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第一章
5 回復するため
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そうしてようやくクロがベッドから出てこられるようになった日。
カジュがいつも通り二階の部屋に薬を届けると、窓際に立ったクロの姿がありそれを知った。そんな時期だろうとカジュも考えていたので驚きも無く、大した反応もせず薬だけ飲ませて部屋を出た。
その昼下がり、日が高く雲がほとんどないおかげか、少しだけ暑かった。それでも汗ばむ程度で窓から入る風がむしろ心地よく、室内で過ごすには快適でカジュは仕事に没頭していた。
薬を詰めるための小瓶を大量に消毒したり、薬包紙を整え粉薬を入れる準備をしたり、シップのためのガーゼを切りそろえたり、そんな雑務をせっせと終えた後、やっと薬を作り始めた。
そのタイミングで、階段から足音がした。
振り向かずともその力強さから誰だかわかる。
「おい、お前一体何をしている?」
ダイニングの椅子に座り街に売りにいく薬作りにただひたすらゴリゴリと精を出していたカジュの横に恐ろしい形相のクロが立っている。
アオはどうやら二階で昼寝でもしているようで、一階に下りて来たのはクロだけだった。
「は? 見てわかんねーのかよ。葉を煎じてんだ」
「違う、お前はアイツに何か術をかけているだろう」
あまりに唐突過ぎる質問に思わず深いため息をつくカジュをクロが見下ろし睨みつける。
「答えによってはただじゃ済まない」
「かけてる術は一つだけ、お前に掛かってるものと同じ大地との契約だ。封印の術の応用みたいなもんだからお前らからすれば行動範囲が限定されるのが良し悪しな術だな」
そんな説明をしたカジュはクロの鋭い視線なんか慣れたもので作業を再開させた。
「そんなわけはない!」
ダンッと拳でテーブルを叩かれ、カジュの機嫌もやや下がる。テーブルの上に種類ごとにまとめられ分けられている乾燥した草たちがわずかに乱れた。それでも怒るのも疲れるので、クロには食って掛からずに、気だるげに目線を向けた。
「なんでそう思うんだよ?」
「…………」
「あれか、アオが誘ってこなくなって欲求不満になったか?」
わざと下衆な笑い方をしたからクロは切れだすかと予想したカジュだったが、それは外れて殊の外真面目な表情の悪魔はカジュの前のイスに腰を下ろした。
「出会った頃からアイツから誘ってくることはよっぽどじゃなければない。その前に俺がこらえれなくなることがほとんどだ」
悪魔が腰を据えたことでやや不審には思ったが、カジュは食って掛かられることはないだろうと作業しながら話を聞いた。
「あー、まあ、それ自体がアイツの特質だからな」
「それは分かっていた、俺が制御しなければアイツは自分でそれができない」
カジュはゴリゴリと草をすりつぶしながら、じっとそれを見つめながら話しかけてくる悪魔の静かな語りに耳を傾ける。
「そうみたいだな」
「だが、今はアイツとそんな気にならない」
「今やったらお前がヤバイからだろ」
「違う、したい気持ちがないわけではない。愛おしいアイツに触れたいといつでも思っている」
悪魔のノロケなどカジュが聞いて楽しいはずもなく砂を吐きたいような気分で先を促した。
「はいはい、それで?」
「性交とはアイツにとって食事のようなものだ。だが、今は人間がやるような恋愛におけるコミュニケーションのようだ」
「お前、あそこではやるなと言っただろう」
カジュは益々気分が下がり悪魔との会話を腰をすえてしてしまったことを早速後悔し始めた。薬作りも思わず中断だった。
「最後まではしていない」
「そういう問題じゃねーよ」
ほとんど人が来ることはない森の奥の家でも客間としてある部屋ではあったが、なにをされても良いというわけではない。思わず想像してゲンナリしたカジュだったが、なんとかため息一つで片付けて、さっさと悪魔との会話を切り上げることにした。
「ったく、とりあえず本当に術は一つしかかけてねーよ。ただお前の傷の回復のためにもアイツ自身のためにも対策はさせてもらってる」
「何だ、その対策とは?」
