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エピソード0 政常、告白までの道程(前編) もう、金輪際。
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「俺、もう結婚するつもりないから」
母親の絶望の表情にも政常の感情は動かなかった。
そのほんの数カ月ほど前、政常は見合いをした。
27で見合いも早いと思ったが、政常が挙げた条件を満たす様な女性ならば見合いを受けると言えば母親が早々に見つけてきた相手だった。
それまでの恋愛でも、疲れる程女性運がないとも、政常自身が悪いとも、方々から言われ、煩わしさしか感じなくなっていたところに、心配した母親が見合いを勧めてきた。
政常の実家は確かに歴史ある資産家で、そんな家の長男であるから家督が存在した。ただ、この一族は血筋に拘りはあれど、直系の長男が必ず継ぐなどと言うこともなく、そして実家のためにすることも柔軟に変化してきたからこそ昔ほど面倒な用事も減ってきていた。
でもだからこそ、嫁に行くなら矢田家だと界隈では噂されている。
長男は当然ながら、本家に近ければ近いだけ親しくなりたがる人間は後を絶たない。
政常もきっちりと見極めて付き合ってきたが、それほど多くない人数でもう諦めてしまっていた。
家のことなど関係ないと付き合ったが、いつしか政常の金だけに目を眩ませていたり、政常に選ばれたことをステータスにして傲慢になっていったり。
かと思えば、政常に酷い執着をみせ政常の周りにいる女性全てに威嚇してそれを邪険にせず歩み寄りを見せた政常まで常に疑い、してもいない浮気を捲し立てられて流石に冷める以上の感情になってしまった。
さらに悲しいことに、これらの事案は付き合ってもいない人間も男女も関係なく陥る病とまで言えた。
それほど矢田政常という男は多くの魅力を持ち合わせてしまったが故の苦悩を抱えていた。
だからある程度は妥協して、実家にも金銭にもどれほど惚れようと政常とその周りの人間に迷惑を掛けなず、浮気だけはしない。そして一年以上の交際期間を設けそこから初めて結婚について話し合うことを条件に見合いに挑み、とりあえず付き合い始めた。
母親が周到に調べた相手だけあって、とある企業の社長令嬢は礼節を持って政常と付き合っていた。
正直、政常はもっと世間一般のフランクな関係を望んでいたが、ご令嬢はきちんと教育を受けたお嬢様だったから仕草やマナー、社交は完璧な反面、生活能力は高くなく、お手伝いさんがいるくらいが当然、それ以外など考えもしない生粋の箱入り娘で、弁えた態度が変わることはなかった。政常はそれでもいいと受け入れた。
くだらないことで爆笑しあったり、二人だけの家で二人だけで協力し合って生活したり、スーパーに買い物に行って野菜が安いだの高いだの、肉が良い魚が良いと小競り合いをしたり、新発売の妙なフレーバーのお菓子を買おうかどうか悩んだり。いつからかそんな細かく妄想してしまうくらいに、街中にあふれる普通を求めてしまっていた。
矢田家だって普段の暮らしは普通だ。家は大きく、通いの家政婦はいたが、コンビニには当たり前に行くし、テレビだってマンガだってみる。
レセプションパーティーとか当たり前にパーティーなんて名のつくことに参加したり盆暮れ正月は挨拶回りにたくさん来たりと違う常識があることもあるが、多くの当たり前を知らないわけでもない。
でもそんな当たり前は諦めた。
だた心穏やかに平穏があれば良いと。
けれどそれも簡単ではなかった。
お嬢様は、本当に純粋培養のお嬢様だった。
傅かれることが当たり前過ぎて、人に対する敬いに欠けていた。
強く主張しないから分かりづらいが、夫に求めることは、その現状を維持し自分の隣りに立って見劣りせず、それでいて引き立てるくらいを求める以上の当たり前としていた。
自分から何かしてあげようとは全く考えていなかったから、政常の内面などまるで関係なくただ贅沢の暮らしをできるほどの稼ぎと資産があり、眉目秀麗で、まるで専属の執事のように一歩後ろに常に立って彼女をひたすら守ることができれば誰でも良いようだと政常は分かってしまった。
