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第一章
4 新たな日常
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そしてまた数日後の朝。
カジュが出かける支度をダイニングでしていると二階からアオが降りてきた。
「どこ行くの?」
朝になるとクロがまだ寝てるからなのか、ここのところ必ず一階へやってくるアオに毎度部屋へ戻るように言ってきたカジュだったが、それさえも面倒になった今日は正直に返事をする。
「薬草つみだ」
テーブルに並べた物を肩からかけたカバンに詰め込み、空の籠を背負うカジュの元にアオが駆け寄る。
「リリーも――」
「アオだ」
何度も繰り返していることだが、これだけはカジュも面倒臭がらずに言い続けている。何度言っても朝には忘れているが、アオも少しずつ刷り込まれているようで馴染みが出てきていた。
「アオも行ってもいい?」
アオの身長はカジュとほぼ変わらないはずなのに、わざわざ覗き込むようにして上目遣いで聞いてくる仕草は、たぶんアオは本能的にしているものだとカジュは理解している。つまり無意識に淫魔の力を使っているのだろうが、アオ自身が気付いていない。そこに不自然さや卑しさが感じられないからなのだが、それでもカジュの心が動かされることはなかった。
そもそも淫魔には性別はない。相手の望む性になるからだ。
魔力の効きにくいカジュには特にどっちに見えるわけでもない。ただの美しい生き物、それだけだった。自然をみるのと変わりない心情だ。
「ダメに決まってるだろう」
取り付く島も与えない。
カジュはさっさと麦藁帽子をかぶり、ベルトに手ぬぐいをかけ、完璧に身支度を整えた。
アオのうらやむような悲しみのこもった視線は全くの知らん振り。
一般人であれば悪魔に対してする態度ではないが、カジュは一般的な人間の感覚とは大きくずれている所があるので相手が何でも大抵は存外な扱いだ。
元々は貧相な淫魔であったアオも、クロと付き合うようになって本来の魅力を開花させた今となってはクロと同等かそれ以上の高位な悪魔になっている。それでも稀な気位の持ち主なので、傲慢なカジュに傷付けられるプライドは持ち合わせていない。そんなプライドはないが、子どものようなハートは持っている。だから邪険にさせると悲しくなってしまう。
「どうして…………?」
案の定瞳を潤ませ出したアオにカジュはどこまでも冷たい。
「自分で考えろ」
「……分かんない」
「上に行ってベッドにいるのに聞いて来い」
「戻ってくるまで待っててくれる?」
「さっさとしろよ」
当然カジュは待っているわけもなくすぐに出発した。
夕暮れ前に帰ってくると、テーブルにひじをつけ両手で顔を覆ってアオが泣いていた。
キッチンに置かれているダイニングテーブルは一人暮らしにしてはとても大きい。それはダイニングが薬を調合する作業場をかねているからだ。そのため使用していない時はテーブルの上には何もない綺麗な状態にしている。
そこにたっぷり水の入ったコップを倒したときのように水溜りができている。しかしコップなどどこにもないのでその水の出所はアオしかいない。
涙でできた池を見て、どれだけ泣いてんだ……と呆れたカジュだったが、それを口に出すのは懸命にも堪え、薬草狩りで疲れて余計面倒臭がりになっているところだったが、ここ数日の経験から渋々アオに立ち向かった。
「何してんだ?」
「カジュが置いてったぁ」
「ああ? どうせ行くなって言われただろう。それが分かっててなんで待ってないといけないんだ」
「待ってるって言ったもん」
「言ってない」
「うえーん」
純真が過ぎるとそれはもう嫌がらせでしかないとカジュは心の底から感じる。その上、アオの容姿はありはしない花が周りに飛んでいるように見えたり、きらめく星が散りばめたられたかのように輝いたりするほど美しい。そよ風でもなびく髪は当然アオの動きでさらさらと舞う。
カジュも美醜に関しては一般的な感覚があるが、ただそれだけの認識のため美しいだけで何もかも正義になるなんてことは無い。ただ、そのアオの性格は問題だった。
もしかしたカジュが一番に苦手な種類に入るのではないかと、最近カジュは気がつき始めた。
