを感じる──。」レオはその感覚に対する内なる葛藤を抱えていた。

 瞳の変化が何を意味するのか、その解明には至っていなかった。だが、彼はその変化が亡き母と義母のいう、星の定めに導かれる一部であると認識していた。彼の視覚の変化が、未来にどのような影響を及ぼすのかは分からないままだったが、それが運命の一部であることは確かだと信じていた。

 レオはその神秘的な感覚と向き合いながら、星々の下で語られた古の言葉と自身の内なる声に耳を傾けていた。彼の目には、これから何が見えるのか、そしてそれが彼の運命にどのように結びつくのか、その全貌を知る日はまだ遠いのかもしれなかった。







───────次なる章 第二部へと続く     ───────────────────




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