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エピソード0 光莉、会議室にて未知との遭遇
しおりを挟むそれは光莉が政常に告白をされるずっと前のことだ。
営業部のヘルプに駆り出されるよりもさらに前。
小会議室の後片付けをたまたま一人、光莉がしている時だった。
社内ではなかなか見ないような派手な若い女性があまりに自然に部屋に入ってきた。
小会議室はガラス張りなので密室であっても見知らぬ人間と二人きりになることに恐怖は薄かったが、幾分かの緊張感を光莉は持った。
安全管理と私的利用防止の為に設置された防犯カメラもちらりと確認する。
光莉が声を掛けるより早く、広くない室内を女性はつかつかとヒールを鳴らしながら目の前にやって来て口を開く。
「あなた、どんな手を使ったか知らないけど自惚れるのはやめなさい」
光莉と同じ歳ぐらいだろう女性だったが、態度も言葉も完全に上からだった。
突然言われたことが全くもって理解不能で光莉の頭の中は疑問と、かなりの危ない人間かもしれない緊張と、発せられた言葉から予測されることをフル回転で考えるので一気に忙しくなった。
「……あのどちらさまでしょうか? 言ってることが何一つ分からない」
丁寧に接するべき相手かどうかも分からず、正体を聞きながらしゃべり方を統一できなかった。
微笑みをたたえる正体不明の女性は、光莉を見下すそぶりを隠しもしない。
「矢田政常と一緒にいたのを覚えているでしょ」
詳細を話すつもりは無いようでも、そのヒントで光莉は記憶を呼び起こしてなんとか思い出した。
前日社内ですれ違って会釈した時に隣に派手な格好をした女性が並んでいた。それが目の前の人と同一人物であるかどうかは光莉には確信は持てなかったが、服装と髪型とメイクは同じ系統であることは判断できた。
同一人物なら不法侵入の無関係な不審者ではないのだろうと光莉は判断するが、念の為警戒は怠らず、ただそうだとしても、なぜこんなところで意味の分からないことを話しかけられているのかは理解できなかった。
「……矢田さんでしたら、この階の部署ではないのでご案内しましょうか?」
「必要ないわ、あなたに忠告しに来たの。余計な知恵を働かせないで分相応の相手を探しなさい。さもないとあなたこの社に居られなくなるわよ」
もっと簡潔に言ってほしいと思いながら、光莉はその言葉をきちんと翻訳した。
つまり矢田政常に近づくなと言いたいのだと。
ただそれが分かっても、光莉に心当たりがない。そもそも矢田との接点は皆無に近い。
会釈をするくらいの顔見知りではあるが、会釈をするくらいの関係でしかないとも言えた。社内で会っても立ち話一つしたことはない。仕事での関りすらない。
百歩譲って光莉にその気があっても、そんな社員一人に恋心を持ったくらいで退職を迫られるような黒い会社だっただろうかと疑問に思いながらも、一応人事権を持っている社内の人間なのかと気にはなった。
総務部の仕事上社内の人間の顔は多く知っている方だったが、光莉の会社は総務部とは別に人事部が独立してあったので、全社員完璧に覚えているほどではないからだ。
「……人事部の方ですか?」
「いいえ、でもそれくらいは簡単にできるの。あなたが転職したいのだとしてもわざわざ政常を利用しないで下さる? 最後の思い出作りにしても調子に乗り過ぎよ。あなたごときが僅かでも関わる事なんかできる相手はじゃないのよ。高嶺の花として眺めていなさい。それさえも贅沢なんだから」
光莉に転職するつもりはもちろんなく、移動願いでさえ出したことはない。
その高飛車な言い方でさえ言い分が理解できなさ過ぎて鼻にもつかなければ、謎人間としての女性の印象が増幅されるばかりだった。
矢田政常は社内では有名人でも光莉にとってはほとんど興味ない相手であったが、単純に気になることがあった。
「矢田さんの前でもそのような態度なのですか?」
光莉の恋愛観から言えばその言動の相手はあまり好まれるものではなかったから、いくら綺麗に着飾っても不利ではないのかと不思議に思う部分であった。
「どういう意味よ」
「私はほぼ初対面の相手を恫喝するような性格はしていないのでお門違いだと言ってます」
「なによ、それ」
これで気分を害する感性は持っているのだなと光莉は相手の表情を読み解く。
けれどそれならばと思うこともまたある。
「もしかして矢田さんの前ではまた違う人を演じてるんですか? それでしたら女性の裏も見抜けないような方は将来が不安なのでこちらから願い下げですし、さっきと同じく裏がある様な方が好みならば私の様な単純な人間は眼中にないでしょうから、やはり私のところに来るのはお門違いですね。もっと他に気を付けておくべき人がいるのではないですか?」
