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第二章
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マクリルは気がついたらそこにいた。
分かるのは自分の名前と年齢だけ。
周りにいる大人たちが何者なのか、ここがどんな場所なのか、なぜ自分がここにいるのか。それらのことは何一つ分からなかった。
そしてその場にいた一人に一番最初に教えられたことは、これからは彼らの言うことだけを聞きなさいということだった。
のぼせているかのような感覚にいたマクリルはそう言われたことに抵抗を覚える事無く頷き、そして眠たいと一言呟いた。
まわりの大人たちはそれも仕方がないと言っていた。意識を保てているだけで十分だと言い合い、その声色に歓喜のような高揚が含まれていることにはぼんやりとした頭のマクリルにも分かった。
ただその理由は分からなかった。
なぜ大人たちは皆そろいの衣装を着ているのか、なぜ無機質な何もない部屋に自分は座っているのか、なぜ自分は魔法陣の真ん中にいるのか、分からない。
そう考えたとき、自分には自分が座る周りに書かれた模様が魔法陣であることは分かるのだと気がついた。それを読む知識まではないので、どのような術を掛けられたのかまでは分からないが、それが陣であることは本能が知っていた。
しかし、それを口に出したりはせず大人たちの様子をただ静かに見守った。
しばらくマクリルには聞こえない小声の話し合いをしていた彼らは、マクリルをその部屋から寄宿舎だと言う建物に案内し、個室を一つ与えた。
その個室はベッドと文机と小さなクローゼットがあるだけの生活感のないところで、マクリルは自分が以前からここにいたわけではない事を悟った。
以前はどこにいたのだろうと思いはしたが、自分の記憶を探ろうとはしなかった。
そしてそのままベッドに入り、あっという間に眠りについた。
特に夢も見なかった。
次の日、朝日と同時に目が覚めた。窓のカーテンが開けたままになっていたせいもあるが、眩しくてではなく、体が自然にその時間で起きるようになっていたと言ったほうが正しかった。
空腹は感じない。
昨日何時に寝たのか時計がないので知りようもなかったが、日が落ちてだいぶ経っていた事は寄宿舎への道すがら見上げた夜空と空気の冷たさで感じ取った。
それ以前の記憶は全くないので、前回の食事がいつだったのか。それでも今は何も食べずとも平気そうだったので、マクリルはなんとなく窓際に立ち、外を眺めた。
まだ白んでいる景色に、林の緑が霞む。けれど天気は良く、黄色い光が弾ける様にいろんなものが輝いていた。
マクリルがいる部屋は三階だったが、部屋が林に面しているため木々のほかに見えるものはあまりなかった。それでも窓を開け見下ろすと手入れの行き届いた花壇が並んでいてさまざまな花が色とりどりに咲き誇っていた。
三階から見れば花はどれも小さく、色以外の姿かたちを見分けることは難しかったが、マクリルは飽きずにじっと眺めていた。
少しして身震いをした。
季節は初夏に近かったが、早朝から窓を開け放ち外を眺めていれば体が冷えるのは当たり前のことだ。その上、マクリルは昨日着ていた、上下とも真っ白な手術着のような服装だったので尚更だった。
クローゼットを開けると白いローブが一枚だけ掛かっていたので遠慮なくそれを羽織り、また窓辺に立った。
ローブはマクリルにはまだ大きすぎたので足先まですっぽりと覆われる。おかげで裸足で冷たくなっていたつま先も暖をとることができた。
花壇を見飽きたら、今度は空を見上げた。時折横切る鳥や、流れる雲を見ていると時間は思いもよらず早く過ぎていたらしく、寄宿舎のあちこちから生活音がし始めていた。人の話し声や、足音、水を使う音は、多くの人がここに住んでいることをマクリルに教えてくれた。
今度はそれらの音に気をやっていると、一つマクリルの部屋の前で止まる靴音があった。数秒後、部屋の扉はノックされた。
