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第一部

三.未来を見つめる守護者

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 フィオナとロイが学院の大理石の階段を降りると、秋の冷たい風が二人を包み込んでいた。空はすでに夕暮れから夜の帳へと移り変わり、街の灯りがちらほらと点き始めている。
 ロイはフィオナの肩に軽くマントをかけ直し、水上バスのゴンドラへと案内した。夜空には星が一つ二つと輝き、王都アーレントンの夜景が浮かび上がる。

「今夜は冷えますね。フィオナ様、お体に気を付けて温かくお過ごしください。」ロイが優しく声をかけると、彼の表情には心からの配慮が見て取れる。「ありがとう、ロイ。あなたも休んでね。」フィオナは感謝の気持ちを込めて微笑んだ。


 フィオナはゴンドラに乗り込み、静かな流れに身を委ねた。馬車が乗り入れられない運河を使った移動は、王都アーレントンならではの風情がある。水面に映る街並みと運河の流れは、彼女にとって心安らぐものであった。

 王都アーレントン──。イレネ河の中洲に建てられた美しい水上都市である。アークラディア城を中心に、直径約18キロメートルほどの幾つもの運河が放射状に広がり、都市全体が繊細な織物のように編み込まれている。

 豊かな水の源は、コルカ大森林から湧き出るイレネ河が王都を貫き、大陸西方の貿易と商業が盛んな港町ハッコ地方へと悠然と流れ出している。夜になると、白い石灰岩の壁と青い屋根がライトアップされ、夜の闇に浮かび上がる美しい光景を作り出している。街灯や建物の照明が、建物の青さと白さを柔らかく照らし、夜の静寂の中で一層際立っている。

 フィオナはゴンドラの縁に手をかけ、まるで書物の記述を思い出しながら、目の前に広がる夜の街の景色を見つめた。

 行政の中心である王城が街の中央にそびえ立ち、その周囲には貴族の邸宅や公共施設、賑わいを見せる商業地区が広がっている。運河を隔てた対岸には学院が静かに佇み、その先には貴族街に交易商業地区の共有街や宿場町、平民の居住区などが配置されていた。
 都市の喧騒が徐々に遠ざかるにつれて、彼女の記憶の中にある記述が補完されるように、自然の彩りに溶け込む家々や農地、そして遠くには深い緑の森が静かにその姿を現す光景が広がっている。

 その風景が記録にあった通りの美しさを誇っていることを確認するように、彼女は目の前に広がる光景を細部まで心に刻み、同時に頭の中で王都全体の地図を再構築していた。

 ───────
 ────

 やがてゴンドラは王城の門前で静かに停まり、フィオナはロイの手を借りて、ゆっくりと地に足をつけた。

 見上げる王城の高い尖塔には、王家の青地に黒竜の紋章をあしらった国旗が風になびいている。その青い屋根の白い外観、アークラディア城がフィオナを迎え入れた。
 イレネ河の小島に建てられた城は誇らしく佇んでおり、入城するには特徴的な優雅なアーチ型の橋を渡る。



「──お帰りなさいませ、フィオナ様。」
 昔馴染みの宮廷警備隊の一人が挨拶をし、軽い敬礼をした。
「こんにちは。あなた様もご苦労様です。」
 フィオナは微笑みながら応えた。

 正門とは違う隠し門で石版に手をかざすと、右片方のイヤーカフが反応して入城許可が下る。
「トラミット」
 文言を低く呟き、到着の意を父に伝える。

 イヤーカフは、この世界の住民が一般的に身につけている装飾魔道具であり、彼女のような貴族もそれを使って連絡を取り合っている。フィオナが身につけているイヤーカフは、卒業後、高等学院での実績が記録された指輪の魔石をさらに嵌め込んだものだ。
 伝達魔法が発動すると、魔導郵便が届けられ、魔法契約に従ってイヤーカフが微かに震え、通知を告げる。次いで、開封の文言「アキピオ」と唱える。すると空間にふわりと水膜が広がり、その上に一振りの筆が現れる。筆先が自然と動き、普段遣いの緑色のインクで優雅な文字が綴られる。手を伸ばしてその膜に触れると、文字が現物へと変わり、手元に受け取ることができる仕組みだ。