それでも、それだけなら政常は耐えたかもしれない。
もう結婚に夢もなければ、割り切った関係の方が楽だとすら感じていた。
けれど、見過ごせない出来事が起こってしまった。
お嬢様にはお友達がいた。同じような感覚を持ったまるで取り巻きのような人間たちが。
お嬢様自身は天然でだったから政常も割り切って接することができていたが、周りのご令嬢は違った。
それは今まで政常を煩わせてきた人間たちと何も違わず、一応対外的にはご令嬢の婚約者となっている政常に言い寄ってきた。
そしてそれをお嬢様は是とした。
お嬢様の視界の中で完璧ならば他ではどうでもいいらしい。
そしてそれはお嬢様にも適応されていた。
浮気はしない。
それは浮気ではないからだ。お嬢様にとってはお遊び。そういう絶対的な感覚の違いは政常も割り切れなかった。
「今回のことでよく分かった。面倒くさすぎる」
「え、そんな、今回はその」
実家のリビングで家族が揃う中、政常が告げれば、母親は動揺と困惑を見せる。
「もう十分分かったし、母さんも分かっただろ? 俺を不幸にしたいなら誰でもいいし適当に籍だけ入れるけど。その場合は子供は望まないで」
政常の結婚を焦っているのは母親だけなので、父親や兄弟たちは特別反応は見せなかった。
正式な婚約をしていたわけでもないのに一年経たずに婚約解消と噂されたが、それでもそれ以外の浮ついた噂が減ることもなかった。
昔から次々噂はされるが、実際に付き合ったのなんて、その何分の一にもならない。精々一人か二人だ。けれど、それを打ち消すのも煩わしくて放置した。
没頭しようとすれば仕事は最適で、やればやるだけ成果も出て面白くなっていた。
そんなとき出会った女性がいた。
仕事関係での簡単には距離を置けない相手だった。
母親の差し金だとは早い段階で気がつき問い質したが、無下にできず少し面倒をみた。
どうやら完璧ではない相手の方が政常の興味を引けると考えた母によって、煩わしくはないが手はかかり、美人ではなく可愛らしく愛嬌があり前回の見合い相手とは真反対の容姿だった。
どちらかと言えば政常のタイプには近かったが、好きになることはなかった。
ただ打算があった。
未だ諦めていない母親がその思惑を汲んだ人間が政常の傍にいれば、静かで更なる刺客を送り込んでくることないからだ。
また頑張る相手を突き放せない情があるなら、曖昧な関係で様子をみるのもいいかと、あくまでも仕事上の付き合いに留めながら結論を先延ばしにした。
親愛の情に育てば、そういう結婚もありなのかもしれないと未来の自分の心境の変化までは決めつけず、そうやって母親の心配もまだ切り捨てられずにいた。
それが仇となった。
「この家の人間は余程俺を不幸にしたいみたいだな」
「そうじゃないの、違うの、あの子は違うと思って」
「もう聞き飽きたよ。もう絶縁しようか? そしたらいっそ諦めがついていいと思いますけど」
「政常!」
咎めたのは父親だった。
けれどそれを一瞥し、政常はわざと言葉が荒くならないように努めて、それほどの怒りを持ってしまっていた。
「それくらいのことをしてると自覚してください。俺はもう一生結婚しない。家を捨てても良い覚悟でいると思って下さい」
口調が変わったことで家族は政常の怒りの具合を理解したが、反論をする。
「お前が曖昧なのが悪いんだろ!」
「そもそも俺は結婚する気はないって言いましたよね?」
「あの子は知らなかったたんじゃないか」
「言わずに俺に差し向けたなら酷いのはそちらでしょ」
「お前が期待させるような態度だったんだ」
「残念ですが、俺ははじめに言いましたよ、今後結婚する気はないと」
母は怯えで言葉が出ず、政常を責めるのは父や弟たちだ。
共に仕事をする間に気にかかる言動があったが、仕事相手ならば気にならない。
「それでショックを」
「はじめに言ったんです、それでも頑張ると言ったのは向こうです」
「頑張らせるからだろ」
無駄な努力をしない方がいいと、オブラートに包んで伝えても尚、自分を振り向かせるために頑張るのだと彼女は言った。
それを冷徹に突き放すべきだったと弟は言う。
「だから、俺は頼んでない」
「優しくするから勘違いさせるんだ」
勘違いするほどの親切はしていない。