返事はせずに扉を開けると、昨日いた大勢の大人の一人がにこやかに立っていた。マクリルをこの部屋まで案内してきた男だった。
「おはようございます、もう起きていたんですね」
マクリルは一つ頷いた。
「寒かったですか?」
ローブを羽織っているのでそう思われたと分かったので、いいえと首を振った。
「そうですか、それならば良かった。朝食の準備ができましたので、行きましょう」
そう言って男は手を差し出した。マクリルは一瞬その手の意味が分からなかったが、すぐにその手に自分の手を差し出しマクリルはその男に手を引かれながら歩き始めた。
昨晩も立ち上がるのを手伝ってもらったまま、寄宿舎の部屋まで手を引かれていたのを思い出した。
今朝は逆に寄宿舎からあの部屋へ導かれた。
あれほど音がしていたし、今もあちこちから様々な音がしているのに誰一人会うことなくそこにたどり着いた。
昨晩外を通って寄宿舎に行ったのでマクリルはそこはどこか別の建物とは認識していたがどんな様子かまでは気にしていなかったので導かれた場所が昨日と同じ場所だと分かるのに少し時間が掛かった。窓もない大きな倉庫のような建物に人一人分だけの小さな扉があり、抜けるとそこには何も置かれていない床が広がっていた。
大勢の人間に囲われていたので部屋の全貌が昨日は分からなかったことと、部屋を出たあとも振り返ることもしなかったために、そこが考えていたよりも広く大きな場所なのだと今来るまで気づかなかったのだ。
魔法陣は消されていた。
ポツンとテーブルとイスが一脚だけ置かれていて、そこに朝食がセッティングされていた。
昨日とは打って変わってそのテーブルの横に大人が一人たっているだけ、他には何もなく誰の姿も部屋にはなかった。
マクリルをここまで連れてきた男は扉の外に残り、マクリルに笑顔一つを残して扉を閉めた。
「おはようございます」
テーブルの横に立つ男が色のない声で言った。
マクリルは返事も会釈もせずに、その男が待つ場所へ歩いていき、イスに腰掛けた。
「よく眠れたかな」
マクリルは背の高いその男を見上げたが、やはり返事もなにもしない。それでも男は気分を害するようなことはなく、されど微笑んだりもせずマクリルをじっと見下ろしていた。
それ以上男が喋りださないのを感じたマクリルはテーブルに置かれていたグラスに手を伸ばした。それにはオレンジジュースが注がれており、一口飲んだマクリルの口の中全体に甘酸っぱさが広がった。
マクリルはなんだかその刺激に初めて自分の存在がここにあることを認識したような不思議な感覚を味わった。
もう一口。
しかしもうそれは感じられなかった。
ひとつ息を吐きマクリルはゆっくり朝食を食べ始めた。ジュースを飲んだときのような感じはもうなく、だが一度味わったもののせいで、逆に自分の不確かさを思い知らされ始めた。
ほとんどのことが分からないことにようやく不自然さを感じ始めた瞬間だった。
それでも慌てたり動揺したりはしなかった。ただ自分は不自然であるということだけを自分を構成する要素の一つとして位置づけた。
朝食を全て食べ終わると、それを横でずっと見ていた男がマクリルが入ってきた扉とはまた別の扉のほうに声をかけた。するとそこから給仕らしき人が現れ食器などを片付けていった。マクリルが横の男に促され立ち上がると、テーブルとイスも部屋の外へ運んでいってしまった。
そして何もなくなった部屋に再び男と二人きりになった。
「これから君には訓練を受けてもらう。私がするように真似しなさい。できなければできるまでずっと繰り返すように」
マクリルの返事を待たず訓練は始まった。
男に言われるままに呪文を呟き、魔法陣描き、それは魔術の訓練だった。
マクリルは考えることはせず言われるがまま従っていった。途中幾度となく失敗する。すると火傷や打ち身など当然怪我をする。
それはマクリルが未熟なせいだと男は言い、痛い思いをしたくなければ、もっと集中し確実に術を成功させろと強くない言葉で叱責した。