「アイツに飲ませてる薬に力を抑制する成分と、一時的なものだが擬似エネルギーになるようなのを入れてある」
「そんな薬があるのか?」
「あくまでも一時的だからできることだ。お前たちは今大地に縛り付けてる様なもんだが、逆に言えば大地とラインが出来てるとも言える。本来悪魔には馴染まない地のエネルギーをお前らを媒体にしてやり取りしてる感覚だ。大地の力ってのは壮大だからな使い方次第なんだよ」
「俺の薬にも何かしているのか?」
「当たり前だろ、お前のが面倒なんだぞ。傷の回復を早めるものに滋養強壮だろ、それから大地とはお前のが相性が悪いから拒絶反応が出ないように薬で抑えてる」
「そうか……」
「お前たちを貶めて得るものなんかこれっぽっちもねーんだから、余計な心配してないで上で大人しく寝てろ」
そんな言葉に素直に頷くクロではない。
今までならば。
今だってクロはカジュを完全に信用したわけではなかったが、これからのことを考えればしっかり体を癒すしかなかった。これまでも日に何度も眠るより深い休息に入っていた。それでもアオの気配だけは常に感じていた。もしアオに少しでも気が乱れるようなことが起こればすぐに助けに行けるように。
そしてクロが想像していたようなことは何一つ起こらなかった。アオの気配は今までの暮らしの中ではほとんど感じられなかったほどに穏やかなものに日々変化していくのを感じたくらいだ。
アオが一人部屋を出てカジュと何やらやり取りをして部屋に戻ってきても、クロは目だけを開けて二、三言の会話しかしなかった。アオがいつもニコニコとしているのを見てクロはまた穏やかに目を閉じることができたいた。
だから今もクロは寝てろとカジュに言われても特に反発はせずに部屋に戻る。
動けるようにはなったが辛うじてという程度で、まだ十分に力を取り戻すには足りていない。カジュのことは気に入らないが、部屋でジッとしているのが最速の道だと判断できた。
しかし、部屋で眠ることはしなかった。もう今までのような休息を取らずとも回復できる。
二つあるベッドのアオが寝ているほうに腰掛け、健やかに眠るその姿を眺めながら、クロは今おかれている現状を改めて考え始めた。
今いるこの場所、このハディスの森。意識して来たわけではなく、命からがら逃げてきた場所が偶然この森だったのだが、本当に必死で少しの余裕もあの時の自分にはなかったのだと思い知らされた。
なぜなら平静な自分ならば近寄ることもしないはずのところだったからだ。
カジュが住んでいるこの森は呪われてる。噂ではなく事実としてそうなのだ。ほんの数年前、国軍に従事していた神獣ドラゴンの暴走時に呪われてしまった。
その騒動は未だに全世界で有名で、世界消滅の危機として語り草になっている。結果その暴走したドラゴンは伝説の大魔道士によって退治され消されてしまったらしい。
その時にこの森で最後の戦いあり、それで地が穢れてしまった。そしてその大魔道士でも清められなかった土地だ。
近づく者は誰一人としていない。森と近隣との明確な境目があるわけではない。徐々に木が生い茂っていくのだが、ある程度になると視界がぐっと暗くなり急激に不安に襲われる。後ろを振り返ればまだ開けていて道に迷いようもない。それでも前に進むと、気分が悪くなってきて歩き続けることが難しくなっていき、その苦しさから逃れるためには引き返すしか方法はない。
万が一間違えて迷い込んでも決して深部には入ることのできず、さんざん迷った挙句、気がつくと森の外に出ているという事例が数件国には報告が上がっていた。
誰も確かめたことはないが、深部には人や魔物が消滅するほどの瘴気が満ちていると言われている。それがハディスの森だった。
そんな場所に人間が住み着いているなんて想像もできないことで、その上こんな穏やかな場所だというのもにわかには信じがたい。
それでもどう考えてもここはハディスの森に違いなかった。クロは何をどう調べたわけでもないが、記憶が曖昧になる前の場所と窓から見える地形と少し力を使えば近辺の状況は分かる。総合して導き出せる場所はそこしかない。