「ガキみたいに泣くな、うるさいから上行けよ」
「ヒドイ~」
「何が酷いんだ。大体下に降りてくることにアイツは何も言わないのか?」
「あいつ?」
「クロだ」
「クロ? ……クロ! あんまり近づいちゃダメって言われたよ」
「じゃあなんで降りて来るんだよ」
大抵の場合はあしらえば相手は遠ざかるか、一定の距離や節度を持ってカジュに接してくれる。腹に一物抱えている相手なら尚更で、クロが正しい良い例だ。
けれどアオはどこまでも一直線に突進してくるようにカジュに接してくる。本来の性格もあるだろうが、クロの反応を見るに、ここでののどかな暮らしがアオをことさらリラックスさせ、今まで抑えていた箍が外れてしまっているようだ。クロでさえ止められない、いやアオに甘すぎて止めきれないのかもしれないと、カジュは二階を睨む。
けれど、森の中で倒れていたくらい、そんな状況になるほどなのだから、アオが怯え暮らしていたことは何も聞いていないカジュでも簡単に想像できた。
そして淫魔であるにも関わらず、その淫魔の特性の部分に関して他と大きく違う。庇護欲を誘うそうな愛らしい仕草はするが、性的に誘うそぶりは本人には全く無い。ただフェロモンだけは強力で、不特定多数を誘い、本人もそのために力の消費が激しい。それもまた本人の望むところではない。
淫魔としては致命的じゃないか、とカジュの印象でそれは正しかった。
だからこそ、アオは今初めて普通の暮らしを経験していた。
「カジュは優しい、だから」
「は?」
「優しいからお話したいの。リ……アオは、クロ以外とあんまりお話したことないから、普通に話してくれるカジュともっといっぱいお話したいの」
「人間と話したいなんて悪魔はめずらしいぞ」
「そうなの?」
「お前どんな生活してきたんだ」
それは知りたいから発した言葉ではなく、呆れたから思わず出てしまっていた。会話のノリなんてものはアオにはもちろん分からないので、言葉の意味そのままに思い出を振り返っている。
「うーん、クロとずっと一緒。その前はあんまり覚えてない」
淫魔の記憶力など端から当てにしていないカジュは的を射ない答えでも動じることはなかった。そして興味もなかったので、それ以上返事もしなかった。
摘んできた薬草の整理を終えるとダイニングを後にし汚れた服を替えるためベッド脇にあるキャストへ向かった。
移動と言っても一階の部屋は仕切りのない大きなワンルームなので全てはダイニングから見渡せる。
だから当然のようにアオは座ったままカジュを目で追った。カジュもそれは分かっていたが特に気にすることもなく、シャツとズボンをささっと替えた。
「ね、カジュ?」
「なんだ?」
もう無視しても返事をするまでアオがしつこくまとわり付いてくるので質問にはとりあえず相槌を打つのが思考を通す前にできるようになってきたカジュは、密かに自分自身に舌打ちした。
着替えを済ませ再びダイニングに戻ってきたカジュに、アオはイスから見上げながら不思議そうに聞いてきた。
「どうしてカジュはアオのこと見ても変な風にならないの?」
「変な風?」
「あのね、」
それからしばらく続いたアオの取りとめのない説明を要約すると、何故淫魔の色香に惑わされないかということだった。
「どうしてなの?」
クロにした説明をアオも聞いていたはずだが右から左で頭に残っていない様子。その上、クロにはあらましを説明するだけで理解を得られることをアオに同じようにしてもよりいっそう質問攻めにあうことは必至だと想像がつく。
だがあしらった所でそれもまた同じ目にあうのだから、カジュは仕方なくアオに合わせる様に話をするしかなかった。
「お前に詳しく説明してもわからんだろうから簡単に言うと、俺はもとからそういうのは効かないってのと今はお前のエネルギー源が今までと違うってことが大きいんだ」
アオの横に立ち、腕組みをして説明した。
イスはまだあるのに座らなかったのは、長話はしないという決意の現れだ。
アオはそんな決意など知る由もなく質問を投げかけてくる。
「エネルギー?」
「あいつから搾り取ってたんだろう?」
天井を指差しながらカジュが言うとアオは少し首を傾げた。
「搾ってはないよ」
語感で会話が成り立たないことは分かっているが、それをいちいち説明する気のもならなかったカジュはさっさと話を締めた。