「‥‥やはり、便利な世の中ね。」

 アーチ型の窓が連なる長い回廊を進んでいく。美しい家具や絵画、片隅には静かに腰を下ろせるよういくつもの椅子が設けられている。幼少期から何度も訪れたこの場所はフィオナにとって見慣れた──特別な場所だった。

「この風景は、私の未来そのものだ。」フィオナは心の中で静かに自分に語りかけた。王都アーレントンの美しさが、彼女の使命の重さを改めて感じさせる。

「でも、時々、ふとした瞬間に感じる不安がある。」彼女は、これからの行く末で、自分がどれだけ多くの人と関わり合うことができるのか、また、その中でどれほどの幸福を感じることができるのかについて思いを巡らせた。

 使命感が強いほど、自らがひとりでこの道を歩むことの孤独が際立って感じられる。

 この国を支えるという役目に対する責任を抱えながらも、フィオナの心の奥には、複雑な感情が渦巻いていた。特に、尊敬してやまない兄が果たすべきだった役割が、自分に振り向けられるようになったことで、彼女は微妙な罪悪感を感じていた。──直接的に兄の立場を奪ったわけではないが、父や周囲の関係が変化し、それが兄との関係に影を落とし、彼女はそのことで心に重くのしかかるものがあった。兄には決して言えない秘密が、二人の間に見えない壁を作っていた。


 未来を生きるということは、多くの変化を経験するということ。

 この考えが彼女に浮かぶたび、フィオナは自分の存在が時の流れと共にどう変わっていくのかを考えた。どんなに偉大な使命を果たしても、彼女自身がどこまで──持ち続けられるのか、その答えが見えないことに対する不安が、彼女の心に少しずつ浸透していった。


 ──回廊の天井を覆う影が、突如として動き出した。

 飛竜たちの巨大な影が、アーチ型の窓を越え、まるで荘厳な作家が創り出した舞台のように回廊に劇的に広がっていく。夜空にライトアップされた飛竜たちが、竜騎士たちと優雅に飛翔し、その大きな翼が回廊の床に巨大な影を落とす。その影が、静寂を切り裂くように、フィオナの思考の中に鮮烈な印象を刻み込んでいった。

 微かにアーチ型の窓から、飛竜たちの自由な姿が見えた。彼らは夜の空を縦横無尽に駆け回り、その優雅な飛翔がフィオナの心に一瞬の解放感をもたらした。

「── それは、選ばないわ。」

 フィオナの呟きは秋の空気に静かに溶け込み、彼女の思いもまた静かに広がっていく。竜騎士たちの自由な飛翔を見つめながら、彼女は一瞬の解放感を味わった。しかし、その揺らぎを振り払うように、フィオナは足を止めることなく、宮廷図書館へと向かった。


 回廊を進むにつれ、フィオナの心は次第に落ち着きを取り戻し、目的地に近づくほどにその決意は固まっていった。彼女の手には、リブラリオン家と未来の責任が重くのしかかっていたが、それを支える力強さもまた宿っていた。
 目的の扉の前に立ち止まり、フィオナは深呼吸を一つ。扉を開けると、中には父の姿が待っていた。


「来たか、フィオナ。」

 父アーサーは真剣な表情で彼女を迎えた。

「はい、父様。これから準備を進めます。」
 フィオナは父の目を見つめ、その決意をしっかりと伝える。古代の書物や魔法の巻物が整然と並び、知識の宝庫が広がっている。これからの使命に対する覚悟を胸に抱きながら、フィオナは静かに歩を進めた。





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