初体験

nano ひにゃ

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 痛い! 痛い! いたーい!
 てのを想像してたんだけど……。
 丁寧な相手に恵まれるとそんなことはないんだと身をもって体験している。

「……ふぁ、はいっ……てる」
「そうだよ、ゆっくりするからもう少しがんばって」

 頑張るも何も、俺は教わった通りに体に力が入らないように、呼吸をできるだけ深くしている以外に何もしていない。
 さすがの質量のせいなのか、どんなサイズのものでも体内に収めようとするとそうなのか、初めての俺には分からないが、体を押し開かれる感覚はさすがに未知で全部入れられた時のことを思うとやや恐怖もある。
 それでも絶対痛いと思っていたのに、痛みはゼロだ。
 気持ちいいかと言われれば、それもないけど、入ってきている感覚は確実にあって、変な満足感と圧迫感が体の全部を支配しているようだ。
 だから俺からはピクリとも動けない。
 下手に動くと痛いかもしれないじゃないか。
 今の状態は相手が上手いからもたらされてるのであって、ど素人の俺はじっとしているに限る。
 そもそも今日のこの日のこの時のために、いろいろとしてもらった結果だった。


 友達の紹介は当てにならないと、何かで読んだことがある。
 俺がゲイであることを知っている人物はかなり少ない。その少数も全員ノンケの友人達だ。
 なにせ実際男と付き合ったこともない、完全な妄想族な俺だから、同じ思考の人間にはネットの中でしか出会ったことがない。
 しかも古いタイプの人格なのか、警戒心が強すぎるのか、ネットの出会いを現実に引き込もうとは思わなかった。みんなニックネームでしか呼び合わず、大まかな職業以外の個人情報はなくて、ただただ好みのタイプの話や、そんなタイプの人を街中で見かけてテンション上がっただの、恋人がいる人はノロケや痴話げんかの話をするだけの交流スペースだ。
 本当はたまにオフ会が開かれてるんだけど、俺はもちろん参加したことない。そこではもう少しディープに話し合ってるらしいが、オフ会での話は他言無用でネット上にも持ち込まないのが暗黙の了解となっているから俺みたいなのにも居心地がいい。
 付き合いたいと思ったことがないわけじゃない。
 でも自信も何もない俺には、好きになった相手が視界からも消えてしまうかもしれない危険は冒せなかった。遠くから見ているだけで幸せ。
 肉欲は自分で処理すればいいし、ネットでだけど自分の性癖に共感してくれる人たちもいる。親友数人は俺のことを知っていても一緒に遊んでくれるんだから、これ以上望むことはないと思っていた。
 でも友人はそれを良しとしてくれなかった。

「お前さ、一回ちゃんと付き合ってみろよ」
「なんで?」

 半個室のような居酒屋で、焼き鳥を口元に近づけながら考えることもせず聞いた。
 そんな風に聞く俺も大概だとは思うけど、今は片思いしているわけでもないのに、そうする必要性を感じていなかった。
 高校から友人である鷹名瀬(たかなせ)が久しぶりに飲みに誘ってきたと思ったらそんな話をしだしても、本気で取りあおうとは思わない。
 大学を卒業し地元に就職して一年以上が過ぎた。
 なんとか社会人の雰囲気にもなれて、これからやっと本格的に会社の役に立っていこうというときにわざわざ人生の荒波にのまれるようなことはしたくなかったのも、鷹名瀬の話を真面目に聞く気にならなかった要因だ。

「なんでって、もう今年で24だぞ。一人ぐらい付き合ってみたって何が問題なんだ」
「問題しかないだろう。第一、俺と付き合ってもいいなんて奴探すだけで何年かかると思ってるんだ」

 やたら真剣な鷹名瀬に、冗談半分で言い返した。実際いないと分かっていたからだ。
 でも鷹名瀬は俺がそう言い返すことを予想していたかのように、言葉を繋げる。

「だから探してやった」
「は?」

 鷹名瀬はジョッキを煽るとおもむろにスマホを取り出し、少しの操作後その画面を俺に突き出してきた。
 何のために撮った写真なのか、ホワイトバックの証明写真のようなショットが一枚。スライドさせられ、どこかの廊下のような場所で全身を写したのが一枚。