クロほどの悪魔でもドラゴンなんてものと出会うことはまずない、たとえ探し出そうとしても何年も掛かって会えるかどうかという希少な生き物だ。それが軍に飼われていたというのも信じがたいが、それが暴れた森が僅か数年でこれほど何事もないように見えるほうが幻のようだった。
何もかもただの噂だったのかもしれない、そうクロが思うほど現実目の前に広がる景色は信じがたいものだった。
クロは元より自分から探ったりする性質ではない。その上ここ数年、そんなことを気にする余裕すらなかった。アオに出会ってからずっとそうだった。
常に様々なものに追われる暮らし、だからこそ最低限敵の動向を知るために見聞きした話の中にあった噂だった。
そしてそれ以外にも様々な噂話を聞き、目的を持つ。逃げるばかりではどうにもならない、二人で生きていく術(すべ)を探し、その目的の途中だった。
クロ一人ならいくらでも蹴散らすことはできたが、アオと一緒ではそうできなかった。
アオには傷一つ付けさせたくなかった。指一本でも触れさせなかった。
できれば怖い思いもさせたくなかったが、さすがにそれは無理だった。目の前で幾人も殺し、血飛沫を浴びせてしまったこともある。アオは震えていた。それでもクロにはいつも笑顔で「守ってくれてありがとう」と言ってくれた。もしクロとの出会わなければ、もし今もっと力がないものとパートナーであれば…………と考えはしてもクロがアオを手放すことはできなかった。どんなに追い詰められても、アオを脅えさせても、クロはアオを連れ、そしてアオもクロと供にいることをやめなかった。
やめられなかった。少しずつアオにも傷を作ってしまうことが増え、いよいよ追い詰められ、消滅を覚悟してもなお抗い続けるしかできないほど、クロの中でアオの存在はすべてに近かった。
そしてそんな日々の終わりが、この森に着き、そして図らずも唐突に平和な時を得るだなんて想像できるはずも無い。
それが何日も続いていることが夢のように思えるのも仕方が無い。
穏やかでのどかな時間。不穏な気配どころか、天候さえも大きな乱れがない。暖かに降り注ぐ太陽の光、また時に降る雨はしとしとと森を潤し、吹き抜ける風は植物の香りを連れてきた。
何かに脅えているモノはここには存在しないかのように、ただのどかな日々は過ぎていく。クロが神経を尖らせていることがバカらしくなるほどに。
カジュがいつも通り二階の部屋に薬を届けると、窓際に立ったクロの姿がありそれを知った。そんな時期だろうとカジュも考えていたので驚きも無く、大した反応もせず薬だけ飲ませて部屋を出た。
その昼下がり、日が高く雲がほとんどないおかげか、少しだけ暑かった。それでも汗ばむ程度で窓から入る風がむしろ心地よく、室内で過ごすには快適でカジュは仕事に没頭していた。
薬を詰めるための小瓶を大量に消毒したり、薬包紙を整え粉薬を入れる準備をしたり、シップのためのガーゼを切りそろえたり、そんな雑務をせっせと終えた後、やっと薬を作り始めた。
そのタイミングで、階段から足音がした。
振り向かずともその力強さから誰だかわかる。
「おい、お前一体何をしている?」
ダイニングの椅子に座り街に売りにいく薬作りにただひたすらゴリゴリと精を出していたカジュの横に恐ろしい形相のクロが立っている。
アオはどうやら二階で昼寝でもしているようで、一階に下りて来たのはクロだけだった。
「は? 見てわかんねーのかよ。葉を煎じてんだ」
「違う、お前はアイツに何か術をかけているだろう」
あまりに唐突過ぎる質問に思わず深いため息をつくカジュをクロが見下ろし睨みつける。
「答えによってはただじゃ済まない」
「かけてる術は一つだけ、お前に掛かってるものと同じ大地との契約だ。封印の術の応用みたいなもんだからお前らからすれば行動範囲が限定されるのが良し悪しな術だな」
そんな説明をしたカジュはクロの鋭い視線なんか慣れたもので作業を再開させた。
「そんなわけはない!」
ダンッと拳でテーブルを叩かれ、カジュの機嫌もやや下がる。テーブルの上に種類ごとにまとめられ分けられている乾燥した草たちがわずかに乱れた。それでも怒るのも疲れるので、クロには食って掛からずに、気だるげに目線を向けた。
「なんでそう思うんだよ?」
「…………」
「あれか、アオが誘ってこなくなって欲求不満になったか?」