政常はあくまでも仕事が円滑に進むためのアドバイスをするのみで、プライベートなことは一切口出しはしていない。睡眠時間を削ろうと、食事を疎かにしようと、残業ばかりになっていても別会社からの出向の形だったからほどほどにくらいは言ったが止めたりはしなかった。
ただ体調が悪そうにしていれば帰るように促すのは人間としての当然の行動で、目の前で倒れられたら介抱しないわけにはいかなかった。
作る資料に助言をするのも、プレゼンが成功するようにアシストするのも仕事として政常にしない選択肢はなかった。
あくまでも仕事を捗らせるための行動で、きっぱりとプライベートとは分けた関係を徹底していた。
「勘違いして他に男を作るというのが分からないんです。別に俺と付き合ってるわけではないので、好きにしてもらって良いんですが、その上で将来俺と結婚するというのが理解できない」
「だから、それは、結婚までの自由を謳歌して」
将来を考えない相手と付き合うというのが政常にはそもそも理解できない。
しかも、「あなたが振り向いてくれないから寂しくなってしまう」とか「私努力はやめません、いつか絶対政常さんと結婚します」とか「私だって苦しいんです、彼もそれを慰めてくれてるだけで応援してくれてます」とか言うのだ。
頭が痛くなった政常だった。
どうして自分の周りにはこんな人間しか寄ってこないのだろうかと、いつにも増して空しくもなった。
「それが幸せな結婚になると? 俺はその結婚で何を得るんですか? 政略結婚は必要ない家系だと思ってましたけど、違いましたか?」
「政略的に意味がないことはないが、むしろ可愛い奥さんができるんだ、素晴らしいだろ」
可愛ければなんでも許せるなんてない上に、政常には可愛くも映ってなかった。
「一般的に可愛らしいことは否定しませんが、尊敬できない相手と暮らせるほどではないですよ」
「尽くしてもらえばいいだろ」
結婚してからの頑張りを期待しろと言われても、信用しづらいのが問題だった。
そして期待もできないでいる。
「尽くされたいわけではないですし、今面倒を見させられているのはこちらです」
「そういうのがいいんだろ?」
「勘違いされては困ります、何もできない相手の世話をしたいわけでも、手がかかるほど可愛いなんてこともありません! 好きだと言う口で他の男を口説く浮気の心配のある相手なんて以ての外だ」
イライラを抑え込めなくなってきていた。
「俺はちゃんと仕事で還元できていると思ってましたよ。業績も上げているはずです。それでも俺が結婚しなければ価値がないというのなら、他で働きます」
政常は一族が経営しているグループの中でも一番業績の悪い会社へ入っていた。最初は他の新入社員と同じように働きつつ社の雰囲気や体制を身を持って体験し、徐々に営業成績でもって業績を上げつつ、漸く最近社内の改革にまで手を付けられそうなところまで来ていた。
今でもグループ内で一、二を争うなどという業績にはなっていないが、簡単に切り捨てられないくらいには持ち直しており、これからもさらなる発展を期待されていた。
全てが政常の手柄ではなかったが、公にはしていないが本家の長男がやってきてその立場に胡坐をかくことなく着実に実績を作ることで周りを巻き込み大きなうねりになり始めている。そういうことができてしまう人柄とオーラが政常には実装されてしまっていた。
だから、他でなんて言われて、頷ける家族、親族はいない。
まわりがあからさまに息を飲み、発端となった母親が半狂乱で立ち上がる。
「そう言うことじゃないの! 私はただ幸せになって欲しくて」
「あの女たちが俺の傍にいて、俺が幸せ? 俺を何だと思ってるんですか? 俺を宝飾品か金銭にしか見えていない相手で俺が喜ぶと? それとも俺が傍に置く相手を飾りとして喜ぶような人間だとでも思ってるんですか?」
母のことが大好きな父は、政常に怒りの表情を向ける。
「やめろ!」
それに怯む政常ではなかった。
「母さんがそれを行動で示してるのに、俺が口に出すのは止めるんですね」
「相手の女性が狡猾だっただけで、母さんにそんなつもりはない」
「俺は前回きちんと言ったはずです。結婚はしないと。幸せな結婚がないとは言いませんよ、けれど俺にそれを求められても困ります。俺はもうほとほと疲れたんです。諦めてください。これが最後通告です」
