「学芸伯爵令嬢 - フィオナの秘密」 アークラディア王国物語

愛以

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第一部

六.雨音に紡がれる、始まりのページ

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 秋の終わりの静かな午後、薄暗い空から静かに小雨が降り注いでいた。雨音が図書室の窓を叩くたびに、フィオナは心の中で小さな波紋が広がるのを感じた。雨粒が窓に当たる音は、室内の静けさを際立たせ、彼女の心に安らぎとともに微かな不安をもたらしていた。雨が落ちるたびに、図書室の穏やかな静けさを際立たせ、外の冷たい空気が窓からほんのりと室内に染み入っていた。

 厚手のカーペットが敷かれた図書室の床を、彼女の足音が静かに響く。フィオナは手を伸ばし、書架に並ぶ本の背表紙をそっと指先でなぞりながら、ゆっくりと歩を進めていった。柔らかい照明に照らされた本の背には、威圧感のある専門書がずらりと並んでいた。その中から一冊を手に取ると、重厚な表紙がひんやりとした感触を彼女の手に伝えた。ページをめくると、そこにはびっしりと書き連ねられた堅苦しい文字の列が続いている。


「ゔっ‥難しい。」

 フィオナは眉をひそめ、もう一度ページを戻そうとした瞬間、視界の端に普通の本とは異なるものが映った。彼女が注意深く書架を見直すと、そこには一冊のノートがぽつんと挟まっていた。雨音が心地よく響く中、ノートの存在が一層際立って見えた。

 フィオナはそっとノートを取り出し、表紙をめくった。ページをめくるたび、彼女の目が次第に大きく見開かれ、驚きが彼女の顔に色濃く浮かんだ。ノートに書かれた情報は、驚くほど詳細で、各ページに、所々にある赤いインクの二重線には、有益な情報だけが選び出され精査された跡が見て取れる。彼女の指先がページをなぞるたびに、ノートに刻まれたのは、まるで生きた資料のように、誰かの努力と知識が詰め込まれていた。

「──すごいわ。」

 フィオナの声には、心から感動した様子が滲んでいた。ノートの持ち主がどれほどの努力をし、学問に対して情熱を注いでいるのかが、一つひとつのページから感じられた。その情熱が彼女の心に響き、未来への希望を与えてくれるような気がした。もしこのような人物が王国にいるのなら、王国の未来はきっと安泰だろうと、彼女は胸の中で確信した。

 その時、静寂を破るかのように背後から人の気配を感じた。フィオナが振り向くと、そこにはロバートが立っていた。彼女は瞬間的に心臓が跳ね上がるのを感じた。図書室の閉館が近づいていたため、ほとんどの利用者は既に帰り支度を整え、静かな館内にほんの少しの人影しか残っていなかったために、フィオナは自分以外に人がいることに驚いたのだった。

「こんな時間に‥‥?」

 フィオナは思わず小さな声でつぶやいた。ロバートの存在に気づいたフィオナは、彼と直接向かい合うのは初めてで、少し緊張感が漂った。

 彼もまた、少しぎこちない様子でフィオナを見つめていた。二人の間に一瞬、微妙な沈黙が流れたが、フィオナは意を決して口を開いた。

「こんにちは。この書架にご用があるのですか?──すぐにどきますね。」
 貴族令嬢らしい優雅な口調でフィオナは尋ねながら、彼女は一歩後ずさった。
「あゝ、すまない。」
 ロバートは一瞬ためらいながらも、謝り、彼女の方へ歩を進めた。そのとき、彼の視線がフィオナの手元に止まった。
「──あっ、それ‥。」
「え?」
 フィオナは一瞬戸惑ったが、ロバートが指さしているのは、彼女が手にしていたノートだった。

「それは、私のだ。探していたんだ、ここにあったんだね。」


 ロバートはほのかに微笑みながら言った。彼の前髪がほんのり揺れ、その奥の青い瞳が自然と視線を交わす瞬間があった。雨粒が窓に当たる音が、彼の微笑みと相まって、静かな空間に心地よさを生んでいた。

 ──その言葉をきっかけに、フィオナとロバートの間に二人だけで初めての会話が生まれた。

 フィオナはノートを返しながら、言い訳のためか、少し恥ずかしそうに話し出した。
「それは‥あの、ごめんなさい!失礼しました、実は‥勝手に見てしまって‥でっですがとても素晴らしい内容でしたわ。」

 ロバートは彼女の言葉に驚いた表情を見せたが、すぐに優しい笑みを浮かべた。
「ありがとう。でも、それなら学芸役員を務めている君もすごいんだよ。大変な仕事だろう?」
「いいえ、そんなこと‥私はまだまだです。実際に医薬学に携わる方々には到底及びません。」


 ロバートは軽く首を振りながら言う。彼女の仕草や言い回しが微笑ましく映っているようで、優しい笑みを浮かべる。
「──そう?そんなことはないよ。」

 少し戸惑いながら、フィオナは医薬学に関して知っていることは限られていると告白した。
「私は薬草では、ジャスミンについてしか詳しくありません。それも、幼い頃に宮廷図書館でよく飾られていたからです。白い小さな花からは甘美で力強い、そしてとても優しい香りが漂い、私の幼い心に勇気を与えてくれました。」

 その話に興味深そうにロバートは耳を傾け、「そうなんだね。」と優しい口調で答えた。

「それに、遠い異国の言語では、“神様からの贈り物”という意味があるそうで、もしかしたら、私が知らないだけで、ずっと誰かに見守られているのかもしれないと、今でも考えてしまうのです。」


 フィオナが話し終えた後、彼女は何気なくロバートを見つめた。

「──ッ。」
 彼が優しい眼差しを彼女に向けているのに気づいた。雨音がその静かな視線をさらに引き立て、フィオナの心を柔らかく包み込んでいた。

 その視線には単なる興味以上の何かが感じられ、フィオナは一瞬、自分が喋り過ぎたのかと戸惑った。彼の眼差しには、彼女の言葉や思いに対する深い理解と感情が込められているのを感じ、心が揺れるのを抑えきれなかった。

 ロバートはその戸惑いを察したかのように、微笑みながら言葉を続けた。
「リベラリオン嬢がジャスミンについて話してくれたこと、とても心に残りました。その花に込められた思いや感情を大切にするその姿勢は、きっと今の仕事にも活かせると思いますよ。」


 フィオナはその言葉に深い感銘を受け、彼との会話がより心地よく、親密なものになっていくのを感じた。彼の優しい言葉と穏やかな眼差しに触れ、彼女の緊張は次第に解けていった。雨音が部屋全体に優しく響き、彼らの会話の背景に調和していた。


 二人の間に流れる穏やかな雰囲気の中で会話が自然に広がり、彼らの距離は徐々に縮まっていった。フィオナは心の中で、こんなにも心を開いて話せる相手がいることの喜びを感じていた。ロバートの言葉が、雨のリズムとともに、彼女の心に柔らかく響き渡り、彼女の気持ちを一層リラックスさせていた。

 学院図書室の静けさの中、二人の声が穏やかに交わされる中で、窓の外では小雨が絶え間なく静かに降り続けている。雨粒が窓を叩く音は、秋の終わりの冷たい空気に溶け込み、その音がまるでフィオナとロバートの心に直接響くかのように、心地よいリズムを刻む。そのリズムは、室内の静寂と調和し、温かさを増幅させるように感じられた。

 ──雨音が二人の心の距離を縮め、彼らの間に新たな絆を生んでいるかのようだった。

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