「……とにかく、今はこの大地と薬草の効果で前ほど魔性フェロモンは出てないってことだ」
「へー、そっか」
それからしばらくアオは足りない頭でしきりに何か考え始めた。カジュはあっさり納得したことが少々気にかかったが、何を考えてるのか聞いて会話が長引くのも鬱陶しいのでアオのことは放っておくことにして台所で夕飯の準備を始めた。
アオのことは視界の隅に入っているだけという状況で、次第にカジュは料理に没頭していった。
「そっか!」
本当に唐突に声を発しアオが立ち上がったためカジュは久々に本気で驚いてしまった。一人暮らしがすっかり馴染んでいて、アオの存在を意識の外にやって料理に夢中になっていたので、忘れていたわけではないがアオの読みづらい行動に対する免疫が低くなっていたせいだ。
カジュは思わず心臓を押さえながらテーブルにいるアオを振り返った。
「…………なんだよ」
カジュが問うてきたこと以上に、何かが心から嬉しいと言わんばかりの表情のアオは声も大きかった。
「だからクロとエッチなことしなくても平気なの!」
長い時間かけて見つけた答えがそんな分かりきったことだったかと呆れたくなったカジュだが、アオは目をキラキラさせて答えあわせを待っている。
驚かされたこともあって徐々に心底疲れてきていたカジュは、アオと真逆で力ない声で返事をした。
「そうだよ」
「やっぱり!」
嬉々として跳ね回る姿はまさに子供だった。
「埃がたつからあんまり動き回るな、上にも響くぞ」
「ごめんなさい」
そう言いながらアオの顔は笑顔だった。
「お前、上のヤツのこと心配じゃないのか?」
カジュの言葉でアオの顔色は一瞬で悪くなる。
「もう大丈夫じゃないの?」
「大人しくしてれば心配ない。お前も俺が帰ってきてからずっと下にいるしな」
仕返しのような皮肉だったがアオには効きもしなかった。
「うーん、一緒にいないほうがゆっくり眠れると思ったの」
アオは淫魔の性質で眠っているクロを誘惑してしまうことを恐れて傍を離れているとカジュには分かっていた。
知識力や理解力は低いが機微が無いわけではない。それが元からアオに備わっている性格なのか生きていくための術として身につけたものなのかは分からなかったが、アオの容姿だけでクロが惹かれているのではないとカジュには感じられた。
「お前でも気使えるんだな」
「うん」
少し照れながらアオは頷く。
「でもそれは杞憂だ」
アオの単純な反応に呆れながら、カジュは再び台所に立ちながらアオの相手をする。
目線が合わなくなってアオはカジュの横にピタリとくっつく様に立って顔を覗き込んだ。
「きゆう?」
「いらん気遣いだってことだ」
簡単にあしらいながら手は決して止めず、それでも質問にはしっかりと答えるカジュにアオは無意識に嬉しさがこみ上げてきて、まとわり付くようにして疑問を投げ続ける。
「どうして?」
「今のお前は力が弱ってるようなもんだからアイツに悪影響はない」
「弱ってるようなもん? 弱るのとは違うの?」
「違うな、お前淫魔なんだぞ。弱ってるんなら余計に力を欲して外に及ぼす影響は強くなるのが自然だ」
「うーんと、でもそうじゃないから、弱ってないってこと?」
「いいや、弱ってたから森で倒れてたんだろ。ここでの処置で今は通常と状態が違うってことだ」
「だからクロは平気?」
「そういうこと」
「本当?」
「さっき説明しただろ?」
「え!」
「お前分かったって言っただろう」
「あ! そっか!」
ウフフと笑って鼻歌交じりでアオはクルクルと踊りだした。
暴れるなと注意するのさえ諦めて、カジュも料理に再度集中した。
そんな風にして二階の一室でクロが寝込んでいる間、アオは度々カジュの元へやってきては取り留めない会話を時に一方的に、時にカジュに返答を求めて楽しんでいた。
カジュも日常の中にアオがいることに慣れていき、決して仲良くではないが適当に相手をしながら周りをうろつくことに目を瞑っていた。
カジュが出かける支度をダイニングでしていると二階からアオが降りてきた。
「どこ行くの?」
朝になるとクロがまだ寝てるからなのか、ここのところ必ず一階へやってくるアオに毎度部屋へ戻るように言ってきたカジュだったが、それさえも面倒になった今日は正直に返事をする。
「薬草つみだ」