わざと下衆な笑い方をしたからクロは切れだすかと予想したカジュだったが、それは外れて殊の外真面目な表情の悪魔はカジュの前のイスに腰を下ろした。
「出会った頃からアイツから誘ってくることはよっぽどじゃなければない。その前に俺がこらえれなくなることがほとんどだ」
悪魔が腰を据えたことでやや不審には思ったが、カジュは食って掛かられることはないだろうと作業しながら話を聞いた。
「あー、まあ、それ自体がアイツの特質だからな」
「それは分かっていた、俺が制御しなければアイツは自分でそれができない」
カジュはゴリゴリと草をすりつぶしながら、じっとそれを見つめながら話しかけてくる悪魔の静かな語りに耳を傾ける。
「そうみたいだな」
「だが、今はアイツとそんな気にならない」
「今やったらお前がヤバイからだろ」
「違う、したい気持ちがないわけではない。愛おしいアイツに触れたいといつでも思っている」
悪魔のノロケなどカジュが聞いて楽しいはずもなく砂を吐きたいような気分で先を促した。
「はいはい、それで?」
「性交とはアイツにとって食事のようなものだ。だが、今は人間がやるような恋愛におけるコミュニケーションのようだ」
「お前、あそこではやるなと言っただろう」
カジュは益々気分が下がり悪魔との会話を腰をすえてしてしまったことを早速後悔し始めた。薬作りも思わず中断だった。
「最後まではしていない」
「そういう問題じゃねーよ」
ほとんど人が来ることはない森の奥の家でも客間としてある部屋ではあったが、なにをされても良いというわけではない。思わず想像してゲンナリしたカジュだったが、なんとかため息一つで片付けて、さっさと悪魔との会話を切り上げることにした。
「ったく、とりあえず本当に術は一つしかかけてねーよ。ただお前の傷の回復のためにもアイツ自身のためにも対策はさせてもらってる」
「何だ、その対策とは?」
「アイツに飲ませてる薬に力を抑制する成分と、一時的なものだが擬似エネルギーになるようなのを入れてある」
「そんな薬があるのか?」
「あくまでも一時的だからできることだ。お前たちは今大地に縛り付けてる様なもんだが、逆に言えば大地とラインが出来てるとも言える。本来悪魔には馴染まない地のエネルギーをお前らを媒体にしてやり取りしてる感覚だ。大地の力ってのは壮大だからな使い方次第なんだよ」
「俺の薬にも何かしているのか?」
「当たり前だろ、お前のが面倒なんだぞ。傷の回復を早めるものに滋養強壮だろ、それから大地とはお前のが相性が悪いから拒絶反応が出ないように薬で抑えてる」
「そうか……」
「お前たちを貶めて得るものなんかこれっぽっちもねーんだから、余計な心配してないで上で大人しく寝てろ」
そんな言葉に素直に頷くクロではない。
今までならば。
今だってクロはカジュを完全に信用したわけではなかったが、これからのことを考えればしっかり体を癒すしかなかった。これまでも日に何度も眠るより深い休息に入っていた。それでもアオの気配だけは常に感じていた。もしアオに少しでも気が乱れるようなことが起こればすぐに助けに行けるように。
そしてクロが想像していたようなことは何一つ起こらなかった。アオの気配は今までの暮らしの中ではほとんど感じられなかったほどに穏やかなものに日々変化していくのを感じたくらいだ。
アオが一人部屋を出てカジュと何やらやり取りをして部屋に戻ってきても、クロは目だけを開けて二、三言の会話しかしなかった。アオがいつもニコニコとしているのを見てクロはまた穏やかに目を閉じることができたいた。
だから今もクロは寝てろとカジュに言われても特に反発はせずに部屋に戻る。
動けるようにはなったが辛うじてという程度で、まだ十分に力を取り戻すには足りていない。カジュのことは気に入らないが、部屋でジッとしているのが最速の道だと判断できた。
しかし、部屋で眠ることはしなかった。もう今までのような休息を取らずとも回復できる。
二つあるベッドのアオが寝ているほうに腰掛け、健やかに眠るその姿を眺めながら、クロは今おかれている現状を改めて考え始めた。
今いるこの場所、このハディスの森。意識して来たわけではなく、命からがら逃げてきた場所が偶然この森だったのだが、本当に必死で少しの余裕もあの時の自分にはなかったのだと思い知らされた。