マクリルは何も思わなかった。怪我の痛みは感じたが、男に言うことに理不尽さも疑問もなにも感じず、ただ従うだけ。
昼食はとらず訓練は続けられ、日が沈みしばらくして夕食がマクリルの前に運ばれてきた。しかしマクリルはそれはほとんど食べることはできなかった。極度の疲労で体が受け付けなかったのだ。
するとテーブルには一杯の酷い色の飲み物が運ばれてきた。それは酷い味だったが、促されマクリルは全て飲み干した。
そしてまた訓練は再開され、大抵の人間が寝静まったころやっとマクリルは寄宿舎の自分の部屋に帰ることができた。
倒れこむように眠り、ノックの音で目を覚ますと、昨日の迎えと同じ男が部屋に来ており、朝を知らせた。
そしてまた昨日と同じようにあの部屋に行き訓練をして戻ってくる。そんな日々がずっと続いた。時には大怪我をしてやむなく休むこともあったが、それも治ればまた同じ日々だった。
ほぼ一年という期間、マクリルはそこと部屋との往復で終わったが一年を過ぎると魔術を教える大人が変わった。その大人はひと月も経つとまた変わり、次の大人も大体ひと月単位で変わっていった。
そして約半年。始めの大人を含めると七人目の大人に学校へ行くように言われた。
「我らが教えることはもうない。だから魔道学校など行っても詰まらぬだろうが、実技とは別に学問としての魔道術も知っていて損はない。それを知れば、お前自身が独自に術を生み出すこともできるようになるはずだ。またお前が刺激となって他の見習い達も技術を向上させていくかもしれん」
さっそく次の日からマクリルは魔道学校へ入学した。
初めて見る風景、自分より少し年上な同級生達、真新しい魔術の教科書。マクリルには全てが新鮮だった。
周りの生徒もほぼ同じような様子でどこか落ち着きがない表情だったが、ただ違ったのがマクリルは周りの誰一人として知り合いはいないのに、何故だかマクリルのことはほとんどの生徒が知っているようでそれは同級生に限らず上級生たちも同じ反応をしていた。それは決してマクリルに直接話しかけてくるわけでなく、遠巻きで端々でひそひそと話す声だった。
「あいつがマクリル・トトティルだぞ。すでに国軍に所属してるって噂の」
「本当に入学してくるとはな、今更ここで何学ぶ必要があるっていうんだ」
「そうだよな、それに知ってるか? あいつすでに七魔道士様達全員に会ったことがあるらしい」
「マジか!? 一人でも謁見するのじゃ難しいのにか……、マジ何者だよ」
決して近くではない場所でしている噂話はわざとマクリルに聞こえるように話す者たちのおかげで自分でも知らない情報があちこちに流れているのを知ることができた。
それにしてもマクリルは記憶があるところから出会った人は全て大人だけ。それも僅か数人だけだったはずなのに、何故多くの人がマクリルの顔が分かるのかがマクリルの一番の不思議だった。
それは単純に年が若く幼い生徒はマクリルしかおらず、事前に出回っていた話がその若さも注目されていたからだっただけのことで、決して顔を知られていたわけではなかったのだが、それをマクリルが知る由もない。
噂の内容も知らないことばかりだったが、それについてはあまり興味がわかなかった。なぜならマクリル自身のことは始めから知らないぬことばかりだから。今更それが増えたところで何か支障があるとは思わなかったからだった。
そして実際支障はなかった。
噂のせいでマクリルに積極的に近寄ってくる生徒はおらず、マクリルも一人でいることに違和感も不便さもないので毎日魔道書に夢中になっていた。
今までわけもわからずやっていたことの意味がわかるという感動にのめり込んでいたのだ。
魔道書だけでは分からないことは教師に聞きに行き、それでも分からないことは学校の図書館に行き、それでも分からなければ巨大な書庫に入る許可を貰い調べた。そして次第にその書庫に入り浸るようになった。
