「学芸伯爵令嬢 - フィオナの秘密」 アークラディア王国物語

愛以

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第一部

一.図書室の静寂

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 王立学院の図書室は、静寂が支配する聖域だった。古びた木製の書架には、無数の書籍が整然と並び、窓から差し込む柔らかな光がホコリの舞う中に幻想的な輝きを与えていた。棚の間を流れるわずかな風が、ページをめくる音のように微かに響いていた。

 フィオナ・リブラリオンは、その一角で静かに本を整理していた。厚いカーペットが敷かれた床は、フィオナの足音を静かに吸収し、図書室全体に心地よい静けさをもたらしていた。棚に並ぶ書籍は、金箔で装飾された背表紙が時折、柔らかな光にきらめき、読む者をその深遠な知識の世界へと誘っていた。

 知識の守護者の家系に生まれ、幼少の頃から彼女は書籍と共に育ってきた。彼女の兄が家系の後継者としてその役割を継承する一方で、フィオナもまた、知識守護者の一員として重要な役割を果たすことを誇りに思っていた。フィオナの長いホワイトミルクティーベージュの髪が、ひんやりとした空気の中でわずかに揺れ、緑色の瞳が集中して本のページをめくる姿は、図書室の静けさと完璧に調和していた。


 ある日の午後、フィオナは図書室の窓際に座るロバート・マーチオネス侯爵・ルミナスの姿に気づいた。彼は侯爵マーチオネス家のご令息であり、同級生でもある。ロバートを見かけるようになってから、もう三ヶ月が経つだろうか。大学院の官服を身を纏い、椅子にかけられた藍のローブの装飾を踏まれば、彼はおそらくルミナス侯爵家に従い、医官か医薬師を目指しているのだろうとフィオナは推測した。だが最近、ロバートはいつも窓の外を眺めながら、青い瞳に遠くを見つめるような表情を浮かべている。


 ふいに、フィオナの心に微かな違和感を与えた。彼が窓際でじっと外を見つめるその姿が、どこか懐かしく、どこか兄セオの姿と重なって見えるのだ。それを見て、フィオナは彼が何を見ているのか、そして何を考えているのかに興味を抱き始めていた。

「こんにちは、フィオナ先輩。」
 突然の声に振り返ると、リディア・カウント伯爵・エルサリスが立っていた。彼女はエルサリス伯爵家の長女であり、王立魔術高等学院の一年生だ。


 この国は、竜と魔石の国と称されるアークラディア王国。その王都アーレントンに位置するのが王立魔術学院である。各領地にも学校はあるが、特にマナを多く持つ王族や王侯貴族の子息や息女たちは、この学院でその力の扱い方を学ぶ。
 マナとは、すべての人間が持つ基本的な体の構成要素の一つであり、その安定は十歳頃から始まる。これにより、十五歳になる年からの四年間を高等学院で過ごし、能力の開花やマナの質を高め、魔法技術を磨くことが求められる。しかし、マナの能力値や性質には個人差があるため、高等学院で学びを終える者もいれば、より優れた才能を持つ者は大学院に進むことができる。この大学院は同じ敷地内に設置されており、さらなる研鑽を積む場となっていた。

 職員室や医務室、カフェテリアなどの施設、そしてこの図書室も、高学院生と大学院生が共用している。リソースの効率的な利用と、両者の学生や職員の交流が目的だと言われているが‥‥いや、真の目的は別にあるのかもしれない。


「先輩‥?あの‥。」
「あゝ、リディア様。こんにちは。どうなさいましたか?」
 フィオナ・リブラリオンは微笑みながら問い返した。
「所蔵されている著作E・テオの『コルカ石碑と幻影』を探しているのですが、所在がわからず困っておりますの。」
 リディア・エルサリスは少し困惑した様子で言った。


 ──あゝ、本当に愛らしい。志学の年らしい困惑した表情に心に残る。

 やや半年が経ち、馴染んだ白のトッパーコートとケープドレープが優雅に揺れ、裾や袖口にはキャメル色の校章の刺繍と柔らかな房飾りが1年生の象徴として施されている。
 フィオナは、そんな自分にはない愛らしさを持つリディアを見つめ、胸の中に少しの羨望を抱きながら、「お任せくださいませ、ご案内いたしますわ。」と、にこやかに言った。

「お求めの本についてですが、原本は約四千五百年前に書かれた非常に古いもので、これまで幾度か改訂が重ねられてきました。現在ご利用いただけるのは、近年に再生された複製本でございます。原本は戦争によって一部が損失し、その後、レオ・P・アークによって最も元の内容に近い形で復刻されました。どうぞご安心ください。」
 そう言いながら、フィオナ・リブラリオンは手際よく棚を巡り、目当ての本を取り出してリディアに手渡した。

 リディア・エルサリスは感謝の意を込めて微笑み、手慣れた様子で入学時に支給された学院証の指輪を本にかざした。

「レジスト・アークス」

 呪の文言に反応し、指輪にはめ込まれた魔石に刻まれた学院の紋章が浮かび上がり、微かに光を放った。その指輪には、個人の実績と学院の情報が記録されており、卒業後、この魔石は公式なイヤーカフに嵌め込まれ、身分証明として使われる。

「誠にありがとうございます。おかげさまで助かりましたわ。」

 リディアは和やかな笑顔を浮かべ、礼を言いながら去っていくその後ろ姿には、清楚な気品が漂い、白のプリーツスカートが優雅に揺れていた。そのスカートの揺れは、彼女の心の中の嬉しさと安堵を物語っているようだった。

 フィオナもまた、その姿に心を奪われ、リディアの幸せそうな様子に自然と微笑みがこぼれた。リディアのスカートの揺れが、フィオナの内面にまで嬉しさを伝えているように感じられ、二人の間にさりげない共鳴が生まれていた。

 図書室の奥で微かな音が響いた。返却カウンターには、転送魔法によって戻ってきた本が静かに並んでいる。

「‥‥ほんと、便利な世の中だわ。」
 フィオナは一人、感心した様子で静かに呟いた。


──
─────


 その後、フィオナは返却された本を確認するためにカウンターに向かった。ここで目に留まったのは、大学院生たちの貸し出し記録だった。自分が見慣れたはずの名前の中に、見覚えのある名前を見つけたフィオナは、その名前に驚きを隠せなかった。

 彼女は、兄セオの名前がずらりと並んでいるのを見つけた。彼がどれほどこの図書室に通っていたのか、その痕跡が記録に刻まれているのを見て、心の奥深くに温かい感情が広がり、ほのかな涙が浮かびそうになるのを感じた。兄は自分が高学院一年の時に大学院四年生として、どれだけの努力をしていたのかが、この記録からも伝わってくるようだった。

「──兄さま…」
 フィオナは呟きながら、セオの名前が書かれた記録を見つめた。兄は自分が図書室に通う姿を見ていたのかもしれないと思うと、心が温かくなると同時に、少し寂しさも感じた。あの頃の私が何をしているのか、どう感じているのか、兄に見守られていたのだろうかと考えた時、ふと、自分が彼にどれほど尊敬の念を抱いていたかを再確認する瞬間でもあった。

 フィオナは再び静寂な図書室に目を向け、兄の名を心に刻みながら、静かにその場を後にした──。








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