結婚させようとする気配でも見せたらすぐに絶縁すると言って政常は実家を後にした。
母親の絶望の表情にも政常の感情は動かなかった。
そのほんの数カ月ほど前、政常は見合いをした。
27で見合いも早いと思ったが、政常が挙げた条件を満たす様な女性ならば見合いを受けると言えば母親が早々に見つけてきた相手だった。
それまでの恋愛でも、疲れる程女性運がないとも、政常自身が悪いとも、方々から言われ、煩わしさしか感じなくなっていたところに、心配した母親が見合いを勧めてきた。
政常の実家は確かに歴史ある資産家で、そんな家の長男であるから家督が存在した。ただ、この一族は血筋に拘りはあれど、直系の長男が必ず継ぐなどと言うこともなく、そして実家のためにすることも柔軟に変化してきたからこそ昔ほど面倒な用事も減ってきていた。
でもだからこそ、嫁に行くなら矢田家だと界隈では噂されている。
長男は当然ながら、本家に近ければ近いだけ親しくなりたがる人間は後を絶たない。
政常もきっちりと見極めて付き合ってきたが、それほど多くない人数でもう諦めてしまっていた。
家のことなど関係ないと付き合ったが、いつしか政常の金だけに目を眩ませていたり、政常に選ばれたことをステータスにして傲慢になっていったり。
かと思えば、政常に酷い執着をみせ政常の周りにいる女性全てに威嚇してそれを邪険にせず歩み寄りを見せた政常まで常に疑い、してもいない浮気を捲し立てられて流石に冷める以上の感情になってしまった。
さらに悲しいことに、これらの事案は付き合ってもいない人間も男女も関係なく陥る病とまで言えた。
それほど矢田政常という男は多くの魅力を持ち合わせてしまったが故の苦悩を抱えていた。
だからある程度は妥協して、実家にも金銭にもどれほど惚れようと政常とその周りの人間に迷惑を掛けなず、浮気だけはしない。そして一年以上の交際期間を設けそこから初めて結婚について話し合うことを条件に見合いに挑み、とりあえず付き合い始めた。
母親が周到に調べた相手だけあって、とある企業の社長令嬢は礼節を持って政常と付き合っていた。
正直、政常はもっと世間一般のフランクな関係を望んでいたが、ご令嬢はきちんと教育を受けたお嬢様だったから仕草やマナー、社交は完璧な反面、生活能力は高くなく、お手伝いさんがいるくらいが当然、それ以外など考えもしない生粋の箱入り娘で、弁えた態度が変わることはなかった。政常はそれでもいいと受け入れた。
くだらないことで爆笑しあったり、二人だけの家で二人だけで協力し合って生活したり、スーパーに買い物に行って野菜が安いだの高いだの、肉が良い魚が良いと小競り合いをしたり、新発売の妙なフレーバーのお菓子を買おうかどうか悩んだり。いつからかそんな細かく妄想してしまうくらいに、街中にあふれる普通を求めてしまっていた。
矢田家だって普段の暮らしは普通だ。家は大きく、通いの家政婦はいたが、コンビニには当たり前に行くし、テレビだってマンガだってみる。
レセプションパーティーとか当たり前にパーティーなんて名のつくことに参加したり盆暮れ正月は挨拶回りにたくさん来たりと違う常識があることもあるが、多くの当たり前を知らないわけでもない。
でもそんな当たり前は諦めた。
だた心穏やかに平穏があれば良いと。
けれどそれも簡単ではなかった。
お嬢様は、本当に純粋培養のお嬢様だった。
傅かれることが当たり前過ぎて、人に対する敬いに欠けていた。
強く主張しないから分かりづらいが、夫に求めることは、その現状を維持し自分の隣りに立って見劣りせず、それでいて引き立てるくらいを求める以上の当たり前としていた。
自分から何かしてあげようとは全く考えていなかったから、政常の内面などまるで関係なくただ贅沢の暮らしをできるほどの稼ぎと資産があり、眉目秀麗で、まるで専属の執事のように一歩後ろに常に立って彼女をひたすら守ることができれば誰でも良いようだと政常は分かってしまった。
それでも、それだけなら政常は耐えたかもしれない。
もう結婚に夢もなければ、割り切った関係の方が楽だとすら感じていた。
けれど、見過ごせない出来事が起こってしまった。