そのためマクリルはほとんど授業には出席しなくなった。正確にはマクリルには必要なかったのだ。実技はもちろん学科も自らどんどん進んでいたので誰も彼に何も教える必要はなかったのだ。
それでも進級のための実地訓練とテストだけは受けた。
そして飛び級を繰り返して、六年のカリキュラムを二年で終えた。されど卒業はしなかった。させてもらえなかったのだ。他の生徒に手本を見せるために度々授業に呼び出させていたからだった。
それからのマクリルは空いている時間は書庫に行き、たまに魔術を披露し、得た知識を実践するためにあの倉庫のような建物に行った。
そうしてまた一年が過ぎると、学校に籍は置いたまま実際の魔道士の仕事を始めさせられた。
訓練でしか見た事がない魔物達を実践で退治する。
けれどマクリルにはあまり難しいことはなかった。彼は始めに魔術の指南をした大人のほうが幾分恐ろしいと思っていたから。
マクリルはわずか十歳で高等な魔術を使いこなす国軍の主要な魔道士の一人となった。
結局学校には正規のカリキュラムの六年間在籍し、入学した時の同級生達と卒業式を迎えた。その日も入学の日と同じように誰もが遠巻きにマクリルを見ていたが、そのまなざしは全く違って尊敬や憧れ、畏怖のようなものまであった。
マクリルも六年間で成長し自分というものの立ち位置を正確に理解していたが対応は全く変わらず、誰に話しかけるでもなくほとんど同じ授業を受けたこともない少し減った同級生たちに感慨深いものもないので用が済めばさっさと学校を後にした。
マクリルの所属する軍の魔道部は魔道学校でもトップクラスで卒業したいわゆるエリートと言われる人達がいる部署だ。その中にもいろいろとランクや仕事内容での分類などがあるのだが、マクリルはそのどれにも所属せず魔道部の最高権力である七魔道士の直属唯一の部下となっていた。そのため同僚と呼べる人もおらず、通常複数で行動するはずの魔道士たちの中でいつも一人で仕事をこなしていた。
七魔道士たちは一般人にはほとんど人前には顔を出さず、国王のいる城で護衛などのほかに政治にもかかわっていた。それは直接政策を打ち出したり会議で口出しをしたりするものではなかったが、王や大臣達に助言をしたり、魔術に関する法律制定やトラブルの解消、軍部での地位確立などを主立ってしていた。
しかし、それも決して表立ったものではなかった。政府で大臣や官僚を務める魔道士は他にいて七魔道士はあくまで軍部に所属する一部隊であるという立ち位置を譲らなかった。
そしてマクリルの前にも学校に入学してから顔を出すことは稀だった。
マクリルへの仕事は寄宿舎の部屋に直接持ち込まれて、城へは呼び出しがない限り出向くことはない。仕事先にも依頼者以外は誰も来ないし、仕事中は安全を優先させるため悪魔や魔獣、悪事を実行する魔道士の他はマクリルが近寄らせなかった。
だから学校を卒業するとまたマクリルを取り巻く人はグッと減った。
分かるのは自分の名前と年齢だけ。
周りにいる大人たちが何者なのか、ここがどんな場所なのか、なぜ自分がここにいるのか。それらのことは何一つ分からなかった。
そしてその場にいた一人に一番最初に教えられたことは、これからは彼らの言うことだけを聞きなさいということだった。
のぼせているかのような感覚にいたマクリルはそう言われたことに抵抗を覚える事無く頷き、そして眠たいと一言呟いた。
まわりの大人たちはそれも仕方がないと言っていた。意識を保てているだけで十分だと言い合い、その声色に歓喜のような高揚が含まれていることにはぼんやりとした頭のマクリルにも分かった。
ただその理由は分からなかった。
なぜ大人たちは皆そろいの衣装を着ているのか、なぜ無機質な何もない部屋に自分は座っているのか、なぜ自分は魔法陣の真ん中にいるのか、分からない。
そう考えたとき、自分には自分が座る周りに書かれた模様が魔法陣であることは分かるのだと気がついた。それを読む知識まではないので、どのような術を掛けられたのかまでは分からないが、それが陣であることは本能が知っていた。