テーブルに並べた物を肩からかけたカバンに詰め込み、空の籠を背負うカジュの元にアオが駆け寄る。
「リリーも――」
「アオだ」
何度も繰り返していることだが、これだけはカジュも面倒臭がらずに言い続けている。何度言っても朝には忘れているが、アオも少しずつ刷り込まれているようで馴染みが出てきていた。
「アオも行ってもいい?」
アオの身長はカジュとほぼ変わらないはずなのに、わざわざ覗き込むようにして上目遣いで聞いてくる仕草は、たぶんアオは本能的にしているものだとカジュは理解している。つまり無意識に淫魔の力を使っているのだろうが、アオ自身が気付いていない。そこに不自然さや卑しさが感じられないからなのだが、それでもカジュの心が動かされることはなかった。
そもそも淫魔には性別はない。相手の望む性になるからだ。
魔力の効きにくいカジュには特にどっちに見えるわけでもない。ただの美しい生き物、それだけだった。自然をみるのと変わりない心情だ。
「ダメに決まってるだろう」
取り付く島も与えない。
カジュはさっさと麦藁帽子をかぶり、ベルトに手ぬぐいをかけ、完璧に身支度を整えた。
アオのうらやむような悲しみのこもった視線は全くの知らん振り。
一般人であれば悪魔に対してする態度ではないが、カジュは一般的な人間の感覚とは大きくずれている所があるので相手が何でも大抵は存外な扱いだ。
元々は貧相な淫魔であったアオも、クロと付き合うようになって本来の魅力を開花させた今となってはクロと同等かそれ以上の高位な悪魔になっている。それでも稀な気位の持ち主なので、傲慢なカジュに傷付けられるプライドは持ち合わせていない。そんなプライドはないが、子どものようなハートは持っている。だから邪険にさせると悲しくなってしまう。
「どうして…………?」
案の定瞳を潤ませ出したアオにカジュはどこまでも冷たい。
「自分で考えろ」
「……分かんない」
「上に行ってベッドにいるのに聞いて来い」
「戻ってくるまで待っててくれる?」
「さっさとしろよ」
当然カジュは待っているわけもなくすぐに出発した。
夕暮れ前に帰ってくると、テーブルにひじをつけ両手で顔を覆ってアオが泣いていた。
キッチンに置かれているダイニングテーブルは一人暮らしにしてはとても大きい。それはダイニングが薬を調合する作業場をかねているからだ。そのため使用していない時はテーブルの上には何もない綺麗な状態にしている。
そこにたっぷり水の入ったコップを倒したときのように水溜りができている。しかしコップなどどこにもないのでその水の出所はアオしかいない。
涙でできた池を見て、どれだけ泣いてんだ……と呆れたカジュだったが、それを口に出すのは懸命にも堪え、薬草狩りで疲れて余計面倒臭がりになっているところだったが、ここ数日の経験から渋々アオに立ち向かった。
「何してんだ?」
「カジュが置いてったぁ」
「ああ? どうせ行くなって言われただろう。それが分かっててなんで待ってないといけないんだ」
「待ってるって言ったもん」
「言ってない」
「うえーん」
純真が過ぎるとそれはもう嫌がらせでしかないとカジュは心の底から感じる。その上、アオの容姿はありはしない花が周りに飛んでいるように見えたり、きらめく星が散りばめたられたかのように輝いたりするほど美しい。そよ風でもなびく髪は当然アオの動きでさらさらと舞う。
カジュも美醜に関しては一般的な感覚があるが、ただそれだけの認識のため美しいだけで何もかも正義になるなんてことは無い。ただ、そのアオの性格は問題だった。
もしかしたカジュが一番に苦手な種類に入るのではないかと、最近カジュは気がつき始めた。
「ガキみたいに泣くな、うるさいから上行けよ」
「ヒドイ~」
「何が酷いんだ。大体下に降りてくることにアイツは何も言わないのか?」
「あいつ?」
「クロだ」
「クロ? ……クロ! あんまり近づいちゃダメって言われたよ」
「じゃあなんで降りて来るんだよ」
大抵の場合はあしらえば相手は遠ざかるか、一定の距離や節度を持ってカジュに接してくれる。腹に一物抱えている相手なら尚更で、クロが正しい良い例だ。
けれどアオはどこまでも一直線に突進してくるようにカジュに接してくる。本来の性格もあるだろうが、クロの反応を見るに、ここでののどかな暮らしがアオをことさらリラックスさせ、今まで抑えていた箍が外れてしまっているようだ。クロでさえ止められない、いやアオに甘すぎて止めきれないのかもしれないと、カジュは二階を睨む。