お嬢様にはお友達がいた。同じような感覚を持ったまるで取り巻きのような人間たちが。
お嬢様自身は天然でだったから政常も割り切って接することができていたが、周りのご令嬢は違った。
それは今まで政常を煩わせてきた人間たちと何も違わず、一応対外的にはご令嬢の婚約者となっている政常に言い寄ってきた。
そしてそれをお嬢様は是とした。
お嬢様の視界の中で完璧ならば他ではどうでもいいらしい。
そしてそれはお嬢様にも適応されていた。
浮気はしない。
それは浮気ではないからだ。お嬢様にとってはお遊び。そういう絶対的な感覚の違いは政常も割り切れなかった。
「今回のことでよく分かった。面倒くさすぎる」
「え、そんな、今回はその」
実家のリビングで家族が揃う中、政常が告げれば、母親は動揺と困惑を見せる。
「もう十分分かったし、母さんも分かっただろ? 俺を不幸にしたいなら誰でもいいし適当に籍だけ入れるけど。その場合は子供は望まないで」
政常の結婚を焦っているのは母親だけなので、父親や兄弟たちは特別反応は見せなかった。
正式な婚約をしていたわけでもないのに一年経たずに婚約解消と噂されたが、それでもそれ以外の浮ついた噂が減ることもなかった。
昔から次々噂はされるが、実際に付き合ったのなんて、その何分の一にもならない。精々一人か二人だ。けれど、それを打ち消すのも煩わしくて放置した。
没頭しようとすれば仕事は最適で、やればやるだけ成果も出て面白くなっていた。
そんなとき出会った女性がいた。
仕事関係での簡単には距離を置けない相手だった。
母親の差し金だとは早い段階で気がつき問い質したが、無下にできず少し面倒をみた。
どうやら完璧ではない相手の方が政常の興味を引けると考えた母によって、煩わしくはないが手はかかり、美人ではなく可愛らしく愛嬌があり前回の見合い相手とは真反対の容姿だった。
どちらかと言えば政常のタイプには近かったが、好きになることはなかった。
ただ打算があった。
未だ諦めていない母親がその思惑を汲んだ人間が政常の傍にいれば、静かで更なる刺客を送り込んでくることないからだ。
また頑張る相手を突き放せない情があるなら、曖昧な関係で様子をみるのもいいかと、あくまでも仕事上の付き合いに留めながら結論を先延ばしにした。
親愛の情に育てば、そういう結婚もありなのかもしれないと未来の自分の心境の変化までは決めつけず、そうやって母親の心配もまだ切り捨てられずにいた。
それが仇となった。
「この家の人間は余程俺を不幸にしたいみたいだな」
「そうじゃないの、違うの、あの子は違うと思って」
「もう聞き飽きたよ。もう絶縁しようか? そしたらいっそ諦めがついていいと思いますけど」
「政常!」
咎めたのは父親だった。
けれどそれを一瞥し、政常はわざと言葉が荒くならないように努めて、それほどの怒りを持ってしまっていた。
「それくらいのことをしてると自覚してください。俺はもう一生結婚しない。家を捨てても良い覚悟でいると思って下さい」
口調が変わったことで家族は政常の怒りの具合を理解したが、反論をする。
「お前が曖昧なのが悪いんだろ!」
「そもそも俺は結婚する気はないって言いましたよね?」
「あの子は知らなかったたんじゃないか」
「言わずに俺に差し向けたなら酷いのはそちらでしょ」
「お前が期待させるような態度だったんだ」
「残念ですが、俺ははじめに言いましたよ、今後結婚する気はないと」
母は怯えで言葉が出ず、政常を責めるのは父や弟たちだ。
共に仕事をする間に気にかかる言動があったが、仕事相手ならば気にならない。
「それでショックを」
「はじめに言ったんです、それでも頑張ると言ったのは向こうです」
「頑張らせるからだろ」
無駄な努力をしない方がいいと、オブラートに包んで伝えても尚、自分を振り向かせるために頑張るのだと彼女は言った。
それを冷徹に突き放すべきだったと弟は言う。
「だから、俺は頼んでない」
「優しくするから勘違いさせるんだ」
勘違いするほどの親切はしていない。
政常はあくまでも仕事が円滑に進むためのアドバイスをするのみで、プライベートなことは一切口出しはしていない。睡眠時間を削ろうと、食事を疎かにしようと、残業ばかりになっていても別会社からの出向の形だったからほどほどにくらいは言ったが止めたりはしなかった。