しかし、それを口に出したりはせず大人たちの様子をただ静かに見守った。
しばらくマクリルには聞こえない小声の話し合いをしていた彼らは、マクリルをその部屋から寄宿舎だと言う建物に案内し、個室を一つ与えた。
その個室はベッドと文机と小さなクローゼットがあるだけの生活感のないところで、マクリルは自分が以前からここにいたわけではない事を悟った。
以前はどこにいたのだろうと思いはしたが、自分の記憶を探ろうとはしなかった。
そしてそのままベッドに入り、あっという間に眠りについた。
特に夢も見なかった。
次の日、朝日と同時に目が覚めた。窓のカーテンが開けたままになっていたせいもあるが、眩しくてではなく、体が自然にその時間で起きるようになっていたと言ったほうが正しかった。
空腹は感じない。
昨日何時に寝たのか時計がないので知りようもなかったが、日が落ちてだいぶ経っていた事は寄宿舎への道すがら見上げた夜空と空気の冷たさで感じ取った。
それ以前の記憶は全くないので、前回の食事がいつだったのか。それでも今は何も食べずとも平気そうだったので、マクリルはなんとなく窓際に立ち、外を眺めた。
まだ白んでいる景色に、林の緑が霞む。けれど天気は良く、黄色い光が弾ける様にいろんなものが輝いていた。
マクリルがいる部屋は三階だったが、部屋が林に面しているため木々のほかに見えるものはあまりなかった。それでも窓を開け見下ろすと手入れの行き届いた花壇が並んでいてさまざまな花が色とりどりに咲き誇っていた。
三階から見れば花はどれも小さく、色以外の姿かたちを見分けることは難しかったが、マクリルは飽きずにじっと眺めていた。
少しして身震いをした。
季節は初夏に近かったが、早朝から窓を開け放ち外を眺めていれば体が冷えるのは当たり前のことだ。その上、マクリルは昨日着ていた、上下とも真っ白な手術着のような服装だったので尚更だった。
クローゼットを開けると白いローブが一枚だけ掛かっていたので遠慮なくそれを羽織り、また窓辺に立った。
ローブはマクリルにはまだ大きすぎたので足先まですっぽりと覆われる。おかげで裸足で冷たくなっていたつま先も暖をとることができた。
花壇を見飽きたら、今度は空を見上げた。時折横切る鳥や、流れる雲を見ていると時間は思いもよらず早く過ぎていたらしく、寄宿舎のあちこちから生活音がし始めていた。人の話し声や、足音、水を使う音は、多くの人がここに住んでいることをマクリルに教えてくれた。
今度はそれらの音に気をやっていると、一つマクリルの部屋の前で止まる靴音があった。数秒後、部屋の扉はノックされた。
返事はせずに扉を開けると、昨日いた大勢の大人の一人がにこやかに立っていた。マクリルをこの部屋まで案内してきた男だった。
「おはようございます、もう起きていたんですね」
マクリルは一つ頷いた。
「寒かったですか?」
ローブを羽織っているのでそう思われたと分かったので、いいえと首を振った。
「そうですか、それならば良かった。朝食の準備ができましたので、行きましょう」
そう言って男は手を差し出した。マクリルは一瞬その手の意味が分からなかったが、すぐにその手に自分の手を差し出しマクリルはその男に手を引かれながら歩き始めた。
昨晩も立ち上がるのを手伝ってもらったまま、寄宿舎の部屋まで手を引かれていたのを思い出した。
今朝は逆に寄宿舎からあの部屋へ導かれた。
あれほど音がしていたし、今もあちこちから様々な音がしているのに誰一人会うことなくそこにたどり着いた。
昨晩外を通って寄宿舎に行ったのでマクリルはそこはどこか別の建物とは認識していたがどんな様子かまでは気にしていなかったので導かれた場所が昨日と同じ場所だと分かるのに少し時間が掛かった。窓もない大きな倉庫のような建物に人一人分だけの小さな扉があり、抜けるとそこには何も置かれていない床が広がっていた。
大勢の人間に囲われていたので部屋の全貌が昨日は分からなかったことと、部屋を出たあとも振り返ることもしなかったために、そこが考えていたよりも広く大きな場所なのだと今来るまで気づかなかったのだ。