「どうだ?」

 鷹名瀬の思惑が分からず、スマホと鷹名瀬の顔を交互に見やる。

「どうって……」
「歳は29、仕事は自営で塾経営してるけど、実家の方の仕事も手伝ってる」

 カッコいいと言えば確かにカッコいい。女性受けの良さそうな顔にスタイル。細身のパンツに淡い色のジャケット、長すぎない黒髪を後ろに流し、きちんとした雰囲気は仕事柄だろうか。写真からでは背の高さは分からないが、顔のサイズから高めだろうと推測できる。
 微笑んでいる顔は役を選ばない俳優のような柔らかさと目力の強さがあった。
 でも俺が好きなのはがっちり胸板厚そうなスッキリさわやかスポーツマンタイプだから、それからは外れている。
 だけど対する俺が中肉中背の、不細工というほどではないにしろ、犬顔のような愛嬌もなければ、鋭い目元というような男の武器になりそうなパーツもなく、コンビニでバイトしてたら絡まれそうな容姿だと評されたことのある間抜け顔。そんな俺に人を評価できる資格があるとも思えない。

「まあ、俺にはもったいないだろう」

 そう言うしかなかった。
 鷹名瀬も写真の相手ほどではないにしろ、カッコイイと言っても大抵は納得されるような顔をしている。流行りの髪型が似合い、スーツもしっかり着こなす男らしい顔立ち、平均よりは高い身長。妬まれるほどではない分、友人も多い。
 そんな鷹名瀬にすれば、写真の相手を簡単にイイ男だろうと言いたくなるのだろうが、俺なんかが言うのはおこがましいのだ。
 ただそこまで卑屈な態度を鷹名瀬に見せると注意を受けるから誤魔化そうとした俺に、思わぬ一言が刺さった。

「向こうはそう思ってないから大丈夫だ」
「……どういう意味だ?」
「お前の写真も見せたってことだよ、会ってもいいくらいには気に入ってたぞ」
「何勝手なことしてるんだ」

 呆れて物も言えない。
 でもまあ写真くらい別にいい。侵害されるほどの肖像じゃないし。
 ただそんな俺でも権利くらいは有しているんだから、見せる前に一言欲しかった。
 それなのに鷹名瀬の方が呆れているような表情だ。

「勝手ってな、お前に積極性求めても無意味だろ。だから先手を打ったまでだ」

 なぜか俺よりやる気な鷹名瀬が不思議で仕方ないが、さっきの探したという言葉が引っかかった。
 
「お前まさか、いろんな人に見せて回ったわけじゃないだろうな!」
「そこまではさすがにしてねーよ。この人だけだから心配するな」
「じゃあどうやって探したんだ?」
「たまたま、取引先の人で性別問わず付き合えるって人がいたんだよ」
「……バイは駄目だ」
「そんなの付き合ってみないと分からないだろう」

 ゲイなら嫉妬の対象は男だけでいいのに、全世界の人間を警戒して嫉妬して付き合うなんて俺の神経では到底無理だ。

「付き合ったって、すぐに浮気されるのが目に見える」
「そんな不誠実な人じゃねーよ、お前のこれまでのこともちゃんと理解してもらってる」

 まともな恋愛経験ゼロだと言ってあるということですか。
 それもひどい話だとは思うが、それ以上に言わなければならないことがある。

「俺がどうかもそうだけど。そもそもその人、ちゃんと結婚できるんだから、別れるの分かってて付き合うなんて不毛だ」
「そんなの男女だって結婚前提で付き合ってるわけじゃない」
「未来にそういうのがあるのかないのかは大きな違いだって」
「じゃあ結婚できない覚悟があればいいのか?」
「は? なにそれ?」