けれど、森の中で倒れていたくらい、そんな状況になるほどなのだから、アオが怯え暮らしていたことは何も聞いていないカジュでも簡単に想像できた。
そして淫魔であるにも関わらず、その淫魔の特性の部分に関して他と大きく違う。庇護欲を誘うそうな愛らしい仕草はするが、性的に誘うそぶりは本人には全く無い。ただフェロモンだけは強力で、不特定多数を誘い、本人もそのために力の消費が激しい。それもまた本人の望むところではない。
淫魔としては致命的じゃないか、とカジュの印象でそれは正しかった。
だからこそ、アオは今初めて普通の暮らしを経験していた。
「カジュは優しい、だから」
「は?」
「優しいからお話したいの。リ……アオは、クロ以外とあんまりお話したことないから、普通に話してくれるカジュともっといっぱいお話したいの」
「人間と話したいなんて悪魔はめずらしいぞ」
「そうなの?」
「お前どんな生活してきたんだ」
それは知りたいから発した言葉ではなく、呆れたから思わず出てしまっていた。会話のノリなんてものはアオにはもちろん分からないので、言葉の意味そのままに思い出を振り返っている。
「うーん、クロとずっと一緒。その前はあんまり覚えてない」
淫魔の記憶力など端から当てにしていないカジュは的を射ない答えでも動じることはなかった。そして興味もなかったので、それ以上返事もしなかった。
摘んできた薬草の整理を終えるとダイニングを後にし汚れた服を替えるためベッド脇にあるキャストへ向かった。
移動と言っても一階の部屋は仕切りのない大きなワンルームなので全てはダイニングから見渡せる。
だから当然のようにアオは座ったままカジュを目で追った。カジュもそれは分かっていたが特に気にすることもなく、シャツとズボンをささっと替えた。
「ね、カジュ?」
「なんだ?」
もう無視しても返事をするまでアオがしつこくまとわり付いてくるので質問にはとりあえず相槌を打つのが思考を通す前にできるようになってきたカジュは、密かに自分自身に舌打ちした。
着替えを済ませ再びダイニングに戻ってきたカジュに、アオはイスから見上げながら不思議そうに聞いてきた。
「どうしてカジュはアオのこと見ても変な風にならないの?」
「変な風?」
「あのね、」
それからしばらく続いたアオの取りとめのない説明を要約すると、何故淫魔の色香に惑わされないかということだった。
「どうしてなの?」
クロにした説明をアオも聞いていたはずだが右から左で頭に残っていない様子。その上、クロにはあらましを説明するだけで理解を得られることをアオに同じようにしてもよりいっそう質問攻めにあうことは必至だと想像がつく。
だがあしらった所でそれもまた同じ目にあうのだから、カジュは仕方なくアオに合わせる様に話をするしかなかった。
「お前に詳しく説明してもわからんだろうから簡単に言うと、俺はもとからそういうのは効かないってのと今はお前のエネルギー源が今までと違うってことが大きいんだ」
アオの横に立ち、腕組みをして説明した。
イスはまだあるのに座らなかったのは、長話はしないという決意の現れだ。
アオはそんな決意など知る由もなく質問を投げかけてくる。
「エネルギー?」
「あいつから搾り取ってたんだろう?」
天井を指差しながらカジュが言うとアオは少し首を傾げた。
「搾ってはないよ」
語感で会話が成り立たないことは分かっているが、それをいちいち説明する気のもならなかったカジュはさっさと話を締めた。
「……とにかく、今はこの大地と薬草の効果で前ほど魔性フェロモンは出てないってことだ」
「へー、そっか」
それからしばらくアオは足りない頭でしきりに何か考え始めた。カジュはあっさり納得したことが少々気にかかったが、何を考えてるのか聞いて会話が長引くのも鬱陶しいのでアオのことは放っておくことにして台所で夕飯の準備を始めた。
アオのことは視界の隅に入っているだけという状況で、次第にカジュは料理に没頭していった。
「そっか!」
本当に唐突に声を発しアオが立ち上がったためカジュは久々に本気で驚いてしまった。一人暮らしがすっかり馴染んでいて、アオの存在を意識の外にやって料理に夢中になっていたので、忘れていたわけではないがアオの読みづらい行動に対する免疫が低くなっていたせいだ。