魔法陣は消されていた。
ポツンとテーブルとイスが一脚だけ置かれていて、そこに朝食がセッティングされていた。
昨日とは打って変わってそのテーブルの横に大人が一人たっているだけ、他には何もなく誰の姿も部屋にはなかった。
マクリルをここまで連れてきた男は扉の外に残り、マクリルに笑顔一つを残して扉を閉めた。
「おはようございます」
テーブルの横に立つ男が色のない声で言った。
マクリルは返事も会釈もせずに、その男が待つ場所へ歩いていき、イスに腰掛けた。
「よく眠れたかな」
マクリルは背の高いその男を見上げたが、やはり返事もなにもしない。それでも男は気分を害するようなことはなく、されど微笑んだりもせずマクリルをじっと見下ろしていた。
それ以上男が喋りださないのを感じたマクリルはテーブルに置かれていたグラスに手を伸ばした。それにはオレンジジュースが注がれており、一口飲んだマクリルの口の中全体に甘酸っぱさが広がった。
マクリルはなんだかその刺激に初めて自分の存在がここにあることを認識したような不思議な感覚を味わった。
もう一口。
しかしもうそれは感じられなかった。
ひとつ息を吐きマクリルはゆっくり朝食を食べ始めた。ジュースを飲んだときのような感じはもうなく、だが一度味わったもののせいで、逆に自分の不確かさを思い知らされ始めた。
ほとんどのことが分からないことにようやく不自然さを感じ始めた瞬間だった。
それでも慌てたり動揺したりはしなかった。ただ自分は不自然であるということだけを自分を構成する要素の一つとして位置づけた。
朝食を全て食べ終わると、それを横でずっと見ていた男がマクリルが入ってきた扉とはまた別の扉のほうに声をかけた。するとそこから給仕らしき人が現れ食器などを片付けていった。マクリルが横の男に促され立ち上がると、テーブルとイスも部屋の外へ運んでいってしまった。
そして何もなくなった部屋に再び男と二人きりになった。
「これから君には訓練を受けてもらう。私がするように真似しなさい。できなければできるまでずっと繰り返すように」
マクリルの返事を待たず訓練は始まった。
男に言われるままに呪文を呟き、魔法陣描き、それは魔術の訓練だった。
マクリルは考えることはせず言われるがまま従っていった。途中幾度となく失敗する。すると火傷や打ち身など当然怪我をする。
それはマクリルが未熟なせいだと男は言い、痛い思いをしたくなければ、もっと集中し確実に術を成功させろと強くない言葉で叱責した。
マクリルは何も思わなかった。怪我の痛みは感じたが、男に言うことに理不尽さも疑問もなにも感じず、ただ従うだけ。
昼食はとらず訓練は続けられ、日が沈みしばらくして夕食がマクリルの前に運ばれてきた。しかしマクリルはそれはほとんど食べることはできなかった。極度の疲労で体が受け付けなかったのだ。
するとテーブルには一杯の酷い色の飲み物が運ばれてきた。それは酷い味だったが、促されマクリルは全て飲み干した。
そしてまた訓練は再開され、大抵の人間が寝静まったころやっとマクリルは寄宿舎の自分の部屋に帰ることができた。
倒れこむように眠り、ノックの音で目を覚ますと、昨日の迎えと同じ男が部屋に来ており、朝を知らせた。
そしてまた昨日と同じようにあの部屋に行き訓練をして戻ってくる。そんな日々がずっと続いた。時には大怪我をしてやむなく休むこともあったが、それも治ればまた同じ日々だった。
ほぼ一年という期間、マクリルはそこと部屋との往復で終わったが一年を過ぎると魔術を教える大人が変わった。その大人はひと月も経つとまた変わり、次の大人も大体ひと月単位で変わっていった。
そして約半年。始めの大人を含めると七人目の大人に学校へ行くように言われた。
「我らが教えることはもうない。だから魔道学校など行っても詰まらぬだろうが、実技とは別に学問としての魔道術も知っていて損はない。それを知れば、お前自身が独自に術を生み出すこともできるようになるはずだ。またお前が刺激となって他の見習い達も技術を向上させていくかもしれん」