 鷹名瀬はおもむろに電話をかけだした。
 相手はわりとすぐ出たようで、鷹名瀬がしゃべりだす。

「もしもし、急にすみません。今大丈夫ですか?」

 相手はだぶん写真の人なんだろう。
 何を話す気なんだか。
 俺はもう知らんふりして、テーブルの料理に手を伸ばしていた。

「はい、そうなんですよ。それで、ちょっとごねてまして、……はい、……はい。それがですね、結婚してくれなきゃ嫌だって言うんですよ」

 うぐっ!!
 刺身が喉につまりそうになったじゃないか。

「ちょ、ちょ、鷹名瀬!!」
「ええ、……はい。……はい。じゃあ代わりますね」
「ええ!!」

 ぐいっと突き出されたスマホを拒もうとするが、無理やり手に持たされた。
 もう仕方なくそれを耳に当てる。

「あの……」
『こんばんは』

 涼やかな声だった。低すぎず、明るい声色。

「あ、こんばんは。あのそれで、さっきのは冗談ですから」
『結婚の話かな?』
「そ、そうです。すみません」
『謝らなくても』

 クスクスと楽しそうに笑う声が耳に響く。
 それが俺の恥ずかしさに拍車をかけた。男同志で結婚なんて、どう思われたか考えただけで顔から火が出そうだった。

「いや、ホント、すみません……」
『それは、あれかな。俺はフラられちゃったってことかな?』
「え!? いや、そういうことじゃ」
『なら写真は気に入ってくれた?』
「え! あ、はい!」

 まさかタイプじゃありません、とは言えなかった。
 こういうとこが日本人なんだろうな……悲しいサガだ。

『じゃあ今度デートしてくれる?』
「で、で、で、デート!?」
『嫌?』
「嫌なんて、滅相もない」
『じゃあ決まりね』
「……はい」

 そのあと何を話したのか、とにかく鷹名瀬にスマホを返した。
 しばらく二人が話した後、電話タイムは終了した。

「お前にしては頑張ったな」
「……え? なに、なんでデート?」

 俺の動揺が爆発した。

「良かったじゃねーか、仲田さんの連絡先教えるな」
「ナカタ?」
「名前、仲田和寿(なかた かずひさ)さん」

 俺のスマホに送られてきた画面には電話番号、アドレス、ラインのIDまであった。

「俺、本当にデートするのか?」
「お前がするって言ったんだろうが」
「…………そうだよな」

 成り行きって恐ろしい。


 それから数日後。ゴールデンウイーク前半の午前中。
 待ち合わせの場所で待っていると、綺麗に磨かれたシルバーブルーのステップワゴンがやってきた。

「待った?」

 降りてきたのはもちろん写真の人で、でも写りよりもがっちりした大きな人という印象だ。

「いえ、えっと初めまして。柿本好一朗(かきもと こういちろう)です」
「初めまして、仲田和寿です。和寿って呼んでくれて構わないからね」
「えーと、和寿さん?」
「呼び捨てで、俺はコウって呼ぼうかな」
「あ、はい」
「じゃあ早速車乗って」

 促されて助手席に乗り込み、高めの車高に少し戸惑う。
 まもなくストレスなく発進した車はドライブが目的だから、見晴らしのいいと評判のレストランまでしばらく走り続ける。

「独り身には見合わぬ大きい車でごめんね」
「いえ、全然気になりませんでしたよ。でも確かに広いですね」

 後部座席を振り返ると、綺麗に整頓された中に、ひざかけ用のブランケットが置かれていた。
 女の子乗せた時のためかな。
 その考えを読まれたのか。

「俺には兄が二人いるんだけどね、今時珍しく二人とも子沢山なんだよ。だから旅行行くとかキャンプするとかでかり出されることが多いんだ。そのための車と、備えをしてあるんだよ」

 ハンドルを静かに操作する綺麗な横顔、女の子なら絶対に見惚れるはずだ。
 俺はこんな顔に生まれたら少しは違う人生になるのかなと、変なことを考えながら相槌を打つ。

「子沢山ですか……」
「何人いると思う?」

 楽しそうに笑いながら聞いてくれるが子供を持つ予定の全くない俺では予想が難しい。とれあえず適当に応えてみることにした。

「五人ずつくらいですか」
「いい線だねー、正解はまもなく全部で十三人」
「へっ?」

 それ多すぎじゃないか……。

「一番上のところに八人いて、次男のところはもうすぐ五人目が生まれるんだ」
「……すごいですね」

 単純にそれ以外の言葉が出てこなかった。

「そうだよね、両親健在で子育て手伝えるって言っても手が足りないのは当然だよねー、だから俺も協力させられちゃうんだよ」

 なんとも想像しづらい話だ。
 子育てに疎い俺でも、現代の日本では大変稀なケースであることだけは分かる。

「俺の実家は酒蔵やってて、兄たちが跡継ぎでほぼ家族経営だからちょっと時間の融通きくのも大きいかもしれないけどね」
「すごいんですね」
「俺はあんまり関与してないんだけど、たまに手伝うくらいだよ」