噂の絶えない矢田政常という人物は、この目の前にいる女性もしかりな様々に美しい人や才女たちがいつも周りにいる。
自分がその中に入ろうなどと微塵も思わない光莉は、例え容姿の良さでもって鑑賞物だとしても興味はない。
光莉は現実主義なのだ。
わざわざ遠くの存在を身近に感じたいとも思わなければ、そこに理想を見て想いを馳せたりもしない。
常日頃自分の周りにいる人たちとの関係や生活が大事であり、そこに影響したりされたりしながら生きているし、これからもそうでありたいと思っていた。
「私だってあなたなんか敵になるとも思っていないわ。ただ哀れな人間の間違いを正してあげようって優しさよ。やっぱりそんなことも分からないただの卑しいだけの女だったわね」
酷い言われようだが、矢田政常本人に持たれている自分の印象こそ分からないがその周りにいる人間にとってはそういう認識だろうと否定する気もなかった。そうだとして光莉になんに害もないからだ。
どうぞ今後も片隅どころか異界人くらいに認識の外に置いてもらってとすら思う光莉だったので、特別気分を害することなく笑顔で頭を下げた。
「ご忠告ありがとうございます。勘違いすらすることはないので、ご心配には及びません。どうぞそのお時間を他にお使いください」
「言われなくてもそうするわ」
是非に、と口に出さずに嫌味にならない程度に微笑んで見送った。
もっと激情に晒される可能性もみてはいたが、そこは冷静というか威勢の良さみたいのはない人だったなと片付けを再開させながらイレギュラーな出来事を光莉は考える。
「イケメンって本当に大変なんだな、関わることもないんだけど。なんで私のところなんかに来たんだろ。まさか社内の女性みんなに言って回ってるの……こわっ、矢田さんも災難過ぎ……いや、そういう厄介な人が好きなのか……知らない方が良い世界だねこれは、忘れよ」
その後、光莉の耳に入った噂では、無意味な忠告にやってきた女性はどうやら重役の親族だったらしくその重役の失職によりどこか遠くに行くことになったらしい。
そんな噂も光莉にとってはその他の噂話と大差なくやはり日常に何の影響もなく過ぎ去っていった。
社内の不正を調べるために、調査対象の令嬢の単独行動を件の会議室の監視カメラで観ていた人たちがいたことを光莉は知らないまま。
営業部のヘルプに駆り出されるよりもさらに前。
小会議室の後片付けをたまたま一人、光莉がしている時だった。
社内ではなかなか見ないような派手な若い女性があまりに自然に部屋に入ってきた。
小会議室はガラス張りなので密室であっても見知らぬ人間と二人きりになることに恐怖は薄かったが、幾分かの緊張感を光莉は持った。
安全管理と私的利用防止の為に設置された防犯カメラもちらりと確認する。
光莉が声を掛けるより早く、広くない室内を女性はつかつかとヒールを鳴らしながら目の前にやって来て口を開く。
「あなた、どんな手を使ったか知らないけど自惚れるのはやめなさい」
光莉と同じ歳ぐらいだろう女性だったが、態度も言葉も完全に上からだった。
突然言われたことが全くもって理解不能で光莉の頭の中は疑問と、かなりの危ない人間かもしれない緊張と、発せられた言葉から予測されることをフル回転で考えるので一気に忙しくなった。
「……あのどちらさまでしょうか? 言ってることが何一つ分からない」
丁寧に接するべき相手かどうかも分からず、正体を聞きながらしゃべり方を統一できなかった。
微笑みをたたえる正体不明の女性は、光莉を見下すそぶりを隠しもしない。
「矢田政常と一緒にいたのを覚えているでしょ」
詳細を話すつもりは無いようでも、そのヒントで光莉は記憶を呼び起こしてなんとか思い出した。
前日社内ですれ違って会釈した時に隣に派手な格好をした女性が並んでいた。それが目の前の人と同一人物であるかどうかは光莉には確信は持てなかったが、服装と髪型とメイクは同じ系統であることは判断できた。
同一人物なら不法侵入の無関係な不審者ではないのだろうと光莉は判断するが、念の為警戒は怠らず、ただそうだとしても、なぜこんなところで意味の分からないことを話しかけられているのかは理解できなかった。
「……矢田さんでしたら、この階の部署ではないのでご案内しましょうか?」
「必要ないわ、あなたに忠告しに来たの。余計な知恵を働かせないで分相応の相手を探しなさい。さもないとあなたこの社に居られなくなるわよ」
もっと簡潔に言ってほしいと思いながら、光莉はその言葉をきちんと翻訳した。