さっそく次の日からマクリルは魔道学校へ入学した。
初めて見る風景、自分より少し年上な同級生達、真新しい魔術の教科書。マクリルには全てが新鮮だった。
周りの生徒もほぼ同じような様子でどこか落ち着きがない表情だったが、ただ違ったのがマクリルは周りの誰一人として知り合いはいないのに、何故だかマクリルのことはほとんどの生徒が知っているようでそれは同級生に限らず上級生たちも同じ反応をしていた。それは決してマクリルに直接話しかけてくるわけでなく、遠巻きで端々でひそひそと話す声だった。
「あいつがマクリル・トトティルだぞ。すでに国軍に所属してるって噂の」
「本当に入学してくるとはな、今更ここで何学ぶ必要があるっていうんだ」
「そうだよな、それに知ってるか? あいつすでに七魔道士様達全員に会ったことがあるらしい」
「マジか!? 一人でも謁見するのじゃ難しいのにか……、マジ何者だよ」
決して近くではない場所でしている噂話はわざとマクリルに聞こえるように話す者たちのおかげで自分でも知らない情報があちこちに流れているのを知ることができた。
それにしてもマクリルは記憶があるところから出会った人は全て大人だけ。それも僅か数人だけだったはずなのに、何故多くの人がマクリルの顔が分かるのかがマクリルの一番の不思議だった。
それは単純に年が若く幼い生徒はマクリルしかおらず、事前に出回っていた話がその若さも注目されていたからだっただけのことで、決して顔を知られていたわけではなかったのだが、それをマクリルが知る由もない。
噂の内容も知らないことばかりだったが、それについてはあまり興味がわかなかった。なぜならマクリル自身のことは始めから知らないぬことばかりだから。今更それが増えたところで何か支障があるとは思わなかったからだった。
そして実際支障はなかった。
噂のせいでマクリルに積極的に近寄ってくる生徒はおらず、マクリルも一人でいることに違和感も不便さもないので毎日魔道書に夢中になっていた。
今までわけもわからずやっていたことの意味がわかるという感動にのめり込んでいたのだ。
魔道書だけでは分からないことは教師に聞きに行き、それでも分からないことは学校の図書館に行き、それでも分からなければ巨大な書庫に入る許可を貰い調べた。そして次第にその書庫に入り浸るようになった。
そのためマクリルはほとんど授業には出席しなくなった。正確にはマクリルには必要なかったのだ。実技はもちろん学科も自らどんどん進んでいたので誰も彼に何も教える必要はなかったのだ。
それでも進級のための実地訓練とテストだけは受けた。
そして飛び級を繰り返して、六年のカリキュラムを二年で終えた。されど卒業はしなかった。させてもらえなかったのだ。他の生徒に手本を見せるために度々授業に呼び出させていたからだった。
それからのマクリルは空いている時間は書庫に行き、たまに魔術を披露し、得た知識を実践するためにあの倉庫のような建物に行った。
そうしてまた一年が過ぎると、学校に籍は置いたまま実際の魔道士の仕事を始めさせられた。
訓練でしか見た事がない魔物達を実践で退治する。
けれどマクリルにはあまり難しいことはなかった。彼は始めに魔術の指南をした大人のほうが幾分恐ろしいと思っていたから。
マクリルはわずか十歳で高等な魔術を使いこなす国軍の主要な魔道士の一人となった。
結局学校には正規のカリキュラムの六年間在籍し、入学した時の同級生達と卒業式を迎えた。その日も入学の日と同じように誰もが遠巻きにマクリルを見ていたが、そのまなざしは全く違って尊敬や憧れ、畏怖のようなものまであった。
マクリルも六年間で成長し自分というものの立ち位置を正確に理解していたが対応は全く変わらず、誰に話しかけるでもなくほとんど同じ授業を受けたこともない少し減った同級生たちに感慨深いものもないので用が済めばさっさと学校を後にした。