カジュは思わず心臓を押さえながらテーブルにいるアオを振り返った。
「…………なんだよ」
カジュが問うてきたこと以上に、何かが心から嬉しいと言わんばかりの表情のアオは声も大きかった。
「だからクロとエッチなことしなくても平気なの!」
長い時間かけて見つけた答えがそんな分かりきったことだったかと呆れたくなったカジュだが、アオは目をキラキラさせて答えあわせを待っている。
驚かされたこともあって徐々に心底疲れてきていたカジュは、アオと真逆で力ない声で返事をした。
「そうだよ」
「やっぱり!」
嬉々として跳ね回る姿はまさに子供だった。
「埃がたつからあんまり動き回るな、上にも響くぞ」
「ごめんなさい」
そう言いながらアオの顔は笑顔だった。
「お前、上のヤツのこと心配じゃないのか?」
カジュの言葉でアオの顔色は一瞬で悪くなる。
「もう大丈夫じゃないの?」
「大人しくしてれば心配ない。お前も俺が帰ってきてからずっと下にいるしな」
仕返しのような皮肉だったがアオには効きもしなかった。
「うーん、一緒にいないほうがゆっくり眠れると思ったの」
アオは淫魔の性質で眠っているクロを誘惑してしまうことを恐れて傍を離れているとカジュには分かっていた。
知識力や理解力は低いが機微が無いわけではない。それが元からアオに備わっている性格なのか生きていくための術として身につけたものなのかは分からなかったが、アオの容姿だけでクロが惹かれているのではないとカジュには感じられた。
「お前でも気使えるんだな」
「うん」
少し照れながらアオは頷く。
「でもそれは杞憂だ」
アオの単純な反応に呆れながら、カジュは再び台所に立ちながらアオの相手をする。
目線が合わなくなってアオはカジュの横にピタリとくっつく様に立って顔を覗き込んだ。
「きゆう?」
「いらん気遣いだってことだ」
簡単にあしらいながら手は決して止めず、それでも質問にはしっかりと答えるカジュにアオは無意識に嬉しさがこみ上げてきて、まとわり付くようにして疑問を投げ続ける。
「どうして?」
「今のお前は力が弱ってるようなもんだからアイツに悪影響はない」
「弱ってるようなもん? 弱るのとは違うの?」
「違うな、お前淫魔なんだぞ。弱ってるんなら余計に力を欲して外に及ぼす影響は強くなるのが自然だ」
「うーんと、でもそうじゃないから、弱ってないってこと?」
「いいや、弱ってたから森で倒れてたんだろ。ここでの処置で今は通常と状態が違うってことだ」
「だからクロは平気?」
「そういうこと」
「本当?」
「さっき説明しただろ?」
「え!」
「お前分かったって言っただろう」
「あ! そっか!」
ウフフと笑って鼻歌交じりでアオはクルクルと踊りだした。
暴れるなと注意するのさえ諦めて、カジュも料理に再度集中した。
そんな風にして二階の一室でクロが寝込んでいる間、アオは度々カジュの元へやってきては取り留めない会話を時に一方的に、時にカジュに返答を求めて楽しんでいた。
カジュも日常の中にアオがいることに慣れていき、決して仲良くではないが適当に相手をしながら周りをうろつくことに目を瞑っていた。
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事実のほどは神のみぞ知るが、シルヴァは記憶を持ったままとある魔物に転生した。
その魔物とは、最弱と名高いゴブリン。
追い打ちをかけるような最悪な状況に常人なら心が折れてもおかしくない中、シルヴァは折れることなく勇者への復讐を掲げた。
これは最弱のゴブリンに転生したシルヴァが、最強である勇者への復讐を果たす物語。
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少女漫画の当て馬女キャラに転生したけど、原作通りにはしません!
菜花
ファンタジー
亡くなったと思ったら、直前まで読んでいた漫画の中に転生した主人公。とあるキャラに成り代わっていることに気づくが、そのキャラは物凄く不遇なキャラだった……。カクヨム様でも投稿しています。
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