ただ体調が悪そうにしていれば帰るように促すのは人間としての当然の行動で、目の前で倒れられたら介抱しないわけにはいかなかった。
作る資料に助言をするのも、プレゼンが成功するようにアシストするのも仕事として政常にしない選択肢はなかった。
あくまでも仕事を捗らせるための行動で、きっぱりとプライベートとは分けた関係を徹底していた。
「勘違いして他に男を作るというのが分からないんです。別に俺と付き合ってるわけではないので、好きにしてもらって良いんですが、その上で将来俺と結婚するというのが理解できない」
「だから、それは、結婚までの自由を謳歌して」
将来を考えない相手と付き合うというのが政常にはそもそも理解できない。
しかも、「あなたが振り向いてくれないから寂しくなってしまう」とか「私努力はやめません、いつか絶対政常さんと結婚します」とか「私だって苦しいんです、彼もそれを慰めてくれてるだけで応援してくれてます」とか言うのだ。
頭が痛くなった政常だった。
どうして自分の周りにはこんな人間しか寄ってこないのだろうかと、いつにも増して空しくもなった。
「それが幸せな結婚になると? 俺はその結婚で何を得るんですか? 政略結婚は必要ない家系だと思ってましたけど、違いましたか?」
「政略的に意味がないことはないが、むしろ可愛い奥さんができるんだ、素晴らしいだろ」
可愛ければなんでも許せるなんてない上に、政常には可愛くも映ってなかった。
「一般的に可愛らしいことは否定しませんが、尊敬できない相手と暮らせるほどではないですよ」
「尽くしてもらえばいいだろ」
結婚してからの頑張りを期待しろと言われても、信用しづらいのが問題だった。
そして期待もできないでいる。
「尽くされたいわけではないですし、今面倒を見させられているのはこちらです」
「そういうのがいいんだろ?」
「勘違いされては困ります、何もできない相手の世話をしたいわけでも、手がかかるほど可愛いなんてこともありません! 好きだと言う口で他の男を口説く浮気の心配のある相手なんて以ての外だ」
イライラを抑え込めなくなってきていた。
「俺はちゃんと仕事で還元できていると思ってましたよ。業績も上げているはずです。それでも俺が結婚しなければ価値がないというのなら、他で働きます」
政常は一族が経営しているグループの中でも一番業績の悪い会社へ入っていた。最初は他の新入社員と同じように働きつつ社の雰囲気や体制を身を持って体験し、徐々に営業成績でもって業績を上げつつ、漸く最近社内の改革にまで手を付けられそうなところまで来ていた。
今でもグループ内で一、二を争うなどという業績にはなっていないが、簡単に切り捨てられないくらいには持ち直しており、これからもさらなる発展を期待されていた。
全てが政常の手柄ではなかったが、公にはしていないが本家の長男がやってきてその立場に胡坐をかくことなく着実に実績を作ることで周りを巻き込み大きなうねりになり始めている。そういうことができてしまう人柄とオーラが政常には実装されてしまっていた。
だから、他でなんて言われて、頷ける家族、親族はいない。
まわりがあからさまに息を飲み、発端となった母親が半狂乱で立ち上がる。
「そう言うことじゃないの! 私はただ幸せになって欲しくて」
「あの女たちが俺の傍にいて、俺が幸せ? 俺を何だと思ってるんですか? 俺を宝飾品か金銭にしか見えていない相手で俺が喜ぶと? それとも俺が傍に置く相手を飾りとして喜ぶような人間だとでも思ってるんですか?」
母のことが大好きな父は、政常に怒りの表情を向ける。
「やめろ!」
それに怯む政常ではなかった。
「母さんがそれを行動で示してるのに、俺が口に出すのは止めるんですね」
「相手の女性が狡猾だっただけで、母さんにそんなつもりはない」
「俺は前回きちんと言ったはずです。結婚はしないと。幸せな結婚がないとは言いませんよ、けれど俺にそれを求められても困ります。俺はもうほとほと疲れたんです。諦めてください。これが最後通告です」
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