マクリルの所属する軍の魔道部は魔道学校でもトップクラスで卒業したいわゆるエリートと言われる人達がいる部署だ。その中にもいろいろとランクや仕事内容での分類などがあるのだが、マクリルはそのどれにも所属せず魔道部の最高権力である七魔道士の直属唯一の部下となっていた。そのため同僚と呼べる人もおらず、通常複数で行動するはずの魔道士たちの中でいつも一人で仕事をこなしていた。
七魔道士たちは一般人にはほとんど人前には顔を出さず、国王のいる城で護衛などのほかに政治にもかかわっていた。それは直接政策を打ち出したり会議で口出しをしたりするものではなかったが、王や大臣達に助言をしたり、魔術に関する法律制定やトラブルの解消、軍部での地位確立などを主立ってしていた。
しかし、それも決して表立ったものではなかった。政府で大臣や官僚を務める魔道士は他にいて七魔道士はあくまで軍部に所属する一部隊であるという立ち位置を譲らなかった。
そしてマクリルの前にも学校に入学してから顔を出すことは稀だった。
マクリルへの仕事は寄宿舎の部屋に直接持ち込まれて、城へは呼び出しがない限り出向くことはない。仕事先にも依頼者以外は誰も来ないし、仕事中は安全を優先させるため悪魔や魔獣、悪事を実行する魔道士の他はマクリルが近寄らせなかった。
だから学校を卒業するとまたマクリルを取り巻く人はグッと減った。
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日本で落ちこぼれの『ざしきわらし』として過ごしていたフクは、気づくと何もない霧の中にいた。霧の中で出会った黒い神様(?)にキスされたり、霧から助けられたと思ったらキョンシー使いの導師に襲われたり、二重人格の主人に刺されかけたりして散々な目にあう。異世界に訪問してから散々な目に遭っているが、この世界の人からは別世界からの訪問者は、みんな『悪魔』として討伐されてしまう!
「僕って今『ざしきわらし』だよね?趣味の悪いって、有名な鬼じゃないよね??」
誰もが嫌う『ゴミ掃除』に明け暮れながらも、今日も天使の目から掻い潜って生活している。
フクの世界のお釈迦さま、神様、神様が治める国の悪魔討伐隊『討伐天使』から逃れる毎日に、怯えながらもどうにか過ごしています。
一ヶ月前から、子供が消える事件が発生した。目撃者もなく、痕跡もなく消えることから、『悪魔』もしくは『悪魔付き』の仕業として調査を続けている。しかし、進展はなく、1人、また1人と子供が各地で誘拐されていく。子供の身分はバラバラ、共通点もほとんどない。フクは、『友達』から誘拐された子供を心配されるが、天使の監視を避けるために、動けずにいたところを、霧の中で出会った神様とよく似た青年が現れて・・・?
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魔喰のゴブリン~最弱から始まる復讐譚~
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駆け出しの冒険者であるシルヴァ・ベルハイスは、ダンジョン都市フェルミでダンジョン攻略を生業としていた。
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その依頼とは勇者パーティの荷物持ちの依頼。
勇者の戦闘を近くで見られることができ、高い報酬ということもあって引き受けたのだが、この一回の依頼がシルヴァを地獄の底に叩き落されることとなった。
ダンジョン内で勇者達からゴミのような扱いを受け、信頼していた仲間にからも見放され……ダンジョンの奥地に放置されたシルヴァは、匂いに釣られてやってきた魔物に襲われた。
魔物に食われながら、シルヴァが心の底から願ったのは勇者への復讐。
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