なぜなら平静な自分ならば近寄ることもしないはずのところだったからだ。
カジュが住んでいるこの森は呪われてる。噂ではなく事実としてそうなのだ。ほんの数年前、国軍に従事していた神獣ドラゴンの暴走時に呪われてしまった。
その騒動は未だに全世界で有名で、世界消滅の危機として語り草になっている。結果その暴走したドラゴンは伝説の大魔道士によって退治され消されてしまったらしい。
その時にこの森で最後の戦いあり、それで地が穢れてしまった。そしてその大魔道士でも清められなかった土地だ。
近づく者は誰一人としていない。森と近隣との明確な境目があるわけではない。徐々に木が生い茂っていくのだが、ある程度になると視界がぐっと暗くなり急激に不安に襲われる。後ろを振り返ればまだ開けていて道に迷いようもない。それでも前に進むと、気分が悪くなってきて歩き続けることが難しくなっていき、その苦しさから逃れるためには引き返すしか方法はない。
万が一間違えて迷い込んでも決して深部には入ることのできず、さんざん迷った挙句、気がつくと森の外に出ているという事例が数件国には報告が上がっていた。
誰も確かめたことはないが、深部には人や魔物が消滅するほどの瘴気が満ちていると言われている。それがハディスの森だった。
そんな場所に人間が住み着いているなんて想像もできないことで、その上こんな穏やかな場所だというのもにわかには信じがたい。
それでもどう考えてもここはハディスの森に違いなかった。クロは何をどう調べたわけでもないが、記憶が曖昧になる前の場所と窓から見える地形と少し力を使えば近辺の状況は分かる。総合して導き出せる場所はそこしかない。
クロほどの悪魔でもドラゴンなんてものと出会うことはまずない、たとえ探し出そうとしても何年も掛かって会えるかどうかという希少な生き物だ。それが軍に飼われていたというのも信じがたいが、それが暴れた森が僅か数年でこれほど何事もないように見えるほうが幻のようだった。
何もかもただの噂だったのかもしれない、そうクロが思うほど現実目の前に広がる景色は信じがたいものだった。
クロは元より自分から探ったりする性質ではない。その上ここ数年、そんなことを気にする余裕すらなかった。アオに出会ってからずっとそうだった。
常に様々なものに追われる暮らし、だからこそ最低限敵の動向を知るために見聞きした話の中にあった噂だった。
そしてそれ以外にも様々な噂話を聞き、目的を持つ。逃げるばかりではどうにもならない、二人で生きていく術(すべ)を探し、その目的の途中だった。
クロ一人ならいくらでも蹴散らすことはできたが、アオと一緒ではそうできなかった。
アオには傷一つ付けさせたくなかった。指一本でも触れさせなかった。
できれば怖い思いもさせたくなかったが、さすがにそれは無理だった。目の前で幾人も殺し、血飛沫を浴びせてしまったこともある。アオは震えていた。それでもクロにはいつも笑顔で「守ってくれてありがとう」と言ってくれた。もしクロとの出会わなければ、もし今もっと力がないものとパートナーであれば…………と考えはしてもクロがアオを手放すことはできなかった。どんなに追い詰められても、アオを脅えさせても、クロはアオを連れ、そしてアオもクロと供にいることをやめなかった。
やめられなかった。少しずつアオにも傷を作ってしまうことが増え、いよいよ追い詰められ、消滅を覚悟してもなお抗い続けるしかできないほど、クロの中でアオの存在はすべてに近かった。
そしてそんな日々の終わりが、この森に着き、そして図らずも唐突に平和な時を得るだなんて想像できるはずも無い。
それが何日も続いていることが夢のように思えるのも仕方が無い。
穏やかでのどかな時間。不穏な気配どころか、天候さえも大きな乱れがない。暖かに降り注ぐ太陽の光、また時に降る雨はしとしとと森を潤し、吹き抜ける風は植物の香りを連れてきた。
何かに脅えているモノはここには存在しないかのように、ただのどかな日々は過ぎていく。クロが神経を尖らせていることがバカらしくなるほどに。
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