つまり矢田政常に近づくなと言いたいのだと。
ただそれが分かっても、光莉に心当たりがない。そもそも矢田との接点は皆無に近い。
会釈をするくらいの顔見知りではあるが、会釈をするくらいの関係でしかないとも言えた。社内で会っても立ち話一つしたことはない。仕事での関りすらない。
百歩譲って光莉にその気があっても、そんな社員一人に恋心を持ったくらいで退職を迫られるような黒い会社だっただろうかと疑問に思いながらも、一応人事権を持っている社内の人間なのかと気にはなった。
総務部の仕事上社内の人間の顔は多く知っている方だったが、光莉の会社は総務部とは別に人事部が独立してあったので、全社員完璧に覚えているほどではないからだ。
「……人事部の方ですか?」
「いいえ、でもそれくらいは簡単にできるの。あなたが転職したいのだとしてもわざわざ政常を利用しないで下さる? 最後の思い出作りにしても調子に乗り過ぎよ。あなたごときが僅かでも関わる事なんかできる相手はじゃないのよ。高嶺の花として眺めていなさい。それさえも贅沢なんだから」
光莉に転職するつもりはもちろんなく、移動願いでさえ出したことはない。
その高飛車な言い方でさえ言い分が理解できなさ過ぎて鼻にもつかなければ、謎人間としての女性の印象が増幅されるばかりだった。
矢田政常は社内では有名人でも光莉にとってはほとんど興味ない相手であったが、単純に気になることがあった。
「矢田さんの前でもそのような態度なのですか?」
光莉の恋愛観から言えばその言動の相手はあまり好まれるものではなかったから、いくら綺麗に着飾っても不利ではないのかと不思議に思う部分であった。
「どういう意味よ」
「私はほぼ初対面の相手を恫喝するような性格はしていないのでお門違いだと言ってます」
「なによ、それ」
これで気分を害する感性は持っているのだなと光莉は相手の表情を読み解く。
けれどそれならばと思うこともまたある。
「もしかして矢田さんの前ではまた違う人を演じてるんですか? それでしたら女性の裏も見抜けないような方は将来が不安なのでこちらから願い下げですし、さっきと同じく裏がある様な方が好みならば私の様な単純な人間は眼中にないでしょうから、やはり私のところに来るのはお門違いですね。もっと他に気を付けておくべき人がいるのではないですか?」
噂の絶えない矢田政常という人物は、この目の前にいる女性もしかりな様々に美しい人や才女たちがいつも周りにいる。
自分がその中に入ろうなどと微塵も思わない光莉は、例え容姿の良さでもって鑑賞物だとしても興味はない。
光莉は現実主義なのだ。
わざわざ遠くの存在を身近に感じたいとも思わなければ、そこに理想を見て想いを馳せたりもしない。
常日頃自分の周りにいる人たちとの関係や生活が大事であり、そこに影響したりされたりしながら生きているし、これからもそうでありたいと思っていた。
「私だってあなたなんか敵になるとも思っていないわ。ただ哀れな人間の間違いを正してあげようって優しさよ。やっぱりそんなことも分からないただの卑しいだけの女だったわね」
酷い言われようだが、矢田政常本人に持たれている自分の印象こそ分からないがその周りにいる人間にとってはそういう認識だろうと否定する気もなかった。そうだとして光莉になんに害もないからだ。
どうぞ今後も片隅どころか異界人くらいに認識の外に置いてもらってとすら思う光莉だったので、特別気分を害することなく笑顔で頭を下げた。
「ご忠告ありがとうございます。勘違いすらすることはないので、ご心配には及びません。どうぞそのお時間を他にお使いください」
「言われなくてもそうするわ」
是非に、と口に出さずに嫌味にならない程度に微笑んで見送った。
もっと激情に晒される可能性もみてはいたが、そこは冷静というか威勢の良さみたいのはない人だったなと片付けを再開させながらイレギュラーな出来事を光莉は考える。
「イケメンって本当に大変なんだな、関わることもないんだけど。なんで私のところなんかに来たんだろ。まさか社内の女性みんなに言って回ってるの……こわっ、矢田さんも災難過ぎ……いや、そういう厄介な人が好きなのか……知らない方が良い世界だねこれは、忘れよ」
その後、光莉の耳に入った噂では、無意味な忠告にやってきた女性はどうやら重役の親族だったらしくその重役の失職によりどこか遠くに行くことになったらしい。
そんな噂も光莉にとってはその他の噂話と大差なくやはり日常に何の影響もなく過ぎ去っていった。
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