 そう言えば鷹名瀬がそんなこと言っていた気がする。本職は塾やってるんだっけ。

「仲田さ」
「和寿」

 すかさずの訂正だった。

「あー、和寿……は塾の先生だって聞いたんですが」
「呼び捨てに敬語は変だから、普通にしていいよ」
「……はい」
「こじんまりとしたのをやってるだけだよ、生徒数も多くないし、指導も俺ともう一人しかいないから」
「人に教えられるだけで凄い……よ」

 急に話し方を変えるのはなかなか骨が折れる。 
 そんな俺をクスクス笑うのは電話の時と一緒だ。

 それからも家族の話や仕事の話をしてレストランに着き、食事をして再び車中の人となった。

「ああー、美味しかった」

 俺は和寿の勧めてくれた料理にすっかり満足していた。座り心地のいいシートに体を預けると下手すると眠ってしまいそうだ。
 当然察しのいい和寿はそんな俺の様子を分かり切っている。

「眠かったらどうぞ」
「初デートでそこまでだらしなくしないって」
「そうだね、変なところに連れ込まれるかもしれないしね」
「……変な、ところ?」

 想像できるところは、やっぱりベッドのある場所か。

「あ、あのー」
「大丈夫、大丈夫。冗談だから」
「え、あっ、うん」
「あれ、実は期待してた?」
「いやいやいや、流石に今日は」
「じゃあ今後はいいんだ、よかった」

 一瞬こちらを向いてにっこりして見せた。
 心臓がいろんな意味ではねた。
 少しの沈黙の後、俺は思い切ってみることにした。

「あの、さ」
「ん?」
「なんで俺と、その、付き合ってみてもいいと思ったのかなーって」

 正確にはまだ付き合うかどうかはわからないとは分かっている。今日のデート次第だろうと思ってたから結果はまだわからないけど、少なくとも会ってもいいとは思ってくれたわけだからその理由を知りたい。

「コウはなんでだと思う」
「……はっきり言ってもいい?」
「もちろん」

 俺は失礼承知で思っていたことを言う。

「ただの興味本位。23まで恋愛も性経験もゼロのヤローを見てみたかったとか」
「あはは、面白い考察だね」
「もしくは……」
「ん? まだあるんだ」
「初物食いってやつかなって」

 所謂処女であることに興奮を覚えるそれだ。男相手でもそういう指向の人はいると聞いたことがある。

「つまりコウの体目当てってことかな?」
「体っていうか、一回目だけっていうか」
「そんなひどい人間に見えたかなー」
「だって、それくらいしか思いつかなかった」

 より取り見取りな感じがするのに、あえて俺を選ぶ理由がない。
 昔どっかで会ったことがあるとかもないし、無意識に誰かの恩人になれるほど高尚なことはしたことがない。
 一目惚れされる容姿でもないのもちゃんと分かってる。
 考えれば考えるほど、俺の価値ってほとんどない。
 どうにかひねり出して、やっと処女性はギリギリ魅力になるかもしれないと思った。
 それ以外に考えらるとしたらもう俺が関係ない場合だ。

「……じゃないとしたら、あとは……」
「あとは?」

 和寿はスマートに運転しながらもちゃんと話を聞いてくれるらしい。とんでもなく失礼なこといったのに、本当に心が広い人だ。

「鷹名瀬に頼まれたんじゃないですか?」

 少しだけ驚いたようですぐには返事がないのは、それは肯定、否定どっちだろうか。
 でもそれには答えず、変わらずの微笑みで聞き返してきた。

「なんて?」
「例えば、恋愛は楽しいものだと分からせてあげてほしいとか、最初のハードルさえ超えさせればあとは勝手にステップアップするとか」

 どれもこれも、二十歳を過ぎたあたりから親友たちに言われてきたことだ。
 俺があまりに奥手であることがよっぽど心配だったとみえるが、ありがたいながらも言う通りにしようとは思えなかった。

「確かに鷹名瀬君は、コウの相手をいろいろ探しているみたいではあったよ」

 やっぱり。
 恋愛しないことはそんなにダメなことなんだろうか。

「すみません、厚かましいお願いして。俺は別に今のままでも大丈夫だから、あいつの言ったことは忘れてください。今日付き合ってもらっただけで十分いい思い出になったから」

 すると今まで相槌を打ってくれていた和寿が、ぴったりと話さなくなった。
 流石に機嫌を損ねたかと思って、俺もそれ以上何も言わなかった。



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